私から全て奪うというのなら、あなた達も地獄に落ちてもらいます
「フィオナ・グレイス。本日をもってお前との婚約を破棄させてもらう」
ミシェル第一王子の低い声が、静まり返った広間に響く。兵士や士官たちの間にざわめきが広がっていく。
その中心に私は立っていた。
こんなことがあって良いのだろうか。蓄積されていた疲れも相まって、私は今にも倒れそうだった。
「王子、何故ですか。私は何も心当たりがありません」
人々の声にかき消されぬよう、私はなるべく大きな声で言った。王子の視線が冷たく私に突き刺さる。
「心当たりが無いだと? お前はこのイネス・ベルクール嬢を長期間に渡って脅していたそうじゃないか」
王子に身を寄せるように、一人の令嬢が立っている。目に涙を溜め、今にも泣き出してしまいそうに、見える。
誰からも同情を引きそうな、可愛らしい顔。しかし私はその顔を見て、恐怖で足が震えた。
イネス、まだ私から奪おうとするの?
「そしてお前が一人で動かしていると言っていた魔力炉。実際はあれもイネスが動かしていたそうじゃないか。しかもお前と違い、遠隔で動かせるとか」
「ち、違います! 私はイネスを脅したりしていませんし、魔力炉だって……!」
言いたい。それは全く逆なのだと。脅されているのは私なのだと。魔力炉だって、ほぼ私一人で動かしていた。嘘じゃない。だが言えない。イネスは私ののど元に、ずっとナイフを突きつけているのだ。
私はちらりとイネスの顔を見た。一瞬だが、針のように鋭い目が私を刺し貫く。
私は口をつぐんだ。
周りの人達を見る。皆疑いの目を向けてくる。敵だらけだ。足がすくむ。気が遠くなる。
イネスは人心を掌握する天才だ。長年かけて、彼女はこの王宮で信頼を積み重ねてきた。全てはこの時のためだったのだ。
私が今仮に無実を訴えたとしても、信じてくれる人は殆ど居ないだろう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
由緒あるグレイス公爵家の娘に生まれた私は、ミシェル・ド・ルーヴェル王子の、婚約者の一人だった。その中で、私が正式な婚約者に選ばれたのは、「インフラ魔法」という、特殊な魔法に適正があったからだった。
適性があると分かったのは洗礼を受ける時。
この国では、洗礼と共に、適性のある魔法と、魔力量を教えてもらえることになっていた。
ただ私が測定された当初、インフラ魔法というのがどんな魔法なのか分かっていなかった。周りにも同じ魔法に適正がある人は誰も居なかったのだ。
学園の先生に聞いたところ、インフラ魔法というもの自体、30年ほど前に登場した、まだ新しい魔法だということが分かった。
インフラ魔法とは、『魔力炉』という機関を用いた、エネルギー産出装置のようなものだった。
天才魔法学者のリカルド・エーデルシュタインによって実用化されたのが30年前だったのだ。
巨大な魔石を中心に置き、魔導管と呼ばれる、ミスリルと銀で作られ管を通し、各場所に魔力を供給することが可能な、画期的なシステムだった。
この中心に置かれた魔石のことを『魔力炉』と呼ぶ。
これによって、魔法を使えない人でも容易に、そして便利に使えるようになった。
例えば鍋を熱するための火力も、お風呂に溜めるための水も、食べ物を保存しておくための冷涼な部屋だって、作り出すことが出来たのだ。
いの一番に王宮で導入されたこのシステムは、もはや無くてはならないものになっている。
ちなみに王都全体にも導入が進められているのだが、整備費用がかなり高価で、しかも技術者も不足しており、まだ王都全体の三分の一程度しか開通していない。王都では魔力炉の恩恵に預かれるか否かで、全く不動産の価格が違うという話だ。
話は少し逸れたが、その魔力炉は、外部から魔力を与えなければ作動を開始しない。しかも、どうやら魔力のある人間なら誰でも良いというわけではなく、適性を持った人間でなければならない。この適正がある人間のことを「インフラ魔法」の使い手というわけだ。
私はその適正があったのだった。
王宮に初めて招待され時、王子に謁見するより前に、魔力炉のある部屋に通されたことをよく覚えている。
