きっちりしてきます 1
ダドリュースは、まったく眠れていなかった。
キーラが、この私室で暮らすようになって、2ヶ月余り。
寝物語をするようになってからは、ひと月程度が経っている。
(あの時のキーラは……キーラは……)
思い出すだけで、心拍数が上がった。
小さく、というのもおかしなことだが、大きくはできないので、小さく深呼吸。
隣にいるキーラに気づかれないよう、こっそりと息を整える。
書斎での出来事があって3日。
思い出さない夜はない。
というより、なにかにつけ思い出していた。
ただ、昼間は、それをキーラに察知され、繰り返し咎められる。
だから、なるべく思い出さないように気をつけていた。
そのせいで、キーラが眠っている間、繰り返し思い出してしまうのだ。
繰り返し、というのは「しみじみと」ということではなく、結果として、だ。
すぐに周囲から「異音」が聞こえてくるので中断、そして、また考えて、異音で中断、と、その繰り返しを余儀なくされている。
(あの時のキーラは……いたしても良い、と思っておったのだ!)
ダドリュースは、顔がいいだけの、ものすごく残念な男だ。
3ヶ月もすれば国王になるというのに、国の在り様に思いを馳せたりはしない。
本来なら、いたせるはずのことがいたせないことに、思いを馳せている。
(……そもそも、キーラは、私に純潔を捧げるために、ここに来たはず……だが、キーラは男を知らぬ女。毎回、押し倒しておったのは、私からの行動を期待してのことに違いあるまい。魔術さえかかっていなければ……)
我と我が身が情けない。
戻れるものなら過去に戻り、十歳の自分を諫めたいところだ。
さりとて、時間は巻き戻せないし、魔術を解くこともできずにいる。
(おのれ……なんとしても、成就させぬつもりだな)
まるで、魔術自体に意志でもあるかのように感じた。
ダドリュースの感情に連動して、キーラとの仲が進展するのを阻んでくる。
心の中で、ダドリュースは、じたじたしていた。
(私とキーラは“両想い”ではないのか? 両想いであるゆえ、いたしても良いと、キーラは思っておるのだろう? 違うのか? いたすのは良くとも、それだけでは、両想いではない、ということもあるとは聞くが……)
ぐぬぬ…と、彼は、深く悩む。
キーラとの距離は近くなっているが、遠ざかる時もあった。
なにしろ、半月前には、キーラから「いたしたい」と言われている。
なのに、その後、音沙汰なし。
(キーラは私をどう思っておるのか。わからん。わかりかけた気もしたが、魔術が邪魔をしてくるゆえ、なお、わからぬようになったではないか)
書斎でのことは、ダドリュースに、ひとつの答えを示そうとしていた。
なにか、わかりかけた感覚があったのだ。
けれど、魔術が発動して台無しになった。
もとより、下心をいだいた自分のせいなのだが、それはともかく。
あの出来事を思い出すにつけ、悶々としてくる。
何度か、キーラ本人にも聞いたのだが、はぐらかされてばかりだ。
それでも、こうして添い寝は許してもらえていた。
今のところ、ベッドから叩き出されずにいる。
ダドリュースは、駆け引きをしない。
さりとて、キーラにも「駆け引き」をしている雰囲気は感じられなかった。
貴族の令嬢にありがちな「相手に追いかけさせる」という計算は見えないのだ。
かた。
ダドリュースは、慌てて目を伏せる。
起きていて、じっとキーラを見つめていたと知れたら「超ドスケベ」と言われ、叩き出されるかもしれない、と思ったからだ。
彼にとって眠れぬ夜であっても、この添い寝は「憩い」と「癒し」だった。
ここは「うっかり」を、しっかり封じておかなければならない。
初めて気づいたが、夜が明けている。
悩み過ぎて、もとい、悶々とし過ぎて、昨夜は、一睡もしなかったようだ。
(む。キーラが、ベッドを出ておる)
ベッドの軋む音がしている。
その音は小さく、キーラが「そっと」抜け出していると察した。
添い寝をするようになって、ひと月。
こんなことは、1度もない。
いつも、キーラのほうが先に目覚めてはいる。
が、ダドリュースが起きるまで、隣で待っていてくれた。
寝起きに、キーラの姿を見られるのも、彼にとっての至福だったのだ。
声をかけようとして、思い留まる。
彼女は「そっと」抜け出した。
つまり、人目をしのんで、部屋を出ようとしている、ということ。
『ちょっと……悲しい夢を見ていたようです』
キーラの声が、聞こえる。
キーラは、あの時「帰りたい」と言っていた。
寝言だとしながらも、泣いていた。
ずきりと胸が痛む。
息が苦しくなるほどの痛みだ。
いかに、大雑把な性格であれど、さすがに気づく。
あの涙と言葉が、結果を指し示していた。
キーラは、ここを去ろうとしている。
しかも、ひっそりと人目をしのび、たった1人で。
ダドリュースに、暇を告げることもなく、黙って。
扉が開き、閉まる音が響いた。
ダドリュースは、ゆっくりと目を開き、体を起こす。
扉を、じっと見つめた。
開くことは、もうないのだろう。
(そうであろうな。言えば、私は引き留める。縋りつく。そうなれば、キーラは、私を見捨てられぬのだ。心根の優しい女であるがゆえに)
それほどまでに、帰りたかったのか、と思う。
親はない、と言っていたので、王宮に留まるのに支障はない、と考えていた。
けれど、親がいなくても、別の家族はいるかもしれないし、故郷というだけで、帰りたくなるものかもしれないし。
(キーラが去ってしまう……私の傍からおらぬようになってしまう……)
うっかり泣いてしまいそうだ。
が、しかし。
ダドリュースは、禄でもないことしか考えない男だった。
どうしても、キーラを独りで行かせたくない。
キーラのいない暮らしなど考えられなくなっている。
すぐさまキーラの後を追うことにした。
ダドリュースらしくもなく、ベッドから飛び起きる。
そして、1日1回の魔術を使った。
またも、即席だ。
近衛騎士はともかく、彼もキーラも外に出れば、魔術師にまとわりつかれる。
警護のためだが、魔術師たちは姿を消していてキーラには見えない。
近衛騎士には言い訳がたっても、人目をしのんで外に出ようものなら、即座に、魔術師たちに取り囲まれる。
自分はかまわないが、それではキーラが咎めを受けるのだ。
それを回避するため、ダドリュースは、蔽身と惑影を掛け合わせたような魔術を作った。
近衛騎士だけなら、姿を隠すための蔽身だけで事足りた。
が、魔術をかけると、キーラは「魔力感知」されてしまう。
普通の魔術師なら気づかない可能性はある。
(だが、サシャがおる)
サシャは優秀だ。
絶対に気づかれると判断し、魔力を、そこら中に散らす惑影を掛け合わせた。
いずれ追いつかれるかもしれないが、時間は稼げる。
その間に捕まえなければと、ダドリュースは「全力」で、キーラを追いかけた。




