第三章 講義と知り合い
名称を変更しています。
覚醒獣→魔物
秋に差し掛かり、冷たい風が吹き始める時期。
時刻は朝を過ぎた。
日も昇りきり、誰もが活動し始める頃。
赤く染まり始めた並木道には多数の男女が制服と鞄を身を着け歩いていた。
歩く者それぞれの目的地は同じある場所。
周りと同様の格好の彼、榎戸結希もそうだ。
「くそっ、朝までのつもりが最終話まで一気に見ちまった。全話で丸一日近く掛かるとは……」
葛城真澄との出会いから二日目。
資料として視聴した特撮ドラマは幼い頃見ていたものより古かったが嵌ってしまった。
特撮ドラマの一話が約25分。全49話として約20時間。
食事等の休憩を入れても丸一日が視聴で消えた。
最終回の余韻を残し、ふと見た携帯電話の日時表示に正気に戻ると同時に血の気が引いた。
これはいけない、と後ろ髪を引かれる思いで視聴を中止したのがつい先程のこと。
「面白かったけれど、まだあるんだよな……」
長年放映されただけあってTV作品は多く、それだけでなく外伝や本、ネット限定まで揃えた数は膨大だった、伊達に長寿シリーズなだけはある。
「バラエティ番組だけに作られたオリジナルも居るんだから凄いよなぁ」
寮自室の片隅に積み重ねられた記録媒体はちょっとしたものになっている。
「次は映画も含めて長丁場になりそうだな――って寒っ」
強く吹く冷たい風に身を強張らせる。
「もうすぐ冬だもんな。――さっさと教練棟に行くか」
見渡せば小走りで向かうものが数人。
彼らに混ざるように彼も走り出した。
●
辿り着いたのは学園の校舎。
外見は先日の工学科と比べて3分の2程の大きさだ。
とはいえ、小さくは無い。
訓練場も設置されている分、学園島外の一般的な校舎に比べれば遥かに大きい。
「小学校と違って上履きを履くのが事務棟だけってのは違和感あるなー」
沢山の人の流れに乗り、入り口の自動ドアを潜った彼を迎えたのは広場。
見渡せば通路や階段がそれぞれの科目へと続いている。
休憩用に椅子や自動販売機が設置されたそこは学生達の憩いの場としても使われていた。
「今日は教室じゃなくて講義室でやるのか。結構人数が集まったんだな」
入り口から正面の壁に並んで設置された複数の大型モニター。
そこには講義会場と開始時間といった今日一日の講義スケジュールや今後一週間の予定が表示されていた。
「講義が始まるまでまだ時間があるな」
寒さに急いだ分時間が空いてしまった。
空き時間をどうするか悩んでいると、人混みの中に見知った顔を見つけた。
「あっ武史先輩」
人だかりの中で頭一つ飛び抜けた巨体。
川の中に佇む岩の様な男。
声が届いたのか相手もこちらに気付いたようだ。
人を掻き分け近づいてくる。
「おう、奇遇だな。復習を受けに来た口か」
気さくに声を掛けてきた男、名は宗刀武史。
短く刈り上げた黒髪に約190センチの見上げるような巨体。
目に見えて太くはないが、十分鍛えていることが解る肢体。
実戦を潜り抜け研ぎ澄まされた鋭い眼差し。
胸に付けた学生バッチは戦技科の3年生であることを示していた。
「おはようございます。俺はそうですけれど、先輩は何で此処に? 今日、3年用の講義は工学系だけだった筈ですけど」
視線をモニターに向けて確認するが戦闘系の講義は無い。
困ったように肩を竦める武史。
「なに、今日は訓練場で鍛えようと思ってたんだが、どこかの誰かが朝から訓練場で盛大に暴れたみたいでな。整地作業が済むまでの暇つぶしってわけだ。とりあえずこんなところで立ってると邪魔になるから椅子にでも座るか」
二人で椅子に座り、暇つぶしの種として近況について話す。
先達として実戦を経験する武史の体験談は大変興味深い。
そうして時間を潰していく雑談の中でも葛城真澄との出会いは武史によっても驚きのようだった。
「……葛城真澄ねぇ。お前またとんでもねーのと契約結ぼうとしてるのな」
「知ってるんですか?」
聞き返したらため息を吐かれた。
「葛城って言ったら超有名……ってお前の場合、病気や怪我は能力で治っちまうから関わりが薄いのか。あー、ともかく葛城真澄はな、現在の能力医療の基盤を作った葛城家の御令嬢だ。代々優秀な能力医療者が輩出する家系だそうで、医療系上層部は関係者で一杯だそうだ。実質医療機関の重鎮だな」
「そんなに凄いんですか……」
