誕生日
本編のネタバレがかなり多く含まれた内容となります。
未読の方は、本編読了後に読むことを強くお勧めいたします。
それは、ゼルカヴィアに物心がつき始めた頃――現代から約一万年ほど前の出来事だった。
「……”誕生日”?」
平伏して報告を持ってきたラミキアとフェネガに、魔王は眉根を寄せ、どこまでも怪訝な顔で聞き返す。
絶対の主と戴く存在の不穏な声に、二人の魔族はビクリと肩を震わせ、さらに深々と頭を下げた。
「は、はい。どうやら、人間たちの間では、赤子が誕生した日を覚えておくようです。毎年、決まった日を祝う風習があるようで――」
「……毎年? 同じ日を」
「はいっ……左様でございます」
堅い声音で萎縮する二人に、魔王は嘆息する。そうした反応を求めての問いかけではなかった。
「意味が分からない。毎年同じ日を祝う……それに何の意味がある。つくづく、人間というのは理解しがたい生き物だ」
「お、おっしゃる通りでございます……!」
額を地面に擦り付けながらフェネガが同調するのを聞いて、彼に期待は出来なさそうだと思ったラミキアは、勇気を出して口を開いた。
「で、ですがっ……アリアネル様がもし、そうした人間界の文化や風潮を重んじたいとお思いならば、ゼルカヴィア様にも同様の経験をさせたいとおっしゃるのではないかと思いましてっ――」
魔王は最初に寄せた眉根を動かさないまま、押し黙って考え込む。
神に手ずから創造された聡明な頭脳は、一瞬で様々なことを巡らせた。
「そもそも、祝う、とは具体的に何をする。それをする意味と意義は何だ。一年など瞬きの間に過ぎる。そんな頻度で何を祝うというのか」
「ご、ごもっともですが……私どもが潜入している人間の屋敷では、既に赤子が生まれて四度ほど、誕生を祝う催しが開かれています。どうやら一年というのは、たった数十年で命を散らす人間たちにとってはそれなりに長い年月のようです」
「無事に誕生したことや成長したことについて、感謝をしたり、今後の息災を祈ったりする意味合いがあるようですっ……! 上流階級の間では、食事を豪華にしたり、ささやかな贈り物を贈り合うような風習もあるようでっ……!」
ラミキアとフェネガは、必死で収集してきた情報を魔王に伝える。
魔王はその端正な顔立ちに浮かんだ『理解不能』という感情を隠しもしないまま、部下の報告を最後まで聞いた。
しばらく黙っていた魔王は、やがて頭痛を抑えるようにこめかみに手を当て、瞳を閉じる。
「……人間界の風習を、すぐにそのまま取り入れるのは難しい。魔界には太陽すらなく、季節も存在しない。暦という概念も存在しない。特定の一日を覚えておくことなど出来ん。そもそも、ゼルの誕生した日を記録などしていない。お前たちの潜入先で赤子が生まれた後、程なくゼルが生まれたと記憶しているから、せいぜい今のゼルとの歳の差は一、二年程度だろうが――日付まではわからん」
魔王の言葉に、ラミキアとフェネガは驚き、思わず顔を上げる。
「もしも実現するなら、人間界でも盛大に催し事がある特定の日をゼルの誕生日と見做し、その日が来たら人間界に出ている魔族が必ず報告を上げるようにする……くらいか。特定の大国の成立記念日などでは、将来、国が亡んだときにわからなくなる。もっと普遍的な――国や地域にも左右されない、人間界に共通する特定の日付を探る必要があるな……」
難しい顔をしながら深く重いため息を吐き出し考察する至上の主。どうやら、この馬鹿馬鹿しい人間界の常識について、真面目に考えているらしい。
「日付を決められたとして、事前の準備は出来ない。食事や贈り物は当日調達するしか――いや。ゼルは一か月に一度、新月の夜に魔族に身体の組成が変わる。前回の誕生日から十二回、身体の組成が変わった日から準備を始めるならば、ある程度は可能か……」
普段の魔王は、論理的に説明がつかないことは絶対に承服しない。誕生日を祝うという説明に納得をした様子がないことから、恐らく未だに、その風習の意味意義については腑に落ちていないのだろう。
そんな理解不能な事象に対して、それでも己の矜持を曲げてでも考察をするのは――この世で魔王が唯一”家族”と定めた二人に関わることだけだ。
「あとは、リアが『それでもいい』と言うかどうかだ。……今頃は、ゼルも昼寝から目覚めているだろう」
