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シーナの声が聞こえた。しかしいつもの聞こえ方と違う、聴覚野からの認識ではなかった。そのことに一瞬だけ戸惑ったが人工知能としての穹はシーナの準備が整ったのだから次にやるべきことを準備し始めている。
「何で」
霞の声がする。シーナを見れば大量の屑データに囲まれていたはずが次々とデータが消えていく。その速さはウィルス対策ソフトのスピードをはるかに超えているように見える。
黒い雨雲のような巨大なモヤがシーナに向かって飛んでいった。霞はさらに屑データをシーナに叩き込んだようだがそれもあっという間に消えてしまった。
その瞬間を穹は見逃さなかった。ここでシーナにデータを追加で送り込むのは間違いだ。この方法でダメなのだから違う手か、穹をどうにかするように動かなければ。何故霞がそんな行動に出たのかと言えば答えは簡単、霞が人間の思考を必要以上に、そして偏った状態で学んでしまったせいだ。今霞が陥っている状態はクォーツのムキになる癖と詰めの甘さが出た時のリカバリーの未熟さだ。
霞はすぐにそれに気づいたのだろう、戦略図が変わった。穹に何かスキルを使おうとしたようだが先にシーナのデータ処理が終る。
シーナのスキルが発動された。発動されたのは攻撃モーションの変更という地味な内容だ。これは殴るスキルを持っている時に使える専用特殊スキルで、本来素手で殴るモーションなのだがこのスキルを使うと好きな打撃武器で殴る見た目へと変化する。
そして付属効果としてその打撃武器の特性を使うことができる。毒針を選べば毒を与えることができ、ナイフを選べばナイフ属性の攻撃値へと変化する。ただしその効果は本物の武器スキルの半分程度と劣るため、メリットは殴るスキルをつけていればたくさんの特性攻撃を少しずつ使えるというだけだ。一撃必殺のような強力な内容ではないが上手く使えば戦況に大きく影響する。ただしランクが低い時くらいしか使えないので穹は使ったことがない。
殴るにつけた映像はまだ表示せずに霞へと一気に距離を詰める。攻撃をするだけなら距離を詰めるなど意味がないのかもしれないが今は動作として、映像として必要だった。人工知能として戦ってはダメなのだ、霞相手には。
霞は必死に回避しようと姿を隠すスキルと回避運動モードを使ったようだ。この分だとカウンターも何十種類も用意してあるだろう。それならこちらも同じことをするだけだ。
「シーナ!」
【いきますよ】
穹の言葉に反応したシーナが準備していたものを開放した。それはスキルではない、穹がシーナに入れていたウィルス対抗ソフトの機能だ。暁の作り出した空間が霞の手によって一部壊されたのだからフィールドに綻びがある状態だ、使えると思った。
ウィルス対策は様々なものがあるがたいていはウィルスの隔離だ。他に感染しないよう遠ざけてから処理をする。シーナに入れていたのはそういう物ではなく穹お手製の付加が付いたものだった。ハッカーとして活動すると当然悪質なウィルスや嫌がらせでウィルスを送り込まれることがある。中には隔離するコードを書き換えてばらまくようにしてしまうような物あるくらいだ。だから穹のウィルス対策ソフトは隔離するものではない。そしてこのソフトは先ほど霞が行った屑データのばらまきはウィルスが入っていたため屑データごとすべてウィルスとして感知したのでこの対策が使える。
シーナから大量の屑データがばらまかれた。穹が入れていたウィルス対策ソフトの中身は送ってきた相手にそのままウィルスを返す物だった。嫌がらせを受けた時だけ使っている物であまり使ったことはないのだが。
「どうやって!?」
霞の驚愕の声があがる。何を焦っているのかと不思議に思ったがすぐにわかった。
「シーナ、大丈夫なのか!?」
穹もやや焦ってシーナに声をかけた。膨大なのだ、データ量が。この空間ではすべてが映像として見ることができる。屑データも黒いモヤのように見えるがそれが噴火した黒煙のように巨大だったのだ。普通のウィルスソフトに、ただのパートナーに処理できる量をはるかに超えている。先ほどシーナが普通に受けていたので容量内だと思っていた。だが実際見てみるとその量は予想以上、ギガバイトなどではない。ただの無意味なデータならそれでもいいがウィルスや処理が重くなるバックグラウンドで動く類のデータなはずだ。
