身から出た錆 3
「あの女は、胡散臭い」
ヤミは、カウチにふんぞり返って、両腕を背もたれに乗せている。
非常に「不機嫌」と、顔に書いてあった。
「根拠は?」
聞いたのは、アネスフィードだ。
ヤミは、アネスフィードの部屋に来ている。
アネスフィードは、ダドリュースと同じ歳。
兄と一緒に、ダドリュースと遊ぶことのほうが多かったけれど、面識がなかったわけではない。
宰相になった今は、アネスフィードとも、それなりに懇意にしている。
公務の関係で、しばしば打ち合わせに来たりしているのだ。
ダドリュースは選り分けが必要だが、アネスフィードには必要ない。
公務のほとんどは、アネスフィードが請け負っている。
「あの出自自体が疑わしい。だろ?」
ヤミは、彼が、夜会で、あの侍女に声をかけている姿を見ていた。
アネスフィードは、滅多なことでは自分から女に声をかけたりはしない。
声などかけなくとも、向こうから押し寄せて来る。
下手に声などかけようものなら、その令嬢が、あとから酷い目に合うのだ。
アネスフィードは、公平さを無視しない。
「それでは根拠になっていないよ、ヤミ。辻褄は合っているのだからね。疑おうと思えば、どんな出自だって疑えるさ」
ヤミは、ちょっぴり「ふぅん」と思った。
アネスフィードは、はぐらかそうとしている。
きっと独自の筋から「なにか」を掴んでいるに違いない。
そして、ヤミに、それを教える気はないのだ。
(あっそう。それなら、それでいいや。丸投げできんなら、楽なもんサ)
ヤミは、軽く肩をすくめてみせる。
いかにも「降参」といった仕草だった。
「それもそーだな。ダドリーが、あんまり入れ込んでるもんだから、つい疑い深くなっちまったんだよ。わかるだろ?」
「まぁね。きみは、色々と大変だ」
「重臣どものご機嫌を取るためにやる正妃選びの儀なんざ、廃したいぜ」
アネスフィードが、人の好さそうな笑みを浮かべる。
本気で面倒くさがっていると、わかっているからだろう。
正妃選びの儀は、王太子が即位する際の慣例だ。
初代の頃から、連綿と受け継がれてきている。
今では、王族の面々が、即位から逃れる口実にもしているが、それはともかく。
正妃選びの儀をやろうとやるまいと、正妃は、だいたい決まっているのだ。
ずらっと並ばされた挙句、こう言われる。
「そこの者だけ残れ。あとは下がって良い、ってね」
「長く待たされて、すぐに帰されるのだから、気の毒ではあるよ」
「そのために、オレは、ものすごく面倒な段取りをしなくちゃならねーんだぞ」
「気の毒だねえ」
気の毒とも思っていない口調だった。
実際、アネスフィードは、ふふっと小さく笑っている。
ヤミが奔走している姿を、面白がっているのだ。
それでも、アネスフィードには嫌味がない。
むしろ、少し甘えたくなるような雰囲気を漂わせている。
ヤミは、長らく兄に甘えることができずにいるので。
「アーニーを推してる貴族を抑えるのだって、大変なんだからな」
「だろうねえ」
「他人事みたいに言うんじゃねーよ」
「実際、他人事さ。貴族の取りまとめは宰相、つまり、きみの仕事だ」
アネスフィードは、王族だ。
王族は、政には関わらない。
貴族に、あれこれと指図したりする立場でもなかった。
だから、彼は「自分を推せ」とも「推すな」とも言わずにいる。
「オレは、アーニーが即位したほうが楽できるんだけどサ」
「きみは、まだ兄離れができていないのかい?」
「そーだよ」
父が異なるとはいえ、サシャはヤミの、たった1人の兄弟だ。
両親よりも身近な存在に感じている。
兄のほうは、どう思っているのか、わからないけれども。
「サシャが、ダドリーを選んだのが不服かな?」
「いや、それはねーな。オレは、にーさんのこと、信じてるからサ」
兄が、ダドリュースを選んだのであれば、それがどんな理由であれ、信じるに値する。
きっとダドリュースが即位するのが相応しいのだ。
少なくとも、ヤミは、そう信じている。
アネスフィードが即位したほうが楽、というのも、本音ではあるけれども。
「宰相としてより、弟しての感情を優先するわけだ」
「そーだね」
「それなら、ダドリーのことも信じてやればいいだろうに」
「あいつは、にーさんじゃねーだろ。信用貸しなんてできねーよ」
兄のことは信じている。
兄の判断や、することも尊重する。
が、ダドリュースを信用するかは、また別の話なのだ。
「彼女が、多少、疑わしくとも、ダドリーの魔術が解けるのであれば、かまわないのじゃないかい?」
「そーだけどな。入れ込み過ぎるのは、どうかと思うぜ?」
アネスフィードが、ふと表情を変えた。
瞳に冷ややかな色が漂っている。
「確かにね。王は、一片の曇りもなく、王であらねばならない」
即位後になって、あの侍女に後ろ暗いところがあるとわかれば、ダドリュースの即位に「曇り」が生じる。
それは、アネスフィードも望むところではないようだ。
(やっぱり、あの女には、なんかある。アーニーは、ダドリーの魔術が解けたら、あの女に、なんかする気かもしんねーな)
魔術の解けたダドリュースが、それでもまだ、あの侍女に執着するかは不明。
だが、所詮は、侍女だ。
王宮を辞して、姿をくらましたとしても、探す者はいない。
仮に、あの出自が偽物だったなら、なおさら、誰も気にかけはしないだろう。
(にーさんは、どうする気なんだ? ダドリーの気持ち次第ってトコかな?)
ともあれ、なんとなくアネスフィードの立ち位置は理解した。
すべては、ダドリュースの魔術が解けてからの話になる。
正妃選びの儀まで、あと半年を切っているのだ。
せめて婚姻の儀が終わるまでには、魔術が解けていてほしい。
「ま、正妃選びの儀に並ぶ女は決まってんだ。そン中から選べば間違いねーだろ。そこに書いてあるから、見とけよ?」
「僕が手を出さないように、かい?」
ヤミは、返事をせずに立ち上がる。
返事がないのが、返事なのだ。
アネスフィードの私室を出て、ヤミは、自分の私室に向かう。
その途中だ。
(あの女……外に出るつもりか?)
廊下を、あの侍女が「1人」で歩いている。
ダドリュースも兄も近くにはいない。
けれど、近衛騎士も呼び止める気配がないため、許可は得ているのだろう。
少し考えたあと、ヤミは、彼女のほうに向かって歩いて行った。
ともあれ、あの侍女は、怪しい。




