第4.5話 酒場とニーナ
2025/06/09追加
「蒼龍がいなくなって、また上手い酒が安定して飲めるようになるな! それもこれも、ニーナちゃんが連れてきた冒険者――サキちゃん達のおかげだ!」
「いえ〜、私はすでに蒼龍が倒されているところに居合わせただけなんですよ」
盛り上がる村のおじさん相手に、ニーナが赤髪のお下げを揺らして首を横に振りながら言う。
私達は、蒼龍を狩った報酬として村から受け取った金で、そのまま村の酒場で宴を開いていた。
もちろん村人達やニーナも招待してだ。酒場は、大いに盛り上がっている。
楽しげな空気の中、ミラクは一人で壁に寄りかかって酒を飲んでいた。恐い顔で私を睨んでいる。
「勝手なことをしてくれたな、サキ」
「何が問題なのよ?」
しかし、私は動じない。
目立ちたくないミラクと、目立ちたい私。
どちらの立場が上かということに、私は気がついたのだ。
これからはミラクにはもっと強気でいかないといけないわね。
蒼龍狩りでは、ミラクの実力は見定められなかったが、私より強いというのは考えすぎかもしれないと思った。
確かに、背中を飛び台にされたり魔術を使われて遅れを取ったりはしたが、あれは不意打ちだ。
卑怯だから、考えないわ。
蒼龍狩りの後に出会った赤毛のお姉さん、ニーナとは、村への道中でたくさん話して、かなり仲良くなった。
ニーナは斧使いで、細い体躯なのだけれど、背中に背負っている重そうな斧を振り回して戦うらしい。まだ見たことがないから、いつかニーナが戦っている様子を見てみたいわね。
「サキちゃんみたいなお嬢さんがあの蒼龍を倒したとはねぇ。こうして、気前よく宴まで開いてくれて、ニーナちゃんも言っていたが、まるで物語のようだ。また冒険者や交易商が来るようになるだろうし、私としては大変ありがたい」
酒場の店主はそう言って、私にもう何杯目かわからない酒を注ぐ。
最初、村の人達は、私が蒼龍を狩ったのを少し疑っていたようだった。だが、ニーナの証言もあり、何より蒼龍の鱗と牙を見せたら信じてくれた。
ニーナはこの村には昨日立ち寄ったばかりだと言っていたが、村の人達にかなり可愛がられていた。
実際にニーナは容姿だけでなく、雰囲気や仕草がかなり可愛い。私の次にくらいだけど、美少女と言ってもいいほどだ。村の人達の気持ちも分かる。
村人達とわいわいお喋りをする可愛いニーナを眺めていると酒がすすむ。
私も先ほどまで村のおじさん達から質問攻めだったが、矢継ぎ早な質問のせいでこの村の名産の酒をなかなか飲めずに苛立ち、「うるさいわね!」と一喝してから、しばらく寄り付かれていない。
これくらいのことで近寄らなくなるなんて……なんというか、勇気が足りないわね。
店主がまた、酒を注いでくれる。
飲むようになってからまだ日は浅いが、酒とは中々良いものだ。
楽しい気分になれるものね。
「ずいぶん調子に乗っているようだが、俺の見立てではサキだけでは蒼龍に負けていた」
ミラクは、私にだけ聞こえるようにボソッと言った。
酒を飲む手は止めていないけれども、ミラクはずっと機嫌が悪い。
「はあ? 聞き捨てならないわね、ミラク」
せっかく気持ちよく酒を飲んでいたのに。
ミラクはいつも余計なことばかり言う。私の気分を害さなければ死ぬ呪いにでもかかっているのだろうか、なんて冗談めいた考えが浮かぶ。
今は蒼龍狩りと、ニーナとの出会いを祝して宴を開いているというのに。
まあ、ミラクの反対を押し切って開いたから、ミラクは気に入らないのかもしれないけれど。
「嬢ちゃん。確かに体つきを見ると多少は鍛えているようだが、あの蒼龍を倒したというのは本当なのか? あっちの、……確か、ミラクとかいう男が倒したのならば、まだわかるんだが……」
いつのまにかニーナと話していた村のおじさんが、私に近づいて、そんなことを言ってきた。
まあたしかに。
村の猟師と思われるこの男には、一見すると私のような可憐でか弱そうな少女が、槍術の達人で、しかもほぼ単独の蒼龍狩りを成したというのは、信じがたいのかもしれない。
「鱗や牙も見せてあげたし、ニーナからもたくさん聞いたんじゃないの? 蒼龍の牙なんて自分で倒したんでもない限り、冒険者には手に入らないわよ!」
「いやあ、ニーナちゃんも昨日からうちの村に滞在していた冒険者だからなぁ……」
