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妹だと思ったらあれで、あれだと思ったらやっぱり妹だった


「あ、やばいなんかでそう」

 妹の音夢がそう言ったのは、テレビを見ながら夕食を食べているときだった。妹はトマトジュースの入ったコップをテーブルに置いてうつむいた。

 彼女のむき出しになった両肩から翼が生える。

 長さは50cmほど。黒い、蝙蝠のような翼。まるで意志を持つように両脇に広がり、何かを求めてはたはたと羽ばたいている。

 僕はテーブル上に用意してあったスリッパで、妹から伸びている羽をひっぱたいた。僕のスリッパに反応して、2双の翼は、小さくまとまり彼女の背中にひっこんでいく。

「ちょっと。もっと優しくしてよ」

「しょうがないだろ。先生に言われたことなんだから」

 恨みがまし気にこちらを見る妹の視線を受け流し、僕は応える。テレビから笑い声が聞こえたから、僕の視線は自然とそちらへ移る。



「 急性血乏症候群」

 と、僕の妹は診断された。症状としては貧血に近い、と昔馴染みの医者は説明した。たちくらみ、めまい、低血圧。それから患者に特有な症状として、背中から蝙蝠のような羽が生えること。満月の夜になると理性を失い、感情的になりやすくなること。

 根本的な治療はありませんと、無責任に医者は告げる。対症療法しか、と。具体的には? と問いかける僕に、彼はしばらく虚空を見つめた後、足に吐いていた薄桃色のスリッパを指さした。



「羽根が出たり、牙が伸びたときは何らかのショックを与える。それを繰り返して症状が出ないようにしていくしかないって。犬の躾と一緒だな」

「だからって、どうしてスリッパなのよ」

「いつでも近くにあって、すぐに手にできるもの。尚且つお前に配慮した結果だよ」

「にしてもさあ、コントじゃないんだから……」

「そういえば、もうすぐ満月だな」

 テレビの画面ではウサギの着ぐるみを着た芸人が、餅つきの動作で笑いを誘っていた。

「今度は大丈夫よ。……たぶん」


 初めて症状が出たのは、音夢が15歳の誕生日の時。誕生日ケーキを食べていた、ちょうど今と同じぐらいの時間帯。

 大好きだった餃子を頬張っていた彼女が、突然顔を抑えて震えだした。苦痛に耐える悲鳴とも、喜びに震える喜悦とも取れる奇妙な声。

 背中には黒い羽。口元には歯と呼ぶにはとがりすぎた鋭い牙。開かれた瞳孔は真っ赤に染まっていて、僕の知らない姿をした「そいつ」は僕のよく知った声で、「お兄ちゃん」と助けを求めた。



「今度は、お前が暴れても大丈夫なように、割れない食器をそろえておくよ」

「暴れたりしないもん」

 そんな風に軽口をたたいて。

 食器を片付ける。蛇口をひねって、水で流して。ふと見上げた夜空には、鋭くとがった三日月が。

「そういえば、知ってる? 事件だって」

 妹の声は、ソファーの向こうから聞こえた。

「知らない。暇なら、洗うの手伝えよ」

「ヤだー。 最近、血の跡みたいな滴が、通学路に落ちてるんだって」

「見間違いだろ? それか、誰かの鼻血とか」

「だといいんだけどね。

今日学校で、華絵が見たって。犬の死んでるところ。すっごい気味が悪かったって」


 血の匂い。目の奥を突き刺すような赤。張り裂けそうな心臓の鼓動。ぜえぜえと、まるで大型獣のような荒い息遣い。そいつは血なんて残さない。一滴たりとも。



 お前なんじゃないのか、という言葉をなんとか飲み下して、僕はゆっくりと茶をすする。




 僕の父親がそうだったらしい。そう、というのは妹と同じ「急性血乏症候群」だったという意味で、らしいというのは父親を直接目にしたことがないからだった。

 僕が物心つく前に、両親は他界した。僕が物心つくまで、僕ら2人の面倒は叔母夫婦が見てくれた。僕らが自炊をして、掃除、洗濯が一人でできるようになると、叔母夫婦は郊外に引っ越していった。もっとも、妹の姿を見ると、それが正しかったような気もする。……もしかしたら、彼女たちは知っていたのかもしれない。僕らの中に脈々と受け継がれる、


