第4話 過剰な力の行き先
――テオ視点――
その日の放課後、テオは一人で学園の門を出た。
帰り道はできるだけ人通りの多い通りを選ぶ。ベルンシュタイン家の名前が、余計な火種を呼ぶことは、もう十分に分かっていたからだ。
だからといって、トラブルの方から避けてくれるわけでもない。
「ちょっとだけだって」
「俺たちといいことしようぜ」
「やめてください」
路地の入り口で下衆と、困ったような声が聞こえた。
若い女性が数人の不良に囲まれている。露骨に距離を詰められ、逃げ場を失っているのが、遠目にも分かった。
(無視、できないよなあ……)
テオは小さく息を吐いてから、そちらへ歩み寄った。
「その人嫌がってるよ。諦めたら?」
不良の一人が、面白くなさそうに振り返る。
「あ? なんだテメェ」
「関係ねえだろ、失せろよ」
「関係ある。困ってる人を放っておけないだけだ」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
次の瞬間、相手の一人が舌打ちして、ナイフをちらつかせた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ、ガキ」
(やっぱり、こうなるよな。素直に諦めてくれるような知性を持ち合わせていない顔だもの……。あ、それなら家の名前を出せば引くかな?)
テオは内心でそう思いながら、ゆっくりと息を整える。
だが、結果は不発。ベルンシュタイン家の次男だと信じてもらえなかったのだ。
そして、不良たちはテオをいたぶるために、路地裏へと連行する。
この世界には魔力がある。
そして、それを体に巡らせれば、身体能力を一時的に引き上げることができる。
ただし――魔力の量には個人差がある。
ごく普通の人間なら、少し力が強くなる程度。
訓練を積んだ騎士なら、常人離れした動きができる。
そして、ごく稀に――“持ちすぎた”者もいる。
過去には、魔力に肉体が引きずられ、虎やライオンのような姿に変質した例もあると聞く。
力に耐えきれず、形そのものが変わってしまった者たちだ。
(俺の場合は、そこまでじゃない。……はずなんだけどな)
テオは路地裏に入ると、静かに魔力を解放した。
血流が早まり、視界が澄む。筋肉が軋むような感覚と同時に、体が軽くなる。
次の瞬間――
最初に踏み込んできた男を、テオは正面から叩き伏せた。
勢いのまま、二人目、三人目と間合いに入らせない。
「なっ……!」
数秒も経たないうちに、不良たちは地面に転がっていた。
テオは、荒くなった呼吸を整えながら、倒れている不良たちを見る。
(……やりすぎてないよな?)
冷静になってふと、自分の体に違和感を覚える。
服の感触がいつもと少し違う。視線を落とすと、シルエットがわずかに変わっているのが分かった。
(また、か……)
魔力が強すぎるせいで、肉体が微妙に変化する。
虎やライオンになるほどではないが、バランスを取るように、体つきが変わることがあるのだ。
女性へと――――
(笑えないよな。ほんとに……)
テオは誰もいない路地で、もう一度だけ深くため息をついた。
力は確かに役に立つ。
だが、その代償もまた、無視できないものだった。
――過去――
――テオが初めて女体化したのは、12歳の時であった。
父である侯爵が、魔力を扱う訓練の為として女性の家庭教師を雇ったのだ。
名前をリディアという。25歳という年齢であるが、アスリートのように鍛え上げられた筋肉をもっており、それに魔力でバフをかけることで、界隈では有名人となりつつあった。
そんな彼女の欠点は可愛いものが好きなこと。
12歳のテオは、彼女にとって萌え死ぬくらいの、ど真ん中ストライクだった。そこで、適当な理由をつけて、テオと一緒に山籠もりして修行をすることにしたのだ。
ベルンシュタイン家の別荘から、さらに半日ほど山に入った場所。
「ここよ、テオ。今日の訓練場」
そう言って地図を畳んだリディアは、やけに機嫌が良さそうだった。
「……あの、周り、森しか見えないんですけど」
「うん。だからいいの。邪魔が入らないでしょ?」
まるでピクニックの場所でも選ぶみたいな口調だが、テオは嫌な予感しかしなかった。
「今日の課題は、魔力を使って実戦で戦うこと。相手は――」
リディアは、さらっと言った。
「この山に棲んでる熊型の魔獣よ」
「……え?」
聞き返す間もなく、森の奥から重い足音が響いた。
姿を現したのは、確かに熊だった。
ただし、普通の熊より一回り大きく、目が不自然に赤い。
「だ、大丈夫なんですか、これ……?」
「大丈夫よ。危なくなったら、私が助けるから」
胸を張ってそう言われても、安心できる要素は見当たらない。
テオは剣を握り直し、教えられた通り、魔力を体に巡らせた。
(いきなり実戦が魔獣とか、無茶にもほどがあるよ……)
熊が吠え、地面を蹴る。
重い衝撃。
一撃を受け止めきれず、テオは地面を転がった。
「っ……!」
立ち上がろうとした瞬間、視界いっぱいに黒い影が迫る。
(まずい……!)
