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LAUNDRY TONIGHT  作者: S.B.H
1/1

今夜の洗濯は

 裸電球の周りを飛んでいるのが、蝿なのか蛾なのか分からない。バチバチと音をたて、眩しい光の中に身を投じている。聖は重たいまぶたを開けて、フィラメントを見た。一瞬焦げ付いたような黒点が視界に浮かび、テーブルに目を下げる。裸体の女にツバサが生えている絵が皿の縁に描かれている。皿の端では、生クリームが熱でドロドロに溶けている。白と黄色が混じった生クリームの上にぽつりと何かが落下した。


蝿だ。

やはり、あれは蝿か。


隣の席では酒臭い女が下品な笑い声をあげている。聖の肩に、赤いマニキュアを施した指を添えて、つねったり、はじいたりした。


「ねえ、聖。聞いてるの」


甘ったるい声が、頭の中を反芻する。店内の雑音、開いたドアの向こうから聞こえる外の雑音。すべてが一気に頭の中に流れ込んできて、頭痛をおぼえた。聖はカウンター席から立ち上がると、テーブルに五千円札を置いていった。女が何かを言って追いかけてくる。


店の外に出ると、雨上がりの湿った空気と、雨の匂いがある。路面が街灯を反射し、水たまりは走る車のタイヤが踏みつけ、水滴を弾く。


「待ってよ、聖」


女は千鳥足になりながら、聖のあとを追いかけてきた。聖は振り向きもせず、足を止めることもなく、まっすぐ歩いていく。


「ねえ聖。


そんなに意地悪すると、私がまた切っちゃうよ」


聖はその言葉にようやく立ち止まると、彼女を振り向くなり道端に唾を吐いた。


「切っちゃえよ」


ニヤニヤしていた女の顔が崩れていき、口がへの字になって、眉が下がる。肩が小刻みに揺れ、しゃくりあげた。


「なんでそういうことを言うの?

私、ビョーキなんだよ。優しくしないと、ダメなんだよ」


「甘えんなよ。」


投げやりに言って、聖はまた先を歩いた。忙しないヒールの音がした。女の嗚咽ではなく、嘔吐する声が聞こえた。もう一度足をとめて振り向くと、女は側溝に顔を埋めて吐いている。


聖はしばらく女が側溝に吐いている姿を見ていた。そして無意識のうちに体の底から熱いものが沸き起こり、女の方へ近付ていていった。


「聖…背中さすってよ」


顔をあげた女の唇に、黄色い吐瀉物がついている。酸っぱい匂いが充満していて、聖は息をとめた。女がまた側溝に顔を向けて吐いた時。聖の右足があがった。


そして、女の後頭部を踏みつけるようにして右足を押し込んだ。女は側溝の縁に額をぶつけ、両方の手をだらんと路面に寝かせた。正座した恰好で、頭をすっぽり側溝に埋めたようになっている。


聖はそうして、また行く道を歩いていった。



公園が見えてきた。

木々の隙間に人影がある。聖が横切ると、声をひそめるような男女の声が聞こえた。そっちを見ると、ひどく痩せた顔の40代くらいの女が慌ててスカートを直している。その後ろで髭を生やした作業着の男がタバコに火をつけていた。


聖は彼らを一瞥してから通り過ぎ、公園を出る時にもう一度振り向いた。女と男は別々の出口から公園を出て行っている。


公園を出ていけば、住宅街に入っていき、オンボロのアパートが見えた。聖はポストを開けると、便箋が二枚入っている。クリニックからの便箋と、母親からの手紙だ。聖はジーンズの腰ポケットからライターを取り出すと、封を切ることもなく火を付けた。真っ黒な灰になるまで、聖はそれを見下ろしていた。灰になると、スニーカーで踏みつけ、寄せ、草場まで蹴飛ばした。



階段を上がっていき、二階の部屋の鍵を開けた。

水色のカーテンが揺れている。部屋の中に湿っぽい風が入ってきている。カレンダーがパラパラと音をたて、キッチンの水道の蛇口からポタポタ水滴が落ちている。


ダイニングテーブルにライターと鍵を置いて、開襟シャツの胸ポケットからタバコの箱を取り出した。一本口に咥えて火をつける。灰だらけの灰皿を手に取り、ゴミ箱に灰を流し込んだ。


キッチンの換気扇を回し、テレビをつける。テレビには字幕だらけのフランス映画が映っている。年季の入った映画で、カラーも異常な鮮やかさで、女優のメイクも時代遅れ。男だけは何も変らない。男はベッドに腰掛けタバコを吸っている。窓際に立っている裸の女を見て、不敵な笑みを浮かべている。


聖はその映像を観ながら、側溝の女のことを思い出した。気絶したんだろうが、家に帰っただろうか。ゲロにまみれた体で、聖のアパートを目指すだろうか。


彼にはテレビの音も、時計の秒針の音も小さく聞こえる。



コインランドリーの防犯カメラに二人の若い男が映っている。一人はベンチに座って漫画を読んでいて、もう一人は乾燥機を開けて服を乱雑に取り出し、カゴに放り込んでいる。



「ダメだ。全然落ちない」


百瀬はカーキ色のキャミソールを手にとると、襟口のシミを指でさすりながら言った。ナナは漫画のページを捲っていて、一瞥もしない。百瀬は苛立ったように乾燥機の扉を閉めた。


「ナナ。意味あるの?こんなことしてさ…」


ナナが立ち上がったかと思うと、自販機でコーヒーを買っただけだった。


「喜ぶと思うんだよね」


ナナはゆっくり穏やかな声で言った。百瀬は背筋が伸びるような感覚になり、ナナをじっと見つめた。


「何も返ってこないんじゃ、家族が可哀想でしょ。」


「………」


「だったら、生前に着てた服を返してあげないと。」


ナナはまたベンチに戻って、また漫画の続きを読み始めた。百瀬がぼんやりしたままナナを見ていると、ナナが口を開いた。


「だから、ちゃんと汚れは落としてあげようね。

血がついたままじゃ、可哀想でしょ」


百瀬はランドリーバックの中を覗き込んだ。そこには複数の女性物の下着やスカート ブラウスがくしゃくしゃになって入っている。乾燥機の匂いと、微かに血の匂いがしている。


やがてコインランドリーの駐車場に一台のスカイラインがやってきた。テールランプが店内を赤く照らす。百瀬の背中を見つめているナナの顔が赤く彩られた。






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