「は、はい! お二人を呼んでまいります!」
皆まで言う前に主の言いたいことを汲み取り、二人は立ち上がり、急いで退室していく。
魔王は、額を押さえて、もう一度だけ深くため息を吐くのだった。
◆◆◆
「……というわけだ。お前の意見を聞きたい、リア」
リアとゼルカヴィアを部屋に呼んだ魔王は、ラミキアとフェネガから人間界の風習について説明させた後、それを魔界で再現するにはどうしたらよいかを提案し、判断を委ねる。
幼いゼルカヴィアを膝の上に抱えながら聞いていたリアは、少し考えた後、首をかしげながら口を開いた。
「一つ、聞いても良いかしら?」
「あぁ」
「きっと、貴方ほどの頭脳があれば、私が『ゼルのためにもやってあげたい』と言いそうだなんて、簡単に想像がついたと思うの」
魔王はぴくりと眉を微かに動かす。――図星を指された。
ゼルカヴィアは、まだまだ生命として不明なことが多い。それでも、今の彼は人間としての組成のまま過ごす時間が大半であるのは事実だ。
将来彼が、自分のアイデンティティを人間であると考え、魔界の暮らしを捨て、人間界で人間と共に暮らしたいと言い出したとき、それを受け入れる覚悟は出来ていた。
それは、魔王も――きっと、リアも。
その時に備え、人間界で常識とされているような知識はなるべく得させておきたかった。だから、ラミキアとフェネガを人間界に潜入させたまま、様々な知識を持ち帰らせ続けていた。
「他のことであれば、私に判断を委ねるような聞き方はしないはず……どうして、この”誕生日”という風習についてだけ、貴方が私に判断をゆだねたいと思ったのか、聞いておきたくて」
「……」
魔王はぎゅっと眉根を寄せて押し黙る。
リアに、嘘やごまかしはしたくない。だが真実を告げることは、弱さの吐露に他ならない。
数秒だけ難しい顔のまま逡巡した後、魔王は観念したように息を吐き、静かに口を開いた。
「……”誕生日”という風習は、俺にはどうにも理解しがたい」
「どうして? 確かに、貴方たちのような存在がするには違和感のある風習と思うけれど、あくまで人間が行うもの――と考えれば、さっきの二人からの説明はわかりやすかったと思うけれど」
リアの言葉に、魔王は静かに首を振った。
「確かに、理解を示せる部分も多少はある。我々と違い、人間の出産は命がけだ。身体も弱く、ともすればすぐに命の灯を消してしまいかねない脆弱な存在だ。だからこそ、無事に誕生したことや成長したことを祝うようになった――その背景は理解できる」
「そうね」
「だが、それが人間の風習だからということで行うならば――お前の誕生日も、祝わねばならないだろう」
「……え?」
全く予期せぬ話の転換に、リアは思わずぽかんと口を開く。
魔王は至極真面目な顔で続けた。
「ゼルの誕生は勿論のこと、リアの誕生も祝われるべきだ。お前が誕生しなければ、俺は永劫お前に出逢うことはなかった。彩豊かな世界を知ることすらなく、ただ与えられた『役割』をこなすためだけに無為に日々を生きる存在となっていただろう。……そう考えれば、お前の誕生と、今日この日まで生きてくれたことに感謝をする、その気持ちはわからなくない」
「え……えぇ……」
面と向かって言われると、やや気恥ずかしい。リアは恥ずかしそうにもぞりと身じろぎして、ゼルを抱え直した。
「だが、毎年行うというその行事は――同時に、お前たちと共に暮らせる月日が順当に減っていくことを思い知ることでもある」
「――!」
魔王は、珍しく微かに苦しげに顔を歪め、感情を吐露した。
「俺たち造られし命には存在しない、『老化』という人間特有の現象――ゼルはともかくとして、お前は、あと何年生きられる? 何回の”誕生日”を俺と過ごせる?」
「……」
「俺には、人間の一年など瞬きの間に過ぎる。瞬きをするたび、お前との永別を強制的に実感させられるなど、身を切られるより辛い」
たった百年ごときも生きられない、儚い命。
リアは、永遠を生きる魔王がその生涯で唯一特別に愛し、傍に置きたいと願った命だった。
リアの命を永遠に出来なかった日から、いつか別れが来ることは覚悟している。
だが、それを平気な顔で指折り数えるほどではない。
”誕生日”が来るたびに思い知る。――また一つ、愛しい命が”死”へと近づいた。
