夫が戦場から手紙を送ってくるのですが内容が献立の相談しかありません
私――テオドラの夫となったキリアン・マクビ様は政略結婚をした翌日に出征してしまった。
顔を合わせたのが結婚式の一度だけという凄まじいスピード感。
愛のない政略結婚なんて貴族の世界では日常茶飯事だけれど、さすがにこの状況は前代未聞ではないだろうか。
なぜこんなことになったのか。
それは、私が『姉の替え玉』として嫁いだからに他ならない。
◇
キリアン様に嫁ぐはずだったのは、私ではなく美しく可憐な姉だった。
だけど姉にはすでに深く愛し合っている殿方がいたのだ。
お相手は姉の幼馴染。歳の近い私にとっても昔からよく知る間柄だ。
当人同士はなぜか気づいていないようだったけれど、外野の私から見ればどう見ても甘酸っぱい両想いである。
しかし、そんなじれったい距離感でおままごとを続けていたせいで、実家は容赦なく姉をキリアン様との政略結婚の駒に選んでしまった。
このまま互いの気持ちに蓋をして離れ離れになってしまうの?
それも貴族の宿命というやつかしら……。
私がそんな風に憂いていた矢先。
武勲で成り上がった軍人のキリアン様へ、突然の出征命令が下った。
「生きて帰れる保証はない。結婚は無事に帰還してからにしよう」
キリアン様は、そう誠実に提案してくださったらしい。
しかし、その提案に大慌てしたのは我が実家である。
なにせ実家はどうしても軍部との太いパイプが欲しかったのだ。キリアン様という英雄との婚姻は我が家にとって絶対に逃せない悲願だった。
もし婚約者のままキリアン様が帰らぬ人となれば、この縁談はただ白紙に戻るだけ。
だが、正式に妻となっておけば話は別だ。未亡人になろうとも軍部との強力なコネクションは実家に残るのだから。
おまけに「英雄の未亡人」となれば、軍部が責任を持って新たな再婚相手を手配してくれるという恩恵まで期待できるというものだ。
是が非でも結婚を急がせたい実家。
結婚直後に夫に死なれるかもしれない、可哀想な姉。
そんな姉をただ見守るしかない、幼馴染。
そして――家で毎日プラプラと優雅に遊び呆けており、姉より若いため未亡人になっても傷が浅そうな、私。
姉には愛する人がいる。両親には守るべき家がある。
では私には何があるだろう。得意なことも誰かに必要とされた記憶も、これといって思い浮かばない。
「どうしよう。私、すぐに未亡人になってしまうかもしれないわ……」
涙ぐみながら幼馴染にすがりつき、頭を撫でて慰められている姉を物陰からこっそり目撃した私はついに限界を迎えた。
「んもう!仕方ないわね!」
気づけば私は自らキリアン様との結婚に立候補してしまったのだった。
両親は姉の替え玉に私を差し向けることを一秒も迷わなかった。
「出征がお決まりならば、せめて万が一の際にも将来がある年若い妹の方を嫁がせましょう」
両親はそんなもっともらしい(そして図々しい)理由を並べて彼を説得にかかった。
キリアン様とて馬鹿ではない。強引に繋がりを持とうとする我が家のきな臭い事情などお見通しだったはずだ。
結局、人の良いキリアン様は「万が一自分が戦死しても籍を入れておけば残された妻に十分な遺族年金が支払われる」と考え直してくれたらしく、渋々ながらこの結婚を了承してくれたのだった。
かくして、我が家の思惑とキリアン様の妥協により、超特急の突貫工事で結婚式が執り行われることとなった。
その結果、夫となる人と当日まで初対面の私が、しれっと花嫁のベールを被るという異常事態が完成した。
祭壇で初めて顔を合わせた私の夫は大木のようにがっしりした体躯に、彫刻のようにきりっとした顔立ちの持ち主だった。
