うっかりし過ぎです 3
王太子、ダドリュース・ガルベリー。
この男は、いったいどういう男なのか。
キーラには、まったく意味不明。
(馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ? 絶対に馬鹿だよね)
どうにも、そんな気がしてならない。
一瞬、自分の正体が露見したかと思い、焦った。
が、焦り損だ。
キーラが「身バレ」している様子はない。
(盥に足突っ込んだり、頭から水かぶったり、それに……)
ちらっと、自分の横を見てみる。
廊下に並んでいる調度品のひとつ。
重そうな銅像が倒れていた。
土台にガタが来ていたのか、不意にぐらぐらと揺れ始めたのだ。
キーラは、すぐに気づいたのだが、王太子は気づいていなかった。
その無頓着さ加減に、むしろ、気づいていないフリをしているのか、と勘繰ってしまったほどだ。
が、王太子は、銅像が頭に直撃しそうになっても動かない。
キーラが声をかけても気づかない。
ここは、仮想敵国。
相手は、その国の王太子。
キーラに助ける道理などなかった。
とはいえ、王太子が銅像に頭を直撃され、死んでしまったら諜報できなくなる。
それでは、困るのだ。
いたしかたなく、キーラは王太子を助けた。
銅像から。
(ていうか、警護はなにやってんの? 王太子が銅像に殺されかけてるのに、誰も助けないとか、あり得る? 大丈夫なの、この国?)
ロズウェルド王国は、元は小さな小国だったと聞く。
ガルベリー1世の時代に、近隣の小国をまとめあげ、今のロズウェルドの基盤ができたのだ。
その歴史は、小国時代を含めると、およそ7百年近くにもなる。
小国時はともかく、ガルベリー1世の統治以降、起きた戦争は、たった1回。
ちょっとした小競り合いはあったようだが、ここ2百年近くは、それすらない。
恵まれた国なのだ、ロズウェルド王国は。
キーラが飛ばされたフィンセルは、北方の近隣諸国と、常に緊張状態。
この十年の間にも、戦争に発展しかけたことが、何度となくある。
フィンセルも含め、4つの中規模な国が、互いに睨み合っていた。
どの国も裕福とは言えず、そのせいで、隣の芝生が青く見えるのだ。
そういう国事情に、キーラは否応なく巻き込まれている。
生きていくため、国の組織に従属し、こうして諜報活動に勤しんでいた。
これまでにも、あちこちの国に潜入してきている。
(緊張感がまったくない。平和ボケもいいとこだわ)
この大陸1強、ロズウェルド王国。
それは、唯一、魔術師のいる国だからだ。
戦時中、ロズウェルドは隣国リフルワンスを魔術1発で退けたという。
一夜にして、数十万の兵士が皆殺し。
魔術には、それだけの力がある。
その力を行使できるのは、この国だけ。
となれば、諸外国は黙っているよりしかたがなかった。
下手に手出しをして戦争になっても、勝てるはずがない。
(この世界じゃ、銃も戦車も戦闘機もないもんね。そりゃあ魔術最強だよ)
ロズウェルドは、基本的に、他国を必要としない国なのだ。
領土は広く、豊かな自然環境と資源にあふれている。
おまけに魔術師がいて、防衛力にも優れていた。
諸外国との外交は、単なる「建前」に過ぎないのだろう。
外の国を排斥しているわけではない、と。
ただ、建前は建前でしかなく、ロズウェルドは諸外国からの人の流入を嫌う。
国境は警備が厳しくて、密入国は許されない。
いわゆる留学や、他国者の就労も認められていなかった。
それでも、フィンセルは、長年に渡りロズウェルドを調査している。
少しずつ少しずつ、人を送り込んだり、情報を集めたりしてきたのだ。
ロズウェルドも、完全に外交を遮断してはいない。
例外は、国の要人と商人だ。
そういうところを足掛かりに、本当に少しずつフィンセルは歩を進めてきた。
今回、キーラが男爵家に潜り込めたのも、そのおかげだ。
ロズウェルドに「ツテ」を作れたことで、可能となっている。
対ロズウェルド機関ができて50年は経っているが、それはともかく。
今回のキーラの任務は「魔術」に関しての情報収集だった。
こと魔術関係は判然としていないことが多いのだ。
つきあいのできた貴族に聞いても曖昧な話しか聞けずにいる。
王宮に入り込めないと、詳細はわからないらしい。
キーラは体を起こし、立ち上がる。
王太子も、ゆっくりと、そう、やけにゆっくりと体を起こした。
王族が「せかせかしない」ことを、キーラは知らないので、ものすごくもったりした動きに見える。
「申し訳ございません、殿下」
「いや、良い。みなまで申すな。私には、わかっておる」
わかっているはずがない。
なにしろ、銅像に頭を直撃されかけても気づかない馬鹿王子なのだ。
見た目は、キリリとしていて、厳しくも凛々しく見える。
が、中身は、とんだ残念王子だ、と、キーラは、すでに見抜いていた。
見抜く、というほどでもないのだが、それはともかく。
(でも、これってチャンスだよね。親しくなれば、訊き出すのも簡単そうだし)
相手が「馬鹿」なら、言うことはない。
仕事が、やり易くなる。
(それに、国王が魔術師の頂点ってことは、王太子だって、かなり情報を持ってるはず。直接、訊けるんなら、そのほうが手っ取り早い)
元々は、侍女として王宮に入り込み、ほかの侍女と親しくなって、情報を集めるつもりだった。
さりとて、目の前に、キーラの目的に、うってつけの人物がいるのだ。
見逃す手はない。
「それでは、まいろうか」
「どちらに?」
「むろん、私の私室だ。お前の魂胆は、わかっておるのだからな」
その前に、着替えたほうがいいのではなかろうか。
思ったけれど、口には出さないでおく。
キーラは侍女であり、王太子の言うことに口を差し挟める身分ではない。
「案ずるな。私室では2人きりだ。なにをしても、外に漏れはせぬ」
ひそっと囁かれ、思わず、目を細めそうになった。
王太子はさっきから「魂胆」を繰り返しているが、絶対に間違っている。
(この、ドスケベ王子が。こんな男前な顔して、ホント、残念過ぎる)
かなり、イラっとしたが、キーラにも思うところはあった。
なにかあったらあったでもかまわないか、と考えていたのだ。
彼女は、今年16歳になっている。
諜報員として訓練を受け始めて十年経つが「その手」のことは避けてきた。
それでも、そろそろ逃げられなくなっているのを感じつつある。
(初めてを捧げたってなれば、信頼が得られるかもしれないしね)
ともかく「その手」の訓練を受けるのだけは嫌だった。
キーラは、上司に、いい感情を持っていない。
あの男に好き勝手されるくらいなら、この残念王子のほうがマシに思える。