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第71話 要塞から見た朝日 4 -重なる道-

 要塞の攻略拠点には、松明の炎が点々と集まっていた。兵士たちの吐息は白く、鎧の触れ合う音が静けさの中に響く。血と硝煙の匂いが、冷たい夜気に混じっている。

 東の空は、まだ誰も気づかないほど微かに白み始めていた。


「ライト将軍」


 ざっざっと土を擦る軽い足音と共に、少女の声が静かに響いた。


 ライトが振り向くと、小柄な影が松明の光の中に立っていた。イーラ。鋼鬼四天の一角、土人族の少女。右手の手甲が、炎に照らされて鈍く光る。


「……お戻りですか」


 イーラの視線が、兵士たちに運ばれてくるヴェルデへと移った。血に濡れ、意識を失った男の姿を一瞥すると、彼女は小さく息を吐き、無表情のまま状況を理解したようだった。


「これは……元警備隊のヴェルデ。反乱軍の、主力の一人」


 眼前に跪かされたヴェルデを見下し、イーラは確認する。


「さっきから動きませんけれど……生きているのですか?」


「生かしておいたさ」


 ライトは短く答えた。返り血を気にする様子もなく、その声には感情の起伏がない。老将の顔に疲労の色は見えないが、ただ何かを遠くに見るような、虚ろな光が瞳に宿っていた。


「情報でも何でも引き出すといい」


 まるで、すべてが遠い昔の出来事のように、ライトは言った。実際に遠い昔の出来事を思い出しているようだったが、彼にとって受け入れ難い事実と結び付くそれは、頭の奥の封に固く閉ざされていく。


「俺は次の戦場へと向かう」


 背を向け、踵を返そうとした、その時。


「……ライト将軍」


 イーラが、もう一度ライトを呼び止めた。


「目撃情報によると、もう一人……反乱軍の主力、ラシュエルの姪のミアが現場にいたはず」


 淡々とした声で、イーラはただ確認する。


「……あなたなら捕えられたはずです」


 しかし、続いた言葉に一瞬、空気が凍りついた。

 周囲の兵士たちが、ライトの反応を窺うように視線を向ける。


 その中で、イーラだけが、別方向に目線を流す。土から伝わる気配が一つ増えていることに、彼女は気づいていた。


「そう思うよね、ラシュエル……?」


 いつのまに拠点に戻っていたのか、少し離れた所で、黒翼を畳んだラシュエルが、無表情にライトを見ていた。

 蒼白い肌。漆黒の瞳。イーラに問われても、姪の名を聞いても、何も反応しない。普段通りのラシュエルだった。


 イーラとラシュエルからの視線に、ライトは足を止めた。

 振り返らずに背中を向けたまま、静かに息を吐く。


 短い沈黙の後、ライトは低く答えた。


「俺は、見なかった」


 その言葉は、なおも反論の余地を与えない絶対的な宣言として告げられた。


「……」


 イーラは、数秒の間を置いて、小さく頷いた。

 

「はあ……了解いたしました」


 要塞の制圧は完了した。ならば、ライトにそれ以上を望む必要はない。命令であれば、従うだけだった。


「……俺は次の戦場へ征く」


 ライトは、そのまま歩き出した。

 松明の炎が揺れ、老将の背に落ちる影が地面に長く伸びていく。

 老将の背中は、何も語らず、何も見せない。


 ――ただ、過ちと後悔の記憶を背負っているだけ。

 冷たい風が吹き抜け、戦場の残り香を攫っていった。

 ラシュエルは、その風の中で、遠ざかるライトの背を見つめていた。

 

 ライトの参戦により、帝国軍の勝利は決定的となり、反乱軍――ラシュエルの一族は敗北した。ラシュエルがライトに抱く思いは、単純ではない。

 

 **


 牢の中、追想を終え、受け止めきれぬほどの出来事の連鎖に、俺は深く息を吐いた。

 石造りの冷たい壁。鉄格子の向こうに見える廊下。自分が囚われているという現実が、否応にもゆっくりと心に沈んでくる。

 脇腹の傷は脈動と共に鈍く痛む。

 然るべき時に殺すためか応急処置はされているようだが、まだ血が滲んでいる。


 四肢を拘束する鎖錠の音に、これは、もう取り返しのつかない現実であると思い知らされる。


「……また……捕まっちまったな……」


 かすれた声で呟くが、誰も答えない。石壁が、虚しく声を反響させるだけだ。

 最初に反乱軍であることがバレて捕まったときは、処刑直前にフィロンに助け出された。だが、今回はどうだろう。要塞は落とされた。フィロンからもユリアナ様からも連絡は途絶えて久しい。