「おまけに、能力での治療は保険が効かない代わりにほぼ確実に完治するのもあって、色んな業界の大物達がこぞって通うしな。葛城真澄の“解析”も人間相手に使えばX線いらずで、頭の天辺から、つま先まで、全てを一瞬で精査できるだろうよ。それも精密機器より高い精度でな」
能力による治療。
発現する能力は攻撃的なものだけではない。
例にあった真澄のように医療に転用できれば、“癒し”や“治癒”といった直接的な能力もある。
能力という超常的な力は、重篤な症状であってもほぼ確実に治してしまうため保険が効かない。
多額の医療費が嵩んでしまうが、健康には代えられないという資産家達が定期的に通う程だ。
とはいえ、常識を超えた力なだけあって、医師免許の取得や制限は非能力者に比べ一段と難しく厳しい。
まだ一般人が利用するには敷居が高すぎる。
「そういうこともあって、コネは枝葉のように広がっているのが葛城家だ。敵に回せば碌な事にはならない相手っていうのが常識だ。中でも葛城真澄は、A級の“解析”による膨大な情報量をものともせず、それを完全に制御、応用する才覚を持った天才ってことで、葛城家歴代最高の傑物と言われている。入学当初から有名人だったな、少なくとも俺たちの年代では接触危険扱いだ」
「はあ」
どこか気の抜けた声が出た。
先日出会った、特撮の話題で無邪気に喜んでいた彼女。
目的のために暴走することはあったが、少なくとも彼女自身に接触危険と言える様な危険性は感じられない。
「話を聞く限り悪い奴じゃない様だが、持っている技術力とコネが普通じゃないからな。囲い込めた時の利益が半端じゃない。まぁ接触危険って言っても大手チーム同士の牽制で個人や弱小チームだと被害が出かねないって事だったしな。結局本人の目的もあって今の今までフリーってオチだが――っとそろそろ時間か……お前講義は午前中だけだろ? 昼飯食ったら町の道場に来い、型見てやるからよ」
「あ、はい! 宜しくお願いします」
「ああ、その時に詳しく話そうや。こっちもそろそろ整地も終る頃だろうし行くわ。じゃあな」
武史は別れを告げて去っていく。
「時間も丁度良いし俺も行くか」
後姿を見送って時計を見れば講義まであと少しだ。
自身も目的地へと向かう。
目指すは講義室だ。
●
「そろそろ時間になるから席に着けー」
覇気の無い男の声がスピーカーから増幅されて響く。
そこは学園に複数有る講義室の一つ。
教壇を中心に複数人掛けの学習机が円弧状に広がっていた。
大まかに5つの列に分かれた座席郡は1列50人は着座可能だ。
傾斜があり、教壇を見下ろす配置はコンサート会場を彷彿させる。
遠い席でも講義が理解できるよう、天井から吊るされた複数のモニターには教壇の様子が映されていた。
座れた席は残念ながら後ろから数えた方が早い位置だったが周囲の様子がよく分かる。
学園でもそこそこの規模の講義室は、学生によってほぼ全ての席が埋められていた。
見渡す限りで少なくとも二百人は超えているだろう。
そのほぼ全ての視線が向けられているというのに教壇に立つ男に動揺は無い。
それどころか着崩したスーツを直すことなく、気怠そうに講義に使うであろう資料を教壇に並べている。
「時間も過ぎたし始めるぞー」
集音機らしき物は身に付けていないにも関わらず、その声は集音されてスピーカーから響く。
能力による技術の進歩の一つであろう。
見えない技術に歓心している間に話は進む。
「あー、これより『一年生定期試験ふりかえり対策、能力者の歴史について』を始めるぞ。とはいえ一年だから基礎も基礎の超常識的な部分だ、今日一回で覚えていけよー。稼げるといっても受講料は馬鹿にならんからな」
男は周囲を見渡し、全学生が話を聞いているか確認する。
「今回、この講義を担当する非常勤の芭橋読吾だ。知っているとは思うが能力はB級の“視認”だ、邪視や魔眼の一種だな。色々と視る事だけに長けた能力な訳だが、能力自体に他人に干渉する力は無い。せいぜいこの講義室に居る全員を同時に観察する程度の能力でしかないぞ」
芭橋読吾の言葉に教室がざわつく。
その気持ちは結希にも分かる。
非能力者の一般人ですら知っている有名人。
ニュースやネットで見る寡黙で冷静沈着な男と、目の前のだらけっきった覇気の無い男が繋がらない。
「あー、毎年似たような反応しやがって……。一応言っておくが、こっちの姿が俺の本性だぞ。ニュースやネットでのアレは能力者のイメージアップ戦略の一つだからな。お前らも将来外で活躍するようになれば大なり小なり言われる事だ、覚えておけ」
