饗宴狂宴? 3
キーラは、ホールの端に立っている。
王太子の動向を、じっと見守っていた。
なにが起きるかは、王太子次第なのだ。
彼が、ほんのちょっぴりでも「いい雰囲気」を感じたら、とたんに大参事。
(おそらく、とか言ってたけどさ。おそらくってだけじゃね。全然、アテにはならないじゃん)
キーラに対してだって、すぐに「いい雰囲気」だと勘違いする。
ホールにいる令嬢たちは、王太子と親密になることに躊躇はないはずだ。
女性側が、その気なのだから、王太子が、その気になるのは必然だろう。
キーラの時とは違い、勘違いでもない。
「サシャ様。いらっしゃるのなら、少しだけ、お話をしていただけませんか?」
きっと、サシャは近くにいる。
とはいえ、サシャが答えるかは微妙。
王太子のいないところでは話してくれないのではないか、と思っていた。
もとより、王太子に呼ばれなければ、サシャは姿も現さないので。
(どのようなお話でしょう?)
頭に声が響く。
意外にも、サシャが応じてくれたのだ。
もちろん姿は見えないが、話ができるのであれば問題はない。
(もし、魔術が発動した場合、どういう手立てを考えておられます?)
(被害が出ないよう、手を打つつもりでおります)
(物が落ちてきたり、飛んできたりしても防げるということでしょうか?)
(はい。我が君以外のかたに向けてのものは排除いたします)
(え? それは、その……殿下以外の人だけを守ると……?)
(その通りです)
意味がわからない。
サシャは、王太子の側近。
なのに「王太子以外」を守ると言っている。
つまり、王太子は守らない、と言っているのと同義だ。
(では、殿下はどうなさるのです?)
(我が君のことは、キーラ様にお任せいたします)
(私ですか? あの……こう言ってはなんですが……私は、ただの侍女ですよ?)
(存じております)
さらに、意味不明。
ただの侍女に、王太子を任せる側近などいるだろうか。
急に、不安になる。
もしかすると、自分がただの侍女でないことがバレているのかもしれない。
サシャとはあまり顔を合わせることも、こうして話すこともなかった。
どのような人物か、正直、わからずにいる。
姿が見えないので表情も読めないし、魔術での会話は、どうも、抑揚がほとんど反映されないらしいのだ。
そもそも、サシャは淡々とした口調だったが、声に出す会話より、いっそう平坦に聞こえる。
(私よりも、サシャ様のほうが適任かと思いますが?)
(お守りするという観点から言えば、そうでしょうね)
(それでは、なぜ私なのですか?)
答え次第では、早々に、逃げ出す段取りをつけなければならない。
魔術に関し、いくつかの情報は手に入れている。
それを伝えないまま、囚われたり、殺されたりしたら、無駄死にだ。
キーラは6歳で、この世界にやってきた。
そして十歳の頃には、すでに隣国で諜報活動を始めている。
以来、6年間、いつも同じことを言われていた。
相手国で囚われても助けは来ないと思え。
口を割るくらいなら死ね。
キーラは、フィンセルに拾われた。
が、それはキーラが役に立つからであって、慈善事業ではない。
いつでも見捨てられる立場にある。
本当には、命懸けでの諜報活動なんてしたくはなかった。
仕事に誇りなどないし、フィンセルは祖国でもない。
死ぬのが怖くて必死になっているだけだ。
生きていれば帰れるかもしれない、という小さな希望もあったし。
だから、サシャに正体がバレているのであれば、逃亡一択。
逃げるが勝ちだ。
なるべく動揺しないよう、心構えだけはしておく。
そんなキーラに、サシャが抑揚のない声で言った。
(私が押し倒しても、我が君は、お喜びにはなりません)
抑揚がないせいか、ものすごく真面目に聞こえる。
が、内容は、真面目とはかけ離れていた。
(キーラ様に、押し倒されることを、我が君は望んでおられます)
いやいや、おかしいよ、きみ。
主がおかしいと、側近もおかしくなるのか。
サシャは、真面目な口調で馬鹿げたことを言っている。
少なくとも、キーラは、そう感じた。
(殿下のお命に関わるお話をしているのですよ? ここには、ナイフやフォークといった刃物もございますし)
(いずれも、即死に至るものではございません。すぐ治癒を施せるように、準備はしておりますので、ご心配にはおよびません)
(即死じゃなくたって、ナイフが刺さったりしたら痛いじゃんっ!!)
頭の中でだけ離しているせいか、心での口調を出してしまう。
あまりにもサシャが平然と「即死」なんていう言葉を使ったので、頭に来ていたというのもある。
魔術で傷は癒えるのかもしれないし、死にはしないのかもしれない。
それでも、痛いものは痛いはずだ。
(……申し訳ありません。つい礼儀を失念してしまいました)
(お気になさらず。我が君を想ってのことと、理解しております)
王太子のことを思ってかどうか、キーラにはわからない。
ただ、キーラの、かつての常識が呼び覚まされていた。
人として、誰かが傷つくのを、平然とは受け止められなかったのだ。
諜報員にあるまじき言動だっただろうけれども。
(キーラ様、私は、我が君の意思により、動く者にございます。その御心にそぐわないことは、いたしかねるのですよ)
でも…と、言いたくなるのを堪える。
ここは、キーラの元いた世界とは、似て非なる世界。
フィンセルで、思い知っていたはずなのに、感覚が鈍くなっていた。
あんまり王太子が無防備に過ぎるので。
つい笑ってしまいそうになる。
なんとなく情にほだされそうになる。
思わず、手を差し伸べたくなる。
そして、自分の立場を忘れかけてしまう。
(わかりました。殿下のことは、私が注意して、見ておくようにいたします)
(お願いいたします)
ふっと、頭が軽くなった感覚がした。
魔術は、かけられる側に少なからず影響を与えるようだ。
初めての時は緊張と驚きにより気づかなかったが、今後、慣れればわかることももっと増えるに違いない。
(私は、フィンセルの諜報員。魔術のことを詳しく知るために来ただけ)
そう言い聞かせる。
王太子と親しくなっても無意味なのだと、自分を戒めるために。