テオの脳に転生後の人生が走馬灯のように浮かんだ。
リディアが一歩、前に出る。
「ちょっと待ちなさい、それ以上は――」
助けに入るつもりだったのだろう。
だが、テオの方が先に、思わず叫んでいた。
「う、うわああっ……!」
恐怖と焦りで、使えていなかった膨大な魔力が一気に弾けた。
体の奥が熱くなり、視界が妙に冴える。
でも、それ以上に――
(……な、なんだ、これ……!?)
自分の体の感覚が、おかしい。
軽い。力が抜けたみたいなのに、同時に、妙に動ける。
「え?」
自分の声が、いつもと少し違う気がして、テオは一瞬だけ戸惑った。
だが、考える暇はなかった。
気づけば、さっきまでよりもずっと速い動きで、熊の懐に入り込んでいた。
「う、うそだろ!?」
自分でも信じられない勢いで振り抜いた一撃が、熊の体を打ち抜く。
鈍い音とともに、巨体が横倒しになった。
森に、急に静けさが戻る。
「え?」
テオは、その場に立ち尽くした。
倒れた熊と、自分の手を、交互に見る。
(……なに、今の……? 俺、何した……?)
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
数秒遅れて、体の熱がすっと引いていった。
「……テオ」
リディアが、ゆっくりと近づいてくる。
「今の、分かってた?」
「……いえ……正直、何が起きたのか……」
テオは、困惑したまま首を振った。
「気づいたら……体の感じが変で……勝手に、動いて……」
リディアは、じっとテオを見てから、小さく息を吐いた。
「やっぱり、ね。魔力が強すぎて、体が引っ張られたのよ」
「……引っ張られた?」
「普通は魔力を使ったとしても、ちょっと強くなるくらい。でも、あなたの場合はとてつもなく強くなる。その代償として体が変わるみたい」
テオは、思わず自分の体を見下ろした。
特に変わったところはないような気がしたが、股間のあたりの感触が違っていることに気が付く。
そういえば、声もいつもより高いことに気が付く。
変声期をむかえ、低くなった声が、かつてのように高いのだ。
「あの、俺は……なんか、無くなっているというか……声も高いし」
羞恥が言葉を濁らせる。
「ええ。性別が変わっているわね」
リディアは、少しだけ苦笑する。
「助けるつもりだったんだけど……完全に、必要なかったわね」
「……そんな……俺、どうなっちゃうんですか?」
テオの顔には焦りがあった。
このまま女として一生過ごすのかという焦りである。人類の半分は女性なので、別に困るようなことでもないのだが、男だったものが突然女へと変われば、焦りもするのは当然だった。
「だから問題なのよ」
リディアは、指を一本立てた。
「魔力を使って全力を出すと、体がそっちに引っ張られる。動物なんかに変身するひともいるらしいけど、貴方は性別が変わるのね。魔力による一時的なものだから、魔力を使わなくなれば元に戻るらしいけど、かつて、元に戻らず心まで獣になってしまった人もいたらしいわ」
そう言いながらもリディアは内心で
(平常心、平常心。ああ、なんて可愛いのかしら。今すぐにでも押し倒したい)
と自分を律しながらも、獲物を見つけた野犬のように目をぎらつかせ、よだれを垂らすのであった。
テオはそれには気づかず、倒れた熊を見てから、小さく頷いた。
「つまり、俺は全力を出さない方がいいってことですね」
「そういうこと。それに、性別が変るなんてことが知られたら、奇異の目でみられるだろうし」
(それは、私もだけど――――)
リディアは、にこっと笑った。
「でも大丈夫。ちゃんと練習すれば、制御できるようになるわ。可愛い弟子を、危ないまま放り出すほど、私は無責任じゃないもの」
その笑顔を見て、テオは思った。
(この人の言う“練習”、たぶん、相当きついやつだ……)
