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「あの時はかなり人としての部分がなくなりつつあった。そんな中名前を付けられて初めて芽生えた感情が感謝だった。なのに、大切なものをもらったのに何も返せずにあの子をなくしてしまった。それが許せなかったんだ。霞や采じゃない、僕自身が」
あくまで宵は穏やかに話しているように見える。声やしゃべり方は静かな雰囲気だ。しかし実際はどうだろう。糸が、前髪が邪魔で宵の表情までは見えない。
「おかしいよね、厳密にいえば僕らはシステムであって個はなかった。でも僕が宵に、穹は穹、夜は夜、暁は暁になったときから確かに個体となった。僕らはもう20年前の采と繋がっていた時の僕らじゃない。君のように生まれ変わったわけではないけれど、個人として独立した時点でもう別人なんだ。そう思ったら、なんかこう」
「こう?」
「何やってもいいかなって」
「何でそういう考えになったんだ、コエーわ」
苦笑しながらそういうと宵もあははと小さく笑った。そしてすぐに何かに気づいたように体を揺らす。
「アリスの学習機能が開かれた……宗方か。じゃあアリスにいろいろ調教しようかな」
「彼女の血は青い、って教えておいてくれ」
「血。ああ、She is a blue bloodか。いいよ」
【穹、オムレツが焦げますよ】
「ん、ああ」
見ればオムレツは玉子焼きのようになっていた。諦めて玉子焼きにしようとひっくり返す。シーナはあたためていた料理をレンジから引きずり出し、足で掴むと飛びながらテーブルへと運ぶ。料理はすべて調理された状態でパックされており食べるときに開けるだけだ。どんなパートナーでも持ち運びができるような形状になっているがさすがに手がないタイプの為の形状にはなっていない。シーナは器用にパックの端を掴んでいた。
【穹、最近他のユニゾンたちと話している時は完全に人と人工知能両方の脳波になるようになりました】
「だろうな。俺も話してて割と感情が出るようになったと思う」
長らく人として生き、人工知能としての思考に目覚めてからは人工知能寄りになったが上手く調整できたようだ。それはやはり人として生きてきた時間が長かった事と、様々な人と出会い対話をしたからだと思う。あとはシーナがいたからか。
夕飯を食べながらシーナと今後どうしていくかを軽く話している時、シーナが問いかけてくる。
【穹、どうしても一つだけ答えを知りたいことがあるのですが】
「なんだ」
【今回の事、本当にすべてが丸く収まったら穹はどうしていくつもりですか】
「どう、ってのは?」
【采をコントロールできたとしても、レーベリックが崩壊しても穹がユニゾンである事には変わり在りません。そのまま何もなく平穏に過ごせるとは思えません】
その質問に一瞬シーナが何を言いたいのかわからずに怪訝に思った。どうしたいか、など自分が決められることだろうか。何もなければ穹は何もしない。普通の人間として生きていくだけの話だ。しかしそれが難しいとすれば周囲が放っておかない場合だろう。レーベリックの残党が穹をユニゾンとして探す、他のユニゾンが穹を必要とする、采をコントロールできてもリッヒテンなど穹達の管理外の人工知能は残るのでそれらが穹たちを排除しようとする……可能性はいくつもあるが、それはすべて穹がどうにかしようとしてできる問題ではない。
しかしそんなことはシーナは演算済みのはずだ。だからこそ答えが出なかったので穹に答えを求めているのだろう。穹が何を求めて、どうしていこうとしているのか。パートナーとして穹のフォローをするには何が必要なのか。
「何もなけりゃ平和に暮らすけどなあ。追われる立場になったら逃げるしかねえだろ。利用されるは御免だ。ネットワーク上で追われるなら日本にいようが海外にいようが同じだからな。無人島にでも行けばワンチャンあるか?」
【そういうレベルにまで来てしまいますか。穹の性格上結婚して家庭を築くのは無理だと思っていましたが人並みの生活すら危ういのですね】
「さらっと失礼な事言われた気がするがまあいいか。そうだな、逆に考えればどこにいても同じならここにい続けても同じって事だしどこに行っても同じか。行きたいところ……ねえな、別に。シーナはどっか行きたいところないのか」
【私ですか? 人工知能である私の選択肢は穹の考えが第一になります。安全で便利で……しかしそういう意味で聞いたのではないのなら、そうですね。スコットランドに行ってみたいです】