いかにも「武人です!」と全身で主張しているような、不器用そうな御方。
そして彼はその不器用ぶりを式典の最中も遺憾なく発揮してくれた。
ガチガチに緊張して、からくり人形のような動きになっている彼。
花嫁の私の方が思わず吹き出しそうになったほどだ。
その上、式が終わるなり「戦から無事に戻るまで、君に指一本触れないつもりだ」と真顔で宣言し、初夜の寝室すら別々にするという筋金入りの不器用っぷりである。
正直なところ少し安堵したけれど、戦場では鬼神のごとく恐れられる武将が見知らぬ小娘の花嫁ひとりを前にして、すっかり参ってしまっている姿がなんだかとても可笑しくて。
私は少しだけ嬉しい気持ちになってしまった。
「結婚したばかりなのに、一人置いて出征してすまない。必ず手紙を書くから」
翌朝、そう言い残してキリアン様は慌ただしく戦地へと旅立っていった。
◇
こうして私は妻として彼のお屋敷に入った。
しかし、二段飛ばしで武功を挙げて引き立てられたと言われるキリアン様。
膨大な給金と資産を誇るが内政らしい内政は存在しない。
加えて、使用人たちは主が長期不在であることに妙に慣れている様子。
勝手知ったる使用人たちが全てを回してくれるおかげで、私には文字通り指一本動かす必要すらなかった。
とりあえず広い屋敷を探検したり、立派なお庭を散策したりと猫のようにだらだらと一週間ほど過ごしたある日。
戦地の夫から待望の手紙が届いた。
いそいそと封を開けた私は、武人らしからぬ妙に整った美しい筆致で書かれたその内容を読み――思わず頭を抱えた。
『テオドラへ。
息災か。
君に言うのも少し恥ずかしいが。芋の保存方法を教えてくれ』
――え、本当にそれだけ!?
新妻への最初の手紙が芋の相談って、さすがに不器用にもほどがあるだろう!
叩き上げの軍人である旦那様はご存知ないかもしれないが、私はこれでも箱入りで育った生粋の貴族令嬢なのだ。
領地の視察などで農作物を見たことくらいはあるけれど、包丁を握って料理をした経験なんてこれっぽっちもない。
つまり、芋の正しい保存方法なんて知る由もないのだ。
けれど。
あの不器用な夫が必死にひねり出してくれた初めてのコミュニケーションだ。無下に「知りません」と返すのも心苦しい。
せっかく彼から歩み寄ってくれたのだから。
う~ん……。
「んもう!仕方ないわね!」
手紙をバンッと机に置いた私は腕を捲り上げて屋敷の厨房へと向かった。
理論が駄目なら実践あるのみ。実際に芋を調理してみれば自ずとその保存方法も見えてくるはずだ!
『キリアン様へ。
ご壮健のことと存じます。
芋は常温のまま風通しの良い場所に放置するのが一番良いそうです。それと、調理する際は必ず皮に切れ目を入れてください。そうしないと芋が大爆発を起こして顔面に熱々の破片が飛んできます。
私はもう二度と芋を甘く見ません。
テオドラ』
さて、この手紙を完成させるため、我が家の厨房は大惨事となった。
火に放り込んだ芋が見事に爆発し、熱々の破片が星屑のように厨房中へと飛び散った。
壁の掃除をするメイドたちの傍ら、私は生きた心地がしないまま、料理長による「奥様。芋と言うのは……」という『初めての芋講座』を大人しく拝聴することとなった。
支払った代償は大きかったが、キリアン様に「芋の恐ろしさ」という有益な情報を身をもって伝えられたのだから後悔など微塵もしていない!
そして数日後、再び戦地から夫の手紙が舞い込んだ。
『テオドラへ。
息災か。
芋の情報をありがとう。ところで干し肉の塩加減が分からない。どうすればいいのだ?』
だから、どうして毎回毎回妻への手紙がレシピの相談なんだ!
