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1 軋む歯車、緩むネジ

 まず、目の前の光景は夢に違いないと思った。


 なぜなら扉を開けた瞬間、飛び込んできたのはおびただしい数の本、本、本、それに加えて紙の束。所狭しと床に散らばっていて、愕然とした。期待に胸を膨らませて新しい職場に足を踏み入れたのに、あまりの惨状に放心するのも仕方ない。

 私は整然とした職務室が私を受け入れてくれるはずだとすっかり信じていたのだ。それなのに部屋の床は覆い隠されていて色も柄も分からない。まさに「足の踏み場もない」状態、私は顎が外れるくらいにあんぐりと口を開けた。


(これってどういうこと? たちの悪いいじめでも受けてるのかしら)


 太陽は昇り始めたばかり、天には青空が広がっているというのに、室内は文字も読めない薄暗さ。部屋には明かりの一つも灯っていない。薄汚れたレースカーテンで閉め切られているのに、光源の一つも存在しないことが不気味だ。

 そして私は、最奥に備えられた大きな執務机の先、部屋一番の大きな出窓の張り出しに、長躯な体を器用に畳み込み、腰かけている誰かを見つけた。


「こんにちは。阿呆な犠牲者さん」


 その誰かは私に歌うように挨拶をしてきたけれど、侮蔑にまみれた声音だった。加えて、くつくつと喉の奥で笑う嘲笑。正体も意図も分からないけれど、明らかにコケにされてることだけは、分かる。それでも咄嗟に相応しい反応なんてできなかった。誰かも分からない相手にいきなり泥みたいな言葉を浴びせかけられて、私はぎこちなくオウム返しすることしかできない。


「ぎ、犠牲者……?」

「ええ。ほかならぬ貴方ですよ。見たところなんにも知らずにのこのここの部屋にやってきたようですね。被食者と言った方がよろしいですか?」


 するり、と彼は音もなく影のように立ち上がった。極めて丁寧な口調とは裏腹に、言葉は毒と棘だらけ。扉の前でたたらを踏んだ私をさらに見下すように、相手は鼻で笑う。


「まんまと宮廷の老爺どもの掌の上で踊らされていっそ哀れですね。大層な試験に合格したのに、脳には無駄を詰め込んで重くなっただけ。残念ながら頭は回らないようだ」

「なっ……」


(どうして得体も知れない男に、そんなこと言われなくちゃいけないの?)

 

 そもそも。そもそも私はたった今、新生活に胸躍らせて、国のために働こうと気合を入れて職場に足を踏み入れたのだ。それなのに馬鹿にされただけじゃなく、これまでの私の努力までも踏みにじられた。相手がお偉い貴族様か遥か上の職位かどうかも判断付かないけれど、ここで黙っている私じゃない。新たな門出のための、おろし立ての綺麗な靴でつかつか詰め寄った。もちろん、床に散らばった書物を踏まないように。


「私は必死に勉強して、宮廷登用試験に合格したんです。私の努力を汚さないでください!」


 執務机を両手でぱんと叩き、ぐいっと身を乗り出した。だけれど相手はちっともひるみやしない。ガタイの小さい女が騒いだところで、痛くもかゆくもないのか。愉快そうに私を見つめているけれど、まるで自分が玩具になった気分だ。いいや、この男からすればガラクタ扱いされているよう。この男の薄ら笑い、到底人と会話をしているとは思えない。


「で? だとしても結果が伴わないと意味が無いのでは? そして貴方は知識を生かせないからこそ、こんな場所にのこのこ来てしまった。僕の前に醜態を晒している訳です」

「どういうこと……ですか」


 正体不明の男は、はあ、と大げさなくらい大きなため息を吐いた。それは心からの落胆じゃない。私が馬鹿であることを、私自身に分からせるために、この男がまるで舞台役者のように大きな動作で肩を落としたのだ。ずい、と細く長い人差し指が私の鼻先に突きつけられる。まるで地獄へご招待する彼の言葉によって、指先よりも信じがたい事実が突き付けられた。


「ここは、扱いが面倒なやつをとりあえず押し込んでおくだけの『厄介払い部屋』。つまり、貴方は配属した途端、宮廷には不要の烙印を押されてしまったわけです――お気楽なまま宮勤めに夢見て出勤しちゃった新人ひな鳥さん?」


 いけすかない、嫌味なこの男こそが、正真正銘この国の王子様であり、たった今から私の上司。

 けれどそれ以上に――苦楽を長らく共にする相手になるとは、この時の私は知る由も無かった。

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