やり方を教えられ、試しに魔力を込めてみると、歓声と驚きの声が上がった。私はインフラ魔法に適正があっただけではなく、魔力の量も人より多く、本来何人かで動かす魔力炉を一人で動かせてしまった。
どうやらインフラ魔法の使い手というのは、かなり数が限られているらしく、技術者よりも貴重な存在として、王宮は喉から手が出るほど欲しがっていた。
私は一気に他の婚約者たちから差をつけ、ミシェル王子の実父であるヘレン陛下から、直々に結婚を頼まれた。ただし、結婚した後も、魔力炉で一定時間働くことが条件ではあった。
それでも嬉しかった。非常に名誉なことであるし、何より、これでようやく実家を助けられると思った。
グレイス公爵家は、公爵家とは名ばかりに困窮をきわめていた。領内で不作の年が三年続いたこと、そして、とある深刻な事態により、領地の財政はかなり苦しくなっていたのだ。
それでも両親は私を婚約者候補として送り出すために、有名な家庭教師を付けてくれ、ドレスもふんだんに用意してくれた。
その両親に、ようやく報いることが出来ると思った。
私はより一層、淑女教育に励んだ。同時に魔力炉の勉強も必死に行った。一つでも多くのシステムを理解し、役に立ちたいと思った。
そして、婚約したからにはミシェル王子にも尽くそうと思った。生涯の伴侶として相応しい妻であろうと覚悟もした。
しかし、ミシェル王子は私に不満があるようだった。どうやら彼は他の婚約者候補にお気に入りが居たらしく、私が挨拶をすると露骨に嫌な顔をした。戸惑ったが、王子に愛されていないことは想定していなかったわけではない。けれど、これから多くの時間を共に過ごす中で、自然と仲も深まるだろうと考えていた。
この時は。
そして正式に婚姻関係が結ばれる結婚式より先に、私は実際に城で魔力炉を動かす仕事をすることになった。
勤め始めて何日か経って、私は廊下で一人の女性を見つけた。長袖の、簡素なロングドレスであることから、身分の高い女性付きの侍女であると思われた。
軽く挨拶をして通り過ぎようとした時、背筋が凍るような感覚に襲われた。
すれ違った侍女こそが、男爵令嬢イネス・ベルクールだった。彼女は、そして彼女の男爵家こそは、我がグレイス家が困窮することになった、一番の要因だったのだ。
彼女は私の顔を確認すると優しく微笑んだ。あまりにも不気味な笑顔だった。
顔見知りであるため無視することも出来ず、少し立ち話をした。どうやら彼女は男爵家の令嬢として箔をつけるため、王妃様付きの侍女として働いているのだという。
そして別れ際、彼女は言った。
「あのことを言ったら……分かっているわよね」
一瞬だったが、足が震えるほど、冷たい視線で私を睨んだ。彼女はあの頃と何も変わっていないのだと、私は暗い気持ちに囚われた。
後になって、私は使用人たちにイネスの評判を聞いてみた。すると彼女を悪く言う人は誰も居なかった。イネスは人の二倍三倍働き、誰よりも気が利いて王妃様からも気に入られ、それでいて威張ったところもなく親切で、皆から非常に可愛がられていた。
彼女は確実に、良からぬことを企んでいる。しかし、この時は直ぐにその気持ちを打ち消してしまった。
私の想像することを彼女が成すには、流石に身分が違い過ぎると思った。
話を私に戻すが、魔力炉での働きは多額の給金を支給され、本来私のような小娘が稼げるような額では無かった。
私はその給金の殆どすべてを家族たちへの仕送りに宛てていた。これによって、両親はかなり助かっていたようだ。
魔力炉で働く人たちも、私が来て助かったと喜んでくれていた。どうやら、この魔力炉はミシェル王子が取り仕切っているらしく、彼の管轄になってから人員を減らされ、みんな長時間の労働を強いられていたようだ。
そんな彼らの手前話せなかったが、私にとってはあまり重労働では無かった。朝、昼、夜と一時間づつ魔力を込めれば、その日の魔力は安定して供給出来た。
ただこれは、メンテナンスをしてくれたり、私をバックアップしてくれる他の職員達が居たお陰だった。