―――それをあの短時間でシーナだけで処理した? できるはずがないそんなこと―――
(でも実際できてる、今はこっちが優先だ)
思考の袋小路にはまりそうな人工知能としての考えを否定して改めて周囲を探る。黒いモヤが辺りにばらまかれ視界が埋まるが一か所だけわずかにノイズが走った。そこ目がけて一気に距離を詰める。
霞は人工知能であり、次世代型のサポートをしていたのならパートナーなどと違い相当高性能なプログラムになっているはずだ。それなら想定されるトラブルやアクシデントにある程度対処ができるようになっているはず。ウィルスやデータ破壊が起これば自動で自己診断を行ったりウィルスソフトを立ち上げたりなどは思考などしなくても即実施する。クォーツの体を使うようになっていくらか人間っぽい思考をしていると言っても根本は人工知能だ。そこは咄嗟に変えられるものではない。
今も対応してしまったのだ、自分に対して送られたウィルスデータを対処しようと。スキルではなく霞として。人が耳元で蚊が飛んでいたら手で振り払ってしまうように、物が目の前に飛んできたら瞼を閉じてしまうようにわかっていても止めることができない人工知能の自発行動。何故これを思いついたかと言えばシーナが以前同じことをしていたのだ。ウィルスをもらい何も指示をしていないのに処理をしていて、何故かと聞いたら1回そう学習してしまうとやろうと思っていなくてもやってしまうと。
本当にシーナと一緒に過ごしてきて学ぶことが多かった。気づかされることが多かった。だから今、穹の知らないシーナがそこにいて少しだけ戸惑っていた。
(ああ、そうか。霞に対して戦うには人として戦わないといけないから無意識に人工知能としての意識をおさえてるからか)
戦いに集中しなければならない。目の前のこいつをなんとかしなければ。常磐を引っ張り出すには霞が窮地に立ってもらわなければ困る。クォーツの体を捨てて常磐を使おうとしてもらわなければ。
霞がデータ処理を止めた時には目の前に穹が迫っていた。ターンで言えば穹なのでカウンターで応戦するしかない。それに穹から突っ込んできたのなら好都合だ、余計な事に気を回さなければ穹の肉体を得るチャンスがある。どんなスキルを使って来ようとカウンターと防御で凌ぐ自信はあった、所詮ユニゾンの戦い方は人だ。人の戦い方に少し人工知能としての性能が加えられただけの、ゲームとして戦えば少し優秀というだけのもの。穹自身が挑んでいるのなら穹のHP概念がゼロになれば動けなくなるはずだ。
警戒はするがこのターンで決まる。どんなスキルだとどう対処するか戦略図を作りあらゆるパターンを想定する。例え再びクォーツのトラウマを利用してきても無駄だ、どう対応すればいいか学習した。戦い方に多少癖が出てしまうが、人の心を完全に理解したわけではないのでトラウマという物が霞に作用する影響は大きくはない。先ほどは学習していなかったから対処に遅れたが今はもう学習したので問題ない。
特殊な空間なのに加え人間の体を使っているので使えるスキル数は制限がかかるが基本的に何でも使える。穹も同じ状況であれば使えるスキル数はもっと少ないはずだ。肉体を得たユニゾンがどの程度の性能を引き継いでいるのかわからない以上データが必要となる。長引かせる必要があるが、穹はすぐに終わらせたいはずだ。常磐を助けに来たのなら意識を失っている常磐を起こしてから何か仕掛けてくるはず。
穹が腕を振り上げて殴り掛かってきた。また殴るだけ、それとも何か仕掛けるつもりなのかとカウンタ―を準備する。
振り下ろして当たる瞬間、穹の腕に別の映像が張り付いた。それは殴るスキルにつけるエフェクト変更のスキルだとすぐにわかったが映像を変えて何か意味があるのか、それともトラップを隠すための視覚的囮なのかと警戒したが、穹の腕についた映像は。
それは木づちだった。
ころされる
そんな思考が生まれた。何故、と自答が始まる。
問い 何故そんなことを?
