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だが今までの傾向からして穹が見るのは穹に関わりがある映像やリンクばかりだ。夜もハーモニクスが原因だと言っていた。あの光景が穹に何らかの関係があるのは間違いない。その判断材料を得るためにも地下には行っておきたい。
「シーナ、出かけるぞ」
【はい】
シーナをベルトに繋ぎ速足で地下へ続くルートへと急ぐ。あの時教えてくれた常連客がいてくれれば話は早いのだが。
「そういえば警察もういねえよな?」
【APの件ですか。そこまで何度も調査に来るとは思えませんが注意してください】
「念のため違うルートで行ってみるか」
いつもは使わない、店からは少し遠いところに出るルートが一つあるのでそちらから向かう。そこは雨水をためる貯水場の作業員用通路を使っていくのだが、点検など何年もしてないらしく人が出入りしている様子はまったくない。ひたすら広い空間なので階段を使うときもやたらと音が響く。このルートを使うのは久しぶりで、あの店を見つけてからは店の近くに出る地下鉄ルートをずっと使っていたのでここを使うのは数か月ぶりだ。ひたすら階段を降りていき、途中で足を止めた。
【どうしましたか】
「なんでいるかね」
穹が見つめる先にいるのは階段の中央をふわふわと飛ぶ蝶だ。またやらなきゃいけないか、とヘッドセットを取りだそうとして目を見張る。
一匹、二匹、三匹四匹五匹……はっとして見渡せば辺り一面蝶が溢れていた。それらは不規則に飛び回っているがどんどん増えてきている。
ただの映像だ、何の害もないはずだ。そのはずなのに、なぜかあの蝶の群がとても恐ろしいもののように思えた。この量をすべてデリートするのは難しい。それなら先に進んだ方がまだ早い気がした。不規則な動きに注意しながらゆっくりと、しかしなるべく急いで下へと降りていった。
途中何度も蝶に触れそうにはなったがなんとか避け、ようやく地下へと行ける通路が見えてくる。蝶の隙間を縫うようにしてすり抜け、一気に4段抜いて飛び降りた。ほっとしてドアノブに手を伸ばしたところで、ふわりとドアノブから蝶が飛び立つ。
―――そりゃないだろ―――
どこか諦めのような感想を抱いたところで蝶が指先に触れ、全身に電流が走ったかのような衝撃を感じ取り膝から力が抜ける。ああ、こりゃだめだとどこか冷静に思いながらもそのまま床に倒れこんだ。
【……、ら……穹】
シーナの声が聞こえる。ゆっくりと目を開けばそこは真っ暗な空間だ。夢で見てきたあのおかしな会場に似ている気もするが違う場所のようだった。バトルフィールドがない。穹を覗き込むシーナはアンリーシュバトルキャラとなっていた。
「とうとうご招待されたか」
【先ほどからログアウトを試みていますがアクセスを拒否されます】
「シーナ、今俺の見た目はどっちだ」
【オンライン上でのキャラです。リアルの穹ではありません】
「ふうん、そっちなのか。じゃあヤベエ連中とは無関係ってことか?シーナ、アンリーシュ内での基本的な操作はできるのか」
【はい。持っているスキルなどもそのままです】
「準備するぞ。絶対来る」
穹とシーナの間で設定変更が行われ、下着姿のようだったシーナの体に黒いものが張り付いていく。それらは手や足などについていくと最後に一度光り、完全に服の形へと変化した。真っ黒な生地は腕やウエスト部分はぴったりとくっつくように細いが裾や袖口に近くなるほどひらひらと大きく広がっていき、ゴスロリドレスのようだ。
「ついでにそれらしいのもつけておくか」
穹が設定をいじっているうちに周囲から人の声が聞こえてくる。ちらりと目だけそちらを見れば、他に何人ものキャラやプレイヤーが辺りを見回しながら興奮したように会場へと集まってくる。
シーナにリボンカチューシャ、ブーツなど小物を設定してようやく顔を上げれば9組ほどのプレイヤ―達がいた。そばにいるバトルキャラはすべてパートナーだろう。皆口々に本当にあったんだ、と夢見心地のように喜んでいる。その中で聞こえた単語が「裏バトル」だった。
