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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

白魔と、二人きりのひととき

作者: やんっ
掲載日:2026/03/28

 吹雪が吹き荒れ、強風によって丸太小屋の窓が震える。何も見えない。この環境では、普通の動物は生きられない。白魔の世界。

「アルナ、そろそろご飯にしましょうか」

 そう言ったのは、私の師匠であるテオリネ様だ。

 私は窓から視線を外し、テオリネ様へと振り返る。

 テオリネ様は、胸まで伸びた暗い金髪を揺らしながら、垂れ気味の灰色の瞳をこちらに向けていた。その瞳は灰色だ。だが角度によっては、深い青にも見える。いつ見ても、息を呑むほど綺麗だった。

「はい、テオリネ様」

 外の咆哮が嘘のように、部屋は静かで暖かかった。

 テオリネ様は、火掻き棒で暖炉を掻き回していた。厚い毛皮越しでも、その体つきの豊かさがわかる。やがて、その暖炉の灰の中から、私の顔ぐらいの大きな鍋を取り出す。

 テオリネ様は、火かき棒を壁に立てかけ、腰のホルダーに挟み込まれた短杖を掴み上げた。

「動け」

 異国の言語のような、けれど、どこか神聖な言葉で言った。

 鍋が震え、浮き上がる。まるで、言葉に呼応するように。

 ──魔術言語。考えるまでもなく分かった。

 その鍋は暖炉の前のテーブルに一直線に浮遊していき、音を立てないで着地した。

 鍋は一度も揺れない。私だったら、こぼしちゃいそう⋯⋯。

「⋯⋯揺れてない」

 感嘆のような吐息が漏れ出した。

「アルナもできるようになりなさい」

 甘く香ばしい匂いが、ふわりと鼻を擽る。

 テオリネ様は軽い笑みを湛え、湯気が立ち上る鍋からキャベツのスープを皿に取り分ける。私はテーブルに置かれた黒いパンを片手に持つ。

「はい!じゃあ、頂きます!」

 パンをスープに浸し、口に含む。

 口に広がるのは、パンの重厚な酸味と、スープの仄かな酸味。そこに玉ねぎと人参の甘みが重なり、酸味をやわらかくまとめている。

 何度食べても、飽きることがない。そんな味だった。

「美味しいです⋯⋯!」

「アルナはそれが好きね。でも、少し落ち着いて、ゆっくりと食べなさい⋯⋯」

 テオリネ様は、紅茶を私に差し出しながら、優しく言った。紅茶には、僅かにお酒が入っていて、体がスープと相まって暖まっていく。

 ふと、顔を上げた。

 テオリネ様は、暗い金髪をかき上げ、耳にかけた。それから、銀のスプーンを音を立てず操り、口に含む。そのまま、パンを一口分だけちぎり、口に入れる。

 上品で、絵画のような美しさ。

 テオリネ様がふと、こちらを見て、首を傾げる。

「なに?」

 それがまた、美しかった。

 私は、顔を赤く染め、ぷいっと食事に戻っていく。

「なんでも、ないです」

 食事を進めていく。

 暖炉がパチッと鳴った。

 


 ◇

 

