第四節「王の血」
キュプレム王国が、諸外国から転覆を企てられるに至った所以は、強大な力を持っているという点だけが問題なのではなかった。
キュプレム王国は、他国の資源や文明を求め、貿易によって商業的な関わりを受け入れた。
その一方で、他国と政治的な関わりを持つことに関しての警戒は、恐ろしく強かったのだ。
黒民神話を重用する黒民らは、他の体の色を持ったり、別の宗教を持つ異民の有力者を家系に入れることを強く厭った。そのため、他国では当然であった国同士の婚姻による協力関係をほとんど受け入れることがなかったのだ。
その思想は徹底されており、国民である灰民や奴隷にも、異民と血を交えることを禁じる法が敷かれていた。奇妙なことだが、戦争して支配した国の人間でさえ、灰民や黒民に当たる人種がいなければ人足として王国内に入れることをも拒んだという。
協力関係がなくとも不倒の軍隊と豊かで広い国土を持つキュプレム王国であったからできたことではある。皮肉なことに、黒民神話を強く信じることによって、仲間の無い強国が出来上がっていったのだ。
しかし、当然というべきか…長い年月を経て、黒民──ことにキュプレムの王家──は、その黒き血によって徐々に問題に苛まれるようになった。
優れた黒民の血を濃く残すため、近親での結婚を繰り返し、やがて病弱な子孫ばかりが生まれるようになった。また、豊かな国の支配権を握るため、黒民王族貴族間で権力闘争が激化。病を装い後継候補を暗殺し、自分達の子孫を王にしようとする者も少なからずいた。
当然、数年と経たずに王や有力者の代替わりが生じ、それ故に政治は混乱した。
政治が荒れれば不信が募り、不信が募れば国民は異民の言葉に惑わされ、反乱分子は活気付く。
そんな折に即位したのが18代黒王コッパー・キュプレムであった。
彼は文武に関しては高い成績を納め、理想的な黒民の逞しい容姿をしていたが、とにかく粗暴なことで有名な王子だった。その黒々とした髪を乱雑に伸ばし、装束はろくに整えず、裸足で王宮内を野猿のように闊歩しているような少年だった。腰布だけをまとった半裸の姿で客人の前に現れ、大臣の執務室に泥だらけの犬を放し、交流を禁じられている奴隷に声をかけ、庭園の草を抜き、とにかく問題行動の枚挙には暇がない。城からの脱走を試みた回数も数え切れず、持て余した周囲は本人の希望として他国へ旅に出した。
彼が数年にわたる諸国行脚から帰還するのとほぼ同時に、彼の戴冠が決まった。周囲はまさか彼が王になるとは思っていなかった。なにぶん、彼の後継順は十数といる王子王女の末席だったのだ。他の後継候補と比べ体が丈夫で病に倒れず、その上奇しくもこの諸国行脚が謀殺を避けることに貢献したのだ。反対もあったようだが、意外なことに血統の正当性をもとに王冠をもぎ取ったのはコッパ―本人であったという。
…彼の体の丈夫さは、彼の父方の祖父が奴隷であったことに起因していたのだろう。子の無い貴族が王家に取り入るため、黒民奴隷の少年を引き取り育て、女王に婿入らせたのが彼の父だった。当然それを知る者は永遠に口を閉ざしていたが、コッパ―王子は、父と祖父母に生ずる隔絶に感づいていた。それは長年、彼のただの疑念に過ぎなかったが、その父の死後になって、王位を継いだ後に、確信に至ることとなる。
己の子に奴隷の特徴を持つ子が生まれたのだ。
黒王から奴隷の子が生まれるなど…当然許されることではない。その姿を見た老産婆はすぐさま、まだ血に濡れた赤子を布で包み、決まった場所へ向かおうと戸を開いた。
しかし…王の足がそれを止めた。彼は予感をもってして、産室の前で待っていたのだ。
彼は赤子の“色“を認めると、慄く産婆を剣で貫く。取落ちる赤子を受け止め王は笑った。
「間違いなく私の子だ」
装束が二人分の血に染まる。
コッパ―・キュプレム