流石の魔王も、その最悪なカウントダウンに耐えられるほど強い心を持っている自信はなかった。
「そう……そうだったの。この話を切り出してから、貴方がずっと、何だか苦しそうな顔をしていた理由が、やっとわかったわ」
リアは優しく笑みを湛えて、魔王の言葉を受け止める。
そのまま、腕に抱えた我が子へと視線を落とした。
難しい話はまだよく理解できないのだろう。ただ、二人の間に流れる空気がいつもと違うことだけを察したのか、不安そうな顔で二人を交互に見ている。
大切な、大切な宝物。
永遠を生きる魔王のために――自分が死んだ後、孤独になることが確定していた彼のために、遺してあげたいと思った愛しい命。
考えは、あまり時間を掛けずにまとまった。
「……いいわ。では、”誕生日”を祝うのはやめましょう」
「――!」
魔王は、驚いた顔でリアを見返す。
リアは迷いのない顔で頷いて、続けた。
「そんなものがなくたって、私は毎日、この子が無事に生まれてきてくれたこと、健やかに成長してくれることに感謝しているわ。わざわざ特定の日を設けなくても、感謝の気持ちを忘れなければ問題ないでしょう?」
「だ、だが――」
「そもそも、私も”誕生日”なんて風習を知らずに育ったわ。ガリエルは教えてくれなかったもの」
含みのある視線を向けられ、魔王は苦虫を嚙み潰したような顔をする。
魔王の親友でもあったガリエルは、魔王とよく似た性格と思考をした男だった。おそらく、生涯”誕生日”などという風習を知ることはなかっただろうし、知っていたとしても魔王と同様、意味意義がわからないと身も蓋もない発言をしていただろう。
クスクスと笑ってから、リアは続ける。
「だから私も、私が今何歳なのか――なんてわからないのよ。あと何回”誕生日”を一緒に過ごせるかなんて、想像もつかない」
「リア……」
「でも、そんな日が無くても、貴方は私の誕生と健康に感謝をしてくれていると言う。……だとしたら、特定の日なんて、私にも必要ないと思わない?」
不安そうなゼルカヴィアを安心させるように頭を撫でながら、リアはおどけるように言う。
「その代わり、私がこの子に想うように――貴方も毎日、感謝してね? それが条件」
「……あぁ。必ず、毎日お前と過ごす日々の尊さに感謝する」
「ふふっ……約束よ?」
ゼルカヴィアを生んだのは、魔王に哀しい思いをしてほしくなかったからだ。
リアは、初めて出逢った頃の魔王を思い出す。
自分の幸せすら遠ざけて、空虚で寂しそうな瞳をしていたあの頃――あんな顔をしてほしくないから、自分はこの子を産むと決めた。そして、人間界ではなく、魔王と共にこの魔界で生涯を過ごそうと決めたのだ。
”誕生日”を祝うことで、彼が心を痛めるのなら、本末転倒だ。
きっとそれは、本当はとても喜びにあふれた、優しい行事。
皆が笑顔になれないものなら、やらない方が何倍もいい。
「誕生日なんて無くても、私はゼルに毎日伝えるわ。貴方が生まれてきてくれてよかった。貴方が誰より大切で、貴方の幸せを祈らない日なんてないのよ――って」
陽だまりのような笑顔で、リアは心からの言葉を我が子に贈ると、それに偽りはないと示すように、幼子の額に口づけを一つ落とした。
◆◆◆
一万年後――
「あーもう、毎年この時期は忙しいですね……!」
魔王の執務室で、決裁待ちの書類を仕分けながら、ゼルカヴィアがぼやく。
チラリと魔王が顔を上げたタイミングで、ため息を吐きながらゼルカヴィアは数枚の書類を渡した。
「業務外ではありますが――毎年恒例の、アリアネルの誕生日に向けた予算申請です」
「……あぁ」
魔王は書類を受け取り、目を通す。城の魔族たちからの申請内容は主に、パーティー用の飾りやプレゼント代、食材費などだ。ゼルカヴィアが仕分け段階で事前に目を通し、通すべきではないと思った申請は弾いてくれている。
ゼルカヴィアはアリアネルのことを溺愛しているが、我が子可愛さで予算の判断が甘くなるような男ではない。その判断に疑念を挟む余地はなく、さらりと目を通して承認する。
「もうそんな時期か」
「えぇ。……今年は、魔王様もちゃんとあの子に『おめでとう』と言ってあげてくださいね。期待に満ちた顔をしていましたから」
「あぁ……」