「ちょっと、ちゃんと聞いてますか? おにーさん」

 数歩先を歩く少女の声で、現実に引き戻される。名前は華絵。妹の同級生で、僕の幼馴染でもある。自慢の髪は動きやすいように束ねられている。華絵はわざとらしく頬を膨らませ、「せっかく大事な話してるのになぁ」と拗ねてみせた。

「ごめんごめん、ちゃんと聞いてなかった。

 昨日みたUFOの話だっけ? 」

「違います。せっかく一緒に登校できるのに、人の話聞かないなんて最低ですよ」

「悪かった。この通り。

 ……本当は、コオロギ横丁で犬の死体を見たって話だろ? 」

 華絵は目を見開いて、

「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃないですか」

 俺は内心、胸をなでおろす。

「当然だろ。それより、話の続きを聞かせてくれ」

「えっとぉ、どこまで話したんでしたっけ。最近私がついてないって話だっけ。でも先輩と一緒に歩けたからラッキーかな」

「華絵ちゃんが、犬が寝てると思って近づいたんだ」

 話が横道にそれそうだったから、あわてて起動修正する。

「時間はそうだね、ちょうど今と同じくらい。10分ぐらい遅かったかもしれない。遅刻しそうだったから、小走りだった」

「そうなんですよぉ。

 自販機の横に、白い犬が居て、うずくまってたから、寝てるのかと思って」


 さわろうとして近づいて、彼女は悲鳴を上げた。

 白い犬の腹部が、真っ赤に染まっていたからだ。


「だからぁ、もう最悪。

 でもその話を友達にしたら、最近同じ経験した人が多いみたいで」

 はじめは鳥。次は猫。そして犬。友人たちの話をつなぎ合わせると、明らかに害意を持った何者かの存在が浮かびあがるというのだ。

「だからぁ、私怖くって。帰りも一緒に歩いてくれませんか? 」

 と華絵は両手を体の前で組んでみせた。

「それは先生か警察か、とにかく大人の人に言うべきだね。僕も話してみる」

「そんなことより、」

「あ、もう時間ぎりぎりだ!

 帰りは音夢のためにジュースを買ってかなきゃ」

 遠くで予鈴の音が聞こえる。走って5分。教室まで間に合うだろうか。

 走り出そうと鞄を背負い直し、後ろを振り向くと、今度は冗談ではなく恨みがましい目でこちらを見ている華絵ちゃんと目があった。

「どうしたの? 」

「もういいです。先輩、遅れますよ!」

 と彼女は、一足先に駈け出した。




 月の満ち欠けのように。

 時間が経つと、何もかも元通りになると思っていた。欠けた月が満ちるように。一定の速さで、けれど着実に。一周回って、元通り。ただなんとなく、そんな気がしていた。

 けれど日常ってのはそうじゃないみたいだ。

 欠けた月は満ちない。少なくとも、時間という作用では。

 だから僕は探していく。パズルのように組み合わせて、張りぼてのようにつなぎ合わせて。元通りの日常に戻れるように。



 いつも通りの帰り道。夕暮れに背中を押されながら、僕は小走りに帰路につく。赤茶色に軋んだドアを押すと、鼻につく生臭い匂い。またか、という声が自然と漏れる。


 何が「また」、だよ。


 内側から出た指摘に、ついつい自嘲の笑みを浮かべる。こんな非日常に慣れてはいけない。異常者になってしまう。家の中に、血が垂れ流されているような非日常に、慣れてしまってはいけないのだ。

