2 とある片隅の食堂にて
「――ミィテ、手が空いたらこっちの下処理手伝ってくれる?」
「はい、今行きます!」
レヴォシュリオン皇国。私の生まれた国とは大陸の真反対に位置する、世界有数の港町を保持する大国だ。東側に海を、西側に森林地帯を持ち、森林の中にそびえたつ大陸一の山岳に頂点をおいて、扇形の形を取っている。
私は、馬車を乗り継ぎはるばるこの国へとやって来た。
残念なことに一年ほど前、長らく仕えていた母国から追い出されてしまった。罪を犯したわけではないけれど、のっぴきならない理由で生まれ育った国を後にした。さあどこへ行こうかと考えて、真っ先に出てきた選択肢がこの国だった。何もかもが取り上げられ、大した技術も持ち合わせていない私に残されたのは「知識量」だけ。つまりこの頭脳を使ってなにか職に就くのが手っ取り早い。けれど他国民が知識職に就ける可能性のある国なんて限られている。そこで思い出したのがこのレヴォシュリオンだった。
数年前レヴォシュリオン皇国では、宮廷登用制度に大幅な改革が施された。それまで貴族の子息子女にしか開かれていなかった登用試験が、平民も受験可能となった。さらには他国から国籍を変えた者については、試験受験時点で国籍変更から一年を超えていれば同じく受験可能。つまり私にも道が開かれていた。
試験勉強は苦ではなかったけれど、なによりもネックになったのが言語。当然、異郷の言語は私にとってなじみのないもので、かろうじて挨拶しか分からない私は、一年で筆記や口述問答に対応できる言語技術を身に着ける必要があった。
それに、勉強ばかりで一年が過ごせるわけじゃない。資金問題だ。母国からの手切れ金は移動費ですっかり消えてしまった。だから私は国境をまたぐやいなや、王都の職場相談所にて「住み込み可」「未経験可」の職場を探して、総当たりで飛び込んでみた。結果、拾い上げてくれたのが今の食堂だ。接客なんてしたことが無い私は、とにかく初歩の初歩から経験を詰み、片言でお客と交流することで、話し言葉を身に着けた。就業時間が終われば眠い目をこすりながら読み書きの勉強。さらに自分の知識だけで補えていない分野の補強。まるで修行の様だったけれど、不思議とやる気がみなぎり、一年かけてようやく流ちょうにこの国の言葉を扱えるようになった。
この国にやってくるまでは、腰まで伸ばしていた白金色の長髪はお気に入りだったけれど、鎖骨のあたりでばっさりと断ち、切った髪の毛はこの国に到着した初日で売り払った。丁寧に手入れされ続けた髪の毛はそれはそれはいい値段で売れたので、登用試験のための必要品を工面することができた。未練など微塵も感じなかった。
「ミィテちゃん、今日も元気だねえ」
「長く勤めてくれたらいいのに、もうすぐ王宮に行っちまうんだろう?」
「めでたいけどねえ、寂しくなるねえ」
「そんな……ありがとうございます」
常連のお客様たちが残念がってくれるのが、何よりの賛辞だと思う。勤めはじめた頃は、それはそれはひどいものだった。皿は一日に何枚も割ってしまうし、食事をひっくり返してしまうこともあった。その度叱られもしたけれど、根気強く教えてくれた女将さんと、優しく見守ってくれた常連客の皆さんには頭が上がらない。お客様のなかには、言葉に不自由な私の勉強のためにと、わざわざゆっくり話してくれる方もいた。
正直居心地がよくて、このままここで働き続けてもいいかなと思ってしまわなくもないのだ。けれど私はやっぱり、この頭を使いたいという欲が買ってしまう。国の中枢で、私にこうして優しくしてくれた国民のみんなや、そもそも私を受け入れてくれたこの国のためにも尽力したいのだ。試験に合格したことを告げた時、女将さんは心からの涙を流してくれて、常連さんも巻き込んで食堂で盛大にお祝いしてくれた。私はそんな人のやさしさに直に触れて、女将さんにつられてこっそりお店の隅で泣いてしまった。
あれだけ「手ひどい裏切り」を受けた時には一つの涙も浮かばなかったのに、嬉しくて涙を流すだなんておかしなものだと思うけれど、涙っていろんな種類があるんだなとしみじみ思ったりもした。
「ミィテ、そろそろ上がりの時間だろ。それ仕舞ったら終わっていいよ」
「はい。わかりました」
だからこそ、私は執務初日を今か今かと待ちわびて、希望に胸を膨らませていたのだ。
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