納得した。
今、人類は誰でも能力者となる可能性はあるが、必ず成れるわけではない。
未だに能力に目覚めない無力な人の数は多い。
そして自身の能力を悪用した犯罪も多い。
能力という個人には大きすぎる力は、圧倒的多数の無力な非能力者にとって恐怖でしかない。
今でも政府関係者の多数が非能力者だ。
その力が我が身に降り掛からないよう、能力者への弾圧する動きが起きないとも限らない。
過去そういった動きが無かったわけではないのだ。
大きな力を持ちながら危うい立場である能力者を守るためには地道な活動が必要なのだろう。
「とりあえず、獣や犯罪者ぶっ飛ばして品行方正に過ごしていれば特に何も言われないだろうがな」
そう締め括ると資料の一つを手に取る。
「講義に入るぞ。まず始めに俺たち『能力者』について振り返りだ。しっかり聞いとけよ」
講義が始まる。
●
講義は順調に進む。
やる気の無さから淡々と進めるのかと思えば、資料や白板を利用して分かりやすく解説している。
「――というわけで超常現象を引き起こす『能力因子』の発見からまだ一世紀にも達していない今、解明された能力の発現条件とは、そうだな……D列の44番のお前答えてみろ。座ったままで良いぞ」
芭橋はとある学生を指名した。
その指先に他の学生たちが目を向けた。
二百を超える双眼が貫く。
……そう自分を。
感じる圧迫感は気のせいか。
よく分からない汗を背中に感じながら答える。
「は、はい。条件は2種類で、強い感情による事か一定の因子量を超えた能力者からの能力付与……です」
緊張で詰まりながらも返した答えは、見えない集音器によって講義室に響く。
……ピンポイントで音を集めるとかどうやってるんだ?
「そうだな。大まかに分けてその2種類だ」
進んだ技術に驚いている間に芭橋は話を続ける。
「まず、前者について説明する。これは本人が保有する因子の濃度に寄って発現率が変わる。極論を言えば因子が濃いほど本人の趣味、嗜好が引き金となって発現するが、薄ければ心的外傷や狂信するレベルの思い入れがなければ発現しない。ここまでの例はそうは無いがな。
そして、これによって発現する能力は本人の資質や個性を表したものとなるわけだ」
説明をしながら新たな資料をモニターに映す。
それは一枚の写真。
目にした瞬間言葉を失った。
緑に覆われた山々の風景写真。
山稜に長く続く石の道が有ることから中国の万里の長城の風景だろう。
それだけならまだ良い、記念撮影の類で済む。
ソレは山ではなく空に居た。
黄金に伸びた巨体を捻じり、気ままに空を漂うそれは。
「次は能力付与による発現について説明する。まず一定以上の因子保有者、つまり能力の等級で言えば特級、つまり計測不能クラスの連中のことだな。連中が偶にやる行動だ。他の講義で見たことも有る奴もいるだろうがこの写真に写っている龍、中国では四獣に因んで黄龍と呼んでいるそうだ」
まさしく龍。
角先から尾の先までの長さはキロに届くだろう。
人すら数人纏めて飲み込めそうな顎には漆黒の牙が並んでいた。
「念のため言っておくが合成じゃないぞ、蛇の魔物が進化した姿だ。知能も筆談できるほど上がっているようでな、気に入った相手に因子の分与行動――通称で言うなら祝福を行う。これが能力付与による発現だ。以後祝福と言わせて貰う。
祝福によって覚醒する能力は付与元と同じものとなるが、能力の等級は付与より下がる。研究の結果、非能力者であれば確実に発現することが可能だそうだ」
解説に思わず自分の手を握り締めてしまう。
自身が持つ身体のどんな傷病も瞬く間に治癒する能力。
祝福とは名ばかりの呪い。
……良くも悪くも本当に厄介な能力だな。あの化け物由来なだけはあるわ。
能力に起因する今までの苦労に涙が出そうだ。
「とまあ、ここまで聞けば良い事尽くめに聞こえるが双方に欠点もある。まず分与側は文字通り体内の覚醒した因子を分けて与えるわけだが、能力者として発現させるにも桁外れの因子量が必要でな。結果として能力や身体能力の大幅な弱体化を引き起こす。最悪、能力は使えず衰弱する場合もあるそうだ」
……そう、だから足を切断した時、化け物の“再生”は発動していなかった。
未だに夢に見るほど鮮明な記憶。
矢から避けるために切断した傷。
自身が持つ能力の効力から考えれば即座に再生しなければおかしい。