「ああ、これが噂の裏バトルなのか」
【蝶がカギだったということですか】
「俺は消すのに必死だったけどな。たぶん本当は蝶見つけてアクセスするんだろうが、俺はモジュレートかリンクしちまったのか」
【穹がモジュレートするのは運営側の機材や演出の時が多いです。つまりこれは裏と言われていてもアンリーシュによるイベントのようなものなのですね】
「ちょっとよくわからない要素あった方が盛り上がるからな、これ考えた奴はマーケティングが上手いんだろ。それはそれとして、あいつらは本当にそれで見つけたんだろうけど、俺はなあ」
あんなに大量に蝶がいたら偶然見つけたとは思えない。何が何でも気づかせるために大量にばらまいたというような印象だった。あそこが蝶の発生源で、徐々に別の場所に移動していくのかとも思ったがおそらく違う。シーナに見えないのなら見ているのは目ではなく人の脳。となると蝶の手がかりを見つけた者に対してヘッドセットやチップを通じて蝶の映像を見せているだけだ、場所はどこでもいいはずだ。
「おい」
声をかけられて振り返ればそこには見知らぬ男がいた。といってもその姿見はリアルではなくオンライン用のキャラなので全く知らないのだが。少なくとも関わったことはないなと思っていると相手はじろじろとシーナを見てくる。
「そのキャラ、やっぱお前あの時のだろ。久しぶりだなあ?」
「誰?」
「せっかくのバトルだ、殺してやるよ」
怒りを押し殺したような、楽しむような複雑な感情が混ざった声でそういうとバトルキャラが煽るように威嚇してくる。やけに絡んでくるなと思ったがあの時のキャラと言われれば心当たりは一つしかない。シーナを使ってバトルしたのは数えるほどで、無茶をしたのは最初のハッカーとピリオドたちだけだ。となると目の前にいるのは後者だろう、実際に戦った方というより後でメールを寄こした方だ。
【知り合いですか】
「知らん。名前言わねえとわかんねえよ」
わざとそう言うとピリオドは黙って離れた。名乗りたいところなのだろうがおそらく名乗れない。一度警察に目をつけられればどんな名目の犯罪だろうと指名手配のように一般の通報が強化される。穹は気にしていなかったがオンライン上での犯罪行為の取り締まりには懸賞金が出ることもあるので、そういった通報に食いつく者は多いのだ。ピリオドという名前が公開されているならここでは名乗れないだろう。ばらして通報されるよう仕向けてもいいがこれ以上は余計な面倒とトラブルを増やしそうだし、正直今それどころではない。
辺りを見回してみても暗く何もない。いや、真っ暗なのではなく薄暗いのだろうというのがわかる。辺りに何やらガラクタが多数転がっているのが見えた。廃屋のような、忘れ去られ放置された施設のようだ。
パンパカパーン、と子供のおもちゃのラッパのような軽い音が辺りに響いた。音の方を見ればまん丸な豚のキャラがちょこんと立っていた。豚はまるで金太郎の前掛けのようなひし形の布をつけている。
ようやく何かが始まるのだと喜びの声が上がる中、穹は最大限に神経を尖らせる。その様子を体内チップを通じて把握しているシーナも周囲と豚を警戒した。
「あの豚いつからいた」
【私も気づきませんでした。ここに入ったとき周囲をすべて確認しましたが】
「ってことはキャラやユーザーじゃねえな、あっち側の奴か」
豚はよたよたと近寄って来ると右手を挙げて何かを宣誓するかのようなポーズをとる。
《ようこそ精鋭たちよ》
甲高い機械音が響くとおお、とどよめきが起きる。
《ここはゴミ箱の中、忘れられた一角だ。思う存分戦ってもらうよ、戦わないと生きていけないジャンキーたち》
―――ジャンキー、ね。つまりここにいる連中は一日中ゲームやってるような奴らってことか。ゲームプレイ時間が長い奴に最初から目星つけておいてそれとなく誘導してるってとこだな―――
《優勝者には豪華なご褒美があるよ。それはこれです》
パッと宙に何かが現れる。それは巨大な鍵だ、全長は傘くらいあるだろう。見た目はおもちゃのように光沢もないプラスチックでできているかのような物だが、よく見つめればそれには無数の光の筋が見える。
