はっきり断ります 4
寝室のほうへと、しょんぼり歩いて行く王太子の背中を見て思う。
本当に、残念な男だ。
顔だけ見ていると、そんなふうに思えないところが、なお、残念だった。
王太子は、実際「顔だけ」はいい。
黙っていれば、キリッとして見える。
美男子やハンサムとかいうふうではなく、まさしく「男前」との言葉がぴったりくるような雰囲気があった。
目は切れ長で少し吊り気味、鼻筋も通っており、とてもすっきりした顔立ちだ。
黙ってさえいれば、精悍に見えるのだ。
黙ってさえいれば。
それが、口を開けば、ああも残念になるとは。
残念さが度を過ぎていて、呆れる。
ギャップ萌えなど、微塵も感じられない。
「キーラ」
寝室の扉の前で、くるっと王太子が振り向いた。
それから、そそくさと歩いて来る。
そそくさと言っても、まだまだ「もったり」して見えるが、王太子なりに「そそくさ」しているようだ。
(まだ諦めてないわけ? こっちは、ものすごーく疲れてるんだから勘弁してよ)
王太子の残念さ、それに、ヤミとの会話、部屋作りにと、本気で疲れている。
サシャが手伝ってくれていなければ、さらに疲れていただろう。
体は鍛えていても、精神的なストレスに晒されると、どうしたって疲れを感じるものなのだ。
だいたい、今夜は気を張っていなければならないので眠れるかもわからないし。
王太子は、キーラの前まで歩み寄り、その両手を、ぎゅっと握ってきた。
意外と、ごつごつしている。
剣を握ったことくらいはあるらしい。
「私は、魔術で動物に変化できるのだ」
これは新しい情報だ。
貴族間の娯楽のひとつとして、薬で体を動物に変化させられるのは知っていた。
街では売られていないそうだが、魔術師から貴族は高値で買い取るのだという。
聞いた際、キーラも、ちょっぴり興味が引かれた。
とはいえ、元の姿に戻るには時間経過を待つか、強い魔術に晒されるかの2択。
どちらも、諜報活動中の彼女には、都合が悪い。
そもそも遊んでいる暇はないし、侍女風情が高額な薬を買うこともできないし。
だから、興味はあったものの、手に入れようとまでは考えずにいた。
「女は、小さな生き物を好むと聞く。それに、動物であれば、物理的に添い寝しかできぬであろう?」
確かに、それはその通りだ。
動物になった状態でも魔術が発動するのかどうかを知るのは、調査の一環として有意義でもある。
「お前は、どのような動物を好むか? ウサギか栗鼠か? 小型の犬や猫か?」
ハリネズミ。
パッと、思い浮かぶ。
ハリネズミであれば、簡単には近づいて来られない、と思ったからだ。
が、すぐに却下し、口には出さずにおく。
(こいつ、絶対、服の中とか潜り込んできそうじゃん。そしたら、痛い目を見るのは、私ってことになる)
王太子の言うように、男女のあれこれは無理。
だとしても、王太子に下心がないとは考えられない。
いや、絶対にある。
ならば、服の中に潜り込むことくらい平気でやりかねないのだ。
素肌にハリを刺されては、かなわない。
次に、思い浮かんだのは、ハムスター。
幼稚園の頃、遊びに行った友達の家で飼っていたのを思い出していた。
白い小さな体で、背中には、少しだけ茶色い毛。
手のひらに乗せたのだが、やわらかくて温かった。
あれなら、可愛らしいし、怪我もしないだろう。
(あ……ダメだ。寝返り打った拍子に押し潰しそうだしさ。そうなると、完全に、王太子暗殺犯になる)
ウサギは、少しサイズが大きい気もする。
栗鼠だと、ちょこまか動き回られて、イライラしそうだ。
犬や猫は、王太子が変化中ということを忘れ、情がわいても困る。
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
キーラの返事を待っているらしき、王太子に訊いてみた。
「魔術での変化は、なんにでもなれるのですか? 架空の動物とか」
「それはできぬな。私が見たことのあるものに限られておる」
だとすると、キーラが知っていても、王太子が知らない動物は駄目、ということになる。
下手なことを言うと、キーラの素性が、バレる恐れもあった。
フィンセルとロズウェルドでは、気候がまったく違う。
当然に、生息している動物も異なっていた。
(フィンセルには、日本の雷鳥みたいなのとか、ペンギンっぽいのとかもいたけどロズウェルドにはいないんじゃないかな。冬って言っても、そこまで寒くないし)
フィンセルの「雷鳥」は、体調20センチくらいで、動きも遅い。
生態は、あまりよく知られていないため、人工繁殖はできないが、山へ行けば、非常に多く生息している。
なにしろ、たいして美味しくもないため、食糧難の時期にしか、狩りの対象にはならないので。
(小さ過ぎず、大き過ぎず、動きがノロくて、頑丈な動物、か)
存外、難しいものだ。
すぐには、決められそうにない。
思った時、ハッとなった。
「殿下。やはり、今夜は“お1人で”お休みください」
「なぜだ? 動物であれば、問題なかろう? 私は、お前の傍で眠れれば、それでよいのだ」
「どの動物にするかは、考えておきます」
「選ぶのに時間がかかると言うか?」
それもあったが、キーラは、王太子の言葉を、明確に否定する。
「いいえ、違います」
王太子が、首をかしげてキーラを見つめていた。
選ぶの時間がかかる、ということでないのなら、なんなのか。
それが、わからずにいるのだろう。
「私は、今日、殿下の淹れてくださった紅茶を飲みました」
「不味くはなかったであろう?」
「大変、美味しく、いただきました」
「ならば、良かった」
「殿下……私は、殿下が“魔術”で淹れてくださった紅茶を飲んだのですよ?」
1日に1回しか使えない魔術で。
王太子が、ハッとした表情を浮かべる。
ようやく気づいたらしい。
今日の魔術は「打ち止め」だ。
王太子が、今夜、動物に変化することはできない。
ハウス。
言いたくなる気持ちで、王太子の寝室を指さした。
がくうと肩を落とし、王太子が、今度こそ寝室の中に姿を消す。




