山本少女彦は少女みたいに強くない
僕の名前は山本少女彦。
僕の両親は、僕に、少女みたいに強く、逞しい男になって欲しい、そんな願いを込めて、この名前を付けてくれた。
でも、残念ながら今の僕はまだ、少女みたいに強くない。
「ほら、立て! 少女彦」
道場の床に倒れた僕に向けて、宮本さんが怒鳴った。
純白の道着に黒帯の宮本さんは、倒れた僕に対しても、構えを崩さない。
でも、もう、何を言われても、僕は体が動かなかった。
二時間続けた稽古でふらふらだったところに、最後に顎に入った宮本さんの掌底で、立ち上がる気力さえ失っている。
立ち上がるどころか、足の指一本だって、動かせそうになかった。
「ほら、立たないか、少女彦! 貴様、それでも名に少女を冠した者か!」
宮本さんはそう言って上から僕を見下ろす。
ショートボブの短髪で、眉毛が太い、凛々しい目付きの宮本さん。
傍目に、彼女はテニスとかラクロスでも、やっていそうな、運動部の女子高生にしか見えない。
しかし、その容姿とは裏腹に、宮本さんは世界中の特殊部隊で戦闘訓練を受けた、手練れだ。
幼い頃から少女兵士として、幾多の戦場をくぐり抜けてきた、剛の者でもある。
だから彼女が服を脱ぐと、その肌は傷だらけだ(なぜ、僕が彼女の裸を見たことがあるかは後述する)。
「宮本さん、もう勘弁してあげなさい。少女彦君、ボロボロじゃない」
金熊さんがそう言って、倒れた僕の頭を膝に乗せて、膝枕してくれた。
金熊さんは膝の上で、僕の頭を優しく撫でてくれる。
彼女の長い黒髪が、頬に当たった。
優しい目元で、僕に慈しみの視線を送ってくれる金熊さん。
物静かで落ち着いていて、とても僕より一つ年上の十八歳とは思えない。
可憐で、彼女には大和撫子という言葉がぴったりだ。
だけど、その実、彼女は凄腕のスナイパーだった。
愛用のM24というスナイパーライフルを、76鍵のキーボードのキャリングケースに入れて、いつも何食わぬ顔で持ち歩いている。
組織からの命令でどんな相手も容赦なく狙う、強い精神力を持った筋金入りのスナイパーだ。
「よし、金熊に免じてひとまず勘弁してやろう。夕食後にまた、稽古だ」
宮本さんはそう言って道場を出て行った。
道着を脱ぎながら、シャワーを浴びに行くみたいだ。
僕は金熊さんに肩を借りて立ち上がった。
そのまま肩を借りて、地下の道場からの階段を上がって一階に出る。
すると、
「お腹減ったー! 少女彦! 夕飯まだー」
横山さんが学校から帰ってきたようだ。
純白のセーラー服が眩しい横山さん。
髪をツインテールにした人懐こい笑顔の彼女は、魔法少女だ。
中学二年生で、普段は中学校に通いながら、時折この街を襲う悪の組織と戦っている。
「ちょっと、横山さん。少女彦君の怪我、魔法で治してあげて」
金熊さんが横山さんに言った。
「えー、私ってば、ヒーラーじゃないから、そっち系の魔法は苦手なんだよね。バリバリの戦闘系魔法使いだし」
横山さんはそう言って、口を尖らせる。
「でも、少女彦君がこのままだと、お夕食の準備、してもらえないわよ」
金熊さんが言うと、横山さんは「分かったよぅ」と言って、渋々、宙から魔法の杖を取り出した。
横山さんはピンク色の軸に星が付いた杖を、僕に向けて振る。
すると、光の束が僕を包んで、体が宙に浮いた。
全身を筆で撫でられるような、くすぐったい間隔に身悶えする。
そのまま、一分間は宙に浮いていただろうか。
光の拘束が終わって床に足を着くと、さっきまでの疲労と、顎の打撲の傷みが嘘のように消えて、体が楽になった。
「今度教えるから、これくらいの魔法は覚えて。次は自分で治してよね」
横山さんが言う。
僕は横山さんから魔法も学んでいるけれど、今のところ、マッチくらいの火を出すことしか出来ない。
「直ったわね。それじゃあ、お夕食の準備、お願いね」
金熊さんは優しい声で、そう言った。
「お風呂の準備と、洗濯も忘れないでね。あと、私の部屋の掃除、少し雑だったから、もう一度やり直し、いいわね」
金熊さんが続ける。
ホントは金熊さんが一番厳しくて、容赦ないのかもしれない。
ここは、少女達が集う寮だ。
普通の一軒家にしか見えない住宅街の一角に、戦う少女達が集っている。
ここの運営は、悪と闘う各組織からの共同出資で賄われていた。
逼迫する経済状況の中、悪と闘う各組織も福利厚生費が削られて、自前で寮や宿舎を持つのが困難になっているから、それぞれの組織が抱える少女達を集めた寄り合い所帯がここなのだ。
僕はここで、寮母(寮父?)として働いている。
元々強い少女に憧れて宮本さんの弟子をしていて、その流れでこの職を紹介してもらった。
以来、高校に通いながら、学業と、寮の少女達の世話と、修行の、三足のわらじを履いている。
「ふわぁーあ、おはよう」
