【第5話 火の契約】
朝の鐘が空気を割って響いた頃、アマネたち一年生は学院南東の訓練場へと集められていた。
今日の実技授業は、魔法使いにとって最も基本にして不可避な契約――《火灯》を正式に学ぶ時間だ。
石畳で囲まれた訓練場には、魔力の暴走に備えた防結界が既に展開されていた。中央の講義台に立つのは、冷静沈着で知られる中年の講師・スルガン教官。銀縁の眼鏡越しに鋭く生徒たちを見渡しながら、無駄のない口調で語り始めた。
「本日の実技は《火灯》。生活魔法に分類されるが、魔法体系における“精霊契約”の最も純粋な形式でもある。使用するのはルビー。熱の精霊と魔力を通じて接続し、正式な契約を行う。制御出力の測定も同時に行う」
生徒たちは間隔を取りながら整列し、足元の簡易魔法円に立った。アマネは列に並びながら、小指の先ほどのルビーを指先で転がす。その未契約の宝石は、まだ精霊の気配を帯びていなかった。
スルガンの言葉が続く。
「契約とは、力の引き出しではない。命令でもない。精霊に意志を伝え、向こうの応答を受け取る。それが本質だ。魔力を押しつけるな、染み込ませろ」
アマネは静かに息を整え、ルビーを両手で包んだ。
胸の奥に意識を沈める。
冬の朝の白い吐息。薪が爆ぜる音。夕餉の鍋の湯気。誰かと囲んだ暖炉の火。
温度としての“熱”ではなく、そこに在るべき“構造”としての熱を思い描く。魔力はそれに応じて、ゆっくりと宝石へと染み込んでいった。
かすかに、宝石が震える。
次の瞬間、内側に赤金の紋様が浮かび上がった。円と線を軸に構成されたその印は、契約が成立した証だった。
だが、アマネはそこで止まらなかった。
宝石を持ち上げ、角度を変えながら透かす。線の太さ、揺らぎ、中心の密度。魔力の偏りや滲みも含めて、丁寧に観察する。
(……構造は安定している。過不足なし。契約印の型も、既知の基準から逸脱はない。これは“標準”の火精霊との接続……だ)
そのとき、ふっと何かが心の奥をなぞった。
《……ぬくもり……了解……》
言葉ではない。だが、明確な“応答”だった。
熱の精霊が、確かにこちらを認識し、接続を了承した。そのささやきは、知性というより本能に近く、それでも優しく、どこか誇り高かった。
アマネは、目を閉じてその感覚を刻む。
これはただの魔法発動ではない。契約――「在る」と「使う」をつなぐ構造を、自分自身が初めて確かに知覚した瞬間だった。
精霊とは、力ではない。存在だ。
存在との橋渡しを可能にするのが、契約であり、媒介であり、自分の魔力である。
この理解は、どんな理論書にも書かれていなかった。
(……この感覚、忘れない)
後に“異常な方法”で精霊と交信する日が来るとき、彼はこの感覚を、基準として思い出すことになる。
◆
「契約完了者から、次段階へ移れ」
スルガンの声に従い、アマネは契約済みのルビーを構えて小さく呟く。
「ルーミ・フェリダ・アグニア」
炎が指先に灯った。小さく、しかし安定した光。アマネの魔力量と制御出力は、学院が示す指定値にぴたりと収まっていた。
周囲では、ファンやシオンの火灯が一際強く発光していた。
ファンの魔力は測定装置を突き抜けかけ、即座にスルガンから警告が飛ぶ。
「ファン、出力過剰。制御優先。シオン、お前も同様。減量訓練に入れ」
ファンは肩をすくめて笑い、シオンは淡々と頷いた。
その様子を横目に見ながら、アマネは動じずに確認を続ける。
(自分の出力は、指定値に一致。印も構造も異常なし。誤差、許容範囲内……)
この安定は、誰かに褒められるためのものではない。
ただ、自分が学院という枠の“正規品”として扱われるための、それだけの意味。
◆
エラ・ヴィオラは、訓練場に隣接した観察室の窓辺に立っていた。
白衣の裾を払いつつ、訓練場の生徒たちを上から見下ろす。
彼女は元軍人だ。現在は学院の宝石魔法理論ゼミの講師で、非常勤として契約授業の宝石管理を担当している。
だが、その眼差しは“管理”というにはあまりに観察者的だった。
シオン・ヴェリウス。出力値の高さ、応答の速度、魔力波形の均一性。理論値としては完璧すぎる。
そして、アマネ・ユグノア。正規の構造を一切逸脱せず、まるで“教科書どおり”の契約をしたように見えるのに、どこかしら過剰な精密さがある。
(あれは、「見せている」)
彼女は唇の端をわずかに引いた。笑みというより、反応。興味の表れ。
授業後、訓練場の隅でスルガンに声をかける。
「さっきのふたり。あの銀髪と、その隣の赤茶。名前は?」
「シオン・ヴェリウス。隣はアマネ・ユグノア。シオンは振り分け試験でも話題になったな。アマネの方は……記録上は完全に中庸。筆記も実技も標準型」
「なるほど。……それなら、観察を続ける価値はあるな」
彼女の声には無駄な感情がなかった。
ただ、標準から逸脱した天才と、標準を装う異端――どちらも、観測者としては極めて“美味しい”存在だった。
魔法とは、契約とは。そして出力と制御とは――。
この話では、魔法における“接続”という概念を掘り下げながら、アマネとシオン、そしてエラの関係性を描いています。
火灯の授業は、魔法世界の“基礎”にして“核心”。アマネの異質さがじわじわとにじむ回でもあります。
4MB!T/アンビット