第七節「布に覆う」
「……ッパー様、コッパー様……」
呼びかけられている。それと振動。
控えめであるが、肩に手をかけて体をゆすられているようだ。
まぶたの向こうから揺れる光が透けている。
コッパーはゆっくりと目を開いた。
「ああ、良かった!心配いたしました」
側にプラムバム神官の顔があった。
右手に灯りを持ち、左手でコッパーの肩に触れている。
見慣れている姿よりさっぱりとした服装に見える。
コッパーは自身の体が、先程までより寒くないことに気が付いた。
プラムバム神官は、常に肩を覆っていた赤い外套を外し、コッパーにかけていたのだ。
人肌の温みが布地に残っている。
「コッパー様、大丈夫ですか」
「……ああ」
「もし、用事がないのであれば、部屋に戻りましょう。火入れをお持ちします」
「部屋?」
振り返って目にしたイメナータの姿が頭から離れない。
「部屋……」
「……コッパー様?」
部屋には戻りたくない。戻るのが恐ろしい。
「……何があったのです?」
コッパーの様子を見て、プラムバム神官の表情が柔和な笑みから緊張した眼差しに変わった。
「……実は、私は部屋から駆けていくコッパー様を見たのです。
何事かと廊下に出ると、私と同じようにコッパー様を見た見張りが慌てて走ってきました。
今も、私の他にも何人か、コッパー様を探しているはずです」
コッパーは、浮遊し出していた目線を彼の鳶色の目に着地させる。
「ここは、神下の身分では入れない場所ですので、
私が預かって来てみたところ、あなた様を発見できました」
「ここは?」
「ここ……?コッパー様はここがどこかわからずにいらしたのですか?」
「……」
「……失礼致しました。
ここは……名称はないのですが、天宮の最下です。
このように行き止まりですので、皆、用はないのですがね」
どうやらコッパーは、彷徨う内に、逃れたかったはずの部屋の下階に来てしまっていたらしい。
「……改めて、何があったのですか?こんなお姿で……」
「……イメナータが……」
徐々に正常に戻ってきた思考が言葉を詰まらせた。
こぼれ落ちた一つの名前だけが冷たい石の壁に吸われていく。
「イメナータ?」
プラムバム神官は、目を丸くして、その名前を反復した。
「イメナータが……どうされましたか」
これを、言っていいものか?
イメナータはプラムバム神官付きの神下だ。
……彼女は、彼に何か指示を受けて私の部屋に来たのでは?
「……コッパー様、灯りが消えます。
せめて階段の上にまでは上りましょう。
適当な部屋を開けますから……」
彼の態度は一貫して人を心配する普遍的な情を感じられるもので、
コッパーが安心を覚えたのも事実だ。
先程「イメナータ」と名前を聞いた時の様子も怪しくは感じられなかった。
「お立ちになれますか?」
だが、話せない。
とコッパーは判断した。
仮に彼が信頼に値するとしても。
偉大な黒銅の民で巨躯の男が、
身分が低く華奢でその上かたわの女に、
裸で迫られて恐れおののき、
叱りつけるでも自室から追い払うでもなく、
下着と毛布だけをひっかけ、這々の体で逃げ出した……
……言えるわけがない。
きっと、今後、何がしかの不利に働くだろう。
また、話すことで、黒銅の民が身分が下の者に泣きついた、
という関係がひとつ発生してしまう。
彼女伝いにそのうち出来事が明らかになるとしても、
自分から話すことはやめておくのが賢明だ。
大丈夫だ。
誰にも心のうちを明かせないことなど、慣れたものではないか。
「……プラムバム神官」
「はい」
「部屋に行く。戻る……」
「では……」
「……だが、部屋までお前が私に着いてくるか、他の見張りを連れて来てくれ」
「は……承知しました。では、このまま、私が参りましょう」
彼と話し、体が少しばかり温まって、ようやく心持ち自体も落ち着いてきたところだ。
立ち上がろうとひやりとした床に手をつく。
踏んだ毛布を避けようと手の平をずらすと、壁に指の節が引っかかった。
引っかかった?
指先を少し動かして探ると、行き止まりの壁の一番下に溝がある。
「コッパー様?」
プラムバム神官が覗き込む。
コッパーはすぐ溝から指を引き、壁を隠すように手をつきながら立ち上がった。
なんとなく、これを人に言ってはいけないような気がした。
「先導しろ」
動きだしたかと思えば固まる。そんなコッパーの挙動をプラムバム神官は多少不審には思ったようだが、彼は階段の先を照らし歩み出した。
休み休み、階段を登り切り、曲がり角の多い廊下と、短い階段の繰り返しを経て、見覚えのある廊下。
開け放ったはずの扉は閉まっていた。
扉に近付くたび、やおらに体が張り詰めていく。
「……扉を開いて、中を見てくれ」
「わかりました」
扉が開かれる。
プラムバム神官は部屋の中へ身を乗り入れ、周囲を見渡す。
振り返って彼はコッパーに不思議そうな声で告げる。
「……何もないように見えます」
コッパーはプラムバム神官の後ろにつくようにして、慎重に進み入る。
初日には物珍しいと感心した水場付きの部屋の、奥の暗がりが恐ろしい。
仕切り布を一つ一つ暴き、何もないことを確認していった。
何もない。誰もいない。
夕食の盆も消えている。帯も靴も散らばっていない。
だが、毛布だけが抜かれている整えられた寝具と、その枕元に畳まれ揃えられた寝巻き。
それらがむしろ、あれが現実のことだったのだと証明していた。
「……コッパー様。もうお休みになられては……。
大変にお疲れでいらっしゃるようで……」
「……」
コッパーにはもう問答一つする元気もない。
声にもなりきらない吐息だけの返事を一つして、プラムバム神官を見送ることとした。
だが、一つだけ彼に告げる。
「次から……私の元にイメナータを寄越さないでくれ」
プラムバム神官の表情も見ず、コッパーは遮るように扉を閉じる。
内鍵を閉めたのを確認し、侵入者がわかるよう椅子も扉の前へ引きずり置く。
そうしてコッパーは深い深い息を吐いて、
毛布ごと寝具に手荒に潜り込んで、力尽きるように眠った。
床に落ちて崩れた寝巻きを、消し忘れた灯りがぼんやりと照らしていた。




