第七節「呪われた王座」
コッパー・キュプレムの死後、その王座は国民たちの間で密かに「呪われた王座」と呼ばれたという。
それは愚王コッパーが生まれたからという理由だけではなかった。
キュプレム王国の王位継承のしきたりとして、
先王が亡くなった際、兄弟姉妹がおらず、その子孫も幼い場合は、
王から信頼されていた臣下が一時的に王座を埋める、というものがあった。
しかし、故コッパー・キュプレムの場合、当人が生き残った唯一の末子であり、かつ子孫も幼かったが、
彼の臣下は危険因子であるとして処分を受けたので、対象者がいないという状態となってしまった。
あれほど身内を王座に上げることに渇望し手を回していた貴族たちでさえ、
愚王の直後、乱れた内政の事後処理の最重要責任者となり、
さらに命を狙われる可能性もある王座に就くことには及び腰になった。
かといって他の一族が王座に上り力を得ることも面白くない。
そんな譲り合いと牽制の末、結局、
王座はコッパ―の子孫が育つまでの間、空席とされることとなった。
コッパー王の子女らは、もう二度と同じ過ちを侵さないよう
その父の名を「史上最悪の愚王」と強く強く言い含められて育った。
やがて長女──実際は次女だが──が12歳になると、ようやく空席は埋められた。
父のことを心の底から愚王だと信じる女王は、
黒民と灰民の格差を明らかにするため、灰民からあらゆる権利を奪った。
黒民奴隷の存在は、黒民の権威を下げるとして主人もろとも処刑した。
黒民は尊く気高く穢れなく、灰民はそんな黒民のために尽くすだけの生き物であると、
決して同じ立場に立つべきものではないと、知らしめた。
女王も当然それを心から信じていた。
数年後、女王が娘を産んだ。
灰色の髪だった。
…コッパ―王の父が、混血の黒民奴隷であることを知るものは既に一人もおらず、
子女の再教育の際にも、灰色の赤子の存在はないものとして伝えられていた。
当然、女王は自分の身の内で育て慈しんだ我が子は黒民でしかありえないと信じていた。
そんな彼女が我が子を一目見た時の混乱と戦慄は計り知れない。
彼女は生まれた我が子を叩き落し、自身も分娩台から産後の体をのたうち回らせて床に転げ落ちた。
華奢な手でも掴みうる灰色の小さな頭を、執拗に床に叩きつけながら、本当の我が子はどこだと叫び続けた。
周りの者は女王の命に障ると思い、彼女を抑え込もうと尽力したが、
そのおぞましい苛烈な暴れように手を付けられず、女王は血を失い、そのまま亡くなった。
実情を知る幾人か以外には、不幸な死産ということで発表された。
女王の代りには、その弟王子が王座に就いた。
しかし彼には王たる才覚が圧倒的に足りなかった。
愚鈍な王は、姉をなぞるように圧政を続けたが、その線引きを間違え、無闇に灰民の虐殺を行った。
国民からの反発心は燃え上がった。
王座の空席時に、郊外で人を増やし武力を得て潜んでいた灰民地位向上派・反乱軍は、
この機に保守派をも説得し一気に勢いを付け、一時は塀を超え城下まで迫った。
黒民が灰民に敗れるかという危機。
それを退けたのは灰民の精鋭で構成された黒民の最終兵器、不倒の軍隊だった。
この時が初めて、外国ではなくキュプレム国民に対して不倒の軍隊を用いられた事例となった。
その弟王は、1年と経たずに王座を退いた。
記録上は病死ということになっている。
その次の弟王は王座についてすぐ、凱旋中に反乱軍の残党によって殺害、
その次の妹王は2年兄王の事後処理へ追われたのち、外交の帰りに崖から転落死した。
そうして空席が明けて約10年の短い間に4人もの代替わりが続いた王座は
──愚王コッパーによって、という意味も含んで──「呪われた王座」と呼ばれるに至ったのだ。
だがコッパーの子孫で最後に王座に就いた末妹の統治は完璧と言って差し支えない。
若く過つ上のきょうだいを見て学んだことが少なからず功を奏しただろう。
灰民が反発を起こさぬだけのものを奪い、奪わなかった。
黒民貴族が王家を好きに扱わないだけのものを与え、与えなかった。
ようやく統治は安定し、20年もの長い均衡が続いた。
その間、反乱軍や外国からの侵攻、飢饉や流行り病などの危機も起こったが、
女王は恐ろしく賢く、知恵をもって武力や財力を奮い、それらが大きな騒動となる前に退け、抑えた。
国民も貴族もそんな彼女を、愚王から生まれた奇跡、稀代の偉大な女王と仰ぎ、
女王の死に際しては、数十年ぶりに正式で盛大な葬儀が行われた。
ただし彼女の子は一人、病弱で臆病な王子だけだった。
序章の佳境です