第五節「逆神の儀」
留意事項:暴力・死傷描写
逆神の儀が行われる斎場は灰棟の最下階。
名は灰棟だが、外壁の色は中央棟と地続きに白い。
この二棟は渡り廊下で繋がれているが、渡り廊下の使用をできる者はごく限られているらしく、
原則として、他の者が斎場に行くにはそれを使わず一度外に出なければならない。
中央棟の東端から外階段を降り、灰棟の最下の門口まで至る道のりは短い。
しかし数日ぶりの外気に、コッパーは詰まっていた肺の空気が流れるようだと感じることができた。
一方、前方を歩く神官二人は暗く沈黙したままだった。
「……これより入ります。口布をお当て下さい」
グスタ神官の誘導で灰棟の中へ入ると、下へ続く階段があり、ややあって広間へ抜けた。
コッパーは天井を見上げる。
高い。
昨日に神を見た礼拝堂の方がずっと大きいのだが、この斎場は横に狭いために天井が高く感じられる。
降りてきた深さから考えても、どうやらここは半地下に掘られているらしい。
天井近くに並んだ縦長の窓から外の光は差すものの、足元にまでは届かない。
壁面に点在する油皿に火が灯って、蠢く人の輪郭を浮かび上がらせている。
斎場には既に神徒と思われる者が数十名ほど立っており、こちらに気付いた者から静かに礼をする。
コッパーは彼らを見下ろしていたが、口布越しに異臭を感じ、顔を上げた。
よく見ると奥側に舞台のように競り上がった区画がある。人の背丈ほどの高さだ。
暗がりによく目を凝らせば、舞台の左側手前に角度の急な階段が掘られており、今いる広間から舞台へ登れる造りとなっていた。
舞台上には誰の姿も見えない。
舞台の左右、奥の両端にはそれぞれ扉のない洞穴のような出入り口があり、その奥には人がいるのか灯りがちらちらとしている。
異臭の元は舞台上に思われるのだが、見渡すには依然として暗く、コッパーは暗がりに目が慣れるのをじっと待った。
その時、空間を鐘の音が刺した。
振り向いた神徒達の衣擦れの音がひとまとまりとなる。
鐘の音はコォーンとこの洞のような斎場に反響し、
やがて上方に神徒らの視線を集めながら収束していった。
わずかな光を集め目立つ白の装束。
先程まで誰もいなかったはずの舞台上に、神徒を見下ろすように真っ直ぐ立つ姿がある。
プラムバム神官だ。
「逆神の儀を行う。逆落をここへ」
凛と張った声が響き、舞台左の洞穴から灯が進み出る。
4人がかりで担ぐように、棒に上半身をくくられた1人の男が引き出されてきた。
染色のない簡素な衣服を着ているように見えたが、男の全身の輪郭に違和感があり目を凝らすと、首を通す穴だけが空いた布製の袋を上から被せられているだけのようだ。
男の様子は尋常ではない。
まるで力の入っていない全身。不自由な上半身を意に解さないかのように、頻繁にぐにぐにと頭を傾け周りを見渡す。かと思えば急に脚を跳ね上げたり、時々何か大声を上げ、何やら笑い声すら上げている。
「哀れなカルクス。国のためとなれ」
プラムバム神官がその男に向かって一言述べると、周りの神徒が一斉に口を覆う祈りの動きをしたので、コッパーもそれに従う。
暑い。
右の光が強まった。
今度は右の洞穴から、また4、5人ばかり、が灯りを持って現れた。
それによってコッパーは、異臭の元がどこからきているのかを知ることになった。
舞台上の灯りが増えたことにより、この舞台の中央に、暗い穴が空いていることが明らかになったのだ。
その穴はスバ車が2台入るような大穴で、縁は不規則に切り立ち、人工的な直線と曲線で整えられた斎場の中で異質な暗さを持っている。
きっと斎場にこの穴を造ったのではなく、この穴を中心にこの斎場が、ひいては灰棟が造られたのだ。
灯りの火は穴から通る空気に細かく揺れている。
灯りの熱を纏ったなんらかの腐臭が、コッパー達のいる舞台下まで流れていたのだ。
花の甘い香りや煙はここにはない。
剝き出しの生臭さが冴えたままの体に届いてくる。
先ほど右側から出てきた一団は、その内の1人だけを残して、波が引くように退がっていった。
「あれが、逆神です」
ルニーカ神官がコッパーへ耳打ちした。
コッパーははっとしてその姿を目で追う。
逆神──その残された1人は、棒のように細く節くれた脚の片膝を曲げて、傾いた、今にも倒れそうな不気味な立ち姿をしていた。
腿にかかるほどの灰色の長い髪の毛を下ろしており、薄い体は見た目だけでは男女を判じることはできない。
しかし、ひとつ意外だったのは、それは子供に見えるほど小柄だった。
逆神が一人、髪を振り乱しながら、中央の大穴を避け縁に沿うように歩みを進めるのを、この場にいる者はただ見ていた。
火の粉の爆ぜる音と呼吸の音だけが聞こえるのみだ。
コッパーも息を殺すように倣った。
逆神がやがて逆落の男――カルクスと言ったか――の後方へ到達すると、
体を二つに折るように屈めて足元から棒状の何かを両手で拾い上げた。
それはよく見ると逆神の背丈を超す長い槍のような武器で、地の色か錆か、刀身も含め全体が赤茶けた色をし、刀身に近い部分の柄には、槍の向きと交差するように棒が結え付けられている。
逆神は腰を落としその槍を逆落の男に向けて構えた。
逆落の男は天を見つめ揺れている。
その背に凶刃が迫っているのを知ってか知らずか、
男は「あ――――――――――――――」と長い発声をした。
その声を合図とするかのように逆神は走り出し、男の背から胸までをその槍で貫いた。
「わ――――――――――――――――――――あ―――――!あ――――――!!」
男は平坦ながら驚きの感情を取り戻したような咆哮をした。
その声はやがて弱々しく、嗚咽混じりとなる。
血を吐いたのだと思う。
逆神はそのまま、その全身の体重をかけるように進行し、男を大穴の方へ押し込んでいく。
柄に交差し結えた棒は、地上に留まろうともがく男の身を阻む。
やがて縁に辿り着いた男の身を、逆神はほとんど倒れ込むようにして大穴の中へ落とし入れた。
ドツ。
周囲が一斉に息を吸ったのを聞き取るまで、コッパーは、その場の音が失われたように感じられた。
暑い。
逆神は伏せた体勢から、槍の刀身を地面に引きずるようにしてずるずると後退しながら徐々に起き上がる。
槍を拾い上げた地点まで退がる頃にようやく立ち姿となり、滑らせるようにその場に槍を手放した。
その後はただ、来た時と同じように道を戻り、灯りを持った集団に囲まれて、右端へ消えていった。
「同志よ」
プラムバム神官が声を張り上げた。
「逆落は我々を安らぎの地へと向かう足元を堅くする。
悲しむ勿れ、恐るる勿れ!
我々はまた、輝く神の国への歩みを進めたのだ」
プラムバム神官は大きく手振りして朗々と語ってみせる。
後ろから灯に照らされたその姿、白い刺繍と灰髪が煌めき、彼に集まった信徒たちの視線、その瞳もまた輝くようだ。
「信じ給え」
そして再び全員が祈りの形を取る。
その祈りの姿をまた倣いながらコッパーは、黒い装束の内側で肩から背骨にかけて汗が伝うのを感じていた。
無性に、乾いた風が恋しかった。




