第13話 クラブ活動前編
エリザベートは壁際に追い詰められていた。
背後には石の壁。逃げ場はない。
目の前にいるのはテオ。
黒いメイド服。白いエプロン。そして長い髪。
だが、その雰囲気は決して可愛らしいものではなかった。むしろ凛々しい。
宝塚の男役のような、妙に堂々とした気配をまとっている。
テオは片手を壁についた。
――ドン。
エリザベートの心臓が跳ねた。
「リザ」
低い声。
その距離は、息がかかるほど近い。
「な、なに……?」
テオは少しだけ微笑んだ。
メイド服を着ているのに、まるで貴公子のような笑みだった。
「逃げるの?」
「に、逃げてなんか……」
言葉がうまく出てこない。顔が熱い。胸が苦しい。
テオがもう一歩近づく。壁と腕の間に閉じ込められる形になる。
「リザ」
優しい声。
それだけで、胸がぎゅっと締めつけられる。
エリザベートは思わず言った。
「……お姉さま」
そして抱きついた。
――その瞬間。
ぱちん。
目が覚めた。
天井が見える。自分の部屋だった。
「……夢?」
エリザベートは起き上がる。
ばしばしばし!
枕を殴った。
「何よあれ!!」
髪をわしゃわしゃとかき乱す。
「なんで私があんな……!」
思い出してさらに赤くなる。
枕に顔を埋め、小さく呟く。
「……彼が女だったらよかったのに」
――
登校の時間。
リート学園の正門へ続く並木道を、エリザベートはいつものように歩いていた。
背筋を伸ばし、顎をわずかに上げる。堂々とした歩き方。
ローゼンベルク家の令嬢としての品格を体現する姿だった。
そこへ女学生たちが近づく。
「エリザベート様、おはようございます」
エリザベートは優雅に微笑んだ。
「おはようございます」
その時だった。
「姐後!!」
元気な声が響いた。
振り向くと、そこにはテオドールファミリーの構成員たち。
「姐後、おはようございます!」
「姐さん、おはようございます!」
エリザベートは固まる。
「……は?」
「昨日はお見事でした!屋台戦争、完全勝利!」
「さすがボスの女!」
エリザベートは――
ずっこけた。
「何よそれ!!」
その横で、先ほどまでうっとりしていた女学生たちが後ずさる。
「姐後?」
「ファミリー?」
「マフィア……?」
エリザベートは空を見上げ、小さく呟いた。
「違うのよ」
構成員が首をかしげる。
「何がです?」
エリザベートは叫んだ。
「私はあなた達の姐御じゃありません!!」
後から登校してきた構成員が空気を読まずに挨拶をした。
「姐御!おはようございます!」
「誰が姐御よ!」
エリザベートの叫びが天まで届いた。
――
ホームルーム。
担任教師が黒板の前に立っている。
「さて、今週中にクラブを決めてもらう」
教室がざわついた。
「クラブ活動は学園生活の重要な一部だ。必ずどこかに所属すること」
紙が配られる。
「希望クラブを書いて提出しなさい」
生徒たちはそれぞれ話し始めた。
「剣術かな」
「魔術研究会が人気らしいぞ」
「音楽クラブもいいな」
その時。
テオは窓際の席でぼんやりしていた。
(クラブか……)
昨日の屋台騒動を思い出す。
(面倒なことにならないやつがいいな。出来れば、ファミリーの構成員が興味を示さないようなやつが)
すると、ふと頭に浮かんだ。
(……演劇とかいいかも)
演劇なら、戦わなくていい。
政治もない。
マフィアも来ない。
そもそも、学園のクラブ活動でマフィアがかかわることは無いのだが、テオの心は荒んでおり、そうした常識でさえ忘れてしまっていた。
(平和そうだ)
テオは小さく頷いた。
(よし、演劇部にしよう)
その瞬間。
教室の後ろから声がした。
「ボス」
振り向く。
ローレンツだった。嫌な予感がした。
「……なに」
「クラブを決めるそうですね」
「そうだね」
「決めましたか?」
「演劇部」
ローレンツの目が光った。
「なるほど」
「君、興味がないでしょ?」
「何をおっしゃいますか!ボスのあるところにローレンツあり。一生お供させていただきます」
一生という言葉を聞いて、テオの背中に冷たいものが走った。
(ううう……俺は一生この男に付きまとわれるのか……)
ブルーノも振り向く。
「演劇か」
「うん」
テオは頷いた。
「平和そうだし」
ローレンツはゆっくりと立ち上がった。
「素晴らしい」
「なにが?」
「演劇です」
ローレンツは指を立てた。
「つまり、情報戦です」
「違う」
「変装の訓練」
「違う」
「潜入」
「違う」
「諜報」
「違うって」
ローレンツは満足そうに頷いた。
「ボスはすでにそこまで考えているのですね」
「考えてない」
ブルーノが腕を組む。テオの話など聞いていなかった。
「演劇部……なるほど」
「お前もか」
テオは既にブルーノに正しい情報を伝えるのを諦めた。
ブルーノは一人で勝手に納得して話を進めていく。
「舞台装置、照明、裏方」
ブルーノは真顔だった。
「ファミリーの拠点としては悪くない」
「拠点じゃない」
ローレンツは机を叩いた。
「ブルーノ、お前もそう思うか。ボス、決まりました」