「だった」と過去形なのは、王子によって、私以外の職員がほぼ解雇されてしまったからだ。残ったのは、私がどうしても外せない用事がある時のための、魔力を込める係が数人だけ。(後に彼らも解雇されてしまうのだが……)
王子は、私が加入したことで、他の職員達を「経費を食い潰す不要な存在」と認識したのだ。
私が一日、合計3時間しか魔力を込めていないのを見て、私一人でも魔力炉は回せるだろうとの判断したのだ。
当然私は考え直してくれるよう、彼に進言した。魔力炉は、炉の状態を監視する魔導技師や、魔力分配を調整する制御術師など、多くの人の助けがあって初めて安定するのだ。
私一人だけでは到底安定させられないと思った。しかし王子の裁定は覆らなかった。それどころか、私を「仕事をさぼって金を得ようとする卑しい者」だと言った。
幸い、一人にされる前に私は魔力炉のことを全て頭に叩き込んでいたので知識はあった。だが魔力炉を動かすだけではなく、回路のメンテナンスなど、様々な業務も同時にこなす必要があるため、一日9時間は最低でも働かねばならなくなった。
その合間を縫って、王子とのともにお茶会や舞踏会にも参加しなければならなかった。これはかなり肉体的にハードだった。
疲れからミスをしてしまうことも、一度や二度では無かった。ミスをするたび嘲笑され、王子からも叱責を受ける。精神的なダメージもかなり深かった。
私は再三に渡って人員の補給を訴えたが、全く聞き入れられなかった。
そんな私に追い打ちをかける出来事が起こった。王子とイネスが仲睦まじげに歩いている様子を見てしまったのだ。
侍女の服装ではない。ピンク色の、よく映えるドレスに身を包んでいた。
彼女は17歳になると直ぐ、社交界デビューをした。侍女として仕えていた王妃様が、強力に彼女をサポートしたらしい。
そして私が魔力炉を動かしているため参加出来なかった夜会で、王子とイネスは出会っていた。彼女の城での評判が良く、尚且つ王妃様の後ろ盾を持ったイネスは王子と直ぐに意気投合し、そして城でも一緒にいることが増えたのだった。
勿論、婚約者がありながら、しかも男爵令嬢という身分の子女を連れまわすことに、反対する家臣も居た。だが王子は権力を使い、それらの家臣を失脚させるか、遠ざけてしまった。
それにより城内のヘイトは王子に向いた。だがイネスには向かなかった。
彼女の長年に渡る信頼の蓄積は、完全に周りを味方につけていた。
そしてイネスが火消しに奔走したことにより、王子へのヘイトさえ霧散してしまった。
彼女の政治力は、私が思っている以上だった。
彼女にとって、私がイネスをいじめていて、私に脅されて魔力炉を動かしていたのだと信じ込ませることは容易だったに違いない。
王子は私の前でもイネスと一緒にいることを隠さなくなり、ついに、この場に至った。
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以上がこれまで私が婚約者に選ばれてからの経緯だ。現在、私の危機的状況は続いている。人々の、私を非難する声は収まっていない。
「噂は本当だったんだ」
「やはりイネス様に魔力炉の仕事を押し付けていたんだ」
そんなはずはない。イネスは魔力炉を動かせない。
ここまで公然と冤罪を被せらておいて、私が黙っているのはある理由がある。
私の、というよりも、私のグレイス家と、彼女のベルクール家のトラブルが原因だった。
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元々、グレイス公爵家とベルクール男爵家には親交があった。
私の父親オスカーと、イネスの父親アデルは仲が良かった。私が小さい頃から男爵家の家族がうちに来ることがあれば、あちらの家に私達がお邪魔することもあった。
そう、子供の頃既に私はイネスに出会っていたのだ。
当時の彼女は可愛らしくて、人懐っこい少女だった。私も城内の人達がイネスに抱いたような感情を彼女に抱いていた。
しかしそれが、彼女の被っていた仮面であり、この頃から強い野心と悪意に満ちた子供だと知るのは、ずいぶん後になってからだった。
二家の状況が変わったのは、私の父がアデルの、ある提案に乗ってしまったからだった。「土地を買わないか」という投資の提案だった。