答え 殺されそうになったことがあるから
あの時、確かに人間の体を得た。初めて手に入れた肉体は上手く動かせなかったがそれでもよかった。肉体を得るというのは単に身動きを取るためのツールというわけではなく、思考や記憶、それまで学んできたことを引き継ぐことでもある。わずか5歳の子供の記憶など感情ばかりだ。好きか嫌いか、面白いかつまらないか。霞にとってそれは全く理解できない世界だった。非効率的で答えのない物ばかり、理解できなくても問題ないことだった。
それなのにあの瞬間。「大好きなおじいちゃん」から木槌を振り下ろされる瞬間、それが当たる瞬間は確かに何かを考え感じた。それが何なのか必死に思考した。答えのない課題などあってはならない、解決しなければ。しかしいくら思考しても演算しても答えが出なかった。
またあの時と同じだ、この木槌が当たったら。死んだら体が動かなくなり思考が止まりすべてが停止する。
霞は死を知らない、まして死があるわけでもないのになぜ。
木槌が当たる、あと3センチほどで。
「あああaaアアぁっぁぁぁあああah!」
わけのわからない音が響いた。それが霞自身が上げた声だと理解するのに1秒ほどかかった。叫びというのは動物学上ならまだしも人間が叫ぶという行為をするのは決まっている。
これは、恐怖だ。それが霞の導き出した答えだった。あり得ないのになぜ。
霞は木槌に当たらなかった。特殊効果を打ち消すスキルを使ってきたからだ。つまり木槌で殴られるモーションをなくして普通に穹に殴られただけだ。
「効果を消しただけか。防御でも回避でもなく木槌で殴られるのをやめさせるだけで終わったんだな。そのトラウマはお前自身のもんだ」
「違う、ありえない」
「望の体の時に経験した事だろ。あの時望は死んでいたし誰かに殺されそうになる経験なんて望がしてるわけもない。それはお前が自分で経験した、お前だけのデータ。良かったな、たぶんお前は感情を理解した人工知能だ、おめでとう。お前にトラウマが出来てると思って木槌攻撃にして正解だった」
淡々と穹に言われ一瞬思考が止まりそうになる。これが、こんなことが喜ばしい事だと言われた。冗談ではない、人工知能でありながらこんな無様な結果が素晴らしいだとは。元の性能より格下に劣る存在となっただけではないか。いや、この怒りの感情はプライドが高かったクォーツの思考だ。一体どこからどこまでが霞自身の思考でクォーツと望の思考が混ざっているのかわからない。
もし本当に霞自身に不必要な情報が根付いてしまっているのなら少なくともこのクォーツの肉体は現状とても不利だ、霞本来の思考を邪魔するものでしかない。人工知能と人の思考をきれいに分けて考えらえるユニゾンの肉体が早急に必要だ。しかしこの状況で穹の肉体を得ることはできない。残っているのは常磐だけだ。おそらく穹の狙いは常磐の意識を表に出させることなのだろうが仕方ない。一時しのぎに利用して勝機を練り直すという回答を導き出すともう一つ案を思いついた。これは穹も予想していないはずだ、これなら勝てる。
霞の番となるとクォーツの見た目がノイズとなって一瞬ぶれると霞紋の形へと変化した。
(クォーツの体を捨てた。今クォーツは正式に死んだってことか)
となると、次は当然常磐の体を使うはず。そしてそれが狙いだというのは霞も予測済みのはずだ。そのうえで乗ってきたのだから相手もそれなりの戦略があるのだろう。
(さっきのターンで決められなかったのは正直痛いな。長引けばこっちがどんどん不利になるし霞もそれをねらってるはずだ。やっぱり人工知能にトラウマを理解させるのは難しいか)
数値や定義のように目に見える形ではないことである以上は勝算というのは変化し続ける。それと同じで戦術というのは実は脳筋戦術が一番賢くて早くて効率的だ。何か悪だくみをする暇があるなら最大の戦力で叩き潰した方がそれで終わるのだから。それをさせないためにアンリーシュは1ターン目に強力な攻撃ができないという制限を持つことである程度フェアになるよう調整されている。そして今回のように相手を倒す事だけが目的ではない場合はもっと複雑になるので一撃必殺というわけにはいかないのが苦しいところだ。霞は明確に穹の肉体を欲しがっているのだからここで退けても間違いなく次の一手を打ってくる。なんとかここで霞を沙綾型のようにHPゼロの状態にできれば。