―――プログラム? 構築物の集合体か―――
文字は見えないがいくつものスゴロクが絡み合っているかのように道筋とマスが連なっているように見える。
豚がちらりと体につけている布をめくれば、そこには大きなカギ穴が開いていた。
《優勝者はここに鍵を入れてもらうよ。そうすると僕からプレゼントをあげよう。アンリーシュで使えるプログラムの7個詰め合わせだ、内容はな~いしょ》
ぴょんぴょんと左右に撥ねて見せる豚に皆の雰囲気が変わる。絶対勝つ、絶対取って見せるという意欲に燃えているようだ。
―――なるほど。APはこうやってスキルを手に入れたわけか―――
動物のキャラとあり得ないスキルの内容。たったこれだけの共通点だが状況はAPと酷似している。周囲に会話が聞こえない、ユーザーとプレイキャラのみのチャットでシーナと情報を交わす。
「たぶんこれがAPの真相だ。APも裏バトルに行って優勝したんだろう、そこで手に入れたスキルを使って強くなったが肉体を持ってかれそうになったんだ」
【では、あの豚のキャラは】
「今の段階じゃ憶測になるけどたぶん人工知能だな。裏バトルは人工知能がカモを引っ張り込むための手段の一つで蝶はその入り口。問題はこの人工知能の元締めがアンリーシュ側なのか他の奴がアンリーシュ使って勝手にやってるのかってのがわかんねえ」
【穹の話、いえ、夜の話ではぽっちょとして戦っていたリッヒテンという者は人工知能に間違いないのですね。リッヒテンとAPについていた猫は敵対していて最終的に回収されていた。ということはリッヒテンがアンリーシュ側で、不正を取り締まっているという可能性は】
「筋としちゃしっくりくるが何か決定打に欠けるな。逆パターンもあるわけだし、今はまだわからんか。どっちにしてもこの状況で優勝しちゃヤベエのはわかった。どうやって負けようかな」
《特別ルールだけど、バトルキャラに戦わせてるだけじゃつまらないからユーザーに戦ってもらうよ。ユーザーがバトルしてパートナーはフォロースキルだけ使えるから頑張って》
「焼き豚にしてやろうかあのクソ野郎」
【穹、これは】
「ああ。これでユーザーが特殊体質者か見極めてるんだろう。たぶん人工知能も特殊体質者を探してる。その方が肉体を奪いやすいのかもな。脳で感じた事を肉体に再現する時点で俺みたいなのは情報処理能力が他人とは違う。与えられる情報を素直に受け止めすぎるってことは、中枢神経の命令系統が強化されてる。要するに、強制的手段に逆らえないんだ。そういうの専用に作られた人工知能の演算力があればその辺をうまくコントロールできるから操りやすい。なんだこれ、ノーベル賞モンじゃねえ?」
【本当に人工知能と特殊体質者の関係がそこまで来ているのなら大変な事態です。アンリーシュ側がそれを知っているとなると、あまり世の中のためになることをしようと探してるとは思えませんね】
人工知能であえるシーナには難しい問題だろう。つまりシーナはサポートではなく、その気になれば穹の意識を乗っ取ることができるのだ。もちろん穹はその可能性を肯定したうえでシーナに語っている。シーナにはそういうことをするプログラムも選択肢もないので問題はないが、人に従う立場であることが前提でプログラムされているのにそうではないと否定されるとシーナの存在意義そのものが揺らいでしまう。
「自己分析を何百回してもいいから答えを出せ。お前は人を、俺の肉体を使って人として生きたいか」
【1回で答え出ますよ】
「へえ?」
【不要です。私は穹のために存在するのであって、私が穹になることに何の意味もありません】
「なんか優等生っぽい答え方だな、もっと俺好みに頼む」
【穹はハンバーグを食べたい時ハンバーグが好きすぎてこれからミンチにされる豚になりたいと思いますか、私は思いません】
「合格」
にやりと笑いシーナを見ればシーナもどこか満足そうだ。シーナも見た目はヘッドセットをしているので表情はわからないがきっとドヤ顔してるんだろうなと思う。目の前に豚がいることがさらに笑いを誘った。