大きな溜息をつきながら、私は今日も我が家の厨房へと向かうのだった。
『キリアン様へ。
ご壮健のことと存じます。
干し肉の塩加減の件ですが、肉の重さに対しておよそ三分の一の塩を擦り込み、風通しの良い場所で三日ほど干すのが基本です。それからこれは極めて重要なのですが、脂身が残った干し肉を火であぶる際は脂が炎に落ちると恐ろしい勢いで燃え上がります。
ご注意ください。
こちらは平穏に暮らしています』
煤で黒くなった天井を見上げながら、私は料理長に平身低頭で謝罪しつつ涙目でこの手紙をしたためるのであった。
◇
『テオドラへ。
息災か。
いつも丁寧に教えてくれて助かっている。おかげで隊の飯がだいぶましになった。さて、今日は隣の隊が作った汁物が美味かった。何が入っていたのか推測してほしい。コリコリした何かが入っており、味は……』
相変わらずぶっきらぼうな文面ながら、こまめに手紙を送ってくれるのはありがたい。
ありがたいのだけれど――なぜ戦場からの手紙が毎回毎回「献立の相談」と「料理クイズ」なのだろうか?
とはいえ最初の頃のような用件のみの手紙ではなく、ちょっとした日常の雑談が混ざるようになってきたことがなんだかむず痒かった。
「こんにちはー!」
私が元気よく厨房の扉を開けると、料理長が「また来たね」と言わんばかりの苦笑いで迎えてくれた。
「奥様。今日はまたどのような『戦地からの献立相談』で?」
「今回は『隣の隊の汁物に入っていた謎のコリコリした具材の正体を推測してほしい』とのことです」
夫から手紙が届くたびに、私はこうして真っ直ぐに厨房へと向かうのがすっかり日課になっていた。
初めの頃こそ、私が現れるたびに「出た!厨房荒らしの奥様だ!」とばかりに料理人や使用人たちが一斉に身構えたものだ。
無理もない。
全くもって、彼らの反応は正しい。
例えば以前「川魚の骨が多くて食べにくい」という相談を受けた時のこと。自ら三枚おろしを習得しようと意気込んだはいいものの、まな板の上の生魚がビチッと跳ねた感触に私は思わず絶叫してしまった。
結果、私の手から弾け飛んだ魚がツルツルと厨房の床を滑走し、使用人総出で追いかけ回す大惨事へと発展した。
またある時は「赤い粉が辛くて美味かった」という手紙に触発され、未知の香辛料を豪快に炒ってみた。
結果、厨房中が激辛煙に包まれ、窓を全開にしても半日以上むせ返る匂いが抜けなかったこともあったっけ……。
そんなことを繰り返すうち、一時期は使用人から「奥様。本日はまさか厨房にご用事などございませんよね……?」と笑顔で牽制される事態に陥った。
だがキリアン様からの手紙を見せて「どうしても夫の力になりたいの!」と真剣に頭を下げたところ、彼らも根負けして少しずつ食材の扱い方を教えてくれるようになったのだ。
優秀な料理長たちの指導の甲斐あって、私も包丁を握る手に少しずつ迷いがなくなってきた。
夫と何通もの手紙を交わすうちに、気づけば季節は移ろい――今ではすっかり料理が私の趣味の一つとなっていた。
そういえば、この間は「保存食がどれも同じ味で兵の士気が下がっている」という相談があった。
そこで料理長から「酢を少量加えるだけで風味が変わり、腐敗防止にもなりますよ」という神の助言を得て、完璧な分量を手紙にしたためた。
次に来た返事には『酢はすごいな。テオドラ、君は天才か』と書かれていた。
手柄の九割は料理長のものなのだが……。
それでも彼からの不器用な褒め言葉が嬉しくて、その日はなんだかずっと、ふわふわした気持ちで過ごしてしまった。
思えば、誰かに名指しで「教えてくれ」と頼られたことなど生まれてこの方あっただろうか。