分与行動によって使えないと考えれば納得できる、が。
……とはいえ、能力が使えなくなっただけで弱体化はしていなかったな。それどころか別の能力を使ったみたいだし。流石に魔人と呼ばれるだけはあるか。
必ず復讐する心算ではあるが、彼我の差は想像以上に大きい。
「そして、因子を受け取る側――発現側だが複数有る。まず、確実に発現しても能力の等級が確定していないことだ。これは個性や遺伝による相性に因って変化する。悪ければ発現するだけ、つまり等級は最低のFどころか、それ未満にもなりかねないというところだな」
F級とは能力者として認められる最低の位。
人と超人の境目。
能力を発現した。という点で見れば、その人数は莫大ではある。
しかし、明かりにもならない僅かな火花、霧吹き程度の水分、産毛を撫でる程度の微風。
副次効果の身体強化は免疫力が数%強化される程度の微々たる物。
それでは魔物と戦う上で戦力にならない、甚振られて殺されてしまうのがオチだろう。
原因は能力の燃料とも揶揄される因子濃度。
濃度が薄ければ薄いほど能力の効力は弱く弱小であり、その逆もまた然りだ。
一定以上の因子濃度が能力者として認められる最低限の条件の一つ。
能力の発現と共に体内の因子濃度が変化する。
今だに解明されていない謎のひとつだ。
「他には、自身の個性や想いによって覚醒する能力の発現がほぼ不可能となる。火を扱う能力を貰えば水を扱う能力が発現できなくなるといった形でな。互いに干渉しない系統か、補助系統の能力であるなら理論上発現は可能だそうだ。特殊な条件から複数の能力持ちは少ないがな」
白板に要点を纏めていく。
視線だけで見渡せばノートに書き取っている学生は少ない。
授業も内容もまだ序盤も序盤。
欠伸をしている者も居るぐらいだ。
「そして最後。これは発現側にとっては欠点だが、付与側にしてみれば危険を犯した分、相応の利点になる話だ」
言葉と共に目が合う。
一瞬ではあったが、どこか自分を窺うような視線。
これから話す内容から察するに、
……あの実験の事を知っているみたいだな。別に気にしていないんだけど。
とりあえず平然を保つ。
「――あー、簡単に言えば付与した能力の剥奪。条件は対象に直接接触している事。そうすると付与した覚醒因子が発現側の因子を巻き込んで体内に戻る。結果として発現側は能力と体内の因子をほぼ全て失って純粋な人間になってしまい、対する付与側は回収した発現側の因子分だけ自身の因子濃度を濃くできるという訳だな。そして抜き取られた側も例外なく因子を失う影響で高確率で衰弱死だ。能力者という超人ではなくなる訳だから、あっという間らしいぞ」
現在判明している内で数少ない能力の強化。
つまり因子濃度を濃くする方法の一つ。
特級という生物の枠を飛び出した化け物ですら弱体化というリスクを背負う方法。
まともな人間、というより少し頭が回れば選択肢にもならない方法。
少し頭が回れば、だが。
「因子の操作は特級か、因子に干渉できる能力にしか行えない。
……が、これだけは説明しておく。特殊な設備を用いれば能力を因子の譲渡、そして回収は可能だ。能力の発現が目的でなければ少量の因子が有れば良いわけだからな。」
その言葉に講義室がざわめく。
能力は自身で模索し使い続け、本質を理解する事によって強化する。
そんな基本中の基本であり、面倒な手順を飛ばして簡単に強くなれる。
だが、そんな美味しい話は無いことを自分は実体験で知っている。
「落ち着け」
講義室に乾いた音が響く。
音の源は芭橋の拍手。
「断言する、そんな美味しいは無い」
静まり返る講義室に芭橋の声だけが響く。
「まず、第一に極少量の因子であっても人為的に抜き取ると体内のバランスを崩す。特級以下だと弱体化なんて甘いもんじゃない、衰弱死待ったなしだ。
そして第二に外部の因子を取り込む際に拒絶反応を起こす。いわゆるアレルギー反応だな。特級が平気なのは阿呆みたいな自身の因子量で薄めて軽減している訳だ。少なくとも全身をミキサーに掛ける様な苦痛を味わうらしい。
最後に、現在国で設定されている能力等級。最低のFから一段上げるだけでも膨大な因子量が必要だ。等級が上がれば必要な因子量も倍々で増えていくそうだ。さて、君たちの等級から一つ上げるために何人の犠牲が必要だろうか?」
どこか鬼気迫る芭橋の言葉に学生達は気圧される。
