第一章 求める者
それは海の上にあった。
人工の島。
日本本土に寄り添うようにある小島。
島は一つだけではない。
空から見れば東西南北、複数点在しているのが見えるだろう。
それどころか他国にも同様のものが存在していることが分かるだろう。
その中の一つ。
日本の東京湾は中心に存在する巨大な島。
周囲の県から血管の様に繋がる道路には無数の車が走っていた。
流れる川のように走る車両の一つ。
とある医療機関のステッカーが貼られた大型セミトレーラー。
バン型の特徴である長大な箱の中には、積荷と人が乗っていた。
「あーもう、やっぱり最高だ! 再生機を持ち込んだのは間違いではなかった!」
「お嬢様、エピローグで興奮するのは解りますが画面との距離が近いです。ぶっちゃけ私が見えないので離れてください」
大小様々な荷物が積み上げられ、崩れないようしっかりと固定されていた。
そんな荷台の一角。
荷物ではないものが置かれたスペース。
小型のソファーやテーブル、テレビに冷蔵庫までもが。
荷物という壁に囲まれた個室では二人の少女が寛いでいた。
一人はブレザーの上に白衣を羽織る少女。
もう一人はメイド服を着た少女だ。
明かりの無いカーゴの中で、テレビと天井から吊るされたランプがぼんやりと照らしていた。
「いやー、長時間の移動を実に有意義に過ごせたものだ。よし、見終わったし次は何を視聴しようか」
再生機からディスクを取り出し片付ける。
ケースに仕舞いながらも、その瞳は次のディスクを物色していた。
「そこまでですお嬢様。現在学園島に入っています、目的地まであと15分程となります。視聴途中で切り上げられたらお嬢様はともかく、私が続きが気になって仕方ありませんのでご勘弁を」
「……お前ホント主人に対して気安いな」
「媚び諂う方がお好みですか? ……へっへっへ、お嬢様本日も大変お美しゅうございます。それはもう天使、いや大天使のような美貌でございます。この哀れな子羊にどうか救いの手を差し伸べては戴けませんでしょうか、具体的には給金を増やしてもらう形でお願いしたいですね。あ、この長旅でお疲れになったことでしょう。ささっ、こちらのソファへ、その美しい御御足をマッサージ致しましょう。なあに心配する事はありません。天井の染みを数えている間に――」
「キャラがブレッブレなんだが。途中から方向性見失っただろ。揉み手と下種い笑いを止めろ。あと、給金はボーナスを増やす方で、マッサージは寮に戻ってから頼む」
「畏まりました。……それにしましても、トレーラーよりも送迎車にお乗り頂ければもっと快適に視聴できましたのに、私が」
「よーし、最後のは聞き流してやろう。――苦節八年と半年。その結晶がやっと手に入ったんだ、子供が新しい玩具を手放さないようなものだな。私は私のラボに運び込まれるまでコレから離れる気は無いぞ」
「まあ良いです。私はお嬢様の傍に仕える従者ですから。……それで見つけたのですか? お嬢様の計画の要となる人物を」
メイド服の少女の一言。
それは白衣の少女にとって大事な事。
「見つけた、が接触はまだだ。近々打診しようとは思っている。けどまぁ、十中八九受けるだろうさ」
「説明だけなら誰でも受けるでしょう、魅力的ですから。実際は実験に耐え切れずに逃げ出すでしょうが」
「全身複雑骨折レベルの重症が当たり前な実験なんて、頭おかしいと切り捨てられるのが当たり前だろうね。――けれど彼は耐え切るだろう。何せありとあらゆる拷問と死に方を経験して、尚正気を保っている精神的な化け物だ。そして成し遂げたい目的があるからね」
「なるほど、だからこそお嬢様に目を付けられたのですね」
「そうだ。彼が協力してくれるなら研究は進む。本当なら何十年と掛けるつもりだったが大幅に短縮できそうだったからな。それになにより――」
白衣の少女は笑みを浮かべた。
その笑みはとても綺麗で。
「――英雄に相応しい」
恐ろしかった。
●
「……今の貴方の希望に沿った進路はこれで全部よ」
事務所の壁と一体化した窓口から数枚のA4サイズの紙が差し出される。
申し訳なさそうに差し出したのはスーツ姿の女性。
胸に着けられた名札には『職業斡旋課』の文字。
「大手だけじゃなくて中小企業や個人も含めてこの結果……、斡旋課の肩書きが泣いちゃうわ」