「もう……素直じゃないわね。そんなに疑うなら明日、私の槍捌きを見せて上げてもいいわよ」
私がそう言うと、ミラクが酒を飲み続けていた手を急に止めて、立ち飲み台に勢いよく酒樽を置いた。
何のつもり、と私はミラクに抗議の視線を向ける。
「それは無理だ。明日は朝一で村を出る」
ミラクは言った。
いつもより強い声だった。
「はあ? なんでよ」
だけれども、私も引かない。目立ちたくないミラクよりも、私のほうが立場が上であることにはさっき気がついていたのよ、残念だったわね。
「そんなに急がなくても、昼くらいで問題ないんじゃない?」
「明後日から、この辺りはしばらく嵐になるという情報があってな。その前に大河を渡る」
ミラクが言った大河とは、大陸一の大きな川のことだ。
西部の冒険者が都シュタットに行く為には必ず通る必要がある川。
店主が言うには渡船が出ており、渡りきるには半日ほどかかるという。大河には、多くの殲獣が潜んでおり、天気が荒いほど、大河の渡航は厳しいものになると言われている。
たしか……この村から五日ほど歩けば着くと、さっき店主が言っていた。大河を渡船で横断するのにも半日かかるから、この村から大河横断完了までまだ五日はかかる。
「明後日の天気? ずっと一緒にいたのに、そんな情報どこで仕入れたのよ。天気の予言なんて胡散臭いわ」
ミラクは答えなかった。私はさらに、宴の翌朝すぐに村を発つなど非常識であるという訴えを続けようとする。
「ま……まあまあ、お二人とも。どうか落ち着いてください」
「ニーナ」
村人達と話していたニーナが、いつのまにか移動して、私達の間に割って入ってきた。
この喧嘩じみた会話に、困ったような笑みを浮かている。
……可愛いニーナにこんな顔をされては仕方がない。
ミラクが例外なだけで、私は本来は身内には甘いほうなのよね。
「仕方ないわね。今回はニーナと、大河で私を楽しませてくれるはずの殲獣たちに免じて、ミラクの意見に乗ってあげるわ」
ミラクは都への旅路を急いではいないと思っていたのだけれど。どうして嵐の前に大河を渡りきるべきと言い出したのだろう。
まあ、嵐に巻き込まれないで大河を渡れるのならば、その方がいいのかしら。
少し疑問が湧く。けれど、それは次の目的地となった大河のことを思うと、すぐに掻き消えた。
――大河の殲獣……!
鰐型や亀型の殲獣と戦えるかもしれない。
運が良ければ、幻獣型の殲獣“水虎”とも。
戦いの予感に胸が高鳴る。
「そうと決まれば、そろそろ宴は終わりよ! 村の連中は、家で待っている家族の元にとっとと帰りなさい。ミラク、ニーナ。荷物をまとめて私達も宿に行くわよ」
「おいおい! 宴はまだ始まったばかりじゃねえか。せっかく蒼龍がいなくなって、明日には村にまた交易商が来れるようになったんだ。めでたいことだぜ、もう少し飲もうじゃねぇか。ご自慢の槍捌きも、見せてもらえないことになっちまったんだろ? なら、せめて、もう一杯だけさ」
「終わりと言ったら終わりよ。大河の殲獣との戦闘を少しでも早く楽しむために早く出発したいから、今夜は寝たいの!」
「……つれねぇなぁ。本当に蒼龍を倒すほどの槍捌きならぜひ見てみたかったんだがなぁ。ほら、せめてもう一杯は飲めよ。それなら酒の強さだけなら認めてやるさ」
……まるで、私が酒以外は強くないかのような言い方ね。
少なくとも半月は蒼龍に居座られながら傷一つつけられなかったおじさん達より、戦闘はずっと強いはずだ。
たぶんだけど、酒もね。
「もう、しつこいわね。……そういえば私、酒と槍術のことで馬鹿にされたら、こう言うように、ライトに言われているんだったわ」
「……ん? ライトだと?」
ええと、何だったかしら。
私を一人で旅に出すのを不安がって、ドラゴン狩りという試練を与えてきたライト。
旅では思い通りにいかないことも多いだろうからと、旅立ち前夜の宴では、長々と助言をしてきた。
ライトは酒に酔わない。
鬼族とは酒に強いものだと言って、宴ではいつも浴びるように酒を飲んでいて、たまに酔ったふりをしていたのを思い出した。
確かこんな台詞だった。
「私はね、英雄ライトの娘よ。えーっと……私と私の槍術を侮ることは私を育てたライトへの侮辱にもなるんだから」
「……は?」
おじさんの表情が、見る間に青ざめていく。開きかけた口がもごもごと動くだけで、言葉が出てこない。
なによ、その顔。そんなに信じられない?
