2話
「うわああああああああ!!!!」
五感がぐちゃぐちゃに歪んでいた。何も見えないようで、何かが見えているような。視界がチカチカする。
脳にメチャクチャな情報を流し込まれ、知覚が悲鳴をあげている。
耐えているような、気絶しているような状態を絶えず繰り返していた。
ふと、肩を掴まれる感覚がした。……ような気がする。混乱していた為、振り払ってしまったかもしれない。
だが今を耐えるので必死だった俺は、それに気をさく事もなく、意識が落ちてゆくのだった。
何時間だったかもしれないし、数秒だったかもしれない。
ふと気が付けば、足下からのひんやりした感触で意識が戻って来た。
「あ……。俺……何してたんだっけ……?」
辺りを見回すと、薄暗い倉庫のような場所だった。埃っぽくて、少し肌寒い。
頭の中を整理する。息を吸って、吐く。少し気持ちが落ち着いて、五感が戻ってきた。
そして問題が発覚、……夢でも見ていたのか?誰かが着替えさせたのか?
「俺、服が変わってないか?」
下を見れば、履いていたズボンは薄い布一枚に置き換わっており、羽織っていたはずの上着は消えて肩の出た構造になっていた。
「なんか……、よくわからないけど、肌が出過ぎて寒いな。上着とかないかな、なんて」
現状がおかしな事ばかりなのは確かだ。だがどうにも判断が付かなくなった俺は、体温の心配をして冷静を取り戻そうとした。
この場所は薄暗くて寒いが、外からは薄らと明かりが漏れてきている。誰か居るのだろうか。
扉を開けて辺りを見回す。外から漏れていた光は廊下の電灯だった。この部屋のすぐ隣にトイレがあったので、そこへ入ってみた。
コツコツコツ、と自分が音を立てて歩いている事に気が付く。違和感が頭の中でチカチカと警報を鳴らしている。何が、何が起きているんだ……?
トイレに設置されていた大きな姿見。そこで俺は、自分の姿を初めて認識する事が出来た。
「ま、まじか……」
鏡には、可愛い衣装に身を包んだ俺が映っていた。大きなフリルの付いた、黒いミニスカートの衣装。
スカートの下からは自分のものと思えないような綺麗な生足。少しヨレていたスニーカーも、スカートに合わせても違和感の無い厚底の、綺麗なものになっていた。
顔にも化粧が施されているのか、目がぱっちりして見える。伸びかけていた髪の毛も、おしゃれに整えられていた。
……これは本当に自分なんだろうか?正直、すごく可愛いと思ってしまった。
「うわ……なんだこれ……!? 新手のドッキリか……!?」
鏡の前で身振り手振りすれば、その中の人物も同じ動きをする。鏡の中の可愛い人物は、どうやら俺で正しいようだ。
(ここ、トイレだしチラ見しても大丈夫だよな……)
下がどうなっているのか。男としての沽券に関わる大事な事だ。かわいい自分に申し訳なさを感じながら、スカートの下をたくし上げ……
「あっ!! ここに居たのか君!」
「!?」
突然トイレの扉が開き、人が入って来た。
「あ、あの、貴女は……?」
「出番はもうとっくに来てるんだから! ほら早く早く!」
「わっ! あの! ちょっ!?」
手を強く掴まれ、俺は何処かへと連れられていった。
俺は謎の女性に連れられて、ステージの舞台裏のような場所に来た。大きな歓声と歌声が聞こえて来る。
「良かった、まだ間に合うみたいだね」
「はぁ、はぁ、はぁっ。あの、貴女は……?」
俺は息を切らしながら質問する。
「ん? あぁ僕のこと? 気にしなくて良いんだけどね。僕の名前はシオ。君は兎立織くん。OK?」
女性は走って乱れた俺の服装をテキパキと整えながら答える。
「あ、ありがとうございます……。じゃなくて! どうして俺の名前を!? っていうかここは何処なんですか? 俺どうしてこんな格好を!?」
「んー。それもすぐ分かるよ」
シオさんは俺の話は重要で無いようで生返事だ。でも、ちらりと覗いた横顔は真剣な表情をしていた。
(何をさせられようとしてるんだ……? ステージには何があるんだ? ライブしてるみたいだけど)
