無二夢中 3
ガタガタっ!
音にだろう、キーラが、バッとダドリュースの体を突き放す。
せっかく「いい雰囲気」だったのに、と落胆した。
が、いい雰囲気はNGなのだ。
さりとて。
「キーラ……」
「非常に嫌な予感しかしないのですが」
「お前が、可愛らしい」
「可愛らしくなくて結構です!」
「そう言われても、思うものはしかたあるまい」
気持ちを切り替えるべきなのは、ダドリュースにもわかっている。
わかっていて「努力」を放棄していた。
「殿下!」
「しかしな、キーラ。ここは書斎で、なんとも言えぬ雰囲気があろう? その中にお前と2人きりとなれば……」
「この、ドスケベ! ド変態王子っ!! 早く、気持ちを切り替えなさい!!」
キーラは、憤懣やるかたない、といった様子。
怒りながら、周囲を見回している。
「サシャはおらん。仮におっても、私は呼ばぬぞ?」
「……いい度胸ですね、殿下」
「そうか? 言われたことはないがな」
ダドリュースは、深く考えてはいなかった。
単純に、あの「いい雰囲気」を消してしまうのを、もったいないと思っている。
キーラからの、まともに浴びせられた罵声も「悪くない」と感じていた。
本当に「ド変態」のようだけれども。
(キーラが、私に親しみを感じておる証だ)
堅苦しく、よそよそしい空気より、ずっと好ましい。
そもそも、ダドリュースは罵声を浴びせられても、なんとも思わない性格をしている。
痛くも痒くもないのだ。
貴族からの誹りにも、およそ「屈辱感」などいだいたことがない。
「キーラ」
ばんッ!!
「な……っ……?!」
「壁どん、だ」
書棚に手をつき、キーラを腕の中に閉じ込めている。
2冊目の「民言葉の字引き」に載っていたのを覚えていた。
女性は、これに弱いらしい。
「こ、こんな時に……」
ダドリュースは、とても残念な男であるがゆえに、時と場合を考えない。
キーラの赤く染まった頬を見つめ、口元に笑みを浮かべる。
ぎし。
書棚が、一斉に音を立てていても、おかまいなし。
バサバサっと本が足元に落ちてくるが、気にしない。
「殿下……ホント、ヤバいです……」
「なんとかなろう」
「絶対に、なんともなりませんッ!」
「口づけだけでも……」
「殿下ぁああっ!!」
がしっと腰に、キーラの腕が回ってくる。
同時に、床に引き倒された。
ガタガタ、ギシギシッ、バターンッ!!
ついで、書棚が倒れてくる。
ダドリュースの頭を、キーラが腕で庇っている。
彼の背を覆うように、己の体を乗せていた。
しばらく、その体勢で動きを止める。
バサ……パサ……。
斜めにかしいだ書棚から、本が落ちる音だ。
まだ書棚も、ぎしぎしと音を立てている。
両脇にあった書棚同士がぶつかり、互いに止め合いをする形になっていた。
その三角形になった、ちょうど隙間に2人はいる。
「殿下……このままですと、すぐに書棚の下敷きになりますよ?」
「……私はともかく、お前が押し潰されては困る」
「私が押し潰されれば、いたせるものも、いたせませんからね!」
「そうだな」
腹這いになったまま、背中にキーラのぬくもりを感じていた。
この状態で、気持ちを切り替えるのは、なまなかなことではない。
とはいえ、書棚が倒れてくれば、キーラが先に下敷きになってしまうのだ。
「どうやったら、こんな残念王子に育つの……? 親の顔が見てみたいわ……」
キーラのつぶやきが、聞こえてくる。
そのおかげで、気が散った。
「見せてやりたいところだが、それはできん」
「へ……?」
「親の顔だ」
聞こえていたとは思わなかったのだろう。
キーラの言葉が、一瞬、止まった。
「……ええと、その……」
「良い。私と、こうした関係になっておるのだから、親の顔を見たく思うのは当然であろう」
「…………」
残念王子のところはさておき。
ダドリュースは、キーラの言葉の後半部分に重きを置いている。
魔術がかかった状態なのでいたしかたないとはいえ、いずれ自分たちは「理無い仲」になるのだ。
親を知っておきたいと思う気持ちは、理解できる。
「だが、私の両親は、すでに他界しておるのだ」
「え……?」
「実のところ、顔も模画でしか見たことがない」
模画というのは、周囲をそっくりそのまま写し取る魔術だ。
キーラが「写真」だと思ったものなのだが、ダドリュースは知らない。
そういえば、まだ寝物語で話していなかったと思い、模画の説明をしておいた。
「では、殿下が小さい頃に……?」
「母は、私を産んですぐであった。父は、そのあとを追うようにして、半年後には他界したらしい」
そのため、ダドリュースは、乳母に育てられている。
王族は、多くの血筋があり、懇意さの違いはあれど、友好的な関係にあった。
王位に執着する者がいなかったからだろう。
争っているのは、貴族だけだった。
誰が国王になろうが、王族にとっては、どうでもいいのだ。
「たいていは、アーニーのところにあずけられておった」
「アネスフィード殿下と親しくされておられるのは、そういう……」
「アーニーとは、歳が同じなのでな」
乳母も、アネスフィードの両親が手配をしてくれた。
ほとんど一緒に育ったと言える。
ただし。
「王族には習わしもあるゆえ、5歳になると同時に、自分の宮殿に戻された」
王族には、それぞれに宮殿が与えられている。
血筋ごとに明確になっており、貴族で言うところの「当主」となる者は、そこで暮らすのが「習わし」なのだ。
「それから、サシャやヤミと遊ぶことが増えたのだ」




