眠り姫とあれだと思ったら、やっぱりあれだった
2
夜がこんなに長いなんて。
目を覚ましたのは、いつもの目覚まし――ではなく、繰り替えされるチャイムの音。枕もとに手を伸ばして、現在時刻を確認。溜息。
「まったく。おせっかいな奴だ」
僕のつぶやきは朝もやと一緒に消えていき、華絵ちゃんのけたたましい声が朝のせいひつな空気をぶち壊す。
それでも、誰かが心配してくれるっていうのはありがたいことだけどさ。
「先輩、今日は雨の予報ですよ」
華絵はオレンジ色の傘を差しだしながら、笑ってみせる。「持ってこないと、傘もささないんじゃないかと思って」。
「失礼な。僕だって傘ぐらい持ってるよ。
……透明な、やつだけど」
「ちょっと拝見。わ、これボロボロじゃないですか」
「骨が折れてるだけだ。まだ使えるさ」
「うーん、そうなのかなぁ」
ビニール傘の内側、四方に飛び出た骨を指でいじっている。
「デザイン的に問題はあるかもしれないけど、機能性に支障はないからね」
「これだと、機能性にも問題がある気がするなあ。……それより、外、行きましょう。今は雨も止んだみたいだし」
先に手を取り歩きだす。
「先輩、まだ寝れないんでしょう? 」
まだ、という言葉の真意を測れかねて。僕はあいまいに笑ってそれに応える。
あの日。
アイツが現れた日から。
音夢は目を覚まさなくなった。耳を澄ませば寝息は感じるし、手を触れればぬくもりは残っている。
連れてった病院で、白衣の医者は「問題ありません」を繰り返すだけだった。原因不明。症状不詳。だから、治すこともできません。そんな類のことを、ぼやかしていうだけだった。
「そんなに起きてたら、体に毒ですよ」
「どうってことない。
眠りっぱなしのやつも居るんだ」
「そりゃそうですけど。だからって、夜通し歩き回るのは、極端だと思います」
吸血鬼は夜歩く。
そんな微かな、噂ともいえる情報だけどもとに、僕は日が沈んだころに起きだして、あいつの足跡たどる。はじめは鳥、次は犬。そして人間。被害者が一人だけとは思えない。夜の闇に隠れて、消えていきそうな残滓を追いかけるのだ。
その時、心配そうな顔をしているのに気付いた。
「ごめん、大丈夫だって。気を付けるよ」
「本当に? 」
「うん、約束する。無理はしない。無茶も」
「私、嫌ですよ。親友が2人も、急に居なくなったら」
その言外に含まれた感情をくみ取って。僕は静かに深呼吸する。
久方ぶりに歩く街並みは日差しが照り返してきて、とてもきれいだ。軒先の鉢植えに水をやるおばさん。ジョウロの先から水滴がこぼれ、陽光を照り返し白くなっている。
傾斜のついた道路沿いに商店街が広がり、端の交差点で、僕らは立ち止まる。左に居る華絵ちゃんの視線は、まっすぐと向こうを見ていて、--、その先にあるのはどうやら花屋のようだった。
「花、買っていきます? 」
「どうして? ってああ、そうか」
今日が音夢の誕生日だからだ。言ってすぐに思い出す。
「いくら忙しいからって、誕生日を忘れるのはひどいと思いますよ。お金、建て替えときます」
小走りに、華絵ちゃんは店内に入っていった。
「それにしても、受け入れてくれるところがあって、よかったですね」
様態不明の患者の受け入れをどの病院も拒否した。なんせ体調は悪くない。ただ寝ているだけ、と彼らは判断したのだから。
最終的に、音夢を受け入れてくれたのは「無明灯」という馴染の医者だった。彼は名医だと評判を聞くけれど、「少しだけ」問題がある。
「病院に行くの、今日が初めてだっけ」
「その先生のところに行くのは、そうですね」
「驚かないように、心していた方がいいよ。
びっくりして目が飛び出ないように。……ああ、つまんないジョークだ」
「私を怖がらせようと思って、話を大きくしてるでしょう。私、けっこうそういうの平気ですからね」
まあいいさ、と僕は心の中で独りごちる。言うべきことは言ったし。やるべきこともやった。
あとは話に聞くより、実際に自分の目で見て確認してもらうしかない。