「理論上では特級へ至る事も可能ではあるが、自他共に少なくない犠牲を払う必要がある。だからついでに言わせてもらうが、相応の対価も無しに強さを求める者は碌でもない結末を迎えることになる。これは俺の能力者として色んな人間を見た経験からの言葉だ」
言葉に籠められた思いは何なのか。
沈黙に包まれた講義室で学生達が意味を理解する前に時間が切れた。
講義室のスピーカーから講義の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「今回はここまでだ。休憩の後、後半を始めるからな」
芭橋はそう告げると資料を纏め、講義室から出て行く。
扉が閉まる音に我に返った学生達が休憩の為に移動を始める。
それに合わせて自分も動く、休憩の為に。
●
人の流れに乗って着いたのはとある大広間。
主要通路に沿うように並べられた椅子と机。
内外を遮る壁は強化ガラスの面積が大きく、太平洋が眺められるオーシャンビューだ。
島内でも高い山の頂に位置しているため、真下の砂浜から遠くの水平線まで見渡せる。
上を見上げれば陽光を取り込む強化ガラスの天井に、広く景色を見られる椅子と机が並べられた二階。
海と反対を向けば和洋中と種類分けされた飲食店のブースが壁沿いに並んでいる。
さながらフードーコートの体を成す“食堂”。
校舎の中でありながら学生寮に近く専用の通路まであるそこは、昼夜問わず多くの学生達が食事に利用する場であった。
他の授業や訓練の休憩と重なったのか、まだ朝に近い時間にしては人が多い。
見渡せば遅い朝食を取る者も居れば、友人達で集まり談笑している者も居る。
数は少ないがその内に妙齢の婦人や壮年の男性の姿も見られる。
本来なら働き盛りな人たちだろうが、落ち着いたデザインの学生服と学生バッチが彼ら自身の所属を明らかにしていた。
……能力が発現したら学園への入学が決まるんだよな……何歳でも。
この学園の存在意義は“能力者の育成”に集約される。
一人に一つだけ発現する、百人百様、完全に同じモノは無い、とまで言われている固有の能力。
例えば“電気”や“火”は少しの不注意で災害を引き起こしかねない能力だ。
無意識に放たれた火種が何に引火するか分からない。
下手をすれば大火災に発展しかねない。
また、目に見えぬ感情や記憶に干渉する精神系統、凍る炎や意思を持つ雷撃といった物理法則を無視した特殊なもの。
目に見え難く、また常識を超えた法則で引き起こされる事故は防ぎづらく、止め難い。
そういった事故を未然に防ぐため、能力者となった者は、どんな立場であろうと学園に入れられる。
国の法律で義務と定められている上に、他国もそう変わりない状況なのが能力者の扱いだ。
座学で学ぶ知識は能力を使いこなすための補助としての側面が強い。
能力の特性や知識、制御の訓練不足で暴走し、大惨事を引き起こしたとなれば目も当てられないからだ。
しかし、定期や進級、卒業の試験でも筆記の問題も出題され、能力関係以外にも知識を貯えないと落とされる。
一般常識も知らぬ、腕っ節だけの超人を外へ放り出すわけには行かないのだから。
そういう事もあり、先日の御柳小夜も先輩に当たる葛城真澄と実年齢は同じ位であるが、自分が順調に進学すれば後輩となる。
若く夢に溢れた若者ならともかく、歳と共に経験を積んで落ち着いた大人が超常の異能を手にして学生に逆戻りするのはどんな心境なのだろうか。
少なくとも入学から半年経った今でも学生服に違和感を感じているようだ。
……能力者に成ると有る程度の若返りと長寿になるんだっけか。
半年で入学式直後に見かけた時と比べれば十分若返っている。
頭部の焼け野原がジャングルへ成長しているのが証明だろうか。
因子による肉体活性が原因らしいが、その効果は暫くすれば更に顕著になるだろう。
「――っと入り口に居ても邪魔だしジュースでも買うか」
休憩時間は長めに取られているが無為に過ごす事もない。
食堂内に点在する自動販売機に向かう。
入り口に一番近い物を選び近づくと先客が居た。
……げっ。
動きやすい運動着を着込んだ後ろ姿は訓練の途中であろうか。
肩まで伸びた茶髪の女学生だ。
彼女の事は知っている。出会いたくない相手だからだ。
……まだこっちには気付いていないはず。こっそり離れれば……。
見れば今まさに購入した飲み物を取り出そうとしている最中。
視線はこちらに向いていない。
……よし、今!
