第1章 月光の魔法(6)
【# モーレツ証券小説 鶴子の恩返し
むかしむかし、ギャンブル好きの貧しい男がいました。パチンコで今日も大負けして、財布には小銭しかありません。
「くそっ……これじゃ、今月の家賃も払えないじゃないか」
男はパチンコ店を後にし、大きく嘆息しました。しんしんと雪が降り積もる中、息はいつもより真っ白です。まるで男の苦悩を色濃く映しているようでした。
「貧乏人が媚売ってんじゃねぇよ!」
怒声が男の鼓膜を突いたのはその時です。声の方を見やると、コンビニ前で複数のスケバン風女子高生が円を作って誰かを囲んでいます。その中心ではボロボロの服を着た少女が一人、うずくまっていました。
「貧乏人が人の男に手を出してタダで済むと思うなよ。調子こいてんじゃねぇ!」
男は「貧乏人」と言われる度、何だか自らが蔑まれているような気がして、ムカついてきました。
「おまえら! 何やっているんだ!」
男は一喝します。
「誰だよ、テメェ」
「ひ、秘密警察だ」
警察は子供の頃の男の夢でした。身なりからして虚言だと分かるのですが、何故か、いじめっ子たちは蜘蛛の子を散らすように去っていきました。不意に地面に座っていた少女は立ち上がります。それから深々とお辞儀をして言いました。
「この御恩は、絶対に忘れません」
それから数日後のことです。男のボロアパートのチャイムが鳴りました。
「こんにちは、白鳥証券の恩河鶴子です」
立っていたのは、黒パンツスーツ姿の美女です。
「証券営業? 俺、金ねぇけど?」
差し出された名刺に怪訝な表情を浮かべて、追い返そうとした男でしたが、
「まあまあ、聞くだけはタダですから」
ぐいぐい押されて、ついには女を室内に入れて、証券口座の開設手続きをしました。「投資資金なんてない」という男に女は明かします。
「初期投資の資金は弊社で貸せるんですよ」
門外漢の男はそんな制度があるのかと簡単に納得しました。女はしばらく、スマホ画面で何かを確認すると「青天建設」株を勧めてきました。
「この株、絶対に上がりますから」
「そんなうまい話があるかよ」
男は半信半疑でしたが、資金は鶴子が出してくれるのです。失うものはありません。一単元(百株)分の二十万円を購入することにしました。購入した「青天建設」が急騰したのは、三営業日後のことです。
「本当に株価が上がっている……」
男は結局、四十万円の利益を得ました。初期投資資金も返済できました。それからというもの、鶴子の言う銘柄は全て的中しました。
「なんでお前、そんなに当たるんだ?」
「当たり前です。私は投資のプロですよ」
その言葉に納得したようなしないような違和感を覚えつつ、破竹の勢いで資産を増やしていきました。そして、ついに資産は一億円を超えました。そうです。男は「億り人」になったのです。
男は鶴子に正式に交際を申し込み、二人はタワマンで仲良く暮らし始めました。本当に幸せな日々でした。が、その幸せは長く続かなかったのです。実は男はずっと気になっていました。鶴子は取引前に毎回、必ずスマホで何かを確認していたのです。画面を覗こうとすると、凄い剣幕でキッパリと言われます。
「スマホだけは絶対見ないでください」
ですが、見るなと言われれば覗いてしまうのが男の性です。男は忠告を無視して、ある日、鶴子が風呂に入っている隙を狙って、スマホを覗いてしまったのです。
開いた瞬間、〈恩河コンツェルン内部決裁予定一覧〉の文字が飛び込んできました。
「恩河って鶴子の苗字だよな。しかも恩河コンツェルンって、あの……」
「あなたが覗くなら風呂だと思っていたのに、スマホを覗くなんて。そうです。私はあの大財閥、恩河コンツェルンの令嬢です」
いつの間にか浴室にいたはずの鶴子が背後に立っていました。
「私は以前、コンビニ前で助けていただいたあの『媚を売っていた貧乏人』です。恩を返すため、証券会社の営業員のフリをして、あなたのためにインサイダー取引をしていました。お貸しした二十万円も本当は私のポケットマネーです。ちなみに逢瀬を重ねてまいりましたが、まだ私は十七歳です」
「インサイダー……ポケットマネー……み、未成年……」
男は予想もしない暴露の大波に飲まれて押し黙ります。
「知ってしまったからには、もう私はここにはいれませんね。さようなら」
「…………」
言葉を忘れてしまったかのように男はしばらく立ちすくんでいました。
「待ってくれ!」
ようやく声を発した時には既に鶴子は部屋にいませんでした。
「鶴子……」
身体中の力が抜けて、膝から崩れ落ちます。ふと顔を上げます。その先には林立するタワマン群がありました。一羽の白鳥がどんどん遠くなっていく姿が見えました。
「鶴子……俺は金なんてどうでも良かったんだ……俺が本当に欲しかったのは鶴子……お前との日々だったのに……」 (了)】
――上々の反応だ。
