妹があれだと思ったら、あれなのは妹じゃなかった
1
音夢が泣いていた。まだ小学生のころだろう。同級生にいじめられたと言って、涙を流していたのだ。
俺がやっつけてやる。握りこぶしに力をこめて、俺は音夢にそう言った。けれど彼女は、首を振って、
あっちが悪いわけじゃないの。ただ、話が合わなかっただけ。
嫌いだから、そんな理由で倒してばかりいたら。その先どうすればいいの?
場面は変わって。
俺の首筋にかみつこうとする音夢。瞳孔は真っ赤にそまり、理性は失われたその姿で、かすかに残る理性で彼女は自分と戦いながら。
「それじゃあ吸血鬼だという理由で、私のことも排除するの? 」
いつか人を襲うかもしれないという、理由で。
2
目を覚ますと、真っ白な天井だった。まばたきを数回。深く息をすって履くと、内臓のどこかが痛い。
体を起こそうと身じろぎをすると、腕からチューブが伸びていることに気づいた。
「もう! 」
その声は、右わきから聞こえた。
ひどく重く感じられる身体をひねって、なんとかそちらの方を向くと、華絵が涙ぐみながらこっちを見ていた。
「先輩、心配したんですからね」
「……どういうこと? 」
「私、気がついたら先輩が倒れてるし、わけのわかんない吸血鬼は居ないし。……外も真っ暗だしで、大変だし、すごく心配したんですよ」
「ごめん、ごめん」
「ごめんじゃないですよ!
先輩まで居なくなったら、私、私……」
小刻みに震えるその背中に、俺は手を添える。ごめん、と繰り返して。そのあとに続ける言葉を見つけられなくて――。
扉を開け、中に入ってきたその医者は、「おっと邪魔だったかな」と戸を閉める仕草をした。
「……茶化しに来たなら、帰ってくださいよ」
「まあそう睨むな。朗報を持ってきたんだ。
君の持ってきた血液から、血清が精製できた」
「血って。俺、そんなの持ってましたっけ」
「これだよ」
そういって彼は、俺がいつも持っているアクセサリーを示した。
「カギの部分に仕掛けがしてあるみたいだ。傷口を深くえぐる、出血を促し、」
無明先生は墓地の部分を分解してみせる。
「中に血液を保持する機構が入ってる。
恐らく、想像だがこれを使っていた人たちは吸血鬼と戦い、自衛のためにそんな手段を持ったのだろうね」
「てことは音夢は、治るんですね」
「今はどちらかというと、君のほうが重傷だよ」
俺は苦笑いで、それに応える。
隣を見ると、音夢がいつも通りの顔で寝息を立てているのが見えた。……しかしこころなしか、顔色は以前よりもよさそうだ。
「はい、先生。聞きたいことがあります」
華絵が手をあげる。
「こういうのって、ふつう、親玉が倒されたら治るものじゃないですか? 」
「そうだねぇ。
けれどこれは、魔術とか呪いとかそういった類のものじゃないから」
無明先生は近くにあった椅子に腰かける。
「だからこそ、本人の持っている遺伝子と、外部要因が合わさって引き起こされる『疾患』なんだ」
「いつ治るんです? 」
「僕の見立てでは、3日中にはよくなるはずさ」
華絵のほっとした息遣いと。
先生の後姿を見て。
俺は自分のベッドの上に横になって、目を閉じた。体の痛みは当然かもしれないけれど、やっぱり消えてなかったのだから。
華絵に支えられながら、病室に入る。……ベッドの上には、相変わらず音夢が安らかな顔で横たわっている。
無明先生は、手元のカルテを見ながら説明を始めた。
「遅くても三日後には、目を覚ますはずだよ」
そう請け負って。
三日たっても、一週間経っても。
音夢は目を覚まさないのだった。
ぎいぃと鳴る扉をあけ、屋上にでる。眼下には防風林が広がっており、遠くには水平線が見える。潮風を一つ息吸い込み、ふと何気なく視線をあげると、こちらをあざ笑う三ケ月と目が合う。
「どうして、私だけお月見に行っちゃダメなの?」
当時低学年だった音夢は、目に涙を浮かべていた。
「友達みんな行くんだよ? 先生も来てくれるって」
「そういうことじゃない。
いいから、おうちの中で遊ぼう」
「嫌だ!
