プロローグ——走る仮面はぴょこぴょこ刎ねる
ボスボスという音を鳴らして、ヤギの頭蓋を模した仮面が雪を踏んで走っていた。
仮面を付けているのは小柄な黒髪の少年だ。身長は160センチほど。傍目から見れば祭りに急ぐ無邪気な子供に見えたかもしれないが、彼を知る人間からすれば微笑ましいと思わず、何やってるんだろうと呆れるかもしれない。
とにかく仮面をつけた少年、シドは息を切らし、とある大きな建物に入っていった。それはヤシュニナ氏令国の政治の中心地である議事堂だった。
議事堂に入り、歩き慣れた道を歩いてしばらくすると壁を背にしてずらりと並ぶ面々がいた。ざっと数えて40人ほど、その姿形はさまざまで、ヤシュニナという多種族国家を象徴していると言える。
彼らの前を通り、シドはとある扉の前に立った。黒塗りの扉だ。彼がそれを押すと、扉の向こう側はとても広く、ぐるりと円を描いたホールがあった。
ホールは天井も高く、床と天井の距離は10メートル以上もあった。大理石から削り出した机が円を形成していて、そこには何人もの人間が座っていた。
駆け足でホールへ通じる階段を降りていき、シドは所定の席に座った。隣の席に座っていた男がシドに話しかけてくる。遅かったじゃないか、と。
シドは煙たそうに、道が混んでいた、と答えた。シドの声音が不満げだったからか、男は御愁傷様とからかってきた。うるさい、とシドは不貞腐れる。
そんな二人のおしゃべりを遮るようにしてカンカンという甲高い音が鳴った。音がした方に目を向けると、身の丈3メートルはあるだろう大柄な単眼の大男、単眼鬼がその大きな手からすれば爪楊枝サイズのガベルを叩いていた。
「定時よりやや遅れてはいますが、全員そろったようですので、臨時氏令会議を始めたいと思います。本日の議題は二つ。いずれも我が国にとって火急の事態であると判断されたため、この場にてその解決策を決定したく思います」
キュクロプスの声がホールに、議場に響く。それを聞いてさっきまで雑談をしていた人々も正面に向き直り、議題の提案者が登壇するのを待った。
最初に登壇したのはシドの隣に座っていた男だ。シドを大きく跨いで、儀仗の中心に彼は躍り出た。
大きなツノが額が一本伸びている長身の男で、体躯は2メートル以上ある。ぶかぶかのズボンを履き、上は燕尾服というちぐはぐなファッションをした金髪の鬼だ。
「橋渡しの議氏アルヴィースより、議題を提示します。本日、話し合いたいのは外事院からの特一級の懸案であります」
よく通る声でアルヴィースは議場の面々に向かって話す。その手にはスピーチのメモが束になって握られていた。
「二日前、エイギル商業連合経由でとある要人の亡命が希望されました。その人物は帝国出身のさる貴族で、亡命の手土産にとある文書を引き渡すと言っております」
議場に集まった面々は隣同士、視線を送り合う。帝国という名前に決していい印象を持っていないからだ。厄介ごとが舞い込んだ、とため息を吐く者さえ中にはいた。
これは大分議論が縺れるな、と天井を仰ぎながら、シドもまたため息を吐いた。
*
西暦2438年、人類はついに有史以来抱えていたあらゆる問題を解決した。
人体の量子化、もとは再生医療技術として注目されていたそれは、数段飛び越えて人類を次のステージに導く技術、すなわちホモ・デウスとなる技術として完成した。
人体の量子化は肉体を量子化し、自由に作り変える技術だ。土地に用いれば荒地を緑地に、廃村を大都会へ変えることもできる。
肌の色、性別、人種、宗教、土地、国家、恋愛、友情、趣味、戦争、社会、結婚、容姿、その他様々な問題に発展する事柄は、人一人一人が神となることで解決された。
神となった人類は数多の量子世界を創造した。神々のごとく、ヒトや生命を作り出した。その中にはゲームの世界もまた存在した。「SoleiU Project」はその数多あるゲームの一つである。
「SoleiU Project」はRPG、ロールプレイングゲームという古典的な形式に則ったゲームだ。多種多様な種族が広大な「ヴァース」という惑星を舞台にして冒険をする、という極めて陳腐なよくあるゲームで、レベルだったり、スキルだったり、魔法だったりとゲーム的な要素が盛りだくさんと特筆して語るべき部分はないが、十分条件は満たしていた。
最盛期は数十億というプレイヤーが大地を疾駆し、ダンジョンを探検した。地球に倍する巨大な惑星はレトロで古典的ながら愛され、そして多くの人間にとってかけがえのない思い出を築いた。
そうして人類が隆盛を極める中、ある事件が起こった。
「大切断」。今日ではそう呼ばれる現象がある時、起こった。それは「SoleiU Project」がサービス開始してから40年が過ぎた頃だった。
大切断はあらゆる量子世界のつながりを切断し、現実世界への帰還すら不可能にした。そればかりか、それまでは可能だったリスポーン、ゲーム的な蘇りも不可能になり、多くのプレイヤーが絶望した。中には悲嘆に暮れて自殺する者すらいた。
しかし、一部のプレイヤーはこう考えた。これはチャンスなんじゃないか、と。