踵を返して出口を目指し、
「あら、奇遇ね。丁度話があったところよ」
目の前には不敵に笑う彼女が立っていた。
「……こっちには話す事なんて何も無いけどな」
後ろを振り返り確認すれば、光の粒子となって消える彼女の姿。
能力による人形だった様だ。
「態々手の込んだ事までして何の用だ? 聞かれたことは全部話した筈だけど?」
「そう、私と貴方に関する事以外は……ね」
顔から笑みが消える。
探るように鋭く睨みつける彼女に、暑くもないのに汗が出る。
「幼馴染に対して冷たいじゃないの」
「――っ」
思わず息を呑む。
彼女から出たその言葉は予想外のものだった。
「ど、どこからそれを――」
「とりあえず席に座りましょう。立っていては落ち着いて話もできないわ」
言葉を遮り、席へ移動する彼女に着いていかないという選択肢は無かった。
●
着いた先は隅の窓際席。
近くの周囲には人が居らず話を聞かれる心配も無い。
席には2人分の飲み物と軽食が用意されており、尚且つ自分の好物だということに気分が重くなる。
「何が奇遇だ。俺が来る事知ってたんじゃねーか」
「訓練場で宗刀先輩に会ったのよ。息抜きに来ると思ってここで張っていたけれど正解だったわね」
何事も無かったかのように話す彼女。
「ああ、訓練場に行くって言っていたっけ……」
この状況から目を逸らしたくて外を眺める。
肌寒い時期にも係わらず、海で遊んでいる者達が見える。
水や氷といった寒さに耐性のある能力者達が思い思いに遊んでいた。
今はアニメキャラの巨大な氷像を作ろうとしている様だ。
見ていると寒くなってきたので視線を戻す。
「落ち着いた?」
逃げたい現実が待っていた。
ため息を一つ。
話を進めるために口を開く。
「おかげ様でな。――で、どこから知った?」
「この前の夏にね。親戚が見つかったから夏休みに合わせて会いに行ったのよ」
「親戚で俺の事を? ……ああ、あそこか」
心当たりは有った。
一度だけ、家族ぐるみで一緒に旅行した場所だ。
「何枚か残っていた写真や当時の話を聞かせて貰ったわ」
「…………」
答えることはできない。
「知っての通り、私は魔人災害から救助される前の……向日陽菜としての記憶が無い」
どこか自分に言い聞かせるように呟く彼女。
「家族も友達も思い出も、何もかもあの日に無くしたわ。でも、貴方だけが居た。あの燃える街から一緒に助け出された貴方が」
何かを思い出すように目を閉じる。
「貴方を忘れた私に、貴方は色々教えてくれた。両親のことや友達のこと、私の好きなことまで。でも、貴方については何一つ教えてくれなかった。――結局私が聞く前に、貴方は引き取られてしまったわ……あの研究所に」
「あー、まあそうだな」
思い返せば、その時から一年程前まであの狂気の施設に居たわけだ。
良い思い出は全く無い。
が、施設での実験のおかげで現在天涯孤独の身でありながら、金銭に不自由ない余裕がある生活を送れる。
貧困に喘ぐ苦学生が居る中、金額に気を使わず食事や娯楽に使い込める自分はかなり恵まれているだろう、素直に礼を言うことはできないが。
「という訳で、こっちでも色々調べたわ。と言っても貴方の手がかりなんて殆んど無かったけれどね。判るのは名前だけ、家がお隣さんだったっていうのも親戚から聞いたのが初耳よ」
そこまで言い切ると用意していたジュースで一息つく。
それでも視線は結希から外さない。
一挙手一投足を見逃さない意思を感じる。
それでも、結希は沈黙を守ったままだ。
「……その様子じゃ今は理由は教えてくれなさそうね。なら、話を変えるわ」
そんな頑なな態度に陽菜は一つの疑問をぶつける。
「貴方、あの化け物を倒すつもりなのでしょう?」
答えは沈黙。