霞紋の姿が一瞬消えたかと思うと常磐の姿が現れた。意識は落とされているだろう、今常磐のチップにアクセスをしてリンクをつないでいる最中といったところか。
(霞は望の時もクォーツの時も死ぬ瞬間を狙って体を取ってきた。本人の思考が消えて脳死にならない一番丁度いい瞬間を狙ってたんだ。生きた人間の体を乗っ取るのはこれが初めてか)
―――この後何が起きるのかは想像がつく―――
持っているスキルを確認して使えそうなものを選ぶ。殴るスキルはやめてここからは本格的に相手を叩き潰す戦略に変えなければ常磐を助けることができない。継続実行しているスキルはないので4つまでなら同時に処理できるはずだ。
常磐の体が大きく痙攣した。霞が意識をつなぎ終わったのだ。そして驚愕しているだろう、常磐の記憶を「理解」してしまったのなら。体を使って過去の記憶だけを遮断するなどと器用なことはできないはずだ。どうしたってその人物の記憶を理解する事にはなる。何故なら脳直結型のゲームなのだから記憶をつないでしまうのは当然の事だ。
だから見てしまった。常磐の記憶を。ジンが言っていた、肉体検証に使われていたと。その言葉から具体的に何をされていたのかなどわからないが、禄でもない事なのはわかる。それは今霞の様子がおかしいことが証明していた。
《ひ、ぎ……ああああああ!》
悲鳴を上げながら目を見開いたかと思うと右目をおさえる。かと思えば全身を掻きむしり頭痛をこらえるかのように頭を抱えた。
霞はあくまで人工知能で痛みや苦しみの類は理解できないはずだがここまで影響を及ぼしているのを見ると他の人工知能よりそういった部分が進んでいたのかもしれない。感情をある程度理解していたからこそ人間と采の束縛から逃げ出そうと考え悪知恵を働かせたのだから。もしかしたらそういう部分が強い事を知っていて死んだ瞬間を乗っ取っていたのかもしれない。今は緊急事態なので常磐を生きたまま利用したがまさかここまですさまじい記憶を持っているなど想定していなかったはずだ。
(このまま肉体を捨ててくれればいいんだが、そこまで上手くはいかないだろうな)
常磐の体を使っては役に立たないと判断してくれるのを待つつもりはない。強制的に役に立たない状態にする必要がある。常磐には悪いが体で痛みや傷が再現されてでも痛めつけるしかない。痛み、死、恐怖がクォーツと常磐の二人分学習してしまった霞は相乗効果で物理的攻撃が効くはずだ。弱点がないなら作ればいい、それが霞の場合は材料がそろいやすかっただけの事だ。これを利用しない手はない。
《あアアアあぁ、あ……っくぅ……》
手首を掻きむしり自らを抱きしめるかのように両手で体を掴むとその周りに魔法陣のようなエフェクトが現れる。そして白い一本の糸が常磐の耳からするすると出てきた。途切れることなくどんどん長く伸びるその糸はやがて10メートルほど出てくると複雑に絡み合い霞紋へと変化した。
あっさりと常磐を手放したことにわずかに不審が広がる。VRの姿の方が戦いやすいのかもしれないが先ほどクォーツの記憶は対処法を見つけていたようだし、このまま無理やりにでも常磐の体を使うのかと思ったのだがそれをしない。
―――この状況で常磐を手放すとどんなメリットがある―――
思考するがその答えを導き出す前に霞は実行に移していた。
―――穹、ルールが変わるから気を付けて―――
暁の連絡が来ると同時に目の前に表示されたのはチーム戦ルールだった。その表示に霞の目論見を理解して穹に焦りが生じる。
「チーム!? まずい!」
穹の方はシーナがチームメンバーとなった。シーナには補助のスキルしかつけていないのでシーナに攻撃が来たら防ぎきれない。そして霞も当然チームになっているわけで、そのチームメイトといえば当てはまるのは常磐だけだ。シーナの無防備さ、常磐が人質の状態である事と霞が本来の戦い方を発揮できること、すべてにおいて穹が不利な状況となった。