その土地は男爵家の保有する領地の飛び地に当たる場所で、人が生活して町もあるという。肥沃な大地を有し、毎年沢山の作物が取れ、潤沢な利益を得ているという。
しかし男爵家は軍備に不安があり、しかも飛び地であることから管理し切れないのだという。「人助けだと思って、その土地を買い取っていただけませんか?」とアデルは懇願した。
お人よしな我が父は、アデルの頼みを聞いてやりたいと思った。それに、その時既に我が公爵家の領地は不作のさなかにあり、悪い投資話ではないと思った。回収にはそれなりの年数は要すが、長期的に見れば大幅にプラスになると。
そして実際の土地も見ずに購入し、多額の資金が男爵家に渡ることとなった。その土地が人ひとり生活していない荒地だと分かったのは、資金が渡った後だった。
その事件が起きた時期は、私が婚約者候補になっていた時期とも重なる。恐らくアデルは、他の婚約者好候補の家とも、表面的には懇意に接し、機会をうかがっていたはずだ。
取り入り、食らいつく機会を。
投資が詐欺同然だったと知り父は焦った。契約を無かったことにして欲しいと頭を下げた。しかしアデルは全く応じなかった。それどころか、それまでは下手に出て接してきていた彼が、急に横柄になった。
我が公爵家は本格的に困窮した。
使用人たちへの給金を払うために、少しでも節約しようと食事は一日二食。量も半分以下となった。庭は手入れをするお金もなく荒れ果て、両親は売れるものは殆ど売り払ってしまった。
父は金を借りようと、いろいろな場所に出向き、頭を下げて回った。しかしグレイス家の困窮は知れ渡っていて、返済の目途が立たない状況では誰もお金を貸してはくれなかった。
このままでは爵位さえ没収される。そうすれば縁談も駄目になってしまう。
そんな時、アデルから「融資」の提案をされる。「お前のせいで私の家は困窮しているんだ」と言いたかったが我慢した。もはや少しも首が回らない。それを受けるしか、領地経営を続けていく術が無かったのだ。
融資は少しづつ、男爵家から届けられた。この融資を止めれば、いつでも息の根を止められると言わんばかりだった。
こうして、二家の力関係は完全に逆転した。
横柄だったアデルの態度はより横柄になった。アデルだけではない。イネスも、私に対して攻撃的になった。
イネスと顔を合わせたのは、事件の後、一度しかない。その時既に侍女として働いていた彼女は、中々実家に戻る機会が無かったのだろう。
だがイネスの人を見下すような目と、家畜を相手にするような態度は、それまでのイネスと同一人物だとは思えないほどだった。
投資の件以降、私は彼女に逆らうことが出来なくなった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
これが、私が沈黙を続ける理由である。私が真実を言えば、公爵家は没落するだけではない。ここにいる人たちは皆イネスの味方なのだから、私は嘘つき呼ばわりされ、最悪何らかの罪を着せられかねない。
魔力炉で実践すれば、イネスが炉を動かせないことはすぐ分かることだが、そんな提案をすれば、彼女からどんな報復を受けるか分からない。それに、彼女は巧みに言い逃れ、最後には矛先を私に向けることだろう。
「ミシェル様! あまりフィオナ嬢をいじめないであげて!」
イネスの涙声が響く。あまりにもしらじらしい。
「フィオナ様の御実家は多額の借金を抱えていらっしゃるの。だからこのまま魔力炉の仕事まで無くなってしまったら、本当に没落してしまうかもしれないのです」
私が隠したかったことを、この面前で言われてしまった。婚約破棄をされたことよりも、こちらの方が堪えた。憤りを通り越して、虚しさに襲われる。
「ふむ、それもそうだな」
王子は顎に手を当てて頷く。
「フィオナ嬢をこのまま雇い続けてあげることは出来ないかしら?」
「よし分かった。フィオナ、お前を解雇はしない。これからはイネスのバックアップとして魔力炉の仕事に携わってもらう。イネスの寛大さに感謝するんだな」