「サキちゃん、その冗談は軽々しく口にしてはダメだって、言ったじゃない……!」
慌てたように声をひそめながら、ニーナが横から割り込んでくる。ニーナの視線はあきらかに周囲の反応を気にしていた。
「ニーナ。だって、本当のことなんだもの」
「英雄……建国の英雄ライトだと……? おいおい嬢ちゃん、その言葉、嘘だとしたら殺されても文句は言えない程のことだぞ?」
おじさんは宴に相応しくない神妙な面持ちで言った。
まったく、これだけ言ってもまだ信じないなんて。
「だから、私は嘘なんて吐かないわよ」
それにしても、この言葉を言えば誰もが黙って事態が収まるだろう、なんて、ライトは言っていたのに。
むしろ事態は悪化した気がするのだけれど。
「おじさん、いい加減に認めてくれないかしら。私は蒼龍を狩った槍術の達人で、ライトの娘なの! そして酒も、戦闘も強いの! ……それだけのことよ!」
声を張り上げると、ようやくおじさんの顔から疑念の色が抜けていった。
「あ、ああ。そうか。恩人に対して疑ってすまなかった。嬢ちゃん……いや、サキちゃんがあんまりに突拍子のないことを言うもんで……」
おじさんは目を逸らしながら頭をかき、ようやく納得した様子を見せる。
どうやらやっと信じてくれたようだ。
「まあ、分かってくれたからいいのよ」
ようやく信じてもらえて、すっきりした気がする。
――今日は、なんだかんだ楽しかったわね。うん。
「……おじさん、今日は楽しかったわ、ありがとう!」
明るく言い、私は槍を担ぎ上げて席を立つ。
「――サキちゃん! 蒼龍を狩った話、次はもっとじっくり聞いてみたいよ! 都に着いてから、西部に帰って来ることがあったらまたこの村に寄ってくれ!」
店を出ようとする私の背に、おじさんが言った。
「ええ、私の武勇をたくさん聞かせてあげるわよ! また、会いましょう!」
振り向いてこの一言を放った瞬間、改めて今日のことがじんわり胸に染みた。シャトラント村を出てから初めての宴。ミラク以外の冒険者で初めて仲良くなったニーナとの出会い。
酒場の店主や村の人達も、なんだかんだで蒼龍を狩ったことを喜んでくれていて、よかったわ!
ずっと羽織っていた外套の裾が揺れる。黒い翼を隠すためのそれは、今日も最後まで脱ぐことはなかった。
ミラクとニーナはすでに荷物をまとめて、出口近くに立っていた。
「待たせたわね。ニーナ、ミラク。今日はもう宿で休みましょうか?」
「ねえ、サキちゃん……簡単には信じられないことなんだけど……もしかして、ライト将軍の話、本当だったの?」
ニーナがにわかには信じられないというような顔をする。
「当然でしょ。私は嘘なんてつかないわよ」
私が少し呆れてニーナに答えると、なぜかミラクはニヤリと笑った。
ともに数日間旅をして、ミラクが何度か見せたこの笑みは、ミラクが自分にとって都合が良い時にだけ見せるものだ。
「外套の中身といい、かつての英雄といい、やはりサキは――」
何やら独り言をいいながら、ミラクは酒場を出た。私達もミラクに続いて出て、宿に向かって歩く。
「……ミラクさん、今、外套の中身と言いましたか? そういえばサキちゃん、酒場でも外でもずっと外套を来ているけど、どうしてかしら?」
「あ、えっと、この外套は……」
ニーナからの問いに言葉が詰まった。不意に、初めて出会った日のミラクが脳裏に浮かんだ。
『知っているか? 人族の多い地域では、亜種族の体は高く売れるんだぜ、生体死体問わずな』
曇天の森で、私は両腕を踏みつけられてミラクを見上げていた。
――あの日のミラクは、あんなにも冷たい瞳、あんなにも冷たい声音だっただろうか。
「……この外套は、別に何でもないわ。気にしないで、ニーナ」
「そう? わかったわ」
ニーナは素直にそう言った。本当に気にしていないようだった。
ニーナが何かすると思っているわけではない。私はただ少し慎重に判断をしただけだ。
……そう。例えば、私が吸血鬼の混血だという噂が広まれば一緒にいるニーナにも危害が及ぶことがあるかもしれない。
決して、今さらミラクの言葉を恐れたり、仲良くなったニーナを信頼しなかったりしたわけではないわ。
私は、無理やり自分を納得させた。
横を見ると、ニーナが寂しげな顔をしていた。
その表情に、私はふとあることに思い至る。