されるがままに考えていると、背中をぐっと押される。
「出来たよ! さあ行った行った!」
「うわっ、ちょっと!!」
力強く押され、俺はステージに上がってしまった。
《スキル【アベレージ】を発動しました》
上がる瞬間、脳内に無機質なアナウンスが響く。
えっ? と疑問に思う間も無く、俺は目の前の光景に圧倒されてしまった。
見渡す限りを埋め尽くす観客達、会場を駆け巡るレーザーとライト。そしてステージの上では2人のアイドルがパフォーマンスしていた。
…………アイドルと言うには少し、個性的過ぎる気もするが。
かなり派手な、舞台装置の様な衣装を纏った人が声をかけてくる。角とか羽とか、すごいリアルな質感だなぁ……。
「あら、今更お仲間が来たようね。さっきの小細工の成果って所かしら? ……まぁいい、貴女も弱っちそうなその小娘も、纏めて殺してさしあげますわ!」
「くっ……!」
もう1人、ステージで少女が膝をついていた。全身ボロボロで傷だらけだった。彼女は普通のアイドル衣装といった格好で、綺麗な顔に金髪の髪を高く括っていた。
「無に還りなさい! アシッドホール!!」
派手な人が手を空に掲げると、ステージの上に大きな黒い渦が発生した。
「何だこれ……? アイドル? 魔法? 俺、何に巻き込まれてるの……?」
キャパが超えてしまった俺は呆然とその光景を眺めていた。
「兎立織! お前だけでも逃げてくれ!」
傷だらけの少女が叫ぶ。
(逃げる? 何で俺の名前を知ってるんだろう? シオさんと知り合いなのかな、逃げるって)
何だろうと、思考が固まっていると。
「逃がすか!! くらいなさいっ!!」
手から塊が放たれる。
黒い渦が此方に向かってくる。バチバチと黒いエネルギーが音を立てている。こんなもの見た事無い。こんな大きなものに飲み込まれたらきっとひとたまりも無いのだろう。
なんだけど、""当たっても別に問題ない"'気がした。
黒い渦は2人に直撃した。爆音を立て、ステージを闇と煙が覆う。
「キラ! 兎立織くん!!」
シオさんの叫ぶ声がする。
闇と煙が晴れてゆく。
「えっ何これ」
俺はステージの上に立っていた。そして左手には、今放たれたような黒い渦が収まっていた。
「な、なんですって!? 私の最大魔法が効効いてない!?」
「っ!? どういう事なのだ……?」
「何だ何だ?」「デーモン様の魔法をものともしないだって!?」
観客からもステージの上からも困惑の声が聞こえてくる。
(俺、何かやっちゃったのかな……。これ、アイドルのステージって感じでもないけど……あっ! そうか、分かったぞ! これはヒーローショーなんだ! 女の子向けの!)
そう考えてみれば自分も倒れている少女も、美少女戦隊モノっぽい服装に見えるし、今魔法を打って来た人は敵の怪人に見えなくもない。
よし! それなら俺は――
「え、えーーい! くらえっ!」
黒くエフェクトのかかった左手で、敵っぽい人に殴りかかった。
「舐めやがって! そんな攻撃食うとでmぶごぁああああ」
左手が顔面にクリーンヒットし、遠くへ投げ飛ばされていった。
(だ、大丈夫かな!? やりすぎちゃった!? 俺こんなに力強かったっけ!?)
ステージに静寂が鳴り響いた瞬間、カンコーン、ガランガランと重なった鐘の音が鳴り響いた。
「うおおおおおおお!!!!!」「あいつ勝ったぞ!!!!」「デーモン様が負けるなんて」「キラ様は命拾いしたな」「あの子何者なんだ」「黒髪の子、タイプだな……」「救ってくれてありがとおおおおおお」
観客からも大きな声援がかかる。
「わ、わ〜……。どうも〜」
とりあえず手を振り返してみる。
「兎立織!」
振り返ると、涙ぐんだ金髪の少女が立っていた。ぎゅっと両手を掴まれる。
「助かったのだ! ホントにホントにありがとうなのだ、感謝しても仕切れないのだ……っ!」
「え、えっと。どういたしまして……?」
手をぶんぶんと掴まれる。
よく分からないけど、凄く喜んでくれてるみたいで良かったな、なんて呑気に考えていた。この先に何が待ち受けているかも知らずに。