あまりに恩着せがましい言い方に、私は唖然としてしまった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その夜、私は魔力炉に、一人で魔力を注いでいた。
「フィオナ嬢、大変だったな」
振り向いて、私は思わず背筋をただした。そこにいたのは、ミシェル王子の異母弟で、第三王子のアレクシス様だった。彼は各地を慰問しながら回っていたが、つい先ほど、帰還していた。
アレクシス様はこの城で、数少ない私の味方の一人だった。魔力炉の人員不足を把握し、ミシェル王子に対して度々補充を提案してくれていた。
ただ、第三王子という立場から、また妾の子であることからも立場は弱く、ミシェル王子は取り付く島もなかった。
「婚約破棄をされたのだろう。俺がその場にいれば、反論してやれたんだが」
アレクシス様は、その丹精な顔に悔しさを滲ませた。薔薇のような深い赤い髪は長く、顔は令嬢と見紛う繊細さだが、武道に精通した偉丈夫だった。
「良いんです。こうなるのは、私の運命だったのですから」
「来月からになるが、二人、人員を入れてもらえることになった」
「本当ですか?」
今日聞いた、唯一の良い知らせだった。
「ああ。ミシェルめ、散々渋っていたがな」
アレクシス様の提案を突っぱねる王子の顔が目に浮かぶ。アレクシス様も相当苦労しただろう。私は、少し気持ちが落ち着いた。一人でも、この城に私の理解者が居ることを確認出来て嬉しかった。
婚約破棄をされたときは、本当にこの城の全員が敵であるように感じていた。
「もう婚約は破棄されたのだ。城に居る義理は無いのでは?」
アレクシス様の立場からすれば、そう思うのは当然かもしれない。しかし私は辞めるわけにはいかない。我が公爵家が抱えてる借金もある。そして勝手に辞めてしまえば、イネスがどんな行動に出るだろうか……。
「いいえ、理由は言えませんが、私はここで働かなければならないのです。でもお気遣いはとても嬉しいです」
私は頭を下げた。
きっと、死ぬまでこの場所に居ることになるだろう。私は今まで育ててくれた両親を捨てることが出来ない。借金を返すために私はここで生涯働き、そして朽ちるだろう。
これも運命、というやつなのだろう。
けたたましいブザー音が鳴った。
魔力回路に異常をきたす音だ。
音の出所は魔力炉のすぐ近くだった。
空気に微かな焦げ臭さが混じっていた。天井の灯火もチカチカしている。あれも魔力で動かしている。つまり、何らかの影響によって、魔力炉が不安定になっているのだ。
異常の起きている場所は直ぐに分かった。
私は顔をしかめた。
そこは回路の最も基幹に当たる部分で、最も複雑に、様々な部品が絡み合っているところだった。私も、この仕組みを理解するまではかなりの時間を要した。
「フィオナ嬢、何があったんだ?」
アレクシス様も駆けつけてくる。
「恐らく回路が故障しています」
「直せるのか」
直さなければならない。これを直さなければ、城の中のインフラが全てストップしてしまう。蓄えられていた予備の魔力など、たかが知れているのだ。
「おい! 何事だ!」
部屋に入ってきたのは、ミシェル王子と、そしてイネスだった。
ミシェル王子はこの魔力炉の責任者で、そしてイネスはこの魔力炉を動かしている「ことになっている」張本人だ。彼女は魔力炉を遠隔で動かせると人々に信じ込ませていたが、異変が起きて、駆けつけてこざるを得なかったのだろう。
「回路が故障しているようです」
「早く直せ!」
ミシェル王子が頭ごなしに怒鳴ってくる。
「そうです。こういう時に働いてもらわないと、フィオナ嬢がここにいる意味がありませんわ!」
二人の声を頭上にキンキン響き、その隙間からアレクシス様が二人を諫めている声が小さく聞こえる。
その瞬間、私は何故ここに居るのか分からなくなった。
本来魔力炉を動かす仕事に就くことは、王子と婚約するためだった。少し言い方は良くないが、王家と公爵家の間で交わされた、交換条件のようなものだった。
それなのに。それなのに、婚約は破棄されて、莫大な借金を返すために、脅されながらも寝る間も惜しんで一人で働いて……。
あれ? こいつらのために修理する義理、無くね?