それで十分だった。
「はっきり言わせて貰うわ。……それは不可能よ」
親切心でもあり、厳然とした現実からの言葉。
「貴方の能力は世界有数であるけれど、戦いにおいては全く役には立たないわ」
どんな状態からでも即座に再生するというのは凄いが、ただそれだけでは足りない。
超人の戦いにおいては、サンドバックの囮が精々だろう。
「それ以前に公式では秘密にされているけれど貴方の能力はあの化け物から付与されたもの。戦えるかどうかの話じゃない、触られただけでお終い。そのまま能力を回収されて衰弱死よ」
「まぁ……そうだろうな」
現状では昔と同じように甚振り殺されてしまうだろう。
そんな事は百も承知だ。
「だけどあの化け物はやってくるだろうよ。俺の中の因子目当てでな。かつてはF級程度だったのが今じゃ特級だ。触っただけで膨大な因子が手に入るんだ、美味しい獲物だろ?」
因子の回収には拒絶反応が起きるだろうが、あの規格外の化け物は何かしらの手段で軽減してしまいそうだ。
言葉に強い意志を感じたのか、陽菜は暫し口を閉じた後予想外の答えを出した。
「なら、貴方は私が守るわ」
「――はっ?」
予想外の言葉に耳を疑う。
「だから私が守るわ。だってそれが貴方との約そ――」
「断る」
それ以上は聞けない、聞きたくない言葉だった。
彼女が何かを言う前に言葉を叩きつける。
「化け物は俺の獲物だ。そして戦うための手段はもう見つけた。それに危険なのはそっちも同じだろ? なにせ能力の収奪のために記憶を奪われた訳だ。化け物が残りの因子を狙って来る可能性は高いって聞いている筈だ」
過去に一つの町を沈めた化け物。
目撃例こそは少ないにも関わらず、好戦的なのか戦闘の情報は多く記録されている。
その中で特筆すべき点、それは複数の能力を使える事。
そして確認されているものの幾つかが、国に登録された能力と酷く類似していた。
国はその能力者を調べたが、大半が行方不明であり、残りは無残な姿で発見された。
中には能力の特性により逃げ出した者も居たが、記憶の大部分を喪失しており、体内因子の欠如による衰弱死が確認された。
以上の事から化け物は“記憶”と“因子”を取り込むことで能力を複製することが可能であると仮説が立てられている。
「それは……」
「あと、幼馴染って言っても片手にも満たない付き合いだったし、お互いその倍以上生きてきたんだ。今更俺に関わる必要もないでしょ。あと親戚から聞いた様だけど――」
――ヒナちゃんはボクがまもるよ――
「――昔のくだらない約束を律儀に守る必要も無いと思うよ」
そう告げ、テーブルに置かれた軽食を口に入れる。
その間、彼女は何も言わない。
俯き、表情は見えない。
「……ご馳走様。丁度小腹が空いていたから助かった。そろそろ次の講義が始まるから行かせてもらう」
量が少ないためあっという間に食べ終えた。
彼女の反応は無いが、こちらの思いは伝えた。
食べ終えたゴミを乗せたトレイを乗せて席を立つ。
「約束を守れなかった俺なんか忘れて自由に生きてくれれば良いさ」
思わず呟いてしまった言葉。
視線で彼女を窺うが相も変わらず俯いたまま。
気恥ずかしくなり早足でゴミを片付けに彼女から離れる。
……気分転換に来たのに、何だかな。
講義の息抜きが幼馴染の尋問になるとは誰が想像できるか。
淀んだ気持ちを抱えたまま講義室へ向かう。
結局、その後の講義は身が入らず、教科書で復習する破目になった。
●
「くだらない、か」
食堂の隅でたった一人で座る少女。
俯き、呟く声は誰にも聞こえない。
「良いわ……そっちがその気なら、私もやらせてもらうわ……自由にね」
いつの間にか握った手に力が入る。
「約束を守れなかったのは私も同じなんだから……」