第三節「教室にて」
エラメンタ神国は山に囲われ、全体がすり鉢状の地形である。
北の斜面の頂上に東西に立ちはだかるように宮殿が建てられ、国の一切を見下ろしている。
宮殿の西端の棟が最も高い場所に位置し、東端に行くにつれ高度は下がる。
棟は渡り廊下を介して3つに分かれ、
西から順に「天宮」「中央棟」「灰棟」と呼ばれる。
天宮の最上階に神や天使が暮らしており、よって西に執務室を構え働く者ほど地位が高い。
「少し掠れておりますな」
グスタ神官が天宮の絵をとんとんとつついて呟いた。
コッパーは、中央棟の最上階、グスタ神官が「教室」と呼んだ部屋に連れてこられた。
この部屋は、角が土や岩によってなだらかに埋められ、内側が円柱状となっている。
北の入口と、対面の大きな窓の他に引っかかるところのない壁には、地図や人を模したような絵がびっしりと描かれていた。
教室の中にはコッパーとグスタ神官の二人だけだが、扉のない入り口からは変わらず大所帯な連れの一団がこちらを覗いている。
「コッパー様のお部屋は天宮の中部あたりで…」
「この画は?」
「ああ、そちらは……この国の全体図ですな」
コッパーは宮殿図から少し離れた大きな画を指した。
天を指す大きな三角形で、4段に色分けされている。
「正確に言うと階級図なのですが、国の形や配置もこの図で説明ができまする」
コッパーは黒民神話でいうところの黒民や灰民などの制度に近いものかと連想する。
グスタ神官は階級図に近付き、三角形の頂点の先に乗った赤い丸を指した。
「言わずもがな――頂点に座すのが我らが神でございます」
指先が下部へ動き、三角形の最上位にある橙に色付いた箇所を指す。
「これが天使様方にあたります。神を最も近くでお支えになり、
また、我々を神の元へ導く指導をなさいます」
コッパーは驚き、尋ねた。
「他に天使がいるのか?」
「はい。いや、ええ……」
グスタ神官は先ずはっきりと肯定をしたが、答えに迷ったのか目を泳がせて少し俯いた。
彼は静かに続ける。
「数年前まで天使様は何人かいらっしゃったのです。
しかし今はアグ様一人だけが姿をお示しになり、一切を取り仕切っておられます」
「アグ。初めて名を聞いた」
「他に類する者がおりませんからな」
「なるほど」
確かに名前で区別する必要がない者は、家族名や階級、職業の名前で呼ぶというのはよくあることだ。
コッパーがかつての生活で長らく「キュプレム」や「黒民」と呼ばれていたのも、他に黒民がいなかったからに他ならない。
アグ。キュプレム語で「神に代わって/並ぶ」という意味を持つ。
神の側近ならばその名は豪胆なことだが、実質、場を支配する彼の振る舞いには相応しいように思えた。
グスタ神官は天使より下の薄青い段へ指を滑らせている。
「これが神徒。国の管理を担います。
神徒で最も優秀な、選ばれし3つの一族から輩出されるのが、我々神官。
神徒をまとめ、天使様をお支えしております」
グスタ神官は目に見えて鼻息を荒くする。その下の青い段に説明は移る。
「これは神下。神徒や天使様の日常の雑事を行います。
あれらの者も神下ですよ」
グスタ神官は入り口の一団を指差す。
コッパーが振り向くと一団は少しびくつき、風に揺れるように各々が会釈をした。
今朝方、天使がイメナータを神下と呼んでいたことを思い出す。
「最下段にあるのが神民ですな。彼らは神の力を蓄えるために労働をするのです」
コッパーが少し思案している間に話が進んでいた。
最下段の大きな台形は茶色に塗られている。
この段で一通りの解説が終わるようだ。
「この国は地形としても頂上から下方に広がるように家々が建てられております。
居住区としてもこの図と同様に、
宮殿から近い方から神官、神徒、神下、神民が暮らしているのです」
「なるほど」
黒民神話と共通する価値観があるため、理解は難しくないが、
独自の文化の全容はまだまだ捉えきれない。
教室に来る際に、まず基本的な事柄から知りたいと望んで話を聞いていたものの、
コッパーはどうしても頭の隅にある単語が気になり、焦れてしまった。
「逆神とは?」
「え?ええ……こちらでいうとこれですな」
グスタ神官は階級図への質問かと思ったのか、
神下の段の右横に離れて描かれた小さな逆三角を指した。
「逆神は階級とはまた…外れた、えー、神民より下であり、かつ神と同等の存在……」
階級図に含まれているのであれば、逆神もどうやら階級の名前であるらしい。
グスタ神官はやや眉間を詰まらせてしばし黙考する。
「……コッパー様、"復活"についてもお聞きになりますか?」
「……ああ」
グスタ神官がこの場でコッパーに背いて話を変えるように提案するようには思えなかった。
逆神の説明に不可欠なのだろう。
「我々は全て……神のお力を満たすために働いております。
神は……今はまだ、神の国へ戻り我々を導く力に不足しております」
コッパーは頷きと目線を送って先をうながす。
「神のお力は捧げ物と祈りによって満たされます。
礼拝をご覧になったでしょう?祈りによって力を贈るのです」
「では、復活というのは」
「まさに」
神の復活――。
「しかし、祈りを捧げる者の心は不完全。澱みや迷い、邪心。努めても出でるもの――」
グスタ神官は目を閉じ、首を振ってみせた。
「邪な心を全て受けてしまえば、神の中にも澱みが落ちます。