どれほど乞われても拒否し続けたその風習を、もはや否定するつもりはない。
アリアネルは魔王の寵愛を受け、人間としての命を終えた後は眷属として生きる権利を得ている。
実質、寿命の概念が無くなったのだ。
もはや”誕生日”は、永遠の別れに向けてのカウントダウンをする日ではなくなった。
魔王は書類を承認済みの山に分けてから、ふと何かを考えるようにじっと書類へと視線を落とした。
「……魔王様? どうかされましたか?」
「いや……少し考え事を、な」
呟いて、随分と遠い記憶を辿る。
「昔、リア――お前の母親に、ゼルの誕生日を作り、祝うべきかと持ち掛けたことがある」
「あぁ……ありましたね。さすがに記憶もだいぶおぼろげですが、確か、ラミキアとフェネガが人間界からそうした風習があると持ち帰ったような――」
「覚えているのか」
意外だったのだろう。魔王は少し目を見開いて驚く。
ゼルカヴィアは軽く首を傾げた。
「それがどうかしましたか?確か当時は、母上が『必要ない』と言ったために検討されなかったと記憶していますが」
「あぁ。ゼルの誕生日を祝うなら、リアの誕生日も祝わないのは筋が通らない。だが俺が、リアの誕生日を祝うことに難色を示したことで、リアはああ言ったのだが――」
そしてまた、口を閉ざして何かを考える魔王の横顔に、ゼルカヴィアは嫌な予感を覚えた。
仕事中は愛称で呼ばないというルールを破ったということは、今の彼は”魔王”ではなく”父親”として思考している。
そういうときの彼の考えは、時折、子供らへの不器用な愛ゆえに、突飛で厄介な結論を導き出すことがある。ゼルカヴィアはこの一年ほどで、それを嫌というほど痛感していた。
「何を考えていますか。思考を口に出してください」
「なんだ、その詰問口調は」
「いいから、教えてください。勝手に結論を出して実行する前に、まずは相談をしてください……!」
魔王が暴走するのも、仕方がないのかもしれない。
魔王がゼルカヴィアに父親らしく振る舞えていたのは、彼からすれば本当に瞬きするほどの僅かな時間――天使への復讐を誓ったあの日までだ。
その後、親子は長くすれ違いが続き、魔王の記憶が消されてからは、彼はゼルカヴィアを実の息子だとは知らぬまま、従者の一人として接してきた。
記憶が戻り、ゼルカヴィアを息子だと認識してからは、長きにわたり失われていた親子の時間を取り戻そうと思っているのか、父親らしく振る舞おうとすることが増えた。
だが、魔王の中で”息子”と言えば、密に過ごした幼子の頃の記憶が強いのだろう。あるいは、幼少期から現在までのアリアネルの印象に引っ張られているのかもしれない。
とにかく、魔王がゼルカヴィアに何かをしようとすると、およそ生まれて一万年を数える魔族にするようなことではない、という内容を試みるのだ。さすがに勘弁してほしい。
魔王は、息子の反抗期めいた視線に少し不満げな顔をしながら、言われた通り思考を口に出す。
「娘には誕生祝いをするのに、息子にだけしないのは不公平だろう。だがお前の誕生した日など、おそらくどこにも記録が残っていない。一番古い記録が残っていそうなミュルソスの部屋にヒントになるようなものがないか、あるいはせめて季節だけでも思い出せないかと――」
「却下です。必要ないです。なんでそんな発想になるんですか。絶対にやめてください」
案の定、とんでもないことを考えていた父親に、全力で拒絶反応を示す。
魔王は心外そうにむっと顔を顰めた。
「何故だ。アリィは十五年ずっと、祝え祝えと言い続けていた。去年初めて祝いの言葉をやったら、泣いて喜んでいた。ならば、お前にも――」
「いやいやいや、私が何歳だと思っているのですか!? そもそも私の時間感覚は魔族と同じなのですよ!? 一年などという頻度では、ついさっき祝われたばかりという感覚です! どんな顔で『おめでとう』の言葉を受け取ればよいのですか!」
必死の訴えにもかかわらず、納得がいっていなさそうな魔王に、ゼルカヴィアは顔を青くする。
この男――本気だ。
「ほ、本当にやめてください! アリアネルの毎年の準備をするだけでも忙しいんです! 年中行事としてもう一つそんなものを組み込まれたらたまりません!」
なおも不満げな魔王が渋々頷くまで、ゼルカヴィアの渾身の説得はいつまでも続くのだった。




