コウモリってあれだと思ってたら、俺のしらないあれだった
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地図で示された場所につくころには、すっかりと日も暮れていた。後ろを歩く華絵が、気弱な声で話しかけてきた。
「少し休みましょうよー。暗いし、危ないですよ」
「ダメだ。今日中に、できることはやろう」
「じゃあジュースだけ。一本だけ、飲み物買っていいですか? 」
僕は溜息をついて、あゆみをとめる。
華絵は自販機の方へ駆け出していった。
コウモリの生態について、花塚さんは説明した。夜に活動する。暗いところに住んでいる。スクレーパー(はぐれもの)と名付けられたウォンバットは、たぶん群れからはぐれた一匹なのだろう。
自生するウォンバットは、一匹のリーダーに従って生活する。他のコウモリと違って胎生だから、集団自体はそう多くない。そうだね、30匹がいいところだろうか。
30匹のコウモリが隠れて住みやすいところと言えば、
「四方平山洞窟、か。先輩行ったことあります? 」
「ないな、そういえば」
「心霊スポットだって、有名ですよね。
西のほうから逃げてきた武者が、寝込みを襲われて止めをさされた場所だって。
夜な夜なうめき声が聞こえてきて、血を求めてさまよってるとか。ってあれ、あんまり怖がってませんね」
「幽霊ぐらいいるだろ。吸血鬼だっているんだし」
「うーん、そういうことじゃないんだけどなぁ」
「休憩は済んだ? じゃ、行こう」
不満げな華絵を置いて、歩きだす。
国道沿いに山を登って行き、途中で一本だけある獣道に曲がっていく。車道を走る車の音が遠ざかり、視界も悪くなっていく。
途中で買った安物の懐中電灯のあかりが、頼りなさげに揺れている。
華絵が、僕の服のすそをつかんで、恐る恐るついてくる。
「せんぱい。怖いですねえ」
「この道は心霊スポットでもなんでもないだろ? 」
「だけどほら、虫とか、蛇とか……。
一撃必殺されたら嫌じゃないですか」
「僕なら、じわりじわりと殺されるほうが怖いけどなぁ」
そんなくだらない話をしながら。
右足を、しげみの中に踏み入れる。がさり、と音がするのはそれ以前と変わらない。けれど何か。
僕は周囲を見回す。薄暗く、視界は悪い森の中。手元の懐中電灯だけがおぼろげに木々を浮き上がらせる。
「どうしたんですか? 」
「いや、なんでもない」
言葉と裏腹に。
確実に空気が変わったのが、分かった。
「よくない感じがしただけ」
「よくないって」
どんな、と華絵が口をあけた瞬間。
僕はもうれつな寒さに包まれて、華絵の手を取って走り出す。
「急いで! 」
迫りくる何か。やつらは確実に近づいてくる。その正体を確かめるすべは、今のところはない。
敵意か、それとも好奇心か。
僕が振り返った視界にうつったのは、真っ暗な背景に、浮かぶ上がる、無数の真っ赤な目だった。
「はあ、はあ、」
2人で息を切らしながら、道草をかき分け。
少し視界の開けた場所にでる。
ここは他よりも少し小高い場所に位置しているみたいで、眼下には今のぼってきたけものみちと、遠くには街の明かりが見える。
「びっくりしましたね」
呼気を整え、華絵がこちらを見て笑う。
「でも先輩が、助けてくれた」
「別に、そんなわけじゃないさ」
逃げるのに必死だった。無我夢中だった。
けれど満面の笑みの前に、そんな弁解の言葉はうち砕かれていく。
「行こう。きっとあの洞窟が、目指してた場所だ」
いつの間にか目的に近づいていたらしい。
数十メートル先には、山に切り込むようにしたくぼみが見えた。
そう、終わってみればそれは当たり前だった。
でも、出来事なんてのはだいたいそうだ。
その瞬間はただ必死で。
無暗に自らを危険にさらすだけだった。
