2話【契約】
…なんて言った今?
確か「異世界に転生して私の娘を助けてほしい」とか「人間を殺せ」…って
「…そう言いました?」
「ああ、そう言った。」
一度深呼吸。
僕、吉田優人は異世界小説を、というか小説自体あまり読まない。
そのせいもあって今の状況をよく飲み込めずいる。
…小説家になろうとか数回しか見たことないんだけど転生する時やっぱり皆人殺しを頼まれるもんなのかな、作品ランキング上位の異世界転生主人公たちに聞いて周りたいところだ。
「……なぜ僕がそんな事をしなきゃいけないんですか?人も殺したことも無ければ異世界にも詳しくないのに…!」
「貴様しかいなかったのだ」
「僕しかいないって…どういう!ちゃんと説明を痛い痛い!!!」
また激しい頭痛と水を鼻から飲んだような苦しさが僕を襲い、倒れ込む。
顔をわずかに上げると魔王はまた右手を捻っていた。
「全く…、あまり騒ぐな。私だってこれから対等に契約する人間様が苦しむ姿は見たくない」
嘘つき。
さっきよりも声を楽しげにした魔王が僕に言葉だけの情けをかけて魔法を解いた。
「はぁ…っはぁ………そ、それもうやめてください。もう一回死んだ気分です…」
「ふふ、それくらいの恐怖がなければお前は落ち着いて話を聞くまい」
「……」
それはそう。正直こんな怖い人とあまり話したくはない。
「…それで、どうして僕なんですか」
「私の力が弱まっていたからだ」
「…?」
力が弱まっていたから?
「異世界人を召喚するには大量の魔力を消費する。それもその人間の体力や精神的な強さと比例してそのコストは大きくなる…。本来であればお前のようなまだ20にも満たないまして小枝のようなすぐに折れそうな子供を召喚などはしたくなかった」
「………」
普通に傷つく。確かに僕はまだ17で筋肉のきの字もない弱々な子供ですけど。
「だが今はお前であっても召喚が必要だった。私の娘を一刻も早く守るものが必要だったのだ。」
「…?娘さんを?」
「ああ…、私の淑やかで思いやりがあり、声が小さく虫も殺せないそんな弱々しい、愛しい我が娘を…」
魔王が今まで聴いたことない優しげな母親の声で話す。
僕にでも本当にその娘を愛しているのがよく伝わった。
「それで…守るとか召喚が必要っていうのは?」
「……」
魔王がまた右手をすっと上げる。
一瞬またあの魔法かと身構えるけどどうやら違ったらしい。ただじっと自身の手のひらを見つめていた。
「私は間も無く死ぬ。」
「…え?」
「……死ぬのだ。私は、お前と同じで間も無く消える、こうしてここで貴様と話せるのも魂の位置が近いからだろう」
「死ぬって…どうして?」
「魔力切れ………いや人間で言う老衰だな」
「…………老衰…」
あまりにもあっけなく言うから信じられない。
さっきから目の前のこの魔王は僕を痛みで従わせその圧倒的な上位としての振る舞いを見せ堂々としていた。今まさに胸を逸らし姿勢良く立つその姿に、これから死ぬなんて気配は毛ほども感じない。
口元にはしわ一つ見えず僕より少し上って言われたって納得する様な肌。そんな人がこれから死ぬ?
「……私が死ぬのは構わないのだ。私は数百の時間を生きた。その全てが幸せと言えなくとも納得のできる生き方をした……、人間達を支配できなかったのは心残りではあるがそれは私の娘ならきっと何とかできる」
「だがまだ今の娘では駄目なのだ…、まだ生まれて十余り僅かのアレではまだ十全な力を持っていない!あれでは魔王を狙う人間どころか他の魔族にも殺されてしまう!」
「私が今死んで仕まうだけであいつが自動的に次の魔王になってしまうのだ!!魔王になればその力を狙って大勢が彼女を狙う…!それをもう私は守れないのだッ!まだ子供のあいつを一人残して!私は……っ」
……ハッとして静かに息を吐く魔王。
取り乱したことを恥じている様で視線を逸らし咳払いを一つするとまた凛とした姿勢に戻り、僕に向き直った。
…僕はただ何もいえず魔王を、彼女を見ているだけだった。
「本当に死ぬことに悔いはない。これまでの生き方を私は否定しない。
…………だが娘の未来だけは最後に確実にして逝きたいのだ」
「……」
それを僕に?