ペルソナにて、陸斗はロックグラスを片手に笑っていた。証券外交に行くふりをして今日もオフィスを早々に抜け出してきた。左手首のクロコが映し出した空中のホログラムには、三十分前にSNSに投稿した「モーレツ証券小説」があった。今回は日本昔ばなし「鶴子の恩返し」を題材にし、既に四十万ビューを超えていた。
〈今回も傑作〉
〈なんか涙出た〉
など好意的なコメントが目立つ。
ピーピーピー――。突如、クロコからアラームが鳴る。グラスを磨いていたちょび髭マスターがカウンターの中から陸斗に視線を向けた。
藤林陸斗株に五%以上変動が生じた際にアラームが鳴るようにユアワースを設定している。いわゆる「リミットマインダー機能」である。
〈藤林陸斗株に五%以上の変動がありました〉というホログラム上の表示をタップする。やはり、時間外取引できょうの終値比二百四十六円(五・二%)高の四九五一円をつけていた。
――ついに俺の価値は四億円を超えた。
自己総額は四億円と、わずか二週間で自らの価値を一億円上げたことになる。大きな要因は、やはりSNSのユーザーネームを「傍流証券マン・フジリン」から本名の「藤林陸斗」に変更したことだろう。元々、証券界隈では「モーレツ証券小説」の先駆者として有名だった。その本人が個人上場しているのが分かったことで、モーレツ証券小説を投稿する度に株価が反応している――気がしていた。
特に「ユアワース」のSNS機能である「ワースチャット」での反応は顕著で、藤林陸斗株への注目度は高まっている。ホログラム上部の時間を確認する。
――二十時まではあと五分だ。
陸斗の心臓は高鳴っていた。今日は四月一日で、いよいよ「月光ミステリ大賞」の結果発表がある。神崎によれば、公式サイトやSNSにて、二十時に一斉に公開されるのだという。SNSのユーザー名もペンネームも本名の藤林陸斗にしたことが結果的には奏功している。
ホログラムの時間が二十時ちょうどになると、大きく深呼吸する。それから月光ミステリ大賞の公式サイトとSNSを確認する。藤林陸斗の「ブラック・ディール」が受賞作であることが公表されていた。飛び込んできた大賞の金色の文字が突如大きくなり、陸斗はギュッと目を瞑る。分かっていたのに受賞に安堵している自分もいた。深呼吸してから、ホログラムを指で器用に操作する。
〈【小説家デビューします】拙作「ブラック・ディール」が第十六回月光ミステリ大賞を受賞しました。八月一日に上梓されます。よろしくお願い致します。〉
あらかじめ用意していた文言を各リンクに紐づけた。その投稿は瞬く間に拡散されていく。
次にユアワースを呼び出すと、藤林陸斗株は五〇一二円をつけたまま静止していた。反応がないのではない。あまりに買いが殺到し、気配値がストップ高水準まで上がり、売買が成立していないのだ。
「すげー」
思わず声が漏れる。
――この買いの勢いが続けば、本当にワースアワードも夢じゃないぞ。
その後、SNSでエゴサする。総じて、祝福するコメントが多かった。三十分ほどかけて、ゆっくりと反応を読んでいく。充足感で胸が満たされると、ようやく選考委員五人の選評を見始めた。陸斗の想像以上に大接戦だった。最終候補作の四作は陸斗の「ブラック・ディール」と二宮英夫の「静寂の追跡者」に絞られた。それから決選投票となり、三対二で「ブラック・ディール」が選ばれたとの総評があった。
選評からどの選考委員がどちらに投じたかを読み取れるものもあった。まず「ブラック・ディール」を強力に推したのは鷹村だった。鷹村は「近年のミステリー界が忘れかけていた大胆さと切れ味がある。エンタメ経済小説として純粋に楽しめる骨太な構成を高く評価し、受賞作に強く推した」とあった。
――鷹村さんにはこれからもついていこう。
一方で「静寂の追跡者」を強く推していたのが書評家の黒島だった。いや、「ブラック・ディール」を酷評していたという表現の方が正しいかもしれない。
「『ブラック・ディール』は三流映画みたいなありきたりな話で、正直ガッカリした。主人公の動機や行動が弱い。文体もゴツゴツしていて、締め切りに追われて慌てて出したマンネリ作家の初稿みたいな出来。二〇三五年が舞台の近未来なのに、第三章に出てくるトリックは四十年前のハリウッド映画で何度も見たものだ。これが賞を獲るのは正直、納得いかない。選考委員の総意ということで多数決の結果を認めるが、藤林陸斗氏の次作に期待するほかない」
「何言ってんだよ、このババア……」
読み終えた瞬間、陸斗はスマホを持つ手に力が入る。内なる感情がそのまま鋭利な言葉となって出ていた。マスターと目が合って、軽く会釈する。
――懇親会に姿を見せなかった理由ってこれか。
やはり結果に納得できず、怒りに任せて欠席したらしい。黒島の自己総額は三十一億円である。選考委員でありながら新人潰しとも言えるこんな選評をする選考委員が株式市場でどうしてここまで評価されるのか、陸斗には理解できなかった。
――俺はあなたとは見える世界が違うんだ。
そんな内心を胸にクロコをスワイプすると、再びSNSでエゴサをし始めた。