「いえ、むしろこれだけ探すのに協力して貰ってありがとうございます」
紙を受け取り礼を言うのは、学生服の少年だ。
「それが仕事だしね」
ふぅ、とため息をつきながら、たった今置いた紙に目を向ける。
その数は両手の指より少ない。
肝心の内容もほとんどが簡素であり、募集要項はチラシのように一枚に纏めてあった。
よく見れば片面しか印刷されていないものすらある。
「……やっぱり、能力がどんなに凄くても戦技がFランクとなると、前線での仕事はそれ位しか見当たらなかったわ」
ランクは信用の目安だからねぇ、と考え込むように腕を組む女性。
暫しの沈黙の後に彼女は言葉を紡ぐ。
「後方支援系なら、まだ幾分か良い場所を紹介できるのだけれど……」
その言葉は止まる。
紙を流し見る少年の瞳に鬼気迫るものを感じたからだ。
時間を掛け、全てに目を通した少年の表情は暗い。
「肉盾に試作武装の実戦運用。それに戦闘補助員ですか」
「ええ、言い方は悪いけれどそういうことね。主力が到着するまでの体を張った時間稼ぎに、基礎試験を通しただけの試作武装の実戦運用。戦闘補助員は主力が活躍できるよう下準備を行う雑用係で、手柄の殆んどは主力に持っていかれる裏方。
どれも給金は相応で必要な仕事だけれども、少なくとも後二年ある貴方、……いえ、貴方たち学生に斡旋するには抵抗のあるものよ」
その言葉に少年は沈黙する。
「貴方の能力を鑑みるのなら、この試作武装の実戦運用が適任だと思うわ。でも、貴方の目的には合わないでしょうね」
「――っ」
動揺する少年を置いて女性は話を続ける。
「驚いた? でも、貴方は良くも悪くも学園の内外で、色んな意味で有名なのを自覚してる? 学園としても学生の動向チェックは大事だし、その情報は仕事を紹介する立場上、こちらにも流れて来るのよ」
先程の紙を確認していた様子で半ば確信した、ということもあるが。
「――とまぁ、それは置いといて、試作武装は試験後に回収するのが決まりなの。個人で所有するには正式な試験者になれば可能でしょうけど、Fランクの時点でコネがあっても厳しいわ」
つまり、
「現状で目的を遂げるのに武装が欲しいのなら、まず工学科へ。……と、言いたいところだけどランクが問題なのよねぇ」
ため息をついて、眉間を指で揉む。
「装備のサポートを受けようにも貧弱のFの時点で、契約をする生徒は少ないでしょうね。契約するにしても、とんでもなくピーキーな代物をデータ採取の目的で渡されるでしょうし。むしろ能力的にそっちの方が良いのかも? でも危険な事には変わりないし……」
うんうん呻りだす女性。
それを少年は見かねたのか、
「ここまで考えて貰っていただいてありがとうございます」
「さっきも言ったけれど、これが仕事だからね。それに、今はもう二学期半ばでしょう。そろそろ一部の一年生が自作の武装を仕上げる時期ね。処女作にしても規格試験は必ず通すから安全は有る程度保障されているわ」
「……ある程度ですか」
「何せ扱うのが十人十色の能力者よ。能力との相性の良し悪しで予想を超える事なんて珍しい事ではないわ。駄目だったら今年は自分を磨いて来年の新入生に期待するのも手ね」
「それが良さそうですね、もう一度工学科を回ってみようと思います」
「そうすると良いわ、でも時間はまだあるからそんなに焦らないようにね。悩んだら周りの友人や先輩、教師、最悪私でも良いから相談しなさい。自分一人じゃ見えない道もあるんだからね」
「すいません、ありがとうございました」
用を済ませた少年は礼を言って立ち去った。
姿が見えなくなるまで、見送った彼女は一枚の紙を手に取った。
そこに書かれていたのは簡略化されてはいたが、今しがたまで居た少年のプロフィールだった。
「戦技ランクは最低値のF。能力は特級の再生者で戦技科の落ちこぼれ。学術科ならもっと活躍できるんだけどねぇ。……魔人災害の生き残り、か」
幾つかの項目の中、特記事項と書かれた部分には、
「復讐……ね。今のご時勢そう珍しい事じゃないけれど、やっぱりあのくらいの子が青春を血に染めるのは見ていて辛いわね」
それに、
「救助されてからも碌でもない大人に振り回され、人生を滅茶苦茶にされて、残ったのは復讐なんて悲し過ぎるわ」
それでも、
「彼の様な子が後を絶えないんだから世界は残酷ね」
