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4 これが私の初仕事

「なにが、気が向いたら、よっ! 普通に教えなさいよ、なに勿体ぶってるわけ!?」


 あの男が出て行ったあと、私はすぐさま備品保管室に駆け込んだ。手あたり次第に掃除用具一式を両手に抱えて部屋に戻ると、エプロンを被りきゅっと紐を腰で縛る。部屋の中の重く垂れ込んだ空気を入れ替えるため、せっせとカーテンを開き、窓を全て開け放した。


(平凡なお嬢ちゃんが、配属初日に部屋の掃除を一人で任されたら心が折れるとでも思ったのかしら。ご生憎様、これくらいなんでもないわよ。舐めないでほしいわ)


 床一面に散らばった紙束は内容をざっと読んで種別ごとに分け、書籍はシリーズごとにまとめて本棚に仕舞っていく。一見すると単純な作業だが、正直なところ集中力も体力もすり減っていくため大変な労力がかかる。一人でこなす量ではないことは確かだけれど、へこたれるわけにはいかなかった。

 埃だらけの棚や机は塵を落とし、丁寧に水拭き乾拭き。明らかに不要であろう書物やゴミは隅にまとめて、処分の判断はあの男に任せればいいだろう。

 母国で暮らしていた頃の私であれば、掃除の仕方も分からず右往左往していたかもしれないけれど、この国で暮らして一年。私には女将さんの教えが生きている。無言で額ににじんだ汗を手の甲で拭い、しゃがみ続けて負荷のかかった腰をとんとんと叩いた。

 バケツに汲んだ水でぞうきんを絞り、力強く窓ガラスを擦っていくと、曇りが取れ、薄暗がりの部屋に徐々に日差しが入ってくる。書類だらけの部屋に遮光は必要とはいえ、一旦はこの薄汚れたカーテンは洗わなければと考えながら布地をまじまじと眺めつつも、ふと窓越しに中庭を見下した。

 白亜の建物が美しい宮殿は、制服に身を包んだ老若男女たちがせかせかと歩き回っている。隅々まで手入れの活き届いた建物の中にはよどみは無く、人々の活気があふれていた。

 母国の王宮はどちらかといえば、鬱屈として、どこもかしこも重々しい空気が流れていた。目の下に隈を浮かべたり、顔が土気色になったりした人たちが、のろのろと歩いていたものだ。使用人として働いていたメイドたちも多くいたが、疲れ切っていたり、廊下の隅でこそこそと、何やらうっぷん晴らしに噂話に花を咲かせているしぐさをよく見かけた。くすくすと密かに笑いあう姿や、誰かの足を引っ張りあう姿は日常茶飯事。つまり、この国の王宮の雰囲気とは真反対だった。

 それに、全員の制服が統一されていることも画期的なことだ。ここ宮廷では、大臣やそれに準ずる高位の職務に就いているものを除き、制服は原則同一である。男と女は形態が違うらしいが、それは身体的な違いからくるものだけで、デザインはほぼ一緒。つまり、貴族のどんな階級でも、平民でも、男でも女でも同じ制服に身を包むということ。私の母国では考えられないほど平等が根付いている。


(そういえばあの男……薄暗くてよく見えなかったけど。宮廷制服を着てなかったような)


 ぼんやりと、行き交う人を眺めながら窓を擦っていると、誰もいないこの部屋に、突然人の声が舞い込んだ。


「あら貴方。私と同じ新任の方ではありませんか?」

「えっ」


 私は思わずぞうきん片手に振り返る。部屋の入口には、自分と同い年くらいの、見るからに高貴そうな女性が佇んでいた。

 真っ黒で艶々とした、枝毛の一つも無さそうな髪の毛は、丁寧にロールを巻いている。華やかな印象を持たせる髪型に、新雪のような白い肌が美しく太陽の光を受けていた。なによりも切れ長の美しい金色の瞳が、彼女の気高さを醸し出している。私は慌てて窓から離れて衣服の埃を叩き落し、反射的に腰を折る体制を取ろうとしてしまったが、目の前の女性は待ったをかけた。


「ちょっと、お待ちになって。貴方、私に対して頭を下げようとしていませんこと?」

「そうですけど……」


 女性は腕を組み、小首をかしげた。


「貴方、ご存じでしょう? この王宮に仕える者の第一原則。『職位に敬意あり、爵位に敬意なし』ですわ。貴方もわたくしも、この王宮に足を踏み入れれば立場は平等のはず。よってそのような態度は不要ですわ!」


 あまりにも堂々と言い切られて、拍子抜けしてしまった。彼女の言う通りの第一原則は確かに存在する。勉強を始めたころは、そんなお題目を掲げている王宮があるものなのか、と驚いたものだ。ただ、そうは言ってもそれは理想でありお飾りのようなもので、実際は多少気を遣うものだろうと思っていた。

 だからこそ明らかに上位貴族と思われるお嬢様に言い切られてしまうと、その「原則」が「真実」としてこの王宮に根付いていることがよく分かる。そうでなければ貴族が、堂々と自分が不利になる条件を言い切るわけがない。きっとこの女性の親族も王宮に務めていて、その原則を当然のように全うしているのだろう。


「貴方がここで腰を折ってしまったら、この国が育ててきた宮廷文化を崩す一端となってしまう可能性がありましてよ。お気をつけなさってくださいませ」

「そう……ね。そうですね。ごめんなさい」

「わかればよろしくてよ」


 ふふふ、と口元に手をやり可憐にほほ笑んだ女性に、私は急いで駆け寄った。汗にまみれ、あちこち汚れているであろう私の姿を見ても、綺麗なお嬢様は嫌な顔せずにこりと受け入れてくれた。


「私はミィテと言います。仰ってくれたように、本日付けで新人として働き始めました。でも、よくご存じでしたね?」

「わたくしはパセナ・リューチュエリと申します……だって貴方、試験会場で目立ってましたもの」


 リューチュエリ家の名前は聞いたことがある。確か一族からかなり多くの武官を輩出している名門家系じゃなかっただろうか。パセナ嬢は不敵に笑んでいる。


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