どうして私だけ、」
『みんなと同じことができないの? 』
吸血鬼の身体は人より頑強だったけれど。それは彼女にとって利点じゃなく、ただの不便だった。背の高い人が、身をかがめて歩かなければならないよう。「非力な」人間として生きるには、この世界は窮屈すぎた。
その夜、怒りに我を忘れた音夢は僕の首もとにかみついた。本能だったのか、それともそれ以外の何かがあったのかは、分からない。
夏の終わり。
日が暮れるのも早くなる。この時期に月を見ると、首の傷跡が、うずくのだ。2つ、ぽっかりと穴が開いた傷痕が。
「それでも」
それでも、音夢は俺の妹だ。
親父の忘れ形見だ。
誰であっても、何であっても。
後ろから、ドアの開く音が聞こえた。
ビル風に、なびく髪を押さえ、立っていたのは華絵だった。
「先輩、こんなところに居たんですか」
「部屋にいたら息苦しくて。
でも、すぐに戻るよ」
「ねえ、残念でしたねぇ」
ちょこんと、僕の隣にあるベンチに腰掛ける。
「音夢、目を覚まさなくて。
でも、よくなってるって。先生が」
「どうだか」
俺の態度に苦笑して、同じように視線を上へとあげる。月を見つけたのだろう、「うわあ」と感嘆の声をあげる。
「ねえ先輩」
「ん? 」
「でも、楽しかったですよね?
あっちにいったり、こっちに行ったり。
ハラハラしたり、怖いこともあったけど。
私はすっごく、楽しかったなぁ」
そんなこと、考える余裕はなかったが。
「まあ、そうかもな」
適当に相槌をうつと。
華絵は嬉しそうに、顔を綻ばせた。
「きっと、音夢もよくなりますよ。
大丈夫! 私が請け負います」
「お前に言われてもな」
「ひっどーい。
……もう遅いから、今日のところは帰りますね。先輩も、風邪ひかないように」
階段を下りていく、後姿を見送る。
体に吹き付ける風が、少し冷たくなってきたようだ。俺は両手をこすりながら、屋上から降りる階段へと向かう。……けれど。
なんだ、この違和感は。
久しぶりに、昔のことを思い出したからだろうか。首筋の傷をさわったからだろうか。……元気な音夢の姿を見ていないから、頭の中で禍々しい想像をしてしまうのだろうか。
それとも、疲れているから。
俺の心の中の直感が、すべてを否定していた。そんなことじゃない。考えろ。何かが変だ。じゃあ、何が?
首に手をあてながら、歩いていくと、つま先に何かがぶつかる。……それは、無明先生に渡していた、俺のアクセサリー兼、武器だった。
華絵は、これを届けに来てくれたのだろうか。
そのアクセサリーを俺は拾い上げ、ポケットにしまった。
階段を降りると、懐中電灯を持ち歩きながら、見回りをしている看護婦とすれ違った。俺は頭を下げて通り過ぎようとしたが、「ちょっと」と呼び止められる。
「もう消灯の時間だから、あまり出歩かないでくださいよ」
「すいません、少しだけ夜風に当たりたくて」
「そういってもねえ。
ゆっくり休むのも、患者の仕事なんだから。
面会時間も終わってるし」
「はい、気をつけます」
看護婦の小言を聞き流して。
俺は手元でアクセサリーを弄びながら、自室へと向かう。つるりとした、冷たい感触。無明先生が洗ってくれたのだろう。血のりはついてない。
ペタペタと、スリッパの音が廊下に響く……。
「先輩、よかったですねえ」
すっかり包帯が取れた俺の右手を見て、華絵は嬉しそうだった。
「これでまた、学校に通えますね」
「そうだけど、まずはリハビリしないとな」
俺は枕もとにあったアクセサリーを拾おうとして、手を伸ばす。手に触れる冷たい感触。いつものように掴もうとするが、やはり感覚が戻ってないらしい。手元から滑り落ちて床に落ちてしまう。
「あらら。こりゃ大変だ」
俺は松葉づえをついていたから。
華絵はかがんで、そのアクセサリーを拾おうとした。瞬間、
「痛いっ」
と、手をおさえて飛び上がった。
「せんぱぁい。なんですかこれ。
すごい静電気ですよ」
「……静電気じゃないんだ、これ」
俺は松葉づえをおいて、左手でアクセサリを拾い上げる。
「これはね、親父の形見で。悪いものを祓うお守りみたいなもんなんだ」
「へえ。先輩のお父さんって、どんな仕事をしてたんですか? 」
その質問に答えず、俺は、
「君だったんだね」
と、華絵の目を見ながら、言った。
外ではまん丸お月様。
裏ではペロリと舌を出して。
見えないように嘘をつく。