少なくとも自分が出来る事の範囲には限界がある。
そんな自分ができる事は、
「次に来た時に良い仕事を紹介できるように探しておきましょうか」
そう決心している彼女の受付に新たな学生がやってきた。
学生の提出する希望書から、適正の仕事を斡旋するため彼女は思考を切り替える。
職業斡旋課に来る生徒は一人だけではない。
目の前の学生のために彼女は仕事を探すのだった。
●
靴を履き替え屋外に出る。
白い雲が浮かぶ青い空からは暖かな光が照らしていた。
程よい気温で動くには気持ちの良い日であった。
散歩でもすれば気分良く一日を送れそうだ。
「はぁ――」
幾ら歩を進めても、ため息が漏れる程度には気分は落ち込んでしまっているが。
「せっかくの休日だってのに……。久々にあの時の夢を見たせいか焦っちまったな」
思い返すのは先程の職業斡旋課でのやりとり。
「学園に入ったっていうのにこんな調子で大丈夫なのか俺は……」
大事な物を奪った化け物を倒すために学園に入ったのだ。
なのに結果得たのは“落ちこぼれ”という称号。
称号の為に求める力は手に届かず、力が無いから称号を返上できない。
焦燥だけが大きくなっていく。
原因は分かっている。
自らの能力だ。
再生という効果だけを見るなら世界有数の能力だ。
というか、同系統の能力者では比肩するものは居ないだろう。
だが、それ故に副次効果や、能力に纏わる被害が大きい。
「幾ら鍛えても一定値まで直るのはキツイよなー」
副次効果に悪意を感じるのは、化け物由来の能力だからだろう。
「戦闘系や肉体関係の能力者は超人的な身体能力を得るってのに」
確かに自分にも一般男性どころか、その道で名を馳せるトップアスリートを上回る身体能力はある。
それでもまだ人間の身体能力の限界の範疇ではあろう。
「でも鉄骨振り回すとかマジ無理だわ」
可憐な少女が平気な顔で鉄骨を振り回したり、圧し折るのが能力者の現実だ。
非力な非戦闘の補助能力であっても、本気になれば簡単に上回れてしまう。
極め付けが8.8cm対戦車砲を受けても無傷、悪くて軽傷というのが上位の能力者たちの常識なのがまた非常識だ。
幾ら人間の限界の身体能力を持とうが、人間を軽く超えた集団の中では子供に等しい。
「支援系能力者の中だと平均を下回る程度とはいえ、身体能力が戦技科のギリギリ最低ライン超えているのが救いだよな」
そのラインを下回れば、化け物への道は更に険しいものとなっていただろう。
ただでさえ戦闘技能関係は超人を基準としているのだ。
試験などは、担当教師やそれに準ずる超人クラスの相手との戦闘が主だ。
「敵は戦闘系でも手こずるのが多いって聞くしな……。俺は同じ土俵にすら上がってないんだよな」
まともに殴りあうどころか、逃げる事も出来ないだろう。
「このままだと、期末の実技試験でも爆薬と銃火器持って自爆特攻を繰り返すしかないか……。能力者用の武装が有れば少しは違うんだがなー」
悩みは尽きない。
「金で買えるなら話は早いんだけど……法律で国営の販売所か機甲技師と契約でしか入手経路がないしな。販売所はランクが足りないし、やっぱり工学科か」
ランクは信用の目安。
能力者にとっての常識だ。
車に自動車免許が、医者に医師免許が必要なように。
自身の能力についての正しい知識と、それをどれほど制御する事ができるかの目安を表す。
幼児が運転や手術をすれば目を覆う大惨事が目に見えていることと同じだ。
ましてや扱う物が物だ。
能力者という超人を補助するための武装。
ピストルの貫通力、爆弾の爆発力、攻撃を防ぐ鋼鉄の堅固さ。
それらを人一人が持ち運び、自由に振り回せるように凝縮した物。
それゆえに取り扱いが厳重になるのも仕方が無いだろう。
「契約だってそう軽いものじゃないし、良くも悪くも試験者のランクも評価査定に響くのが更に――って言ってても始まらないか……」
考えれば考えるほど気分が落ち込んでいく。
頭を振って思考を止める。
「まずは工学科に行ってからだな。前行った時みたいに追い返されなきゃ良いけど」
入学してすぐの事だった。
能力のことは理解していたので、補強のために意気揚々と向かって行った。
入試で定められたFランクという肩書きを持って。
結果は押して知るべし。
また気持ちが落ちた事を感じながら、工学科に歩を進めた。