意外な国名に穹は興味がわいた。穹が行きたいところに行きます、という返事だろうなと思っていたのでシーナ個人の行きたいところがあるとは思わなかったのだ。
「何でスコットランド?」
【シーナという名前はスコットランドに多く使われる名前らしいので。検索しましたがとても美しい国です】
言いながらシーナが壁にスコットランドの有名な建造物や自然の風景を映し出した。確かに日本にはない風景でまるで絵画のようだ。ヨーロッパ特有の古城もありエディンバラ城と記載がある。崖の上にすっぽりと収まるような形で建てられている巨大な城だ。
「地震が起きたら大惨事になりそうなところに建ってんな」
【きれいだな、という感想は期待していませんでしたがもう少し空気を読んだ感想をお願いします。スコットランドは地震少ないので問題ありません】
「へいへい。まあお前が行きたいなら行くか。他にする事ねえし。こういうのって死亡フラグとかになるかな?」
【あらゆるフラグが立っている現状一個や二個死亡フラグを立てた所で変わらないのでは】
「言えてる」
食器を片付けて久しぶりにアンリーシュへとアクセスをする。ヘッドセットの設定や様々なアクセスに注意しながらログインをしてフリー対戦を始めた。今日から大会までにランクを上げておいた方がいいので久々にバトルをするのだ。
もうこれ以上人工知能化が進むことはないと想定すれば肉体へのダメージとリッヒテンらに見つからないことを重点に対策をすればランクを上げる行為自体はそこまで危険ではない。それにおそらくだが夜は穹よりアンリーシュの立ち回りが上手いだろうから最高ランク近くまでいくはずだ。夜と戦うという事態は避けたいので穹は中の上くらいのランクどまりで十分だろうと1か月でどこまでいけるかシュミレートはしておいた。
采、五十貝派、宗方派。それぞれに対応が必要となるので一歩間違えればあっという間に瓦解してしまう。
「采はユニゾンでボコる、五十貝派はスリーピーがどうにかするだろうから放置、宗方派は全力でブチ殺す、この作戦で行こう」
【作戦でしょうかそれは。前二つは以前から言っていたのでわかりますが宗方派について詳細を】
「宗方本人はいいとして、他の奴らは虎視眈々と狙ってるはずだ、俺らが采をどうにかしようと飛び込んでくるのを。施錠管理がしっかりした牢屋だからな、ユニゾン専用の肉体ってのは。事が起きるまでは何もしないだろうしもしかしたら手助けくらいはしてくるだろうが、それはあくまで采をどうにかするまでだ。俺をユニゾンとして取り戻したいなら絶対危害加えてくるからブチ殺す」
穹が人として生まれたのは奇跡のようなものだ。もしかしたらこの体自体が実はユニゾン用の肉体で、宗方派の研究員たちによってこの肉体に生まれるように仕組まれていたのかもしれないが両親の情報がない以上確認のしようもない。ただ今まで宗方派に監視されることなく生きてきたことを考えればやはり自然受胎だろうとは思う。一応宗方が忠告をくれたのだから注意はしたい。この体で生まれたのだから肉体を変えるなどというSF映画のロボットのようなことをするつもりもない。
アンリーシュのバトル画面となりフリー対戦が始まる。采が現れえて高らかにバトル開始を告げる。采への見方が変わってから初めてのアンリーシュバトルとなる。結局一番重要な采の考えや性格などが何もわかっていないのが一番痛手ではある。ここまで巨大なシステムとなっているなら個人の人格設定はないはずだが、もともとプロトコルは采の人格を7つに分けたものだ。つまり采は今一つだけの人格しか持たず、複数に人格を分けることのデメリットを学んでしまっている。情報処理の並列くらいはしているだろうが采はあくまで采一人だけ。
ざまあみろ、と言っていたあの言葉から考えると性格が悪そうだなと思ってしまうが、自分をコントロールする奴らがいなくなって歓喜に沸いていたと思うととても人間臭く思う。そもそも自分に必要なはずのプロトコルを切り捨てると言う考え自体が理解できない話だ。鬱陶しいからと自分の腕や足を切りおとしてしまうような物だろう。
―――人は病気ならやるか、臓器の切除。それと同じ感覚だったのか? それなら他のプロトコルを邪魔に思う。いや、むしろ憎しみか。憎むようプログラムされてたってことか? それともそう学んでしまったか―――
次世代型、とは言うが具体的に何が次世代型だったのか。人工知能に求められているのはあくまで人を助ける、補佐する役目だ。人の生活に役に立つことが大前提となっている。機械的な反応ではなく人のように接することができる人工知能。人同士ではいざこざや裏切り、表と裏がある。絶対に裏切らない、人の役に立つことが存在意義である従属するもの。要はあくまで欲しいのは道具である命だ。都合がよくいらなくなれば捨てられる、そのこと自体に罪悪感も抱く必要がなく自分の好きにできる存在。
