第14話 クラブ活動後編
テオたちが立ち去った演劇部の部室には安堵の空気は流れなかった。
「今日は、って言ったよな?」
「つまり……」
一人が呟く。
「また来るってことだ」
全員が青ざめた。
カタリナも腕を組んだまま、黙っている。
だがその拳は、少し震えていた。
(……怖い)
正直に言えば、怖かった。
ローレンツの笑顔。
ブルーノの無言の威圧。
そして何より――
テオドール・フォン・ベルンシュタイン。
噂では、街の不良を半殺しにした男。
学園内のマフィアのボス。
しかし。
(……でも)
カタリナは思い出す。最後に見たテオの顔。
「驚かせてごめん」
あの言葉。
あの表情。
(……あれは本当に悪人の顔?)
カタリナは目を閉じた。
そして決意する。
(逃げるのは嫌)
ぎゅっと拳を握る。
(部長は私。このクラブは私が守る。そして、私の夢、舞台女優は諦めない)
ゆっくりと立ち上がる。
「私――」
部員たちが顔を上げる。
「直談判してくる」
「ええ!?」
「ぶ、部長!?」
「危ないですよ!」
カタリナは振り向いた。
「大丈夫」
強い声だった。
「逃げ回っていても、解決しない」
そして小さく付け加える。
「……怖いけど」
そう言うと、部室を出ていった。
夕方の帰り道。
カタリナは周囲を見回しながら歩いていた。
(ベルンシュタイン、噂では街で縄張りの状況を確認しているというけれど……)
あの三人の姿を探す。
しばらくして――
見つけた。
テオだった。
一人で歩いている。
(今なら……)
カタリナは深呼吸をする。
(言うのよ。クラブには手を出さないでくださいって。大丈夫、街中なら目撃者も多いから、ひどいことはされないはず)
そう自分に言い聞かせて、一歩踏み出す。
「ベルンシュタ――」
その時だった。
ドン。
小さな音。
カタリナが振り向くと、子供が転んでいた
石畳に膝を打ったらしく、顔を歪めている。
「う……」
そして――
「うわああああああん!」
大泣き。
その声に、テオが振り向いた。
「あー……」
困った顔をする。
そして子供の前にしゃがんだ。
「大丈夫?」
子供は泣き続ける。
テオはポケットからハンカチを出す。
「ほら」
膝の砂を軽く払ってやる。
「痛かったな」
子供はまだ泣いている。
テオは苦笑した。
「これだけ大声で泣くのは元気な証拠だ」
子供の頭をぽんぽんと叩く。
「ほら、立てる?」
子供はこくりと頷いた。
テオが手を引いて立たせる。
「偉い」
そう言って、子供の頭を軽く撫でた。
「気をつけて帰れよ」
子供は鼻をすすりながら頷く。
「うん」
そして走っていった。
テオはそれを見送って、ぽりぽりと頭をかいた。
「俺、子供には怖がられていないんだよな」
その一部始終をカタリナは少し離れた場所から見ていた。
胸の奥が、わずかに揺れる。
(……あれ?)
思っていた姿と違う。
(この人……)
さっきまで覚悟していた言葉が、出てこない。
(……いい人?)
カタリナは小さく首を傾げた。
(本当に、マフィアのボスなの?聞いていた情報とは違うような)
夕暮れの光の中で。
テオはただの、少し困った顔の少年に見えた。
しばらくすると、遠くから慌てた声が聞こえてきた。
「ユウ!ユウ!」
女性だった。
泣き止んだ子供が振り向く。
「ママ!」
駆け寄っていく。
母親は膝をついて子供を抱きしめた。
「もう、どこに行ってたの!」
「ころんだ」
子供が指をさす。
「あのお兄ちゃんが助けてくれた」
母親はテオの方を見た。
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ」
テオは軽く手を振る。
「転んだだけみたいで良かったです。怪我も大したことなさそうで」
母親は何度も頭を下げた。
「本当に助かりました」
子供も振り向く。
「おにーちゃん、ばいばい!」
笑顔で手を振る。
テオも手を振り返した。
「気をつけて帰れよ」
二人が去っていく。
その背中を見送りながら、テオは小さく息を吐いた。
「……よかった」
その様子を見ていたカタリナは、胸の奥の緊張がほどけるのを感じていた。
(やっぱりこの人……)
意を決して、一歩前に出る。
(話してみよう)
そう思った、その瞬間。
「ボス」
背後から声。
カタリナの背筋が凍った。
振り向くと――
ローレンツ。それにブルーノ。そして数人の構成員。
テオドールファミリーだった。
「……っ!」
カタリナは固まる。
ローレンツがテオの横に並ぶ。
「この女、ボスをつけ狙ってましたが」
「なにが」
「命でしょう。愛の告白なんてわけはありませんから」
テオが眉をひそめる。
「まあ、その可能性はないね」
ローレンツはカタリナを指さす。
「この女」
一拍。
「さらうんですか?ボスの命を狙った以上、ただで返すわけにはいかんでしょう」
カタリナの思考が止まった。
(さらう)
(さらう!?)