ちょうど病院の前にたどりついたというのもあって、僕らはいったん会話を打ち切る。
病院は少しばかり小高い丘の上にある。入院施設もあるから、きっと土地が安いここを選んだのだろう。
院長の趣味だというが、白い外壁を夏蔦が這っている。……夏の日差しをたっぷりと浴びた植物は、無尽蔵に成長して今にも病院内部まで浸食しそうに見える。
ガーデニングが趣味だとは聞いたけど。
悪趣味だよなぁ。
通るたびに同じことを考える。
病院の受付で、名前を名乗ると、部屋の前まで案内される。「今、担当医が来ますから」と静かな声を告げて、僕ら2人、それから音夢を残して部屋を後にしていった。
「ねえ、かわいそうだと思わない? 」
「かわいそうって
どっちが? 先生? それとも病気のほう? 」
「あんた、うまいこと言うわね。どっちもよ」
ドアは閉められていたけど。風に乗ってか、笑いあう看護師の声が聞こえた。
僕が何かを言おうと振り向くと――、ぎゅっと右手首を誰かに捕まれる。
「先輩、思うことはいっしょです」
つかんでいたのは、華絵のようだった。今にも火花が散りそうな目で、ドアをにらみつけている。
「でも、やるのはやめましょうね。
音夢が治ったら、こんな病院二度とこないんだから」
まったくだ。
僕が返事をする代わりに、扉が開いて白衣の男が入ってくる。男はこちらを向いて、律儀に頭を30度ばかり傾けた。
「こんにちは、このたびは」
部屋の中に居るというのにサングラスをしていて、右手は白い手袋に覆われている。
「あの、まぶしいですか? カーテン閉めますよ」
「あ、いえお気になさらずに。
こうなってるもので」
無明先生はサングラスを外して、にこりと微笑んだ。……そこにあるはずの目は、少しだけくぼんでいるだけであるはずの眼球がない。
「もっと近くで患部を見たいんです」
と若かりし先生が思った姿のなれの果てである。眼球は視神経とともに、手袋で隠された右手に、移植されている。
一連の説明に、華絵は手をたたいて喜ぶ。なぜか。
「わあ、すばらしいですね」
「すばらしいというか」
僕はその発想に、変態染みたものを感じるけど。
「ところで、音夢さんの容態ですが」
無明先生は手元のカルテをめくりながら説明する。心拍数、血圧、脳波、エトセトラ。すべて数字は前回と同じ。
つまり、異常ありません。
「じゃあどうして、起きないんですか、先生」
「起きたくないんじゃないでしょうか。
いや、失礼。そういう意味ではなくて」
どう説明したらいいものか。
巨漢の男は宙を見つめて、言葉を探している。
「より強い欲求の方が勝つ、という話です。
あなた、すごくお腹がすいて眠たい時、どうします? 」
「僕は先に食べてから寝ます」
「私、すぐ寝ちゃうなあ」
つまり、と彼は前おいた。
「音夢さんの中では『音夢さんの意志』と『別の意志』が戦っている、なおかつ負けている状態なわけです。だから身体のコントロールができない」
「そこまでわかってるなら、解決策は? 」
華絵の問いに、僕も頷く。
「ワクチン治療という方法を、ご存知でしょうか。インフルエンザとかに使われるアレですね」
ぱら、とめくっていたカルテの最後の一枚をこちらへと向ける。
そこには鍵方をしたブロックが、デフォルメ化されたバイキンと戦う絵が書いてある。
「これが抗体反応です。
体は外敵に最適化した守護者を造り、戦わせるわけです」
「わかった!」
華絵が手をあげる。
「抗体を作るわけですね?
血清と同じだ! 」
「そのとおり。
吸血鬼の血をつかって血清を造り、音夢さんの体内に打ち込む。これが現状で考えられる、最適の治療です」
「なるほど」
言って僕は立ち上がる。
「じゃあ僕らは吸血鬼をふんじばればいいわけだ。分かりやすい。どこにいけば会える? どうやって手に入れればいい? 指示がほしい」
「まあ、そう急かさないで」
先生は、看護婦が持ってきたお茶を口にする。
「血を持ってくるといっても、本人から回収するのは現実的じゃない。
だってあなた、吸血鬼と戦えますか?