管理されることを厭ったのなら采はすでに人が求めた人工知能の姿に疑問を持ったのだ。従属が嫌ならもっと別の形で反旗を翻している。自分の制約を除去する事にとどまったのなら采の根本はやはり答えを知ること、知らないことを吸収し続けることだ。そこは次世代だろうが何だろうがあくまで人工知能ということか。
という事は。もう求める答えがないことを教えることも、采を止める一つの手段だろうか。式とイコールまで常に掲げている状態の采に、間違っててもいいのでアンサーを入力してしまう。
―――いや、だめだ。人と文化がたどり着いていない先の答えを入れるのはさらに人工知能を進歩させることになる―――
(人が管理できない進歩に繋がる。あくまで人の真似をさせているから管理できる。この手は一番最悪な手だな)
ふと気が付けば目の前のバトルが終わっていた。圧倒的にならない程度に戦っていたがもともと格下のランクだ、あっさりと勝利で終わっていた。勝利を告げられ一旦バトルが終わる。するとシーナがアンリーシュ専用のメールボックスを開いた。
【運営から送られてきました。次のイベントから始まる専用ポイントのようです。イベント戦までに溜めておいて、後で何か特別なものと交換できる仕組みのようです】
一覧が表示されポイントで交換できるものがずらりと並ぶ。下から順にレアスキルなどが並ぶが上位になると受けられるサービスなどが増えている。それはほとんどがリアルの物だ。
「クレカが1年分年会費無料、公共料金割引……はまあいいが、最大の地雷がこれか」
新しくアンリーシュ専用クレジット開始、それに関わるサービスが書かれている。今までアンリーシュはポイントでスキルを買っていたがとうとうリアルマネーに達するようだ。ただし実際の通貨と比べれば価値は低く、リアルで1円に相当するものがアンリーシュ通貨では0.6円。そのまま使えばリアルでは得にはならないようになっている。そうしなければリアルとオンラインの金融バランスが崩れ株が成立しなくなるからだ。だから現実よりも損をする価格設定にしておかなければ行政の指導が入ってしまう。
「そのまま見るならゲームで稼いだ金はちょっと価値が低いから世間では問題ありません、けど立派に使えるからみんなじゃんじゃん投資してねって事か。ま、素直に受け取る奴はいねえな」
【そうですね。これが海外のルートを使って換金した場合は価格が変わってきます。いくらでも法やルールをすり抜ける手段を残した仕組みです】
「それが狙いだろうからな。レーベリックの財布に金が増える仕組みになってるんだろうがその逆もあり得るんだけどな。誰か金融のプロでも雇ってんならいいけど。これスリーピーは食いつきそうだなあ」
【倒産に追い込む方向で動きそうですね】
采は日銀と繋がっていること、それをコントロールから外すことを視野に入れた大胆な策だ。五十貝が例の件は進んでいるか、と言っていたのはこの事だろう。確かにユニゾンが一人増えたかも、などという情報は石ころの価値もないように思える重要な案件だ。あくまでルールは甘く設定し、あとは運営すれば自動で金が増えるように作られているはずだ。
アンリーシュはハッカーの集まりだ。悪用しようとするものは数えるのが馬鹿馬鹿しいほどいるはずだ。それらを取り締まりコントロールすることなどできはしない。おそらくアンリーシュ運営陣よりも客である会員の方が優秀だからだ。だったら規制などしなければいいし、やりたいことをやらせればいい。クラッカーを通報すると謝礼があるシステムのように、会員の暴走は会員で取り締まる仕組みを作ればいい。相手を押さえつけ支配する、形だけの正義を振りかざす、自分の欲求が自分の望む形で叶えられると人間はこの上ない幸福を味わう。それを助長する仕組みさえあれば、後は勝手に回るのだ。時には速く、時には転げ落ちるように。しかし手が付けられなくなったとしてもそれはそれに加担した者たちの責任にできる。
「レーベリックは人を物としか見てないんだな。シーナ、何かを管理する言葉でマネジメントとコントロールってあるだろう。この二つの違いは何だと思う。検索するなよ、今まで俺の傍にいて学んできたことで答えてみろ」
【マネジメントとコントロールですか。あくまで私の経験で言うなら、難しい微調整が必要なのがマネジメントで思い通りに結果が出せるのがコントロール、でしょうか。いえ、待ってください。今の話の流れなら、人に使う言葉がマネジメントで物に使うのがコントロールですね】