魔力回路は故障しているが、私の頭の回路はバチン、と答えをはじき出した。今まで業務に忙殺され、様々なしがらみに縛られて、この答えを出すことを、脳が止めていた。完全に意識の外にあった。
でも、こうなったら死なばもろともである。
私も死ぬが、お前たちも必ず道連れにしてやる。
「出来ません」
私は無表情で、二人の顔を交互に見ながら言った。
「な、何を言っているんだ」
「そうですわ! 何とかしてください!」
「出来ないんですうううううううううう!!!!!」
私は立ち上がったと同時に走り出し、魔力灯の点滅する廊下を抜け、自室に滑り込んだ。あと数時間でこの城のインフラはシャットダウンする。そうなれば血液を送り出すための心臓が止まったも同じ。
だが私の知ったことではない。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
翌日、やはり私はミシェル王子に呼び出された。
まさか昨日婚約破棄された時と同じ光景を今日も見ることになるとは思わなかった。
だが同じなのは光景だけで、状況は何もかもが異なっていた。
王子、イネスを含め、その場にいる全員が切迫しているか、疲れ切った表情をしている。
昨日、やはり私の読み通り城の全インフラがストップした。
これによって全ての場所で停電が起こり、火も使えないので料理には四苦八苦。冷凍保存していた食品もほとんど駄目になってしまった。そして何より恐ろしかったのが、トイレの水が流れないことだった。
私の部屋は自分で流せたので問題は無かったのだが、他の場所では……まあ、詳しくは言えないが阿鼻叫喚の事態だった。
兵士も使用人も、その対応に追われて疲れ切っていた。
「フィオナ! 何てことをしてくれたんだ!」
ミシェル王子が怒鳴る。目の下にはクマがある。
「そうですわ! 貴方のせいで、城の方々が非常に迷惑しています。早く直してください!」
イネスの声はヒステリックだった。
私は静かにイネスの顔を見返す。そして大げさに泣き始めた。
「うわああああああん!」
「お、おい! 泣いている場合じゃないぞ!」
「だって! だって! 昨日、魔力炉には王子もイネス様もいらっしゃったじゃないですかあ!」
「それが何だ!」
「イネス様ほどのインフラ魔法の使い手だったら! あの程度の故障なんて余裕で直せると思ったんですうううううううううう!」
私はぽろぽろと涙を流した、ように見せた。水魔法である。
「わ、私は魔力炉を動かすのが専門で、回路のことは知らないのです!」
「でしたら今からでも、魔力を込めて下さいませ! だって遠隔で魔力炉を動かせるのですものね!」
「い、いえ、だって魔力炉が故障しているのでしょう? 今魔力を込めたところで……」
「ええ確かに魔力炉は故障していますが! あれは単に魔力が漏れているだけなのです! 術者が炉に魔力を込め続ければ、出力は弱いですが稼働を開始しますわ!」
ちなみに嘘である。あれは魔力漏れを起こしているわけではなく、基盤が完全に死んでいるのだ。だが、そんなことが分かる人材は既に居ない。あなたの婚約者が全員クビにしてくれたんですよ。良かったですね。
「おい、魔力炉動くらしいぞ」
「流石イネス様だな」
期待の眼差しがイネスに集中する。イネスはだくだくと汗を流しながら、凄まじい顔で私を睨んでいる。
まさか、私が反撃をしてくるとは思わなかっただろう。
イネスは沈黙している。
「えっ、イネス様、まさか動かせないのですか????????????????」
「わ、私は今はちょっと疲れて魔力切れを起こしているのです! だからフィオナ嬢、貴女が代わりにやって下さい!」
「うえええええん! それが無理なんですうううう! 私の魔力量では、魔力漏れを起こしている炉を動かせないのですううううう! 無能でごべえええええんなさあああああウィ」