「何が」
「演劇クラブ」
一拍。
「乗っ取ります」
「乗っ取らない」
ローレンツは続けた。
「ボスが部長」
「ならない」
「ブルーノが実行部隊」
「任せろ!」
「私は脚本。全ては学園を乗っ取るための足掛かり。ボスのために最高のシナリオを用意いたします」
「書くな」
テオはクラクラしてきた。
ローレンツはさらに続ける。
「全ては学園支配のために――――」
にやりと笑う。テオは否定する気力も尽きて、ただただそれを聞いていた。
放課後。
テオは演劇部の見学へ向かっていた。
(平和なクラブ……彼らには、一応ついてくるなとは命じたが……)
廊下を歩きながら、テオは小さく頷く。
振り向けば誰もいない。連日、金魚のフンのようにまとわりついていた構成員たちも、テオの命令とあっては、それをすることは無かった。
(争いもない)
(政治もない)
(マフィアもない)
そのはずだった。
「ボス」
背後から声。
振り向くと、ローレンツがいた。
その隣にはブルーノ。
テオの眉がぴくりと動く。
「……なんでいるの。命令は?」
「見学です。ボスについてきたわけじゃありません。実に奇遇ですなあ」
「わざとらしいんだよ……」
「ファミリーの未来に関わる問題です」
「関わらない」
ブルーノが腕を組む。
「演劇部」
「うん」
「潜入訓練には良い」
「潜入しない」
テオはため息をついた。彼には会話が通じない。ならば路傍の石かなにかだと思えばいいかと自分に言い聞かせる。
それでも――――
(嫌な予感しかしない)
演劇部の部室。
古い扉を開ける。
中には十人ほどの生徒がいた。皆、テオたちを見ると、びくっとした。
既に悪名が知れ渡っており、彼らも何をされるのかと警戒をしているのである。
そうした視線が痛いテオ。だから、視線をそらして逃げた。その先に見えたのは――
衣装ラック。
舞台背景。
木剣や大道具。
ローレンツは部室を一周して言った。
「……貧相ですね」
全員が固まる。
「ボスのアジトとしては、ですが」
「アジトじゃない」
ブルーノが大道具の木剣を持ち上げる。
「悪くない」
「何が」
「訓練に使うでしょう」
「しない」
ブルーノは舞台セットを見る。
「障害物もある」
「それ舞台装置」
ローレンツが続ける。
「活動費はいくらですか?」
訊かれた部員が震える。
「え?」
「クラブ予算」
ローレンツは頷いた。
「ファミリーの資金として運用しましょう」
「しない」
テオが否定するも、それは伝わらない。
部員たちが後ずさる。
「マフィアだ……」
「本物だ……」
「活動費をむしり取るつもりか……」
テオは頭を抱えた。
(違うんだ)
(俺はただ演劇を見学に来ただけなんだ)
その時だった。
「そこまでです」
強い声。
部員たちの前に一人の少女が立った。
長い黒髪。
鋭い目。
堂々とした姿だった。
「ここは演劇部です」
腕を組む。
「マフィアの事務所ではありません」
ローレンツが目を細める。
「何だ、女?テオドールファミリーがアジトとして使うんだ。光栄に思え」
しかし彼女は怯まない。
「私は部長」
一拍。
「カタリナ・シュヴァルツェンベルク」
テオは内心で思う。
(強そう)
カタリナは言った。
「ここを乗っ取るつもりなら――」
机を叩く。
「私が相手になります」
部員たちがざわめく。
「部長……!」
ローレンツが笑った。
「面白い」
そして言う。
「ボス」
「なに?」
「この女」
一拍。
「スカウトしましょう。この度胸は使えます」
「しない」
カタリナの目が細くなる。
「断ります」
ローレンツが言う。
「交渉しましょう」
「しません」
テオは二人の間に立たされていた。
左にはローレンツ。右にはカタリナ。
二人とも一歩も引かない。
テオは天井を見上げた。
(どうしてこうなる。俺はただ、平和なクラブに入りたかっただけなんだ)
そして小さく呟く。
「ああ……俺はなぜ異世界でこんな目に……」
しかし、状況は変わらない。
演劇部の部室には、重苦しい沈黙が流れていた。
ローレンツは相変わらずにこやかで、ブルーノは腕を組んだまま大道具を観察している。
テオはため息をつく。
(……完全に怯えさせてる)
部員たちは壁際に固まり、こちらを警戒している。
まるで野生動物が捕食者を見るような目だ。
カタリナだけが前に立ち、ローレンツを睨みつけていた。
テオは頭をかいた。
「……ローレンツ」
「はい、ボス」
「今日は帰ろう」
一瞬、ローレンツが目を瞬く。
「交渉は?」
「してない」
「乗っ取りは?」
「しない」
ブルーノが言う。
「訓練は?」
「しない」
テオはきっぱり言った。
「今日は見学のつもりだったんだ」
そして部員たちの方を見て言う。
「驚かせてごめん」
それだけ言うと、踵を返した。
「帰るよ」
ローレンツは少し残念そうに肩をすくめた。
「了解しました、ボス」
ブルーノも頷く。
三人はそのまま部室を出ていった。
扉が閉まる。
静寂。
そして――
「……い、行った?」
部員の一人が震える声で言った。




