ギルチョン民族の大移動はいかにして始まったのか?
その青年はギルチョン民族の末裔だと名乗った。酒場でたまたま1人の客同士隣り合わせ、話しかけてみたところ、これは面白い話が聞けそうだと私は喜んだ。
青年は特に民族衣裳のようなものを着ていたわけでもなく、その時何かをギルチョンしていたわけでもなかったが、私の興味を引いたのは彼の顔つきだった。
自然に伸び放題の美しい金髪に碧い瞳、細身なのに服の上からでもわかるほどのマッチョ。それに似合わない子供のように無防備な顔つきが、いかにもギルチョン民族的に見え、思わず私を彼に声をかけさせていた。
彼は語った。
「ギルチョン民族の大移動については、ご存知の通りだと思うけど、色々と明かされてないところが多いよ」
「ですよね」
私はグラスを手に、うなずいた。
「しかし世界に少ないながら現存するギルチョン民族の末裔は、その物語を語り継いでいると言いますよね?」
「うん。ボクも受け継いでいるよ」
「でもそれは部外者には決して語ってはならない。そういう掟があるんですよね?」
「うん。そうだよ」
「聞きたいなあ……。許されるものなら是非、聞いてみたいものだ」
「うん。いいよ」
「えっ? いいの?」
思わず私はグラスを落としかけた。
「いいよ、いいよ。あんなのただのルールだから。ルールは破るためにあるんだから」
末裔以外は誰も知らない、インターネットにさえ書かれていないその伝説の物語を、私は彼の口から聞くこととなったのだ。
なぜ彼らは北海道から九州まで、とてつもなく長い距離を大移動したのか、なぜ彼らは大移動の途中であんなことをしたのか、何よりなぜ、彼らの大移動は失敗したのか。
私は別にジャーナリストではない。聞き齧った話をSNSに面白がって投稿する趣味もない。聞いたら私の胸にしまい、あの世まで持って行くつもりでいた。
しかし私は初志に反して今、彼から聞いたギルチョン民族の秘密をこうして記し、『小説家になろう』に投稿しようとしている。それはもちろんpvやブクマや感想が欲しいからであるが、それだけではない。読書諸氏も最後まで読んでくれたら私の気持ちがわかるのではなかろうか。
ギルチョン民族は周知の通り、大昔は温暖な時代の北海道に定住していた。ある時、地球がバランスを崩して寒すぎる冬が訪れた。北海道北部をうろつき回っていた騎馬民族であるところのウンコ族が、寒さに耐えられなくなって南下して来た。
ギルチョン民族は多数の人種の集まりであるが、彼らは一様に勇猛で、逞しい肉体を持っていた。何より彼らはその特殊能力『ギルチョン』によって、それまでは他民族の侵攻を受けずにいた。
『ギルチョン』というのは日本語の『ちょん切る』に近い言葉だ。しかしその意味するものはまったく違う。彼らは何も道具を用いることなく、素手でギルチョンすることが出来る。しかもギルチョン出来ぬものはこの世に何もないと豪語する。
そんな特殊能力を持ち、勇猛さでも知られたギルチョン民族がなぜウンコ族に追い出され、大移動をすることになったのか、なぜ九州までの長い距離を歩き続けなければならなかったのか、それは長い間、ギルチョン民族の末裔しか知らない、歴史の謎であった。
末裔の青年は語った。
「ウンコ族はやって来るなり『ウンコつけるぞー』『つけられたくなければそこ退けやー』と脅して来たよ。どんだけ勇猛でもウンコには勝てなかったよ」
なるほど、うなずける話だと私は思った。ウンコに敵うものはそうそうないだろう。
「それでボクのご先祖様たちは大移動を開始したよ。荷物を馬車に乗せて、北海道の崖から本州を眺めて、海をギルチョンして、進んだよ」
海もギルチョンできるのだな、と私は思った。凄い。
「本州に入ると深い森が続いていたよ。木の枝をギルチョンしながら、たまに襲いかかって来る熊とかもギルチョンしながら、ご先祖様たちは進んだよ」
熊など木の枝と同程度の障害でしかないのだな、彼らにとっては……、と私は思った。強い。
「強い絆で繋がれた夫婦が行く手を阻んで来たけど、その絆もギルチョンしてご先祖様たちは進み続けたよ」
愛すらギルチョンできるというのか! まさにギルチョンできないものはないというのは本当なのだな、と私は思った。怖い。
「やがて広く知られてる通り、鳥取県西部帝国に辿り着いたよ」
「しかし、鳥取県西部帝国を倒すことが出来ず、そこで大移動は失敗した……そうですよね?」
「ウン」
青年はかわいい顔でうなずいた。
「どうしてもギルチョン出来ないものがあったよ。それで鳥取県西部帝国を滅ぼすことが出来ず、ヨーロッパ大陸にさまざまな独立国家をもたらしたゲルマン民族とは違い、ギルチョン民族は日本国内にさまざまな独立国家をもたらすことはなく、ただ九州まで歩き続けただけで、そこでかるかん饅頭を食べて終わった」
「一体、何だったのです?」
私は興奮しながら、聞いた。
「何でもギルチョンするギルチョン民族ですらギルチョン出来なかったものとは……何だったのです?」
青年は『いいちこ』をコクコクと飲み干すとグラスをカウンターテーブルに置き、また話しはじめた。
「それはねーー」