やがて旅立つその御身に重く邪魔な泥。復活を妨げます。
神が受ける澱みをその身に溜め置く器が必要です」
グスタ神官は首を傾げゆっくりと目を開き、コッパーを見つめた。
「それが逆神です」
コッパーは一息うなった。
神官、復活、逆神。
知れば知るほど紐ついたあらゆる事象と思想が引き出され、疑問点が増えて仕方がない。
コッパーは天使から大義名分を得ているのだと、半ば居直ることにした。
「逆神は人か?」
階級があるのであれば人の呼び名ではないだろうか。
グスタ神官は目を丸くした。
「逆神は人ではありませんよ」
「……人の形をして生きているのか?」
「ああ。それは、ええ。見た目にはそう思われますよ」
「逆神はどこにいる?」
「灰棟に棲みます」
「外に出ることはあるのか?」
「いいえ、儀の他はずっと灰棟に……」
「では逆神とは」
「お、畏れながら、そこまでお知りになる必要はないのでは?」
ここまで徹底して"知らないふり"をされるとは思っていなかったのだろう。
問い詰めるコッパーの剣幕にグスタ神官は腰がひけつつも言う。
「……何故?」
「……あまり知るべきではないと……そうでないと澱みに囚われると、言われております」
逆神というものが、恐らくはあまり口に出すのも良いものではないのだろう、
ということはコッパーにも伝わっていたが、いかんせん何をどれだけ知るべきかすらコッパーにはわからない。
更に聞きたいと強く出るべきか。沈黙のうちにグスタ神官を眺めていると、
その態度に何を思ったか、グスタ神官はばつが悪そうに話しだした。
「……正直なところを申し上げると……私は逆神にそれほど多くの知識を持たぬのです」
「持たない?」
「……逆神はプラムバムの一族が守ります。
逆神に限ったことを言えば……プラムバムを頼った方がよろしいかと」
言われてみれば、今日案内役を彼に代わったのも、
プラムバム神官が逆神の儀の準備をせねばならないからということだった。
「担当の他は深入りせぬよう定められているのです!
バルコタが劣ると言うことではございません!」
「……では、どこまで話せる」
「は……。本日の、儀の、ことであれば」
「ならば話せ」
コッパーとしても、物事の枝葉を追求するより、
まず当面必要そうな情報の大元だけ得ておくと言うことには異論はなかった。
「此度の逆神の儀は、逆落によるものです」
ぴくり、とコッパーは肩を揺らす。
サカオチ。
朝に聞いた気がする。
「……簡潔に」
「勿論でございます」
グスタ神官は袖口を握り込み、額を拭う。
「逆落は、逆神が選んだ、……道連れです。
逆神は、役目を果たす力を得るため、ときおり人の魂を喰らいます。
喰われた者を、逆落と呼ぶのです」
人の形をした逆神が、人の魂を食う――。
寝物語のような話が現れ、コッパーはひそかに眉を寄せるが、静聴に徹する。
「不必要になった身体は、そのままにしておけば病を生みます。
本日の逆神の儀は、その身体を地に沈めるために行うのです」
グスタ神官が眉を下げてこちらを伺う。
「……これ以上、というのが…。
儀式については、見て頂いた方が早いかと」
「……そのようだな」
「ああ!こちらへ。逆神の儀の図絵がございます」
グスタ神官は思い出したように、東の壁へコッパーを招いた。
下方に、人の形をした図柄が2つ、離れて横並びになっており、
その間をとった真下に逆神を表す茶色の逆三角が描かれている。
人の絵はそれぞれ色や装飾が異なるが、どちらもその身から逆神へ線で繋がっている。
グスタ神官は二つの人図を指先で煽りながら言った。
「こちらが逆落。こちらがクズレ。逆神の元へ沈められる二つです」
「クズレ?」
「ええ、……申し訳ありませんが――」
「……プラムバムに聞けと」
「畏れながら」
「簡易な説明でもか?」
「……簡易に言えば……"生まれてきてはならぬ者"です」
キュプレム地方では、罪人を『崩れ者』『人崩れ』と呼ぶことがある。
もし、それと関係のあるものならば、
おそらくは、『逆神の儀』というものは……
『処刑』に近いものなのではないか、とコッパーは考えた。
確かにこれ以上は、一度儀を実際に見てから話をした方が良いのかもしれない。
グスタ神官もこれ以上は語ることが多くないのか、明らかに顔に疲れが滲んでいた。
「……グスタ神官」
「はい!如何されましたか」
「プラムバム神官とはどのような人物だ?」
コッパーが話を変えてみると、グスタ神官ははっと顔を上げた。
みるみるうちに白くなっていた顔に赤みが差す。
「あの若造にはお気をつけください」
コッパーは急にグスタ神官の皺が深く、口元も粘つくように見えた。
「まず生まれが良くないのですよ。
プラムバム家は、まあ、陰気ではありましたが、それは優秀な一族でありました。
逆神の澱みに近いせいか子が少なく、末代は一人娘しかおりませんでした。
私どもは神官の仲間として、それはもう!心配して、支えとして尽力したものですよ。
なのに……」
先程の憔悴は何処へやら、グスタ神官は朝に見せた物語を語るような口調でまくしたてる。
「それが、あまつさえ、なんと、神下の男を婿に迎えたのです。神下ですよ!」
神官と神下では階級が二つ違う、とつい先程見た三角形を思い出す。
階級上は受け入れ難いことなのだろうと理解はできるが、
コッパーの感覚からすれば…どちらも灰髪青目ではないか?
