さっぱりわかりません 4
キーラは、ひどく不機嫌になっているのを、自覚している。
王太子と帰っても良かったのに、口実にもならないことを口実にして、断った。
イライラを、王太子にぶつけそうな気がしたからだ。
少し頭を冷やす必要がある、と判断している。
王宮に戻り、王太子の私室に向かって歩いていた。
その間に、頭の中を整理する。
(あいつ、ホントに犬じゃん。どこの警察犬だよ。なーんで、そういうとこは優秀なのに、あんな駄犬に育っちゃったんだろ)
かなり詳しくなったとはいえ、魔術については、まだまだ未知の部分が多い。
が、誰でもが、新しい魔術を、ぽんっと作れるわけではないことくらいは、なんとなく察している。
オリンピック選手になれるのは、ごくひと握りの人たち、というのと同じだ。
本人が言っていたように、王太子には魔術の才能がある。
おそらく「天才」と呼ばれる人種だ。
(無駄にね。いくら天才でも、中身は残念王子。才能の無駄遣いだよ)
なにしろ、貴重な1日1回の魔術を王太子は「キーラ探し」に使っている。
思い出して、キーラは頬が熱くなるのを感じた。
(匂い嗅ぐって……もう、マジやめて。ホント、犬……)
ちょっぴり体臭が気になってしまったではないか。
毎夜、湯には浸かっているので、変な匂いではないだろう、とは思う。
が、香水もつけていないし、自分の匂いは自分ではわからないというし。
(サシャに言って、魔術で連絡取ればすんだ話じゃん? なんで、わざわざ、そういう無駄なことするかなぁ)
実際、サシャから即言葉で連絡が入っている。
ならば、その時「どこにいるか」訊けば、新しい魔術を使う必要なんてなかったはずだ。
キーラには、王太子の思考も理屈も、わけがわからないものだった。
突飛というか、奇妙というか。
『私は、いつになれば、お前と理無い仲になれるのであろう』
言葉が思い出され、キーラの足が、自然に止まる。
なんだか、胸の奥が、ずきずきと痛んでいた。
無自覚に、表情にも、不快が滲んでいる。
(まったく……あの駄犬、やることしか考えてないんだから、嫌になる……自分の発情期を、私に押しつけるなって言うの)
王太子は、正妃選びの儀までに魔術を解きたいのだ。
そのために、自分と「いたしたい」のだ。
女性とベッドをともにできれば、魔術が解けるから。
相手は、誰でもいい。
(別に……私だって、ユバル以外なら誰でもいいし……もっと情報くれるんなら、むしろ好都合だし……変に情とかかけられても、迷惑なだけだし……)
王太子とベッドをともにするのは吝かではないと、思っていた。
その理由を、キーラは、あちこちから引っ張り出してくる。
どれも、納得に値するものではあった。
けれど、胸の痛みはおさまらない。
「ちょっと、あなた」
声に気づきはしたが、自分が呼ばれているとは思わずにいる。
さりとて、足を止めていたことにも気づき、歩き出そうとした。
「侍女ごときが、私を無視するの?」
侍女との言葉に、自分が声をかけられているとわかった。
いいかげん演技もうんざりだったが、仕事は仕事だ。
胸の痛みも棚上げにして、びくびくした様子で振り向く。
王宮で、仕事仲間以外の女性に声をかけられたのは初めてだった。
あまり顔を覚えられたくなかったので、うつむいて足先を見つめる。
「申し訳ございません。私のこととは思わず……」
「言い訳はいいわ。それより、あなた、王太子殿下付きの侍女よね?」
「さようにございます」
「どこの出自?」
貴族は、とかく出自にこだわるものだ。
国が違っても、身分制度に国境はない、と皮肉っぽく考える。
「ラピスト男爵家にございます」
「男爵家? ああ、ラピストというと、アドルーリットの下位貴族ね。そのツテを頼ったというわけ」
キーラは、黙ってうなずいた。
この居丈高な物言いから察するに、相手は公爵令嬢に違いない。
会話を成立させること自体が「失礼」にあたる。
下位の者は、上位の言葉にうなずくか、肯定するのみ、というのが常識なのだ。
「王太子殿下の私室に潜り込むなんて、卑しい者のしそうなことだわ」
現実には、キーラではなく、王太子がキーラのベッドに潜り込んでいるのだが、それはともかく。
口ごたえなどするつもりはなかった。
面倒はごめんだ。
嫌味や皮肉には慣れている。
「夜会で、王太子殿下は、私を、正妃選びの儀でお選びくださると仰ったの」
感情を一定に保つ訓練も受けていたはずなのに、キーラの感情は揺れていた。
思わず、顔を上げてしまう。
(この人、夜会で……)
王太子に、やけに体を押しつけて踊っていた女性。
豊満な体つきに、目を引く見事な金髪。
貴族が好みそうな女性であるのは、確かだった。
「正妃は、私で決まっているということね。リディッシュとラピストとでは、話にならないけれど……間違っても、正妃選びの儀に自分が並べるなんて、思わないでちょうだい」
キーラは、再びうつむき、小さくうなずく。
心の中で「なるほど」と思っていた。
夜会で、王太子は、キーラに「自制できる」のを証しようとしていたらしいが、それが本当かどうかはわからない。
王太子が、そう言っているだけだからだ。
「婚姻の儀までは、好きにしてかまわないわ。私は、それほど狭量ではないの」
声が聞こえ、足音が遠ざかっていく。
どちらも聞こえなくなってから、キーラは顔を上げた。
ふ…と、息をつく。
『お前しかおらぬ! お前だけなのだ、私には!!』
あの言葉は、そういう意味だったのか、と思った。
胸のズキズキが再発している。
(そりゃ、そうだわ。あんな、ご令嬢じゃ無理よね。あいつを守りながら、いたすなんて到底、無理。不可能)
訓練を受けているキーラですら、命の危険を感じるほどだ。
ダンスやテーブルマナーが完璧でも、こと王太子とベッドをともにする上では、なんの役にも立たない。
私室付近に、女性を近づけないようにしているのも、彼女らを危険から遠ざけるためなのだ。
(あいつのことだから、いつ、いい雰囲気になっちゃうかわかんないもんね)
そして、魔術発動、大参事。
令嬢が死にでもすれば、大変なことになる。
目に見えているから、近づかなかったに過ぎない。
(少なくとも、私なら死んでも大事にはならないってこと。それで縋りついてくるわけだ)
キーラとベッドをともにし、魔術が解ければ万々歳。
正妃選びの儀で、さっきの女性を選び、即位して。
(もう、いいや。考えるのも面倒だし。あいつと、やることやって、情報根こそぎ持って帰ろ)