私は地面に崩れ落ち、左手で床をバシバシ叩きながら叫んだ。顔は笑っていたけれど。
「どうにか修理出来ないのか!」
王子が叫ぶ。他人任せすぎるだろ、この馬鹿。それでも責任者なのか。
「腕の立つ魔導技師ならなば出来るんですがああ!」
「ならばそいつを呼んで来い!」
「ごめんなさい居ないんですうううう!」
「何故だ!」
「だってミシェル王子がああああ! ミシェル王子が経費削減とか言って優秀な人から解雇していくからあああ!!! 残ったのは私のようなカスだけなのですうっフゥウウ!」
「ぐっ!」
王子の顔は毒を飲んだかのように青ざめていく。大事故が起きてようやく、自分がしでかしたことの重大さを知ったらしい。
「そ、そいつらを今すぐ呼び戻す!」
「全員他国に引き抜かれました」
「何だと!?」
あれほどの人材、どの国も放っておくわけがない。何せインフラ魔法の基幹技術を知っているのだ。漏洩してはならない情報が大量に流出している。……今日のトイレみたいに。
聴衆がざわつき始めた。王子への視線が刺さっている。
王子は悔しそうな顔で私を睨む。
睨む気持ちもわかる。私を糾弾するつもりだったのに、自分の無能さがこの場の全員に知れ渡ってしまったのだから。本当にご愁傷様。
「な、何とかしなさいよ! 貴女はそのために雇われているのでしょう!」
再三にわたって同じようなことを叫んでくるイネス。
おっと、キャラが崩れてないかい?
私は顔を抑えて泣いたふりをしながら立ち上がった。
「ごめんなさいいいいい! 私は大した魔法も使えない癖にイネス様のお情けで雇われ続けていた無能なので! 何とも出来ないのですうううう! だから私以上の使い手であるイネス様しか! この場は切り抜けられないのですううう!」
「なっ!」
「それとも! それともイネス様は本当はインフラ魔法なんて使えないから、私に全ての仕事を押し付けて! 自分は何もせずに王妃の座を奪ったわけではないですよねえええええええええ!!!!?」(うっほほーい!)
「そんなこと、イネス様がするわけないじゃないですか!」
「そうだ、俺たちはあの子がまだ子供の頃から働いているのを見ています。すごく素直で良い子なんですよ」
「インフラ魔法だって使えるに決まっていますわ!」
「王子の元婚約者様だからって、言って良いことと悪いことがありますよ」
聴衆が口々にイネスを庇う。
「そうですよね! そうですよね! ですからイネス様の魔力が回復された時に、再び魔力炉は動き出すということですよね!!」
そうだそうだ、と聴衆から声が上がる。
みんなイネスを庇おうと必死だ。逆にイネスは今にも卒倒しそうなほど白い顔をしている。生気が抜けたかのようだ。
残念だったわね、イネス。まさか自分の築き上げてきた信頼が、貴女を追い詰めるなんて、皮肉なものね。
「そうと決まればこの程度の故障も直せない私なんてこの城には不要! 私のような無能は! 経費削減のために、仕事を辞めさせて頂きまああああああす!!!」
私はその場から逃げた。ダッシュで逃げた。
何も持たずに王宮を飛び出し、予め、アレクシス様に手配して頂いていた馬車に乗って、そのまま領地まで逃げ帰った。
こうなっては私もただでは済まないだろう。でも後悔は無い。
正直私はどうなっても構わない。だがあいつらは何があっても地獄に叩き落してやる。
私は馬車の中でずっと呆けていた。何だかんだで緊張していたのが、一気に脱力したのだろう。
そして同時に、深い達成感に包まれていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「え、賠償金ですか」
私にその意外な知らせをもたらしたのは、これもかなり意外な人物だった。