大あくびと共に、ハンネレさんが起きてきた。
彼女は金色の髪にブルーの瞳の、ヴァンパイアハンターだ。
フィンランド出身で、母国から逃げ延びたヴァンパイアを追ってこの日本に来たのだけれど、日本での生活が気に入って住み着いたという、変わった経歴の持ち主だ。
今では日本のヴァンパイアハンターギルドの長を務めている。
ハンネレさんは、ヴァンパイアの活動時間に合わせて、昼間寝て、夕方起きてくるという生活スタイルを、長いこと続けていた。
殆ど日に当たらないから、白い肌は母国にいたときと同じ、白いままだ。
「あっ、ハンネレさん。浜北商店のイカの塩辛、スーパーで売ってたんで買っておきました」
僕が言うと、眠そうだったハンネレさんのブルーの目がぱっちりと開いた。
「ありがとう少女彦! 大好きよ」
僕はハンネレさんに抱きしめられて、何度もキスされた。
日本食好きのハンネレさんが特に目がないのがイカの塩辛だ。
それも、浜北商店の塩辛は日本一だと、ハンネレさんは断言する。
でも、人気の為か、浜北商店の塩辛はスーパーでも入荷するとすぐに売り切れてしまう。
だから僕は、スーパーに食材の買い物に行くと、まず鮮魚売り場に行って、塩辛を探すのだ。
「ただいま戻った」
僕がハンネレさんの熱烈な感謝を受けていると、ランドセルを背負った暁さんが帰ってきた。
ポニーテールに真っ赤なほっぺたの暁さんは、五歳児くらいにしか見えない。
しかし、実は彼女がこの寮の中で一番年上だ。
江戸時代の生まれで、もう二百五十歳を越えている。
嘘か本当か、鬼平で有名な長谷川平蔵と酒を酌み交わしたことがあると、本人は言っていた。
彼女は江戸の頃から、市中を騒がせる妖怪変化を退治する仕事をしている。
姿が五歳児のまま変わらないのは、その昔、妖怪に術をかけられて、それが解けないからだそうだ。
余談だけれど、そんな頃から退治し続けてもまだ、たくさんの妖怪が跋扈してるって、この日本には、一体、どれくらいの妖怪がいるんだろう。
暁さんは普段からランドセルを背負っている。でも別に小学校に通っているわけではない。
街中を探索するのにその格好が目立たないから、それを背負って小学生のふりをしているらしい。
「少女彦殿、フルーチェのピーチは買ってきたであろうな?」
帰ってくるなり、暁さんが僕に訊いた。
「はい、もちろん。火曜の特売市でまとめ買いしておきました」
僕が言うと、暁さんはニコニコと満面の笑みで僕を見上げた。
二百五十歳を越える暁さんの好物がフルーチェのピーチ味だ。
二百五十年も生きていると、色んな物を食べてきただろうに、その中から選ばれるフルーチェピーチ味って。
フルーチェ、恐るべし。
僕と暁さんでは身長の差がありすぎるから、僕は視線を合わせるために屈んだ。
僕は身長が187㎝もあって、体だけはここの誰よりも大きいし、ウエイトトレーニングで筋肉も付けているのに、この寮の中で一番弱い。
彼女達に指で弾かれただけで、吹き飛んでしまうような存在だ。
だから僕は修行のため、毎日、誠心誠意、彼女達のお世話をしている。
炊事、洗濯、掃除、買い物、なんでもする。
戦いで疲れた彼女達の体のマッサージもするし、学校生活での愚痴を聞く、聞き役にもなる(スマホアプリやゲームのレベル上げとかもやらされる)。
そうして、僕は彼女達と生活しながら、その強さを学んでいる。
いつか彼女達に追いつこうと、日々、努力している。
道着を脱いで、エプロン姿に着替えるため、僕は一旦、自分の部屋に戻った。
僕の部屋は、元々この一軒家の風呂場の脱衣所だった場所だ。
そこにテレビとかパソコンとかを持ち込んでいるし、寝るときは床に布団を敷いて寝ている。
だから基本的に僕にプライベートはない。
当然、誰かが風呂に入ろうとする度に、脱衣所である部屋に入ってくる。
一応、カーテンがあって、風呂に入る人はそれを引いてから服を脱ぐから、問題はないのだけれど、時々、カーテンを引くのを忘れて服を脱ぎ始める人がいて、ドキドキする(特に宮本さん)。
僕は男として、異性として、見られていない。
いや、人間として見られているかも怪しいところだ。
「少女彦! 紙がないよ!」
トイレのほうから、宮本さんの声がした。
「はい! ただいま」
僕は急いでトイレットペーパーを持って、トイレに走る。
抜かった。
トイレ掃除のとき、紙がないのに気付いていたのに、補充するのを忘れていた。
後できっと怒られる。
夕食後の稽古で、きっと絞られるだろう。
僕の名前は山本少女彦。
僕の両親は、僕に、少女みたいに強く、逞しい男になって欲しい、そんな願いを込めて、この名前を付けてくれた。
でも、残念ながら今の僕はまだ、少女みたいに強くない。
だから僕は、いつか、少女みたいに強くなりたい。