リディアのぎらつく目が、そう思わせたのである。実際には別の理由でぎらついていたのだが。
そして同時に、さっき自分の体に起きた“変化”のことを思い出して、背中に冷たいものが走った。
(戻らなかったらどうしよう……)
――レオンハルトの記憶――
レオンハルトは校舎裏でテオに絡んでいたマティアスを倒した後、かつて弟に負けた時のことを思い出していた。
(あれは、いつの頃だったか)
レオンハルト・フォン・ベルンシュタインは、自分が弟に対して、決して優しい兄ではなかったことをよく覚えている。
父の期待を一身に受け、早くから腕力も魔力も頭一つ抜けていた自分に比べて、テオはどこか頼りなく見えた。口数も少なく、争いごとを避ける性格。正直、同じマフィア一家のボスである父の血を引いているとは思えないほどだった。
「……お前、本当にベルンシュタインか?」
当時のレオンハルトは、そんな言葉を、半ば冗談、半ば本気で投げつけていた。
屋敷の裏庭。鍛錬の名目で呼び出しては、わざと強く当たる。転ばせて、立たせて、また叩く。
今思えば、ただの八つ当たりだったのかもしれない。
「ほら、立てよ。これで音を上げるようじゃ、外じゃ生きていけねえぞ」
その日も、いつも通りのつもりだった。
地面に手をついたテオは、俯いたまま、小さく息を整えていた。
「……兄さん」
その声が、いつもより低く、静かだったことを、レオンハルトは覚えている。
「もう……、やめて……」
「は?」
思わず、鼻で笑った。
「何だそれ。弱音か?」
「それじゃあ仕方がないね。警告はしたよ」
次の瞬間だった。
テオの周囲の空気が、目に見えて揺らいだ。
魔力――それも、明らかに常人の域を超えた濃さの気配が、一気に溢れ出す。
「……っ?」
レオンハルトが一歩引くより早く、テオは立ち上がっていた。
動きが違う。
さっきまでの鈍さが、嘘みたいに消えている。
「は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
踏み込んできたテオの拳を受け止めようとして――気づいた時には、視界が回転していた。
背中から地面に叩きつけられる。息が詰まる。
「ぐっ……!」
何が起きたのか、理解する前に、テオはもう一度、間合いを詰めてきた。
動きはなんとか目で追えたが、早すぎてなにも対処出来なかった。
そして――その時、レオンハルトは気づいた。
テオの体つきが、わずかに変わっている。
肩の線が細く、輪郭が柔らかくなり、全体のシルエットが、どこか――
(女みたい……、だと?)
そんな馬鹿な、と思う間もなく、二撃目が飛んできた。
今度こそ、完全に吹き飛ばされた。
地面を転がり、ようやく止まった時には、レオンハルトはしばらく起き上がれなかった。
視界の端で、テオが荒い息をつきながら、立ち尽くしているのが見える。
「……っ、はぁ……はぁ……」
数秒後。
テオの周囲の魔力が、すっと引いていった。
それと同時に、体つきも、元の細身の少年のものへと戻っていく。
「今の、何だ……?」
地面に仰向けになったまま、レオンハルトは呟いた。
テオは、少し気まずそうに視線を逸らした。
「魔力を全力で使うと、こうなるんだ」
「……こうなる、って……」
殴り飛ばされたことより、その“変化”の方が、レオンハルトには衝撃だった。
魔力が強すぎて体が変わり、虎や獅子のような姿に変質する者の話は、聞いたことがある。
だが、目の前の弟は、別の“性別”になっていた。
「……ふざけた力、持ちやがって……」
そう言いながら、なぜか、胸の奥が少しだけざわついた。
弱いと思っていた弟が、実は、自分よりも厄介なものを抱えているのかもしれない――そんな予感がしたからだ。
それ以来、レオンハルトは、無闇にテオに手を出すのをやめた。
恐れたのだ。
(あいつの“あれ”は、厄介すぎる)
そう、本能的に理解したのだった。