 音夢の衝動は、満月が近づくと昼夜関係ないようだった。そしてその衝動は、「血を吸う」というゴールを目指して、音夢の小さな体を通して暴れまわるのだ。 

 いったん凶暴化した彼女を止める術を、僕は持っていなかった。だから僕は彼女を鍵付きの部屋に閉じ込めることにした。……少なくとも、月が欠けるまでは。

 それでも動物に一切危害を加えなかった彼女を、立派だと褒めたいと思う。衝動を抑えるための自傷と、抑えきれずに噴き出た暴力で傷だらけになった彼女のことを。



 とん、とん、とん、と。

 階段を上る音が、静かに響く。

 緊張で聴覚が研ぎ澄まされているのだろうか。足音がこんなに大きく聞こえる経験は初めてだった。右手で壁をつたい、後ろ手に僕はスリッパを持つ。もっともそんなもので効果があるとは思えないから――単なる気休めだけど。


 はじめは鳥。次に猫。そして。

 熊は、一度人の味を覚えると民家を襲うようになるという。

 対象はやがて大きくなるだろう。いつかその焦点が僕に当たる。けれど、僕で最後にしよう。それが常々僕が考えていたことだった。


 部屋の前にたどりつく。耳を澄ませるけれど、中からは何も聞こえない。落ち着いたのだろうか。「音夢、大丈夫かい」。声をかけてみるけど、反応はない。

 右手に持った鍵を差し込み、時計回りに回す。冷たく固い音がして、開錠の気配が伝わってくる。

「音夢、入るよ」

 最後にもう一度だけ声をかけて、僕はドアを開ける。西日が差し込む室内に、僕は一瞬目を閉じる。



 薄もも色のシーツの中で、音夢は寝息を立てていた。僕は安堵の溜息をつく。よかった、今日は何事もなかった。ベッドに腰かけ、音夢の頭に手を伸ばそうとした瞬間。



 あれ、じゃあ血の匂いはいったい――。



 僕がその結論を出す前に、そいつは目の前に立っていた。黄昏色に染まる室内に、相反するような漆黒色のスーツを着て。銀髪のその男は、赤い目を細め、こちらを見て笑ってみせた。

「よう、同朋」

 男の気配に気圧され、僕は身構えた。

「同じ食べるにしても、そんじょそこらの獣にはもう飽きた。

 人間は弱くてつまらん。ぎゃあぎゃあと叫ぶのだけが得意で、肝心の味のほうはいまいちだ。

 一番美味なのは、」

 男の目線が、音夢の頭からつま先までを撫でる。

「適齢期の女。まだ誰にも肌を触らせたことのないような」

 男はゆっくりと、こっちへ歩み寄ってくる。

「ゲームをしようぜ、小僧。

 お前の妹をかけたゲームだ。

 俺が勝てばお前の妹は俺のもの。

 お前が勝てば、二度とお前の妹には手をださん」

「ふざけんなっ」

「ふざけてなどいないさ。

 俺は真面目だ。……大真面目。

 ずっとずっと昔、お前の親父の代から……」



 僕の投げたスリッパは、男の顔面を通り抜け、て壁にぶつかり音を立てる。ほかに身を守れそうなものはないか、室内を見回す。机の上にあった、銀色のアクセサリー。尖った剣が交差する形をしている。それを手にとり、「吸血鬼は銀に弱い」という言葉を思い出して、男に投げつける。

 けれどそれもむなしく通り抜けてしまう。男は顔をゆがめたまま、不気味な笑い声を残して。黄昏の中に溶けていく。

 これはゲームだ、と再度言い残して。


 僕の父親も「急性血乏症候群」、つまり吸血鬼だった。その子供である音夢が同じ症状を発言する、吸血鬼になってしまったのも、少なくとも僕には納得がいった。親の形質が遺伝するという、ごく自然な理屈だからだ。

 けれど音夢はまだ15歳だった。ただの高校生だ。少しばかり不自由な、それでもどこにでもいる普通に人間だ。そんな音夢が理不尽に狙われる――、あまつさえそれを「ゲームだ」と言いきることが、許せなかった。


 これはゲームだ。

 と奴は言う。僕とそいつの、妹の生死をかけた。

 ふざけるな、と僕は叫んだ。

 手に握りしめたナイフから、ぽとりと血が流れる。生ぬるい、血の感触。かぎなれた血の匂い。血の色のような、黄昏色の部屋の中で。


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