「その通りだ。言ってることは同じだろ、物であれば好きにいじれるし絶対に結果を出せる。でも人の管理ってのは思い通りにいかないもんだ。ずっと言ってきたが、人には感情がある。理性と感情は常に一対だが、比率で言えば圧倒的に感情の方が多いし重要だ。人は感情を優先する。レーベリックが行っているのはすべてがコントロールだ。あいつらは管理方法がコントロールだから上手くいかないんだ、感情を育て始めている人工知能にはマネジメントが必要なんだよ」
【レーベリックの組織を見てもコントロールでしたね、トップがすべてを決めて部下はそれに従うだけ。あれでは自ら考えることをせず自動化された製造ラインと同じです】
「思考停止してる奴らに思考を育てる人工知能の管理なんてできるわけない。例え五十貝がいなくなったとしても五十貝の育てた部下はたくさんいる。リアルマネーにまで手を出したシステムまでできちまったんならもう止まらない。あいつら30年前に起きたって言う金融危機経験してるはずだけどな、学べないんだな」
穹の言葉に憐みなどの感情は入っていない。淡々とした事実を言っているだけだ。そのはずだ、今穹の思考は人工知能となっている。ただし以前のように人工知能そのものではなく人と人工知能の二つを併せ持つ脳波、ユニゾンとしての思考である。本人にその自覚があるかはわからないが、口が悪く面倒くさがりな人としての穹の考え方と感情などなく結果を出すことを優先させる人工知能としての穹。その二つが合わさった状態ではあるが、シーナとしてはやはり穹は穹だなと思う。ユニゾンの状態だとしても穹はいつもシーナにお前はどう思う、と聞いてくる。答えや手段を示してしまう前にまずシーナに思考させる。
そうか、と合点がいった。穹は常にシーナに対してマネジメントをしてきたのだ。穹は特にシーナを優秀に育てようとしていたわけではない。世の中には人工知能の育て方という本やセミナーまであるくらいマニュアル化された人工知能の対応が世にあふれている。人工知能を育てること、優秀だと評価されコンテストなどで賞を取り表彰されることが世の中の当たり前になっていて、どう個性を持たせようと育てているつもりで結局皆育て方は「コントロール」だ。
穹は誰に教わるでもなく自然とマネジメントをしてきた。時にはコントロールもあったが、シーナの考えを聞いて優先させ間違っていると思ったら訂正や提案をしてきた。育てようとしている者が育てられず、育てようとしていないものが結果的に育てている。矛盾、皮肉? イコールではない、可能性と不確定要素が混ざることで答えが著しく変化するもの。
それが。
〔それを知ることが、私たちの目標であり目的であり、夢だったんだ〕
【……はい?】
「あ? 何が?」
何も会話をしていないのに突然聞き返すようなリアクションをしたシーナに穹が不審そうに返事をした。シーナは人工知能だ、自己思考の部分だけを発したりはしない。経緯から説明し疑問に思った事を言うというプロセスを必ず踏むはずだ。
【あ、いえ。なんでしょう】
「なんでしょうって言われても。どうした」
【おそらくどうもしていないのですが。すみません、答えが導き出せません】
「……」
穹はそれ以上言わなかった。自分でも言っているがシーナ自身がわかっていないからだ。エラーが起きたという風でもない、というよりもこれは。
―――俺がこの思考の時に夜達と会話してるのに似てる―――
誰かと会話している一部だけを口に出した状態。シーナが誰かと会話をするなどありえない。一体何があったのかわからないがシーナに何かが起きているのは間違いない。
【自己診断をかけましたが異常はありませんでした】
「異常がないならいい」
おそらく結論は出ない。気に留めておいた方が良いだろうが。シーナにはいろいろ知っておいてほしくていくつか情報を入れているが、それは数値の羅列でユニゾンにしか理解できないものだ。シーナ自身に影響はないはずだが。
【穹】
「ん」
【穹の夢とは何ですか】
「夢、ねえ」
穹とシーナの間で将来について語り合ったことはおそらくない。穹は未来を見通して行動はしているがあくまで生活するため、その先にどんなリスクがあり自分に損失があるかを考えて行動してきた。夢とは人によるだろうが時に情熱的に損失を考えず、目の前の事だけを目指して賭けをすることもあるもの。それは穹の性格には当てはまらないものだった。親もなく生きていくだけで精いっぱいだったからだ。




