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心の温もり

作者: 紅の玄人

 冬の日の夜。普段から通る道に白い吐息を残し、俺は歩を進めている。大通りを抜け、目的地である学校を真っ直ぐに目指す。周りにお店等はなく、街灯の光がなければこの辺りは真っ暗だ。

 やがて校舎が見えてきて、職員室や一階や二階の電気以外はすべて消灯していることがわかる。

 時刻は十九時。冬ということを考えれば、部活動に励む生徒たちも既に残ってはいないだろう。

 俺の目的は単なる忘れ物を取りに来ただけ。別に今日中に必要だったわけではない。ただ、何となく取りにいこうと思い立ったに過ぎない。 

 正門をくぐり、校舎へと入る。真っ暗な廊下は非日常的な雰囲気を醸し出し、不思議な感覚が身を包んだ。

 そういえば、革靴を履き替えるのを忘れたが、まあいいだろう。

 四階にある自分の教室にたどり着くと、月明かりに照らされた室内に人がいることに気付いた。窓際で俯いている女子、ということまではすぐにわかり、具体的に誰かというのも数秒後にはわかった。


「成瀬か?」


 暗闇の中、突然の呼び掛けに彼女、成瀬愛は大袈裟すぎる反応で振り向いた。


「や、山中くん……」


 大きく見開いた目は濡れていて泣いていたのだと気付く。


「なぜこんな時間に一人泣いているんだ?」


 何となく気になったので聞いてみた。

 彼女は焦ったように目元を拭う。


「あ、何でもないの」


「そうは見えないが」


「本当に何でもないの。些細なことだから」


「その些細なことを聞いている」


 意外なまでに食い下がる俺に成瀬は驚いた様子だった。普段の俺は誰とも関わらないような人間なので、その反応も頷ける。

 不意にある光景を思い出す。確かあれは運動会の日。リレーでバトンを落として泣いていた同じクラスの栗原里奈に対し、見知らぬ男子生徒がハンカチを渡していた。

 俺はポケットに手を伸ばし、折り畳まれた藤色のハンカチを差し出した。


「使ってほしい」


 この台詞はその時の男子生徒のものを引用しただけ。


「え?あ、ありがと……」


 成瀬は目を丸くして、おずおずとハンカチを受け取った。数瞬迷った様子だったが、もう一度ありがとうと言い、そっと目元を拭った。

 二度もお礼を言う必要はないような気がしたが。


「いい香り」


 成瀬がハンカチを両手で持ち、すぅっと匂いを嗅いでいる。


「ラベンダー、かな? とても、いい匂い」


「そうか」


 今度は模範解答がわからなかった。

 少し落ち着いた彼女が、ぽつりと呟くように話し始めた。


◇◆◇◆◇◆


 どうやら同じクラスの片山雄吾がこれまた同じクラスの椎名明日香と仲良く下校していたということが噂になっており、椎名と仲のいい成瀬はその事を誰にも話すことができず、こうして一人泣いていたと言うのだ。

 いつの間にか椅子を並べて話を聞いていた。電気こそ点けていないが、逆にそれが落ち着いた雰囲気になっている。

 話し終えた成瀬は控えめに鼻をすすり、渡したハンカチをまた目元にやっていた。


「成瀬は片山のことが好きなのか?」


 俯いたまま、成瀬ははっきりと頷いた。


「ならば、告白すればいいんじゃないのか?」


 彼女は大きく首を横に振った。


「そんな簡単にできないよ。振られちゃったら今の関係も壊れちゃうし、何より明日香とも……」


 沈黙が流れる。もう話すこともない。帰ろうか、と思ったが、一つ疑問が浮かぶ。成瀬に訊いた。


「好きになるとはどんな気持ちなんだ?」


 俺の問いに成瀬はきょとんとした顔を向ける。


「山中くん、好きになったことないの?」


「そもそも好きという気持ちがわからない。成瀬は知っているようだから訊いてみたんだが」


 俺が本当にわからないことを悟ったのか、成瀬は薄紅色の唇を綻ばせ、両手を胸元に寄せてきゅっと握った。


「胸が、温かくなるの」


 穏やかな微笑みを浮かべる成瀬の表情。少し首を傾げて続ける。


「その人のことを見つめてるだけで、自然に笑顔になれて、幸せな気持ちになれて、ときどき苦しくなるような、そんな感じ。……ごめん、うまく説明できないや」


 確かに俺にはわからなかった。好きになることは苦しくもなるのか? それでも好きでいたいものなのか? この疑問は口には出さなかったが、謎は深まるばかり。


「山中くんも、いい子見つけて素敵な恋愛してね」


 成瀬は俺に微笑んだ。その笑顔は普段、彼女が友達たちに見せるものと何ら変わりないものだったが、一つだけ。その笑顔は俺一人だけに向けられていた。

 その時、一瞬だけ、左胸の奥が熱くなった気がした。


◇◆◇◆◇◆


 外の凍てつくような寒さに拍車がかかり、ちらちらと雪が舞い降りている。成瀬はマフラーで口元まで覆い、寒いね。と声をかけてきたが、俺は「ああ」とだけ返し、二人で正門をくぐった。


「ハンカチ本当にありがとう。汚れちゃったから、洗って返すね」


「別に、構わない」

 

 大通りを直進するのが帰り道だが、成瀬を送っていこうと思い、左に曲がる。山中くんの家方向が違うんじゃない? と訊かれたが、構わない。とだけ答えた。

 やがて成瀬の家の前まで着き、時間があれば少し寄っていってと言われたが、何となく断った。

 そのまま立ち去ろうとした俺の背中に成瀬の声がかかる。


「あ、山中くん」


 振り返った。


「こんな私の話なんか聞いてくれてありがとう。山中くんてホントはとっても優しい人なんだね。これからも仲良くしてね」


 白い吐息と同時に、俺の口から漏れたのは「ああ」という声。

 俺の返事を聞き、成瀬はまた俺に向かい微笑んだ。


「じゃあまた明日、学校でね」


 手を振る成瀬を一瞥に留め、歩む俺の胸をまた熱いものがよぎった。

 だが、今の俺にはそれが何なのかわからない。

 身を切るような寒さが全身を包み、胸の熱さも同時に消え去った。

お読み下さりありがとうございました。

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