 反乱軍に、もう俺やミア様に回せる余力なんか、きっとない。


「これから俺は……まあ、死ぬんだろうな」


 現実は、いつも無慈悲に俺の前に立ちはだかる。


 ――俺は捕まった。

 ミアは、あの後どうなったのだろう。

 ライトは俺とミアを逃がした。ミアは、あの後も無事に逃げているのだろうか。

 それとも……。いや、考えても仕方ない。今はただ、一人きりで祈ることしかできない。……無力だ。


「……くそ」


 小さく呟く。声が、虚しく反響する。


 ――俺は、何をしていたんだ。

 要塞は落ちた。ミアを守れなかった。

 ミアを逃したのは、俺ではなくライトやラシュエルだ。


 ――俺がいたから? 俺が盾になったから?

 それとも、ただの偶然?

 分からない。俺では、ライトの考えなど計り知れない。


「……ミア」


 思わず呟いた、ミアの名。今の俺にあるのは、自分でも理解できないほどにミアの無事を願う心。

 ……そして、どんなに目を逸らそうとしても拭いきれない……疑問、だ。

 

 ――本当にこれで、良かったのか?


 反乱は、失敗する。俺は、死ぬ。フィロンやテツだって、今生きているのかすら分からない。ミアも……ユリアナ様だって、いつかは――。


「俺は、見せしめとして今度こそ処刑されるんだろうな」


 ――そうだ。ユリアナ様を残して。死んでしまう。

 自分が彼女に反乱軍に入るよう声をかけなければ。警備隊という立場を使わなければ。

 そう考えたことは一度や二度ではない。


 それでも、今は思える。ユリアナ様も、自分の意思で戦ったのだと。


 ――俺だってフィロンに誘われた口だけど、別にあいつを恨んではいない。あいつは……全部自分のためだったんだろうけど、結果的に多くの夢を背負っていた。

 

 俺も、ユリアナ様もフィロンに夢を背負わせた。……そう。俺が誘わなくても、きっとあの方は来たんだ。

 その覚悟を、否定することは、もうできない。


「ただ、俺達がしてきたことは……」


 何かは変わるかもしれないが、きっと、帝国は、続く。

 歪な体制のまま、続いていく。


 俺達が十年に及びしてきたことは、無駄だったのだろうか。

 十年かけて準備した反乱は――。

 

「……無駄、だったのかな」


 声が震えた。

 石床は、冷たい。指先から、体の芯まで冷え切っていく。


「……無駄じゃ、ない」


 声が、かすれた。


「無駄じゃ、なかったって……思わないと……」


 視界が、滲む。


「……やってらんねえよ……」


 気づけば、涙が頬を伝っていた。

 

 ――俺は、自分で戦いを選んだ。結果は、これまでの行いの上に成り立つもの。

 本来なら、悔いる資格も、泣く資格も俺にはない。そんなことは分かっている。

 ただ、敗北はすべてを否定する。積み上げた過去も、現在も、そして死んだ後の未来さえも。

 ……後悔すべきではないと分かっている。それでも、絶望に呑まれて、どうしても悔いがこぼれてしまう。


「……」


 ――何……眩しい?


 ……そんな中でも、格子窓から差し込む光に誘われ、俺は無意識に顔を上げていた。

 牢を照らす光が、徐々に強くなっていく。


 ――朝が、来る。


 思わず思考を止め、息を呑む。こんな絶望の中でも、朝は来る。


 それは、俺に残されている僅かな希望を思い出させる。

 ミアが、生きていること。これだけの反乱で、帝国はきっと何かしら変化はすること。

 ……ユリアナ様が生きていれば、あの方はきっと処刑まではされない。希望は、完全に絶たれたわけではない。繋がっている。

 ……そう。俺のしてきたことには、意味があったんだ。


 朝の光は、牢の外にも中にも等しく降り注ぐ。


 ――誰かが、続きを生きてくれる。

 ミアやユリアナ様だけではない。俺の知らない誰かが。俺が見ることのない未来を。……生きていくんだ。


 帝国は続くだろう。でも、きっと何かは変わる。少しずつ、少しずつ。


 俺達が声を上げたことが、種になる。いつか、誰かが、それを育ててくれる。

 

 ……それは誰だろう?