実家では姉の代わりに用意された駒。この屋敷では使用人たちが全てを回してくれる飾り物の奥様。
それが今、遠い戦地から届く手紙の宛名には、はっきりと『テオドラへ』と書かれている。
たかが料理の相談。けれど世界中で私だけに宛てて書かれた問いかけ。
その事実が、こんなにも胸を温かくするなんて知らなかった。
『キリアン様へ。
隊の食事が良くなったのはきっとキリアン様ご自身の工夫もあってのことでしょう。
さてコリコリの汁物。料理長と二人で議論したところ、キクラゲの触感とキジ肉の旨味だという話になりました。近隣で狩りをしてキジ肉を得てキクラゲを採取したのでしょう。
無事にお帰りになった暁には、ぜひ私と一緒にこの屋敷の厨房で再現に挑戦してみましょうね』
次は一体どんな料理クイズが飛んでくるのだろう。
私はいつの間にか、彼からの手紙を心待ちにしている自分に気づきながら封をした。
◇
次に届いた手紙は、いつもと様子が違っていた。
『テオドラへ。
息災か。
何か美味いものの話をしてくれ。なんでもいい』
いつもの料理相談はなく、ただそれだけが記された短い手紙。
一体、どうしたというのだろう?
急にこんな手紙を送られると気持ち悪いじゃないか……。
美味いものの想像にすがりたくなるほど、過酷な戦況に陥っているのだろうか。
得体の知れない不安が黒い染みのように胸の奥へと広がっていく。
「――んもう!仕方ないわね……!」
私はぎゅっと手紙を握りしめると厨房へ駆け込み、料理長を巻き込んで『極上料理の描写』を真剣に練り上げた。
『キリアン様へ。
美味しいものの話ですね。ではとっておきを。
料理長いわくキリアン様が大好物だという鴨肉を、たっぷりの蜂蜜と香草でじっくり焼き上げた料理はいかがでしょう。
皮は飴色でパリッパリ、ナイフを入れた瞬間に柔らかなお肉から熱々の肉汁がじゅわっと溢れ出します!
私、今まさに料理長に習って特訓中です。この美味しさは手紙の文字では絶対に伝わりません。ですから必ずご自身の舌で確かめに帰っていらしてくださいね』
――しかし。
この手紙が、彼へ送った最後の手紙となった。
一週間後、屋敷に来た軍の使者。
キリアン様が部下を逃がすための殿を務め――そのまま戦地から戻らなかったと聞かされた。
◇
その知らせを受けてから、私は何かに取り憑かれたように厨房へ通うことを日課とした。
あの手紙に書いた通り、彼に食べさせるために用意していた最高級の蜂蜜と香りの良い香草。
鴨肉が傷む前に、彼に美味しく食べてもらうための「練習」として火入れの加減を何度も試す。
使い切ったらまた市場から新鮮な鴨肉を調達してくる。
……彼がいつ帰ってきて「あの料理を出してくれ」と手紙の続きをねだっても、すぐに出せるように。
そのせいで、我が屋敷の食卓には定期的に鴨肉料理が並ぶという奇妙な習慣が出来上がってしまった。
料理長や使用人たちは必死に鴨を焼く私を見て「旦那様が窮地に立たされるのはいつものことです。きっとひょっこり戻られますから、あまり気を落とされませんよう……」と優しい言葉をかけてくれた。
「分かっているわ。だからこうして、いつでも出せるように練習しているの」
私は彼らに微笑みかけながら、また一つ鴨肉に火を入れるのである。
そんなある日。報せを聞きつけた両親が屋敷に来た。
「キリアン様は自ら犠牲となって部下を救った。まさに英雄と呼ぶにふさわしい働きだったそうだな」
両親はどこか弾んだ声で語った。
「これで軍部との繋がりは盤石だ。若く美しい『英雄の未亡人』となれば次の縁談にも困るまい。テオドラ、お前は実家のために立派に役目を果たしたぞ」
――悪びれもせず、両親は私を褒め称えた。