「ねえ、私とミラクは、明日は朝に村を発つから……宿は一緒だけれど、ニーナとは、今夜でお別れになってしまうのかしら?」
言葉にすると、その現実が急に重く胸にのしかかった。
ニーナは少し目を伏せ、唇を噛みしめるようにして、ぽつりと答える。
「……そうね」
「……ニーナ。村までの案内をしてもらって、お世話になったわね。宴も楽しかったわ。……また会えたらいいわね」
別れを告げるのは、想像していたよりずっと名残惜しかった。
ニーナも同じ気持ちだったのだろう。
小さく首を振り、迷うように言葉を探していたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「ねぇ……サキちゃん、ミラクさん」
「どうしたの? ニーナ」
ニーナは私たちの名前を呼んで立ち止まった。
夜風がそっと彼女の赤い髪を揺らす。
私は、思わず足を止める。
そして、構わず進もうとしたミラクの腕を掴み、立ち止まらせた。
「私も、一緒に都を目指したらダメかしら?」
ニーナのその声には、少しの不安と、でもそれ以上に強い覚悟が宿っていた。
「え?」
一瞬驚いた。でも、すぐに、私の胸にはそれが掻き消されるほどの喜びが広がる。
「……もちろん! 大歓迎よ、ニーナ!」
私が手を差し出すと、ニーナはそれを両手で包み込むように握り返した。
「……ありがとう、サキちゃん!」
その瞳には、もう寂しさはなかった。
「それなら、なおさら今日は早く寝ましょう? ニーナが戦う様子も大河への道中で見てみたいわ! ね、ミラクもそう思うわよね?」
「……相変わらず、勝手なことばかりだな、サキは」
私がそう言うと、ミラクは、不満げに視線を逸らした。
「なによ、反対なんてさせないわよ?」
軽く返した私の声が、空気の中で浮いた。ミラクはまた黙って何も言わなくなってしまった。
「もう、また無視?」
少しの間、沈黙が落ちる。
「私、大河を渡るのは初めてだから……少し緊張しているわ」
ニーナが場の空気を和ますようにぽつりとつぶやく。
その声には少しだけ震えが混じっていたが、隠せない期待もあって、もう寂しさはなかった。
ニーナの瞳には温かくて、未来を見据えた強い光が宿っていた。
「ニーナのことは私がしっかり守るから、大丈夫よ」
私が笑って言うと、ニーナは朗らかに笑った。
「あら、ふふ、それは頼もしいわね」
その笑顔が、今夜の星空よりもずっと輝いて見えた。
そう。
蒼龍を狩ったた私とミラクがいれば、三人で大河を渡ることなど、大した試練ではないはずだ。
不安など感じずに、今日は宿でゆっくりと眠るといい。
――数日後の大河の殲獣達との戦いを、全力で楽しむためにも……!
大河は、西部から都までの旅の難所の一つだ。
私も旅の前からかなり楽しみにしていた。
村を出て、ミラクとニーナと出会った。
ミラクとの関係は少し歪で、ニーナはまだ今日出会ったばかりだけれど。
ミラクは、最初に会った日に言った通り、私を利用しているだけなのかもしれない。
でも、私はミラクのことを心からは憎めない。ミラクは腕が立つ。それだけで私の興味の対象だ。
とことん他人を利用しようとする性分には苛立つこともあるけれど、それを可哀想なことだと思えば、私はミラクを助けてあげたいとも思う。
私の仲間になったからには、ミラクのこともいつかは懐柔してあげるんだから。
ミラクは、今は私のことを仲間とは思っていないかもしれないけれど、それは別に良い。
私も、ミラクへの借りはきっちり返すつもりだものね。
いつか、刃をぶつけ合い、そのときに互いに心が通じ合えば……それで良いんだ。私は、ライトにそういう風に育てられてきたから。
私はミラクとニーナという仲間とともに大河を渡り都シュタットを目指す。
きっと大河での冒険もなんだかんだ楽しいものになるはずだ。
旅には、私を惹きつけて止まない希望がある。
ただひたすらに、その光を掴みたいと思った。
私は、この旅の先に希望があると信じていた。
少しずつ絆を深めながら、仲間と共に笑い合う旅をして、辿り着いた都で名を上げる。……そんな未来を、信じていた。
否、本当は気がつかないふりをしていたのかもしれない。
――迫り来る残酷な運命から、目を逸らしてしまっていたのかもしれない。