第11話 ローゼンベルク家の屋台
ローゼンベルク伯爵家の空気は、このところ、目に見えて重かった。
広い屋敷ではある。廊下も長く、調度品も立派で、客間だけ見れば没落などとは無縁に思えるだろう。
だが、よく見れば壁紙の端は少し浮き、花瓶に活けられた花も以前より数が少ない。暖炉にくべられる薪も節約されているのか、屋敷の中はわずかに肌寒かった。
エリザベート・フォン・ローゼンベルクは、父に呼ばれて執務室へ向かいながら、その変化を嫌でも感じ取っていた。
扉の前で一度だけ深呼吸をする。
そして、ノック。
「入りなさい」
父の声も、いつもより少しだけ疲れているように聞こえた。
執務室に入ると、ローゼンベルク伯爵は机に向かったまま、しばらく口を開かなかった。
重い書類の山と、伏せられたままの視線。窓から差し込む午後の日差しが、その顔色の悪さを余計に際立たせていた。
「お呼びですか、お父様」
「ああ……座りなさい」
言われるまま椅子に腰を下ろす。
だが、伯爵はすぐには本題を切り出さない。
その沈黙が、かえって不安を煽った。
(……よくない話ね)
ようやく伯爵が口を開いた。
「クレーテ侯爵家からの支援が、止まってからというもの、我が家の財政はさらに苦しくなった」
重い一言だった。
エリザベートは目を伏せる。
「……そうですか」
予想していなかったわけではない。
グスタフの家の不祥事と、ベルンシュタイン家への上納のためにクレーテ家が大きく金を失ったことは、噂話の形で耳に入っていた。
だが、「予想していた」のと「現実に告げられる」のは別だ。
胸の奥が、すうっと冷たくなる。
伯爵は娘の顔をまともに見られないように、わずかに視線を逸らした。
「すまない。本来なら、お前にこんな話をするべきではないのだが……」
苦い声で続ける。
「しばらくは、かなり厳しい。使用人の数も減らさねばならないかもしれんし、無駄な出費は徹底して削る必要がある」
「私は構いません」
即答だった。
伯爵は小さく眉を寄せる。
「学園で不自由をかけないようにはする」
「そういうことではありません」
エリザベートは静かに言った。
「ローゼンベルク家が苦しい時に、私だけが何も知らず守られているのは嫌です」
「だが、お前は令嬢だ」
「令嬢でも、家族です」
ぴしゃり、と返す。
伯爵は一瞬だけ言葉を失った。
その時、部屋の隅に控えていた老執事が、こほんと咳払いをした。
「旦那様、よろしければ一つ、考えがございます」
伯爵がそちらを見る。
「何だ、アルフレッド」
老執事アルフレッドは、背筋をぴんと伸ばしたまま答えた。
「昔、使用人たちの納涼祭で使った屋台が、倉庫に残っております」
「……屋台?」
「はい。あれを使い、露店を出そうかと」
エリザベートは立ち上がった。
「では、私も手伝います」
「お嬢様!?」
アルフレッドが本気で驚いた顔をした。 伯爵も椅子から腰を浮かせる。
「だ、だめだ!お前が屋台など!」
「どうしてですか」
エリザベートは父をまっすぐ見た。
「家が苦しいのでしょう」
「それは……」
「なら、私だけが何もしないわけにはいきません」
伯爵は言葉に詰まる。
「しかし、お前はローゼンベルク家の令嬢だぞ」
「だからこそです」
エリザベートの声は静かだったが、揺るがなかった。
「ローゼンベルクの名を背負っている以上、家が傾いていくのを黙って見ている方が耐えられません」
アルフレッドが目を潤ませる。
「お嬢様……なんとおいたわしい……」
「泣かないでください、アルフレッド」
「はい……ですが……」
「まだ何も始まっていません」
伯爵は額に手を当てて、大きく息を吐いた。
「……本当に、お前は私より肝が据わっているな」
「光栄です」
「褒めてはおらん」
そう言いながらも、伯爵の口元はわずかに緩んでいた。
翌日、街の露店通り。
老執事アルフレッドの屋台が開かれた。
「いらっしゃいませ」
エリザベートの接客は妙に上品だった。
「屋台なのに礼儀正しいな……」
そんな声が客から漏れる。
しかしその時、隣の屋台の男たちが近づいてきた。
「おい、それうちと同じ商品だろ」
「ここらの串焼きは俺たちのシマだ」
ここいら辺を根城にするマフィアであった。
彼らは屋台で物を売ることを生業としていた。そこに同業他社がやってきたのでは、黙っているわけにはいかない。
ただ、誰がどこで商売しようとも、法律上は問題はない。
アルフレッドは丁寧に返す。
「串焼きは一般的な料理ですが」
「文句あるなら屋台潰すぞ」
エリザベートが一歩前に出た。
「そんな理屈は通りません」
「生意気な!」
男が屋台に手をかける。
その時だった。
「……ローゼンベルク?」
振り向くと、テオドール・フォン・ベルンシュタインが立っていた。
エリザベートの顔が一瞬固まる。
「見ないでください」
エリザベートは貴族の令嬢が屋台で売り子をしている姿を同級生には見られたくなかった。
家のためにやる覚悟はあったが、知り合いには見られたくなかったのである。
「いや、無理だろ」
男たちがテオを睨む。
「なんだお前」
テオはため息をついた。
大体の事情は先ほどのやり取りを聞いて把握している。
ならば……
「……ベルンシュタインだ」
空気が凍る。
「あのベルンシュタイン……?」
「そう、あのベルンシュタインだ。天下の往来で誰が商売しようと自由だろ?それに難癖をつけるというのなら、うちが相手になるよ。街の活気のおこぼれをもらっているんだから、その活気を削ぐというのなら、争うには十分な理由だ」
かなり無茶な理屈ではあるが、ベルンシュタインに理屈は通用しないのは常識である。
男たちは暴力を引っ込めた。
だが、単純に引くわけにもいかない。面子の問題があるからだ。
「勝負だ!」
「売り上げで決める!負けた方が場所を変えることでどうだ?」
テオが眉をひそめる。
「なんでそうなる」
しかしエリザベートは言った。
「受けます」
「は?」
「横暴に屈するわけにはいきません」
こうしてテオは屋台の場所を賭けた勝負に巻き込まれることになったのだった。