●
歩いて数分、それはあった。
工学科と看板が掲げられた巨大な建物。
「流石に教練棟よりデッカイな。工場と一体化してるだけあるわ」
人の出入りが主なためか入り口はそう大きくはなかった。
玄関だけ見るなら少しお洒落な市役所というイメージだろうか。
屋根の向こう側から巨大建造物郡が見え隠れするのを除けば。
「クレーンはまだ分かるけど、あの捻じれたのや人型なのは一体何なのかね」
ただでさえ巨大な建物の屋根を越える程の大きさだ。
製作するだけでも一苦労だろうに、一週間から半月程度で形が変わっていたり、数が増減しているのは何なのだろうか。
学園島に来てからの疑問の一つだ。
「流石に国中の能力者を集めて管理、育成するだけはあるな。一体どんな能力なんだか」
疑問は解消されないまま工学科へと足を踏み入れた。
●
「戦技Fランクかよ。なら、見せるもんは何も無いぞ」
「……わかった、邪魔したな」
答えは拒否だった。
一連の流れを何度繰り返しただろうか。
気付けば入り口のロビーだった。
淀んだ気分を抱え、隅にある休憩所で体を休める。
「全滅、か。予想はしていたけど、実際にこうなると凹むわー」
以前断られた二年、三年生はともかく、一年生からもにべもなく断られてしまった。
なまじ期待をしていたため、ショックも大きかった。
「やっぱり、ランクがネックか」
武装を眺められるだけでも良いほうだった。
交渉をするためにランクを提示するだけで、断られてしまう。
それどころかランクが一定以下の時点で話すら出来ない、門前払いの所も多かった。
「武器さえあれば、駆除依頼で功績を稼げるのに……」
ランクを上げる方法は幾つかあるが、基本は力を見せる事だ。
国の用意した基準でも自分だけの方法でも良い、方向性が違えど能力者に求められるのはそれだけだ。
「武器が通じれば、最下級程度なら狩れるんだが……。因子加工の無い武器じゃ碌にダメージも与えられないからな……」
人類が能力に目覚めたように。
敵もまた異能に目覚めたもの。
「能力に目覚めた動植物ってだけで厄介なのに、一般人の通常武器じゃ怯ませる程度で精一杯っていうのが酷い」
人が超人になるように、また動植物も本来持つ能力が強化されていた。
そもそも、能力を持たない通常の野生動物でさえ、拳銃で致命傷を与えることが難しいのに。
「戦車やミサイルぐらいなら通用するけど、個人で扱える物でもないし……。手榴弾も効くけど使い捨てにするには単価で赤字確定になんだよな――はぁ」
ため息を吐いて、椅子にもたれ掛かる。
「どうすればいいのかもう検討もつかねぇや」
入学から半年という期間。
貼り付けられた“落ちこぼれ”というレッテルは重いものだった。
「もう今日は帰って寝るか。――お?」
どこか投げ遣りな気持ちで立ち上がろうとした時、奇妙な光景が目に入った。
「メイド?」
工学科の受付。
そこに一人の部外者の少女が立っていた。
部外者だというのは手続きに学生証を提出していないと見ていて解る。
奇妙だったのは服装。
メイド服を纏っていたことだ。
「今時ああいうメイドって居るんだな」
メイドカフェ等の見栄えを重視したものではない、作業着としてのロングスカートのメイド服に身を包んでいた。
工学科は学園の科目の一つとはいえ、現代技術の最先端が集まる場所だ。
有能な技術者を引き抜きにスカウト等の部外者が来る事は珍しくない。
メイドは珍しいだろうが。
何となく見ていると、もう一人少女がやってきた。
学生服に白衣を羽織るという変わった着こなしをしていた。が、工学科では珍しくない。
彼女が出した学生証により、手続きが短縮されて終ったのか二人揃って受付を後にした。
この時、彼女達に気をとられずに帰宅したら運命は変わっていたのか。
「――!」
白衣の少女と目が合った。
彼女の瞳には意志という力があった。
逸らす事もできず、見つめていると不意に彼女が笑った。
そして何を考えたのか歩み寄ってくる。
少女の突然の行動に体が動かない。
気が付けば目の前まで来てしまった。
何かを言うべきだと口を動かすが、声は出ない。
困惑する少年に彼女は問う。
「力を求める君に聞こう。悪魔と契約、――いや、悪魔に付き合う気はあるかい?」
その笑みは恐ろしいほど綺麗だった。