テオが即答する。
「さらわない」
だがカタリナにはもう聞こえていなかった。
(罠!いい人に見せかけて、私を油断させたのね)
次の瞬間。
カタリナは全力で走り出していた。
「うわあああああああ!!」
「え?」
テオがぽかんとする。
ローレンツが首をかしげた。
「……逃げましたね」
「なんで?」
ブルーノが言う。
「追いますか?」
「いや、いい……」
テオは頭を抱えた。
(なんでこうなる。俺は何もしてないのに……)
夕暮れの空を見上げる。
(ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……)
翌日。
演劇部の部室。
扉には紙が貼られていた。
「クラブを差し上げます」
下には震える字。
「どうか命だけは助けてください」
テオは固まった。
「……なにこれ」
部室の中は空っぽだった。
衣装も。
大道具も。
部員も。
何もない。
全てを持ち去って逃げていた。
ブルーノが腕を組む。
「無血占領ですな。無駄な血が流れなくてよかった」
「占領してない。っていうか、クラブに入るのに、なんで流血しなきゃならないの」
ローレンツがゆっくり頷く。
「なるほど」
テオは嫌な予感がした。
「何が」
ローレンツは感心したように言う。
「ボス」
「なに」
「私以上の策士です。恐怖を与えてはいるが、手を出したわけではない。どこにも犯罪性がないので、罪にとわれることも無い。このローレンツ、感心いたしました」
「違う」
ローレンツは続ける。
「昨日わざと引き」
「引いてない」
「相手を安心させ」
「させてない」
「夜のうちに心理的圧力をかける」
「かけてない」
ローレンツは深く頷いた。
「完璧です」
テオは頭を抱える。
ローレンツがさらに言う。
「どんなあくどい手を使ったのですか?」
「使ってない」
ブルーノも頷く。
「恐ろしい。流石はボス」
「恐ろしくない」
ローレンツは部室を見渡す。
「というわけで」
一拍。
「演劇クラブ、これにて乗っ取り完了です」
テオは天井を見上げた。
(違うんだ。俺は平和なクラブに入りたかっただけなんだ)
そして小さく呟く。
「ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……」
テオが天井を見上げている、その時だった。
「……テオ?」
聞き覚えのある声。
振り向くと――
エリザベートだった。
「リザ」
「何をしているの?」
エリザベートは部室の中を見回した。
空っぽの部屋。
貼り紙。
そして、ローレンツとブルーノ、構成員たち。
完全にマフィアの集会だった。
「……なるほど」
エリザベートは小さく呟く。
実は、彼女もクラブを探していたのだ。
屋台の手伝いがあるため、活動に毎回参加することは難しい。
(幽霊部員でも許されるクラブがいい)
そう思って、演劇クラブを訪ねてきた。
だが――
目の前の光景。
エリザベートは固まった。
(……やっぱり)
(悪人じゃない)
(超悪人じゃない。演劇クラブを乗っ取ったのね)
その時、構成員の一人が気づく。
「姐さんだ」
エリザベートがびくっとする。
「姐さん!」
構成員が笑顔で言う。
「ここがアジトです!」
「くつろいでください!」
エリザベートの視界が揺れた。
(アジト?)
(くつろぐ?)
頭がくらくらする。
(……なんで)
(なんで私は)
心の中で叫ぶ。
(夢とはいえ、こんな人にときめいたのよ!!)
テオは頭を抱えていた。
「違うんだ」
「違うの?」
「違う」
しかしエリザベートは信じない。
それもそのはず。部室にはすっかりマフィアのアジトとしての空気が漂っていた。
数日後。
夕方の露店通り。
屋台から煙が上がる。
「串二本!」
「はい!」
テオが皿を渡す。
横ではエリザベートが焼き上がった串を並べていた。
「テオ」
「なに」
「皿」
「はいはい」
アルフレッドが肉を焼きながら笑う。
「今日も繁盛ですな」
客の列は長い。
テオは串を渡しながら、ふと呟いた。
「……まあ」
エリザベートが振り向く。
「何?」
「テオが部長だから、幽霊部員として気兼ねなく、放課後は屋台の仕事が出来て良かったわ」
エリザベートははにかんだ笑顔になる。
「最低の理由だけどね」
金を稼ぐために、クラブ活動をしないことへの後ろめたさ。
それを隠すための笑顔。
「だって忙しいし」
屋台の煙が夕焼けに溶ける。
客がまた声をかける。
「串三本!」
「はい!」
テオは串を渡しながら思う。
(まあいいか。平和ではないけど悪くない)
そして心の中で呟く。
その表情は、少しだけ笑っていた。




