契約と肉体
赤い光がおさまったあと、悪魔は目の前の男を見下ろした。
体のあちこちが貫かれ燃えている。
髪は金色、目は茶色である。
顔立ちは良いのか悪いのかは悪魔にはわからなかったが、人間の美的感覚では彼の顔は整っている。
(こやつが余を喚んだ人間か)
そう、ドランは悪魔を魔界から引き寄せた、いわゆる悪魔召喚を行ったのである。
魔界に人間の黒い感情が流れこめるように、人間の強い感情によって魔界の生物が人間界に喚ばれることもあるのである。
この場合死を間近にして、極限まで高まったドランの感情が悪魔を喚んだのだ。
悪魔が少年を見下ろしていると、ドランが弱々しく言葉を告げた。
「お、前は‥‥あ、くま‥‥か」
既に死にかけている彼は流暢に話すことはできないようだ。
「そうだな、余は貴様ら人間か呼ぶ悪魔という存在だな」
「な‥‥ら、けい、や‥‥くが‥‥できる‥‥のか?」
「いっておくが貴様の命を助けることはできんぞ、余は悪魔。聖属性系統である回復魔法は使えん。」
「そ‥‥うか、残‥‥ねんだ」
---なら
「お‥‥れの、こん‥‥やくしゃ‥‥を‥‥死ぬまで、幸‥‥せに、してくれ‥‥ない‥‥か」
その言葉を聞いて悪魔は笑った
「ふふふ、ふははははは!、この余を喚んだ貴様の願いはそんなことか、面白い、実に面白い!そんな思いで"この余"を魔界から呼び寄せるとは‥‥。だが、残念ながら貴様には余に捧げる十分な対価は払えないようだな」
だが、と悪魔は続けて告げる
「余を喚んだ貴様のその思いに免じて対価は最低限にしてやろう。そうだな、余が人間として生きてみるのも面白そうだ。おい、小僧、貴様の死んだあとその体を貰う。対価はそれで許してやる」
悪魔がそうつげた瞬間、ドラン悪魔を赤い光が包んだ。
これは『悪魔契約』。
悪魔に願いとその悪魔の力に相当する対価を引き渡すことで、悪魔に願いを叶えてもらう。
その契約は絶対であり、世界がその契約を悪魔が破ったと判断するとその悪魔は消滅する。
もし、悪魔を喚んでその対価が払えなかった場合その人間は殺される。
「これで契約は成立した。安心していくがよい。」
ドランはそれを聞いてうっすらと笑っていた。
------たの‥‥んだ
それがドランの最後の言葉をだった。
ドランは目を閉じ永遠の眠りについた。
彼はどうしようもないくらい我が儘で、ダメな人間だった。
そんな彼は恋におち、愛を知り確かに変わろうとしていた。
しかし、残念ながら変わる前に終わってしまった。
いや----彼は確かに変わったのだ。
自分のことしか考えていなかった彼が、自分が死にかけている時、何よりも彼のなかで渦巻いていた感情は"彼女を幸せにしてやれなくて悔しい"という思いだったのだ。
その思いはきっと死というぎりぎりの状態で膨らみ、自分の願いを聞いてくれる悪魔を呼び出すまでにいたった。
もしこの場に喚ばれたのが、他の悪魔だったなら彼の願いは聞き届けられることなくとどめをさされ命をおとしていただけだっただろう。
彼は知らなかった、自分がどんなにヤバイやつをこの世界に喚び寄せたのか。
そしてこれから先も彼が知ることはない。
彼が喚んだこの悪魔が、この世界の運命を、そして彼が恋した人の運命に大きな影響を与えることを------
悪魔はドランが死んだあと、その体に近づいた。
「さて、それでは頂くとするか」
黒い、漆黒という言葉が似合うような悪魔。
彼にこのときまで肉体と言うものは存在しなかった。
肉体をもつ悪魔は人間界にある程度自由に出入りできる。
悪魔もこれで肉体を得る訳だが、彼の場合は少し違う。
普通、悪魔は魔界で過ごす長い時間のなかで少しずつ肉体というものを得ていく。
つまり、肉体をもつような悪魔は高位の悪魔のみであり、その数はかなり少ない。
彼が肉体を得られなかった理由は次から次えと彼を構築しようとする物質をすべて『喰べて』しまっていたから。
そのことに悪魔は気付いていなかった。
魔界で自然に得た肉体と、契約で人間から得た肉体は全くことなるものであり、
魔界で得た肉体では、人間界と魔界をある程度自由に行き来できるが、人間から得た肉体ではその肉体に宿る限り、魔界には戻れない。
これだけ聞くと人間の体にはメリットはないように思えるが、
もちろん人間の肉体にもメリットはあるのだが、それはまた今度話すことにしよう。
悪魔はその肉体を黒い霧のように変えるとドランの体を包んだ。
その黒い霧はドランの体に少しずつ吸収されていき、そして、完全に吸収された。
すると、ドランの体の傷は全て塞がり消えていく。
1分もする頃には完全に回復していた。
悪魔、いや新しいドランは目を開けて立ち上がる。
手を握ったり力を緩めたりしたあと
「うむ、中々悪くない体だ。素材そのものはいいが、全く手入れされていないのが残念だな」
そう言った後、悪魔は目を潰り、静かに少年の記憶の中に潜りはじめたのであった。