「……ああ」


 小さく声が漏れた。

 涙は、まだ頬を伝っている。でも、不思議と、心は穏やかになっていた。


 ――これで、いいんだ。


 俺は、ここで終わるが、誰かが続きを生きてくれる。それこそが、僅かに繋がっている希望なんだ。


 眩い光が、俺を包んでいた。


 夜が明ける。戦争は、じきに終わる。反乱軍(おれたち)の敗北によって。


 でも――。

 格子窓から差す朝日を、じっと見つめていた。


 ミアのことは、分からない。

 ユリアナ様のことも、フィロンのことも。


 ――反乱は失敗に終わるだろう。でも――。


「それでもっ……」


 この朝日を見て、最後に気づくことができた。こんなにも単純に気持ちを受け止められたことなど、いつぶりだろうか。


 自分で選んだ。最後は、ミアのために戦って、捕まった。後悔は――。


「……ないな」


 ――本当は、後悔だらけだ。それでも、この言葉だけは、嘘ではない気がした。

 ――そうだ。きっと、まだ、希望が繋がっていることに気がついたから……。


 朝日が、牢の中を満たしていく。温かい光が、全身を包んでいく。


 ヴェルデは、ゆっくりと目を閉じた。

 ――ああ。あと一つだけ。ただあと一つだけ、願うことが許されるのだとすれば――。

 もう一度、目を開けて、朝日を見つめる。


「……ミア。あんたが……続きを、生きてくれ」


 小さく呟いた言葉は、朝の光の中に溶けていった。

 涙は止まり、呼吸は穏やかになっていく。

 石床の冷たさも、傷の痛みも、もう気にならなかった。


 ただ、朝日の温かさだけが、そこにあった。


 **


 要塞の近く、戦火に巻き込まれた廃屋の中に身を潜め、ミアは荒く息をついていた。


 幾人か兵士を襲い、血を吸ったが、充分に回復したとは言えない。体の芯が冷え、全身が痛む。血だらけの黒い服から覗く白い肌は傷だらけだ。


 ライトとの戦いで受けた傷は、まだ完全には癒えていない。あの男が与えた傷は多く、そして深すぎた。繰り返し治癒された身体は、しばらくは回復能力がまともに働いてくれそうにはなかった。


 ――ヴェルデは、捕まった。……私のために。

 どうして。あの臆病で、女好きで、いつも軽口を叩いていた男が。なぜ、私のために命を懸けたのか。


「それが、ヴェルデの思う自分らしさということ……? ……可笑しいわね」

 

 ――そんなやり方、死ぬ間際に後悔しない訳がないのに。

 いや、悔いる間もなく殺された可能性ならあるかもしれないかしら。


「……」


 自分の後ろ向きな思考を遮るように、ミアは軽く頭を振った。長い髪が、血に濡れた頬に張り付く。

 ――考えても仕方ない。全ては終わったのだ。

 

 ライトは、私を逃がした。

 彼の行動には、違和感があった。……その言動の理由すべてが、分からなかった。

 ――ただ……彼は、過去の何かをやり直しているかのようだった。


 建国の英雄ライト。セレスティアのことを知らなかった男。娘として育てたというサキの母親がどんな人だったのか、知ろうともしなかった男。


 ――そんな男が、なぜ私を逃がした? サキに似ているから?

 それだけの理由で?


「……ねえ、分からないわよ? そんな後悔、私に押し付けられても困るもの」


 ――なんて、ライトに理想を押し付けていた私が言えたことではなかったかしら。


「ただ私にはもう、何を悔いたらいいのかさえ、分からない」

 

 ミアには、ずっとライトに照らされていた道が、もう見えない。

 

 それでも。

 新しい一日は始まる。


「……っ……熱い」


 遥か彼方の空の果てから、太陽が、昇る。


 廃屋の荒い木の継ぎ目から差す陽光が、ミアの身を焼く。

 血と煙の匂いが彼女の身体から立ち上る。


 彼女はまるで他人事のように、指先から燃えていく自身の両手を眺める。

 そして何かを求めて深い霧の中を彷徨うような足取りで、おもむろに廃屋の外に出た。

 軋んだ扉の音と同時に、ミアは真正面から朝日を浴びた。


「こんなにはっきりと朝日を見たのは……初めてだわ」

 

 肌が焼けていく。じりじりと熱が這い上がり、皮膚が泡立つような痛みが全身を駆け巡る。吸血鬼の身体が悲鳴を上げている。だが、ミアは立ち尽くしたまま。その眩しさから目を逸らすことができなかった。


「……ふっ、バカみたいね」


 誰に言うでもなく、ミアは毒づいた。焼けた喉から出る声は、掠れていた。


 吸血鬼族は、太陽を嫌う。

 朝日に焼かれれば、肌が爛れる。痛みが走る。

 

 ――流れた涙が、爛れた頬に、より一層沁みる。


 身体が焼け続けるのにも構わず、ミアは亡き友への切ない問いに身を委ねていた。

 