ふと隣の厨房から、彼に食べさせるために仕込んだ鴨肉と香草の匂いが漂ってきた。
その瞬間。
私の頭の中で、カッと熱い血が逆流する音がした。
その後、激昂した私が両親に向かって何をどう怒鳴り散らしたのか正直よく覚えていない。
気づけば両親はそそくさと屋敷からいなくなっており、後には鴨肉の匂いだけが漂う静かな客間に、私一人が残されていた。
自分でも驚いていた。
あんなに声を荒げたのは生まれて初めてだ。
両親は昔も今も変わらない。
家のため。そして次の縁談のため。
「それでは妹の方を」などと、交換可能な駒として私を扱う。
でも。
キリアン様は『テオドラ』と名前を呼んで私に手紙をくれた。拙い料理の知恵を「天才か」と褒めてくれた。
――だから、私を『英雄の未亡人』という肩書きにするための便利な道具として、あの人を片付けようとする両親を、どうしても許せなかった。
◇
キリアン様が行方不明のまま季節は巡り――軍によって戦死扱いが正式に認定された日のことである。
我が屋敷に軍から一人の使者が訪ねてきた。
応接間に通されたその男は身分証を見せながら「軍の情報部所属」だと名乗った。
「あなたが、キリアン中佐の奥方様でいらっしゃいますね?」
「……ええ、そうですが」
「キリアン中佐は……随分と不器用極まりないお方でしたよね」
……そんなことは知っているが、突然何を言い出すのか。
私はカチンときて、むっと眉をひそめた。
「……まさか、わざわざ夫の悪口を言うためにこの屋敷へいらしたのですか?」
「ああいえ、そうではなくてですね……。奥方様、中佐から戦地より定期的に手紙が届いておりましたよね?」
「ええ、まあ」
あの料理クイズを出してくる頓珍漢な手紙のことだろう。
「奥方様。戦地からの手紙は全て、我々情報部で一度『検閲』を行っていることはご存じでしたか?」
「……え?」
……なるほど、確かに。
戦況や配置など、機密情報が漏れては困るからだろう。そこは理解できる。
「手紙の中に機密に当たる記述があった場合、我々がその部分だけを削除し、書き直して送っているのです。原文は処分して」
「そ、そうだったのですか……」
つまり、あの綺麗な字は情報部員のものだったのね。
「問題はキリアン中佐です。彼の手紙は機密事項まみれでしてね、結果的に文章のほとんどをこちらで改変する形になっていたのです」
「嘘でしょう……?」
「お二人の手紙のやり取りがあまりにももどかしくて!検閲官一同、頭を抱えて壁に頭を打ち付ける思いでした!」
……なんだろう。
軍の規則だから仕方ないとはいえ、夫婦のプライベートなやり取りを熟読され、あまつさえ地団太まで踏まれていたなんて……なんとなく恥ずかしい!
「あまりに歯がゆくて、処分するはずの原文をこっそり保管しておりました。どうしてもこれを奥方様にお見せしなければと」
「本当は完全に軍規違反でクビが飛ぶ案件ですが……」と語りながら、男は分厚い手紙の束をドンッとテーブルに置いた。
恐る恐る手に取ると、そこにあったのはいつもの綺麗な字ではなく、豪快な筆致で書かれた手紙だった。
『テオドラへ。
息災か。
今は奇襲部隊と共に国境沿いの丘の上にいる。敵の規模を観測しながらも、花嫁衣裳に身を包んだ美しかった君の姿が脳裏から離れず、ずっと思い出している。君に言うのも少し恥ずかしいが。
芋の保存方法を教えてくれ。近場でとれたのだが、何日この丘の上で奇襲の好機を待つか分からないからだ』
――これは、一番最初に届いたあの手紙の原文だ。
ただの献立相談だと思って頭を抱えていたあの文章は、空白を埋めて読んでみれば、紛れもない不器用すぎる『恋文』だったのだ!