いや、プラムバム神官の鳶色の瞳を思えば、その父も同じ瞳なのであれば、むしろ──。
否。ここはキュプレム地方ではないのだ。とコッパーは思考を振りほどく。
兎も角、彼に同調してみせる気にはなれなかった。
「その神下の男、タリアスは、どうにも身の程知らずの、胡乱な、図々しい奴で、
いつの間にかプラムバム家はあいつが仕切っておりました!
いけしゃあしゃあと会合に躍り出て…私どもと並ぼうとするのです。
悪い噂も絶えぬ男だのに、ティヌムは何を考えていたのか。
すっかりあの男にしなだれて…」
「その、子が」
「御明察。……そうそう、あの若造はほんにタリアスによく似ておりますよ。
顔なんかもう生き写しで、タリアスを割いて生まれたかのよう。
狡猾さが顔に出ております」
この男はこんなに醜い顔をしていただろうか?
そこからもプラムバム神官への悪態は止まらず、
未熟で図々しく、心の底で邪なことを考えているという内容を、
言い方だけを万別に変えて繰り返す。
だが、根拠があると語る話も、邪推に過ぎるように思え、コッパーはいっそ感心した。
グスタ神官の語調は語るにつれ増し、唾を吐かんばかりに勢い込んでいく。
「最も、何よりは、あの『澱二十日』……」
不意に、言葉が切られた。
グスタ神官の視線が自分を通り過ぎていることに気付きコッパーが振り返ると、
昨日広間で会った女の神官が入口に立っている。
「ご機嫌麗しゅうコッパー様。神官のルニーカにございます。
こちらにいらっしゃると聞き、挨拶に上がらせていただきました」
グスタ神官が、小さな声で「姉上」と発したのが聞こえた気がする。
ルニーカ神官は穏やかに作った笑みを解き、グスタ神官を突き刺すように見つめた。
「失礼いたします」
ルニーカ神官は真っ直ぐな脚を広く伸ばし早足でこちらへ近づき、コッパーに会釈をするとその横を通り過ぎてグスタ神官を壁に追い詰めると、その頬を手の甲で張り飛ばした。
あまりにも短い時間で起こった出来事につい呆気に取られる。
耐える準備がなく打たれたまま体勢を崩したグスタ神官も呆然とした様でルニーカ神官を見る。
「申し訳御座いません、コッパー様。お見苦しいところをお見せ致しました。しかし……」
コッパーは彼を打った理由を問いたかったが、言葉が出なかった。
ルニーカ神官の手が、肩が、あまりにも強く震えていた。
「……コッパー様、先程のことは、お忘れ頂けないでしょうか……?」
「……何のことだ?」
コッパーはただの質問として訪ねたつもりだったが、その返答を受けた途端、
ルニーカ神官はばっと顔を上げ、言葉を失くしたように薄く口を開けてコッパーを見た。
後ろのグスタ神官が、何かに気付いた様子で、汗を噴き出し、青褪めていく。
よく似た顔が並んで白く冷えていくのを、コッパーはただただ困惑して、見つめ返すことしかできない。
「いえ……いえ、お忘れにならずとも、……申し訳ございません、ご無礼を……」
ルニーカ神官はうわ言のようにそう言うと、改めて恭しく礼をした。
「儀の準備が整いましたこと、お伝えに上がりました」
窓の外の日はすっかり高く、窓の光に塵埃がきらめいている。
部屋の外から手打ち鐘の高い音が響いてきた。
新しいワードや情報が多く出てきましたね。大丈夫かな。呑み込めますか?