 セレスティアも、こんな朝日を見たことがあるのだろうか。

 吸血鬼族の城は朝は静まり返る時間だから、ないのかもしれない。

 …………いや。

 あの古城から逃げ出して、あの子がライトに娘を託すまでに、きっとどこかで見たはずだ。

 絶望の中で、それでも昇る太陽を。


 ミアは思いを馳せる。ライトの故郷、海沿いの村上シャトラント。そこへ向かう小舟の中、さざ波の音色に包まれて、眩い朝日に目を細める、赤子を抱いたセレスティアを――。

 

 あの子の娘――サキも。

 きっとどこかで、今昇る太陽を見ている。


 サキ――あの半吸血鬼は、セレスティアの忘形見。


 ……そう。この世界に、セレスティアはもういない。私が望んだ英雄の世界は、私がセレスティアと共に生きたかった世界。二人で夢見た、理想の世界。


 セレスティアと共に英雄譚に夢見ていた世界を、叶えたかった。共に笑い、共に戦い、共に新しい時代を作りたかった。

 ……でも、セレスティアは、もういない。

 ……反乱軍の敗北は、もう決定的だ。

 英雄は、ただ終わらせたかっただけだと語った。理想も希望も、すべてを否定された。


 道は、確かに見えていたはずなのに、今はもう、見えない。分からない。まるで霧の中を彷徨っているような心地だ。


 ――嗚呼……私は、何を求めて、ここにいるの?

 

「……私は、どうすればいいの?」


 答えのない問いを、ミアは朝日に向けて呟いた。もう叶わないと分かっている願いを追い求める黒翼の少女に、要塞の向こうで昇る太陽は、何も答えない。


 ――これから、永遠に近い時間、続いていく人生。……今までだって問い続けてきたけれど、まだ、答えは見えない。

 ――でもいつかきっと、辿り着けるはず。

 この心の底のない孤独を、癒してくれる場所に……。


 無慈悲に、世界を照らし続ける太陽に、手を伸ばす。

 身を灼かれながら、爛れていく皮膚に涙が、血が伝う。

 全身に奔る熱が痛みからなのかすら、ミアには、もう分からなかった。


 

 ただ、朝日を見つめ続けた。


 ふと、視界の端で何かが動く。

 ハタハタと空を飛ぶ、小さな影。黒い鳥だ。焼け落ちた要塞の瓦礫の上を、一羽の鳥が飛んでいく。

 朝日を浴びて、木の上へ。

 

 その時、ミアの脳裏に、ある問いかけが蘇った。


『……半吸血鬼は、私が望む世界で、生き残れるかしらね?』


 あの日、夜明け前に、自分が投げかけた言葉。セレスティアの娘――サキに向けた、問い。


 あれは、サキへの挑戦だった。

 ――でも、今なら分かる。あれは、自分自身に向けた問いでもあった。

 

 憧れた英雄譚は潰えた。

 共に歩むはずだった友も、もういない。

 私が望んだ世界は、もう叶わない。

 

 ――では、サキは?

 ――セレスティアが遺した娘は、どう生きる?

 

 あの子は、私のように英雄譚を夢見たのか。

 それとも――別の答えを、見つけたのか。


「……あの子のところへ――」


 ――会いに行く。

 小さく呟いた。

 セレスティアの娘に。あの、半吸血鬼の少女に。


 ――お前は、生き残ったのか。

 ――お前は、答えを見つけたのか。


 それを、この目で確かめたい。セレスティアが遺した、たった一つの希望を。


 ――ライトに照らされていた私の道はもう見えないけれど、セレスティアが夜明けに繋いだ、あの娘の道は……。


 朝日に焼かれた肌が痛む。爛れた皮膚が、朝の光を拒絶している。全身が悲鳴を上げているけれども、それでも新たな道を進む。


 痛みは――今は、生きている証のように思えた。

 痛みを感じられる。苦しみを感じられる。ならば、まだ生きている。まだ、終わっていない。


 風が、ミアを覆うように吹き抜ける。その風の中で、金髪の人族の少女が笑っていたような気がした。


 希望は、僅かにだが繋がっている。朝日に包まれた友の笑顔は、ミアにそう思わせた。


 ――……隣に、あなたはいないけれど……。……それでも、進み続けるしかないから……。私の想いと、あなたの想いを背負って……一人で、歩き続けるしかないから……。


 要塞の上に昇る朝日が、帝国全土を――そして、ミアの新しい道を、照らしていた。





ここまでお読みくださって、ありがとうございます。


ミアやレーシュはそれぞれの答えを胸に、サキたちのもとへ向かうことになりました。

次話から視点はサキたちに戻り、数話で第4章は完結、物語はいよいよ最終章へ入ります。


続きが気になる、面白いと感じていただけましたら、

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