「ああ、お前にだ。異世界から召喚された人間は超常的な力を持つ、…いやお前の場合私が確実に与えよう。それを持ってして我が娘をあと一年でいい。あと一年、彼女が十分に強くなるまで側で守ってほしいのだ。あと一年あれば気弱なアレも王としての力が育つ」
「い、いやでも…」
不安。自分に務まるのかという不安。異世界でこれから暮らす不安。
「お前に褒美がなければモチベーションが上がらないのも当然だろう。いきなり他人の子供の命を預けられて喜ぶ者など私の方から願い下げだ」
「……」
モチベーション。
そんな言葉でいいのか、責任感や圧力を感じているのは間違いないけど…。
「一年後、お前の願いを叶えよう。死ぬ前の最後の私の魔法だ。私の娘が生きてそのそばにいた時、私はもう一度だけお前の前に姿を現す。その時にお前の願いをどんなモノであれ叶えてやろう」
「えっ…」
ご褒美のために誰かを守るなど、自分の持つ倫理観では納得し辛い。
まして僕なんかに魔王の娘を守り切るなんて大役を果たせる自信だってない。
「…ただしその逆。
もし私の娘が一年以内に死ぬ様な事があった時、その時は───ふふっ。楽しみにしていると良い」
……最悪だ。何だこの人の倫理観……。
モチベーションっていうかレスポンシビリティを無理やり押し付けられた感じがする。
一回死んで何でまたこんな思いしなきゃいけないんだ僕。
「…僕があなたの娘を守ろうとする保証はないじゃないですか…そんな責任を与えられたって放って一人で異世界を満喫するかもしれない」
自信がない、僕は人より身体的にも頭脳的にも優れてもいない。
いきなりのことだらけでそんなことを言われたって僕に果たせると思えない。
どうせ異世界でもまたすぐ死ぬのがオチだ。
だから遠回しに彼女から僕じゃダメだと気づいてもらえる様アピールする。
僕なんかじゃ…
「……ふん、臆病者よ」
ザアアとあたりに音が立つ。
周りの黒が消えて徐々に白が現れ始めめた。
「貴様は臆病だ。弱くて召喚コストも最低ランクの普段なら毛ほども目にかけぬ役立たずだ」
空間が崩れていくのを感じる。
魔王の声も徐々に夢のようなものに消えていく。
「もう少し魔力を差し出せばもっと強き者もいた。知略に立つ勇気あるものもいた。
魔法の才に長けたものもいた。
………だが今は、貴様の力が必要だったのだ」
さっきまで明確に見る事ができていた魔王の姿がほとんど見えなくなっていく。
「私が呼べる者の中で…お前は最も優しく決して他人を見捨てられない。そんなお前だったから私は選んだのだ。
他人を助けるために命を捨てたお前だったから私はお前を選んだのだ。少なくともお前は私の娘を見捨てない、ギリギリまでその身を削り守ってくれる」
僕の事を見てきたかの様に魔王が語る、姿はもうほとんど見えない。
存在感とその言葉だけが僕を突き立て、僕の背中を強く叩く。
白い空間から魔王が右手だけを突き出してまたあの動きを再現するように手首を捻り。
「………後は任せた、吉田優人。
貴様に良い異世界ライフを。」
…魔王が僕に手を振って、僕の意識は水面を浮かぶように覚醒し始める。
一度止まった命がもう一度動き出す。
僕は異世界に、転移した。
【ステータス更新】
吉田優人
スキル『異世界翻訳』『魔族隷奴』を獲得しました。