ていうか、部隊の配置とか作戦行動とか、軍事機密と愛のささやきをマーブル状に混ぜ込むんじゃないわよ!
そりゃあ情報部も書き直すしかなかっただろう。
『テオドラへ。
息災か。
芋の情報をありがとう。「俺の妻は家庭的で料理が得意らしい」と弓兵長に話したら「谷底の敵地でのろけないでください」と呆れられたよ。
ところで、干し肉の塩加減が分からない。どうすればいいのだ?
本当は君の作った飯が食いたいが、せめて谷底で君を想いながら、君から教わった知識で粗末な肉を齧りたいんだ』
「――んもう!本当にっ……!」
機密をダダ漏れにしながら必死に愛を綴る彼は、たまらなく不器用だ!
そして、最後の手紙の原文にはこう記されていた。
『テオドラへ。
息災か。
右翼の第二部隊は先日の奇襲による疲労で限界らしく、胸騒ぎがする。もし右翼が崩壊すれば俺たちは敵陣のど真ん中で完全に孤立するだろう。何か美味いものの話をしてくれ。なんでもいい。どんな絶望的な状況でも、君の作ってくれる美味い飯を想像すれば俺は絶対に生き延びてみせるから』
視界がぼやけ、力強い彼の文字が涙で滲んで読めなくなった。
「奥方様、気を落とされませんように。なにせ彼は『二段飛ばしのマクビ』ですから。あの方に限ってこのまま終わるはずがありません。必ずや生還され……」
検閲官の気休めも耳に入らず、私は彼の手紙の前でただひたすらに涙を流した。
ひとしきり泣き明かした翌日から私は何事もなかったかのように、また厨房で鴨肉を焼く日課を再開した。
彼は手紙で約束してくれたのだ。
「生き延びる」と。
ならば私がすべきことは、いつ帰ってきても最高の鴨肉を出せるように準備しておくことだけ。
今日も私は真剣に火加減を調整する。
私が鴨を焼いている間にも、両親は私を軍部の大物と再婚させようと次から次へとお見合い写真を持ち込んでくる。
が、そんなもの知ったことではない。「私には夫がいますので、絶対に受けません」と即座に全て突き返した。
「いつまで死んだ男を待つ気だ!」
両親は激怒していたが私の心は揺るがない。
◇
そんな生活を続けていた、あるよく晴れた日の朝。
今日は我が屋敷の「鴨肉の日」である。つまり、私が練習で焼いた絶品鴨肉を使用人たちと食べる日だ。
「奥様……!」
バンッ!と扉が開き、血相を変えた執事が部屋に飛び込んできた。
幽霊を見たような、けれど歓喜に打ち震えている執事の顔を見て私は直感した。
文字通り弾かれたように私は玄関へと走り出した。
もつれる足でスカートの裾を踏みつけて転びそうになっても、立ち止まることなんてできなかった。
息を切らしてたどり着いた玄関。
そこには土と血でドロドロになった軍服をまとい、大木のようにがっしりした体躯の男が不器用に立っていた。
彼は私の顔を見るなり不器用に笑って言った。
「腹が減った。手紙に書いてあった美味いものを、食わせてくれないか」
そのぶっきらぼうな声を聞いた途端、視界が涙で滲んだ。
泣き顔を見られたくなくて、私は彼のがっしりした胸に飛び込んだ。
「――んもう!仕方ないわね!」
今日は、待ちに待った「鴨肉の日」だ。
後日談。
敵陣での奇跡的な武功、および行方不明からの生還により、彼は二階級特進で「キリアン・マクビ少将」となり、見事に『二段飛ばしのマクビ』の異名を更新してのけた。
――だが、当の夫本人は勲章や階級よりも、私が焼いた鴨肉のローストにすっかり心を奪われているようであった。




