表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

壁の文字

作者: 太川るい

「ふむ」


 ある平屋の中、一人の男が壁と向かって何事かを考えている。




「おい、墨と筆、それから硯を持ってきてくれ」


 男は近くにいた少年に頼んだ。


「へえ、先生」


 持ってきたものを受けとった男は、墨をたっぷりとすった。筆に墨汁を含ませる。そうして勢いよく、男は壁に向かって筆を振るった。


「先生、何をしよるね!」


 慌てる少年の言葉を意にも介さず、男はどんどんと文字を書いていく。




  松下雖陋村、誓為神国幹




 ようやく書き終わった男は、汗をぬぐいつつ、少年を見た。


「どうだ太郎。この意味が分かるか」


 男がたずねる。


「いんや、わからん」


 少年が答える。


「次郎はどうだ」


 様子を見に来たもう一人の少年にも、男はたずねた。


「さっぱりだべ」


 少年は首を振った。


「これはだな」


 男がおほんと咳払いをする。説明を始める時の、いつものクセだ。


「『松下陋村(しょうかろうそん)といえども、誓って神国の(みき)とならん』、と書いてあるのだ」


「はあ」


 まだ少年たちはぽかんとしている。


「まだ分からんか」


 少年たちはうなずいた。


「要するにだな、この松下村は、とんでもない田舎だということが書いてあるわけだ」


「なぬ」


 それを聞いた太郎が、顔色を変えた。


「先生、そんなことをわざわざ書くために、塾の壁を台無しにしたのか!」


 足を踏みしめ、いまにも男につかみかからんばかりの勢いである。


「前から怪しい先生だとは思ってたが、もう我慢ならん。一発殴ってやらにゃあ気が済まないだ!」


「お、落ち着くだよ、太郎」


 次郎と呼ばれた少年が、太郎と呼ばれる少年を慌てて引き留める。


 男はそんな二人の様子を見ても、平然としている。


「なに、大事なのはここからさ」

 

 男はたたずまいを直した


「なあお前たち、確かにこの村は田舎だ。誰も知らないような、日本のすみっこだ。だがな」


 壁に書いた文字を見ながら、男は続ける。


「俺はここから大人物を育て上げてみせるのさ」


 男の言葉に力が入る。


「断言する。この塾は将来、日本の屋台骨を支える人間がわんさか出る。この国の根幹が、この塾になるんだ。いや、何としてでもそうならねばならん。その誓いを、決して忘れぬよう、俺はここに書いたんだ」


 男は二人を、ぐっと見据えた。


「他の誰かが背負うんじゃない。俺が、お前たちが、この日本を背負うのだ!」


 そう言いながら、男は豪快に笑いだした。


 太郎と次郎は顔を見合わせた。


「なんだか、変な先生じゃのう」


「そうじゃそうじゃ」


 言い合う二人を、男は笑って眺めている。


「そんなわけだ。ここをただの塾だと思うんじゃないぞ。さあ、授業をしよう」


「はいよ、松陰先生」




 ある日の松下村塾の午後は、こうして過ぎていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