不老不死、変幻自在、怪力無双、おまけに眉目流麗ときてる。
ミイラ取りがミイラになるとも限らない」
「僕が返り討ちにあうと? 」
「だから、安全率の高い方法を選ぼうと言ってるだけです。血清だけなら、本人でなくとも、近い生物から作ることができる。
幸い、私の友人に妙ちくりんな生き物を飼うのが好きなやつが居ます。彼のペットから、本のすこし分けてもらえばいい」
そう言って。
彼はカルテに地図を書き記した。
「そうは言ってもな」
電車に乗り、揺られること1時間弱。丘を下り、田園を抜け、そろそろ海が見えようかというところで、駅を降りる。
ホームをくぐると、鼻をかすかに塩の匂いがくすぐる。遠くから、波の音が聞こえてきそうだった。
華絵は、手に持っていたオレンジ色の傘を、駅舎の中に立てかける。「晴れるのも、善し悪しだなあ」。
メモに書いてある住所を一瞥して、駅員に邦楽を尋ねる。ここからどのくらいかかるのかと。
髪を短く刈り上げた、年若い駅員はメモをみて……、笑顔で頷く。
一方華絵はと言えば、案内図で自分の居場所を確認したかったのだろう。周囲を見渡しながら、けれど前方へ注意を向けず、歩き続ける。
そして、
「痛い、っ」
一人の少年とぶつかっていた。
「ごめんね、大丈夫? 」
「うるせえ。さわんな」
フードを目深にかぶりー、華絵の胸元ぐらいの身長の少年。暗がりから除く目は、心なしか蒼く光っているようにーー。
「おい、悪いのはこっちだけどな。
しっかり前を見ないそっちだって」
「すんません。
これでいいだろ? 」
そして少年は、きびすを返して走り出す。
その姿を見送って。
「なんだか、変な子でしたね」
「平日だってのに、制服でもないしな」
「そうじゃなくて」
華絵は言葉を選んで、
「ううん、不思議な空気」
と。
「それにしても、ずいぶん広い庭だな」
ぼくたち二人は、タクシーで下ろされた家の前で、立ち尽くしていた。
とにかく庭が広い。四方を真っ白な壁に囲まれている。インターホンは門のすぐ横についているものの、その先の玄関は伺いしれない。
「とりあえず、押さなきゃ」
ピンポーン。
と、案外普通の音が響く。
待つこと数秒。この家の主はどこからやってくるのだろう、玄関を開けてか、それとも使用人がいるのか……。
「はーい」
などと考えていると、背後からの思わぬ声に驚かされる。僕と華絵は思わず悲鳴をあげながら振り向いた。こそっ、と華絵は僕の左半身のうしろに隠れる。
「どぉも。無明先生の知り合い? 」
「そうですが、その」
「僕はねえ、花塚。花さんと呼んでね。趣味は散歩と人間観察。あとは動物飼育」
「あの、そうじゃなくて」
切り出したのは華絵だった。
「どうして馬に乗ってるんですか? 」
「ああこれ? 足が不自由でさ。馬に乗ることにしたんだ」
冗談か本気か分からない理由だ。僕は心の中で、この人を無明先生と同じグループに分類した。
「ところで、君たちが欲しがってるのはこれだろ? 」
花塚さんが投げた小ビンを、僕は受け取る。
ビンの中には、手のひら程度の大きさのコウモリが入っている。黒く皺が寄った顔に、するどい牙をむき出しにして、こちらをにらみつけていた。
「ウォンバット、
吸血鬼のモデルになったと言われる種類だよ」
「血を、頂きたいんです」
「問題は、そこなんだ」
花塚さんは馬から降りて、椅子にこしかけた。
「僕はコウモリの血管に詳しくない。
きっと君らもそうだろう。
だとすると、採血するのは難しいことになるね」
こっちはそんなこと四の五の言ってられない。最悪、もっと残酷な方法であってもーー。
「君、すこし悪いこと考えたね。
まあ、人の命を救うなら、それも悪くないけれど。
それでも、数少ない友人だからさ。命は大事にしてやりたいんだ」
「それはそれとして、ーー」
言いかけた俺の脇を、何かが走りぬけた。猛然と駆ける黒い影は、花塚さんにぶつかる。
思いがけない衝撃に、花塚さんの手からビンが転がり落ちた。それをその黒い影、フードをかぶった少年が拾いあげる。
「これがあれば、俺だって」
勢いで少年のフードがめくれている。日本人にはありえないだろう、金色の髪の毛。青い目。そして背中では何かが蠢いていて。
それは間違いなくコウモリによく似た、見知った羽だった。
「なあ、おい、これがあれば、吸血鬼を治せる。そうなんだろ? 」
「無理だよ」
土ボコりを払いながら、花塚さんが立ち上がる。
「そいつ一匹から作れる血清じゃ、一人分にも満たない」
「じゃあどうすりゃいいんだよ! 」
「それを話そうとしていたところに、君が割って入ってきたんだろ」
少年の手からビンを奪い返すと、それを懐に大事そうにしまった。
「君たちにお願いだ。
こいつを、故郷へ返してやって欲しい」
と、花塚さんは説明した。