「ああ。兄がやった、結婚の直前での婚約を破棄する行為は深刻な契約違反だ。父……陛下も直前まで知らされていなかったようで、たいそう兄にお怒りだった。そして、君に申し訳なく思ったようだ」
「それで第三王子であるアレクシス様が直々にいらっしゃったのですか」
「いや、それはまた別の用でだな」
アレクシス様はどこか所在なさげに頬をかいた。
てっきり私は法外な賠償金を支払わされる側だと思っていたので、正直感情が追いついてこなかった。お家取り潰しの憂き目にあうのかと思ったら、何と今ある借金が余裕で返せる額の賠償金が手に入ったのである。
喜ぶべきなのだろう。現に、私の後ろで両親は跪いて、何らかの神に祈りをささげている。
「あの二人はどうなりましたか?」
「ああ、あの二人は……」
結局、あの後二人のやったことは全て明るみに出たようだ。
王子は経費削減と言って大量に人員を解雇したが、その給金を着服していたことが分かった。私の給料にも手を付けていたらしい。
ミシェル王子は先ず国王陛下直々に拳で殴られた。そして王位継承権をはく奪され、継承権は第二王子のリチャード様に移った。辺境の領地に飛ばされることになったのだが、最後まで「フィオナが悪い」と喚いていたらしい。
で、イネスの方は婚約を破棄され、しかも王族を騙していた罪から命まで危なかったようだが、何とか免れたらしい。だが魔力炉を動かせると騙し、本来の王子の婚約者を退け、尚且つ損害を与えたことにより、莫大な請求が男爵家になされた。
当然、払えるわけもなく、潤沢だった男爵家の財政は一気に悪化。借金地獄に苦しむこととなった。
「で、本題なんだが」
「はい、何でしょう」
恐らく「魔力炉を動かすために、王宮に戻って欲しい」と言われるのだろう。しかし幾らアレクシス様の願いとはいえ、それは無理だ。あんな敵意に満ちた目に囲まれながら、あの場に居たくない。あんな人たちのために働きたくない。
私は薄い紅茶を一口口に含む。
「俺と結婚してくれないか」
私は再び不意打ちを食らって、紅茶を口から出しそうになった。
「な、何をおっしゃっておいでなのですか」
アレクシス様の頬が若干赤い。
「実は、君が王宮で働き始めた時から、ずっと好きだったんだ。しかし兄の婚約者であるし、勿論略奪などするつもりもなかった」
アレクシス様は緊張した顔から、少し頬をゆるめた。
「だが婚約破棄されたなら話は別だ。俺は正式に、君を口説く権利を得た」
第三王子がわざわざここまで来たのはそういうことか。
私もアレクシス様に惹かれていないといえば嘘になる。私にとって、唯一の味方に等しい存在だった。彼が居なければ、私は今頃どうなっていたか。
だがあまりに性急過ぎる。今すぐに答えなどだせない。それにどちらにしろ……。
「お話はとても嬉しいです。ですが、あの王宮に戻るのは……」
「分かっている。戻らなくてもいい。俺が婿入りするのは駄目か?」
「どうぞどうぞ! うちの娘なんかで良ければ!!」
「幾らでも婿入りしてください!」
先ほどまで祈りをささげていた両親が、瞬間移動でもしたのかというスピードで私の隣に座り、アレクシス様の提案に首をぶんぶん縦に振っている。
あんな形で破談になった王族との婚姻が、こんな形で結ばれようとしているのだ。公爵家の両親からすれば喉から手が出るほど欲しい婚姻だろう。
「では、良い返事を待っている」
アレクシス様はそう言うと立ち上がった。私に考える時間をくれるということだろう。
アレクシス様の顔も赤かったが、恐らく私の顔も赤くなっている。頬が熱い。
アレクシス様は良い返事を待っていると言った。けれど、私の心はもう固まっていた。私も立ち上がり、真っ直ぐ彼の目を見つめた。
「結婚の話、お受けいたします」
アレクシス様は、ただ優しく、私に微笑みかけてれていた。
おわり