 食後、テーブルには、本がいくつも積まれている。テオリネ様と共に、紅茶を楽しみつつ、本を読む。ちらりとテオリネ様の様子を窺う。

 このテーブルの本の殆どは、テオリネ様が読むために持ってきたものだ。そのジャンルは幅広い。無頓着とさえ言っていいぐらいに。

 今、読んでいる本だって、砂漠の魔物について──その対処法、だ。ここらへんは砂漠の魔物なんて出るはずがない。

 そのテオリネ様が、本から視線を外し、口を開いた。

「アルナ、明日は街に出るわ。準備しておいて」

 テオリネ様は街の方を見たまま、そう言った。まるで、吹雪の向こうが見えているみたいに。

 ⋯⋯そうだった。こんな大規模な吹雪だったら、こんな未開拓領域にある家を超えて、街に届いているかも。

「⋯⋯そうですか。この吹雪ですもんね。分かりました。準備しておきます」

「よろしくね」

 その一言で、元の穏やかな空気に戻っていった。


 ◇

 吹雪が窓を撫でる。その吹雪の奥、微かに太陽の光が見える。晴天だ。

 まあ、温かくならないけど。

 翌朝、吹雪はある程度収まっていたが、それでも、吹雪で積もった雪は、まるで溶けていないし、今も振り続けている。

「動け。ふぅ」

 私は、荷物を入れた膨らんだ大袋を浮遊させる。テオリネ様のように、完璧に制御はできていないが、私だって浮かせるぐらいだったらできる。

 でも、その師匠はといえば。

動け(動け)」 

 二連続詠唱。

 口が二つあるかの如き声。

 その原理は簡単。高速で二回詠唱すればいい、と言っていた。⋯⋯まだ、全然できないけど。

「じゃあ、行こうか」

 テオリネ様が外への扉に手をかける。

 そして、感じるのは極寒の気温だけ。見えるのは、雪だけ。

 日常の風景。

 私はこの風景を気に入っている。

 テオリネ様がいるからだ。


 テオリネ様が衝角のような結界を展開する。その結界は、外気温から隔離する役割も持つ。

 その結界を押し出し、自重で氷塊の如き固まった雪を砕き、押し出し、後ろに流す。

「私が代わりましょうか?テオリネ様の手を使うほどでは⋯⋯」

「いや、いいよ。豪雪地帯だったら、基本技術、なんでしょ?それは、師匠である私が、しないわけにはいかない」

「⋯⋯そう、ですか」

 ⋯⋯普通はこんなに積もって、固まった雪は砕けないです、って言いたいけど。

 その自慢げな顔を、曇らせたくはない。


 ここは⋯⋯。この道は⋯⋯。

 私は目を細め、つい足を止めてしまう。

 それは感動か、それとも、憎しみ?或いは、望郷?

 

 私が辿った道。そして、テオリネ様に救われた聖地。

 あの時、私は幼かった。

 母が死んだ。その時、父は出稼ぎでいなかった。あの日も、昨日のような吹雪であり、村は極限状態に達し、燃料は僅か、食料は底がつきそうになっていて、守る者がいない弱者は村からの追い出されていた。

 正当な理由などない。感情──いや、本能。生への渇望という生物本来の。

 ただ、弱者が追い出された。


 追い出された私の手足は、壊死しかけていて、ほぼ感覚がなく、逆に、熱かった。眼球にも、凍傷が進む。おなかが減っていて、のどが渇いていて、でも、雪を食べちゃいけないことは知っていた。

 一歩、進む。一歩、進む。

 一歩、進──めない。

 足から崩れ落ちる。

 もう、進めない。生きられない。

 それだけが脳を反響する。

「あ、あ────!」

 現実を受け止めたくなくて、頭から声をなくしたくて、声を上げる。涙が出ては凍り、出ては凍り、と繰り返し、最終的には、涙も、声も出なくなった。

 ひゅう、ひゅう、となる呼吸。次第にのどは締まっていき、咳が止まらない。だが、その音を自分の呼吸だとわからない。

 白濁とする意識。

 吹雪の咆哮だけが聞こえていた。


 その時だった。

「貴方、大丈夫ですか?」

 声が聞こえた、気がする。はじめは、極限状態の幻聴だと思った。何回も騙され、絶望した記憶が蘇る。

 それにもう、体が動かない。

 掌に何かは分からなかったが、感触があった。

「少し体力を回復させて⋯⋯⋯治れ」

 血流が回復し、体に熱が戻ってくるような感覚。だが、温めるだけでは死ぬ。それが本能で分かっていた。

 鋭い痛みを堪え、瞳を開ける。

 そこでテオリネ様を見た。

 煌めき瞬く神々しい後光が、視界を染め、その中心に、豊穣女神が如き美貌の女性。そして、

「助けてほしいですか?」

 手を差し伸べられた。

「だずっ」

 一瞬の間もなく、声を上げようとして、喉が潰れていて、できない。

 だが。

「はい。分かりました」

 治療が開始された。


「アルナ、どうしたの?」

テオリネ様の声が、雪の中に落ちた。

 ──あの時と同じ声だ。

 

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