うっかりし過ぎです 2
なんという愛らしい女性だろうか。
暗い金色をした髪はゆるく巻いていて、猫を思わせる形の琥珀色の瞳。
ほっそりとした体つきだが、女性としては背が高い。
キーラミリヤ・ラピスト。
聞いたことのない名だった。
もちろんラピスト男爵家の家名は知っている。
アドルーリット公爵家の下位貴族だ。
(その繋がりで、王宮に上がることが許されたのであろう)
アドルーリット公爵家は、女系ではあるが、王族との繋がりがある。
最近、少々、落ちぶれていて、王宮での力は弱まっていた。
さりとて、下位貴族の令嬢を、侍女として推薦する程度のことはできる。
というより、その程度しか上位貴族の「利」を示せなくなっていた。
(それにしても、本当に愛らしい。どうにか、私室に呼べないものか)
髪から水をボタボタと垂らしながら、そんなことを考えている。
自分が、びしょ濡れであることなど、気にもしていなかった。
目の前にいる可愛らしい女性と、もっと話したくて、内心、そわそわしている。
さりとて、王太子ともなれば、軽々しく侍女を部屋に引き込むなどできない。
彼女を怪しんで見せたのは、それが理由だった。
声をかけたかったのだが、用もなく声をかければ、周囲にどう思われるか。
身分を振りかざし、侍女に手をつけた、と喧伝されかねないのだ。
(しかし、そもそも、この辺りに、女は入れぬはずなのだがな)
王族用の仕立てがされた上等のタキシードからも、水がしたたっている。
透明感はなく、ちょっと濁った水だ。
足は、まだ盥に突っ込んだまま。
それでも、自分の思考にとらわれ、立ち尽くしている。
(そういうことか。なるほどな)
自分の思考に納得してから、改めてキーラミリヤという侍女に視線をそそいだ。
驚くほど、可愛らしい。
猫目を見開いて、じいっと、こちらを見ている。
思わず、抱きしめてしまいたくなった。
彼は、大国ロズウェルド王国の王太子だ。
半年後に行われる「正妃選びの儀」をもって即位させられる予定となっている。
彼自身は、即位などしたくはない。
したくもない。
いや、今のままではできないし、できれば、できないほうがいい。
が、しかし。
重臣たちからせっつかれ、引くに引けない状態になっている。
現状、王位継承候補は2人。
すでに派閥争いが、勃発しかけているのだ。
だから、ものすごく気は進まないのだが、ひとまず、王太子の立場から逃げ出すことだけはせずにいる。
「あ、あの、殿下……?」
声をかけられ、ハッとした。
即位のことよりも、今は、この侍女を、どうにかして私室に呼ぶ手立てを考える必要がある。
いや、必要はないし、即位のほうが大事ではあるのだろうが、即位に後ろ向きな彼にとっては彼女を誘うほうが大事、という話なのだ。
「大丈夫ですか……?」
「なにがだ? これしきのことで、私が動揺するとでも思っているのか?」
「いえ……ですが……」
盥に足を突っ込んだままの彼に、彼女が近づいて来る。
心臓が、ばくばくしていた。
動揺している。
倒れそうだ。
が、そんな無様は晒せない。
「早く、これで……」
彼女が、胸元に手を入れている。
咄嗟に、彼は、その手を掴んだ。
張りがあって、弾力があって、なめらか。
などと、感触を確かめている場合ではない。
近づいた距離に、ただでさえ眩暈がしている。
昏倒などしようものなら、みっともないにもほどがあった。
それに。
「これ、このようなところで、そのようなことをしてはならん。積極的であるのは良い。だが、ここではいかん。周囲の目というものがある」
彼女は、気づいていないのだろう。
戸惑ったように、目をしばたたかせている。
やはり、なんとも可愛らしい。
ここ、ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だ。
さりとて、誰でもが魔術師と懇意にできるわけではない。
一生、魔術とは縁のない生活をする者も、大勢いる。
民のみならず、爵位の低い男爵家では経済的に、魔術師をかかえるのは無理だ。
(おそらく、魔術を、実際に見たことがないのだな)
ここは、王宮内にある王太子の私室近くの廊下。
実のところ、姿は見えないが、警護の魔術師だらけ。
けして「2人きり」ではない。
だから、ずっと人目を気にして、仰々しい態度を取っているのだけれども。
「ですが、殿下……」
彼女の手を離し、体を少し前にかしがせる。
そして、耳元に囁いた。
「お前の魂胆は、わかっておるぞ」
瞬間、彼女の顔色が変わる。
彼は、自分の「読み」が正しかったのを確信した。
そして、私室に誘える口実ができたことに、胸を高鳴らせる。
「だが、あえて乗ってやる」
「殿下……」
「見え透いた手を使う、お前に対する憐憫の情だ」
「殿下……」
「ここまでするからには、相応の理由もあ……」
「殿下ーッ!!」
バッと、彼女に抱き着かれた。
びっくりする間もない。
どしゃー!!
廊下に、2人で倒れる。
気づけば、彼女の体が、自分の体に覆いかぶさっていた。
「なんという女だ。これほど積極的な真似をするとは」
可愛らしい風貌とは似つかわしくない奔放さを感じる。
彼は、自分が「押し倒された」と思っているからだ。
実際には「引き倒された」のだが、気づいてもいない。
なにしろ、一瞬のことだったので。
ロズウェルド王国、現状、王位継承第1位。
王太子、ダドリュース・ガルベリー。
彼は外見とは正反対に、ものすごく「残念な」男なのである。