「SoleiU Project」の世界がゲームだったころは難しかったことも今ならできる。今なら、もっとこの世界で自由を謳歌できる。そんな邪気とも無邪気とも取れる思想で動くプレイヤーがいた。
シドはそういったプレイヤーの一人だ。仲間を引き連れ、彼は国を作った。それが「ヤシュニナ氏令国」だ。
*
議場では議論が加熱する。理由はもちろん、アルヴィースが持ち込んだ亡命者の件だ。
「文書は新たな徴税法についてですか」
「南部を中心に施行されるとか。いやはや、増税とはなんとも稚拙な」
「評価は後にしましょう。問題はこの亡命を受け入れるか否かでしょう?」
「あまり帝国を刺激するのは得策とは思えないな」
「だが、相手は帝国だ。遠慮することはない」
「ここは受け入れてもいいだろう」
アルヴィースの提案に集まった面々、ヤシュニナを支える氏令達は賛成か反対かを議論する。その姿はまさに国を背負う人間にふさわしいものだった。
ヤシュニナは象徴制官僚国家だ。王君という象徴を仰ぎ、その下には氏令と呼ばれる最上位の官僚集団がいるという政治体制だ。氏令達はそれぞれ、知識を有する才氏、行政を担う議氏、軍事を任せられた軍令、司法を司る刃令、そして神事を執り行う界令と呼ばれる。前者四職は10人ずつ、後者は5人が定員だ。
氏令達はそれぞれが何かに精通したエキスパートであり、その部門における国の最高責任者である。
「この文書はどれほど帝国に影響をもたるのですか?」
議論が白熱する中でアルヴィースに質問する才氏がいた。白い肌、白い長髪、銀色の瞳の美丈夫で、彼の耳は長いが先端は丸みを帯びていた。
彼、水事の才氏アキトリはエルフである。セーリス・エナという雪国の森林に住むエルフの生まれで、外見こそ若いが実年齢は100歳を超えていた。もっとも、それでもエルフとして見ればまだまだ若造なのだが。
アキトリの問いにアルヴィースは淡々と答えた。
「知らされている文書の内容が事実であれば、南部で大規模な反乱が起こる可能性があります。無論、施行される前に知らされればですが」
法律とはそれがきちんと運用される体制が整ってから実行されるものだ。実行された法律に逆らうのは難しい。民主国家ですらそうなのだから、いわんや貴族制の帝国では逆らうのは不可能だろう。
「なるほど。つまり、その文書を手に入れられれば我々は帝国への脅迫材料が手に入るわけですね?」
「有体に言えばそうです。帝国は我が国を敵視していますから」
ヤシュニナ氏令国は建国されてから今年で151年が経つ。その歴史の中でヤシュニナは2度、帝国から恭順するように命令されたことがあった。一度はそれが原因で戦争になったこともある。ゆえにヤシュニナは帝国を敵視していた。
幸い、ヤシュニナは帝国とは海を隔てた島国だ。グリムファレゴン島という大きな島の東岸部を支配する国であるため、侵攻は容易ではない。それでも対策をしておくべきだろうというのが氏令会議に参加する面々の共通の認識だ。
「そういうことでしたら、私は今回の亡命には賛同します」
賛同を示すアキトリに議場の視線が向く。居心地が悪そうにアキトリは肩をすくめた。
アルヴィースとは敵対する派閥の盟主であるアキトリが彼の提案に賛成するというのは意外だったのだろう。彼の派閥に属する氏令も疑念の眼差しを向けていた。構わず、アキトリはその理由を説明した。
「帝国との戦争回避のためでしたら、この亡命を受け入れる価値はあります。反対する理由はないかと」
「いささか浅慮では?帝国がどんな言いがかりをするかわかったものではありませんよ?」
賛意を示すアキトリを嗜めるのは彼とは別の派閥に属している氏令だ。それに対してアキトリは頭を振った。
「帝国としてもたかが一文書のためにそこまでしないでしょう。別に国家機密であったり、皇室の醜聞が書かれたわけではないのでしょう?」
「新法の原本が他国に流れるのは十分、大事だと思われますが?」
反論された氏令は渋い顔をする。しかし何か反駁するつもりはないのか、引き下がった。
アキトリが賛意を示し、それに彼の派閥の氏令達は追随するように、それなら、と手を上げた。議論が沈静化した頃、それまで議場の様子を伺うばかりだった単眼鬼の氏令がカンカンとガベルを叩いた。
「それではこれより、決をとります。亡命に賛成の方は挙手願います」
手を挙げた氏令はシドとアルヴィースを含め32名。全体の3分の2を超える賛成数だ。それを受けて単眼鬼の氏令は議決されたと判断した。
議題が可決されたことにシドはふぅ、と胸を撫で下ろした。過半数を超えれば議題は可決される。まさかアキトリの派閥が賛同するとは予想外だった。仕込みが無駄になったな、とシドは苦笑した。
とはいえ、当初の目的は達成された。今はそれに安堵した。
シドが安堵する傍ら、単眼鬼の氏令は次の議題に移ろうとしていた。
「次の議題へ移らせていただきます。発起人は登壇してください」
「槍折りの軍令ジグメンテより、議題を提示します。第七州での難民の活動の活発化に対し」
新たに登壇した軍令の言葉を子守唄にシドは寝ようと決意した。
*




