8 厄介者たち
「どうでしょう。宮廷を去りたくなりましたか? 厄介な上司を押し付ける選択をし、貴方をこの部屋へ押し込んだ国の中枢を恨みますか?」
アルバローラ殿下に軽い喧嘩をふっかけられ、私は奥歯をぎりっと噛みしめた。安い挑発に乗ってはいけない。返り討ちに会うだけだ。掌に爪が食い込むほどこぶしを握り締めて、俯いた。吐息に混じった小声で「いいえ」と拒否を示す。相手のペースに乗せられては、こちらが面白半分に転がされるだけ。今はただ、耐えるだけ。
ふぅ、と息を吐いた殿下はまるでこの状況に突然飽きたように、気だるげに立ち上がった。あれだけよく回っていた口は沈黙し、にたにたした笑みも息を吹きかけた蝋燭のようにふっと掻き消えてしまった。広い背中をこちらに向けた殿下を、私は慌てて追いかけ声をかける。
「どこへ行くつもりですか?」
「どこ? 不思議なことを尋ねますね。帰宅するんですよ。終業の鐘は鳴りましたからね」
「話は終わってません!」
「……ああ、ついでに言っておくと、明日以降僕はここに出勤するつもりはありません。今日は新人が来ると聞いたので、面白半分で顔を出してみただけ、ですから」
こちらの話を聞いているようで、聞いていない。こんなものは会話じゃない、一方的な主張だけがこの部屋にこだましているだけだ。
このまま殿下を逃すわけにはいかなかった。だってこのままじゃ、私の宮廷生活は、仕事は、どうなるっていうのだ。不敬も何も気にせずに、殿下の衣服を掴んで引き留めようとしたけれど、彼は背中に目でもついているのかと思うくらい、ステップを踏むように私の指先を華麗に避けた。
「鼻息荒く殿方に突っかかってはみっともないですよ、お嬢さん」
「私の名前はミィテです。貴方の部下であり、この職場で働く役人の一人です」
「ええ。ちなみにこの職場は、僕と貴方の構成人数二名ですよ」
私の中の一番柔らかいところをぐさりと刺すように告げられた事実に、ぐっと喉元が抑えられた気がした。もし殿下の話を信じるのであれば、私は殿下と同程度に厄介者扱いされている一人。王宮には私と同等の厄介者は殿下以外には居ない。つまり最底辺のふたりということだ。
この事実を、皆まで語らずとも私が理解するだろうと、殿下は理解した上で私を侮蔑しているのだ。
「私は……わたしはっ、婚約者をおいそれと放り出すような女ではないです」
「それを僕に言われても困ります。すべての判断は陛下のお心のままに、ですから」
私の憤りは、殿下を足止めする足かせには当然なることはない。私はこれ以上殿下を無駄に追いかけるのは諦めた。今ここで大声ですがっても、彼の心は何一つ縫い留めることはできない。きっと、追えば追うほど煩わしいと嫌悪し、その嫌悪すら巧妙に隠して風のように去ってしまうのだろう。
「そうそう、明日から君はこの『魔具研究開発室』のことを調べ、なんとか執務に移せないかと考えるでしょうが、無駄だと先にお伝えしておきますよ。貴方が絶望するのも当たり前に許されることですし、僕はそれを咎めません。道端の小石を眺めるくらいには、面白おかしいでしょうね」
「それはどうもありがとうございます。嬉しい限りです……ねっ」
すでに半身を廊下に出していた殿下相手におざなりな返事をして、私はズルズルと床にへたり込んだ。殿下はやっぱり何の未練もなく、この場を去っていった。
ぎゅっと目を瞑って、現状について考える。
私はこの国のことを買い被っていたんだろうか。所詮他国からの移民である私は、登用試験に合格しても、ろくな戦力にならないと判断されたのだろうか。
(そんなこと、無いと思う……)
ここまで配慮に富み、他国に比べれば先進的且つ柔軟な考えを持つ王宮が、面倒を押し付ける目的で私をこの場所に送り込むだろうか。
けれど、あれこれ考えこむのは明日からだ。無駄だと言われても、私は私の足を止めることを諦めたくない。たとえ殿下に無駄なあがきだと嘲笑されても、私はれっきとした宮廷の役人なのだから。
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