「ようこそ、我が家へ」
洞窟の中に足を一歩踏み入れて。聞こえてきたのは見知った男の美声。
声はくぐもっていて、姿は見えない。
けれどそいつを俺はよく知っている。
妹を昏睡させた張本人――。
「どうして、吸血鬼と蝙蝠の親和性が高いのか。住む場所、生態が似ているからだ。
どうしてウォンバットから、吸血鬼の血清が作れるのか。……それは、体内に近しいものを持ってるから」
その通りだった。うかつだ。
どうして僕は、「ウォンバットと吸血鬼につながりがある」可能性に目を向けなかったのだろう。
「どうしてを繰り返せば、自ずと正解にたどりつけたのに。
幼稚だな。何も準備などしてないのだろう。
だから身内を喪うことになる」
「まだ、死んじゃいない」
俺は力の限り、男をにらみつける。
何か武器を、と。ポケットをまさぐる。
その時ふと、俺のシャツをつかんでいた手が、離れていたことに気がついた。
振り返ると華絵が胸元をおさえ、その場にうずくまっている。……薄暗く、表情こそ見えないが、「ぜえ、ぜえ」と異常な呼吸が聞こえてくる。
「ほら、どうした人間」
男が挑発するように指を動かす。
華絵を抱きかかえ、近くの木にもたれかけさせsる。
「ごめんな、つきあわせちゃって」
「先輩。気にしないでください。私が選んだことなんだから」
「心配しないで」
すぐに終わらせるから。
武器は俺の右ポケットにつねに入ってる。墓地に剣をつきたてたアクセサリー。大きさは手のひらほどだ。
しかし。
「お前、なんでそれを」
墓石の部分を持つと、シンボルは天地が逆転し、「突き刺さった剣」ではなく「かぎ爪」の形を模す。吸血鬼打倒を願う人々に作られた、古典的な武器だった。……剣によって描かれた十字型は吸血鬼の動きをしばり、切っ先のない無骨な鉤は一度くいこんだら離れない。
「お前、そうか、聞いたことがあるぞ」
俺は一歩、一歩と踏み出し。
吸血鬼の男との距離を詰める。
「教会を抜け出し、吸血鬼の子供を助けた数奇な男が居ると」
「そう。
親父は死んだ。
吸血鬼の子供を残してな」
雨の降る日だった。親父は真っ青なフードをかぶり、真っ赤なタオルに包まれた子供を抱えてきた。
あたりには血に濡れた匂いが広がる。
焦ってタオルをはがしてみるが、子供には外相がない。ならばどこから、という疑問、一方で怪我がなくてよかったと安堵する前に。
俺は気が付いたのだ。少女の背中から伸びる黒い羽。少女の口元に生える鋭い歯。そして何より真っ赤に染まった口元――。
俺はもう助からん、と親父が言った。直接感染した。
苦痛に顔をゆがませて。親父は言う。
お前に、この子を託していいか。
俺は首を振り、
嫌だ。お父さん。そんなこと言わないで。
けれどどんな幼い頭にも、親父の容態が悪化していくのは分かっていた。触れた手は、驚くほど冷たかった。
弱者を虐げるような正義なんて、あってはならない。
最後にそう、言い残して。
「音夢の家族を殺したのは俺の父親だ。
弱者を虐げ、正義を貫いた集団の一員だ。
……けれど音夢には、何の罪もない。
音夢を苦しめるのなら、何だって」
呼気が浅くなっていく。
顔は青ざめていた。
この子を助けてくれ、と俺に乞う。
新年のために殺してきた。
生きるために奪ってきた。
教えのために駆逐してきた。
けれど無垢で無邪気で無力な屍の向こうに、
お前が笑って過ごす未来が見えない。
……お前の躯のむこうに、誰も笑いなどしないように。
「だから俺は、お前が許せない。
平和に平凡に怠惰に……それなりに必死に生きてる音夢の生活を壊すな」
ぽっ、と。
洞窟の中に青い光がともる。
外ではざあざあと雨が降っている。
とっても楽しかった。
とっても寂しかった。
終わりは突然。とても残念。だけど断念。君への思い。




