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テイルランプ

作者: kabu

 気がついたら暗闇の中にいた。


 闇の向こうに、小さな赤いランプがおぼろ気に灯っている。水逃げのように、そのランプは遠くにも近くにもならない。ただ同じ距離を保ちながら、心許なく私と存在している。


 靴の底から感じるものは、砂利のようなゴツゴツとした触感、そして等間隔に置かれた平べったく固いものだった。時々ふらっとバランスを崩すと細長く固いもの(これはずっとつながっていて、少し高さがある)につまづきそうになる。ドーム型になっているのか、足音が反響して、私以外の人間もいるような気になるが、立ち止まって背後の闇を見つめていると、耐えがたいような静寂が、闇のなかに安閑と存在しているだけで恐怖がせり上がってくる。


  ここで安心を感じさせてくれるものは、前方に灯っている小さな赤いランプだけだ。

それに向かって、もうどれだけ歩き続けたか分からない。

 この無意味と思われる行動からくる焦燥感、またそこからくる絶望感が私を冷静な判断から遠ざけた。あの赤いランプへ続く真っ直ぐな道から逸脱して、横に向かって歩いてみた。これには勇気が必要だった。もしかしたらそこに深い穴があって、死んでしまうかもしれないからだ。でも、そこにはちゃんと地面があった。そして、すぐ横は壁だった。手でたしかめてみたが、恐らくどこまでも続いている壁だ。

 壁に背中をあずけて座った。休息できることを知って、少し安堵した。


  地べたにあるものを無造作につまみ、それを両手の指でいじってみたが、それはやっぱり砂利に間違いなかった。手を伸ばしてみると、ざらざらとした冷たい鉄の感触がした。じゃああの等間隔にあったものはなんだろうと体を乗り上げながらさらに手を伸ばしてみると、それは木だった。


  壁に包まれていて、等間隔に木が敷かれている。線路みたいだ。ここは地下鉄なんだろうか。

  わからない。だとしたら、あの赤い灯りには一体いつになったら辿り着けるののだろう? あれは電車のテイルランプなの?


  赤いランプから目をそらして、足下の闇をじっとみつめていた。焦点が当てられない暗闇にただ呆然としていたら、ある一点の光がそこから生まれだした、それは横たわった青白い赤ん坊の瞳だった。


  赤ん坊は無邪気な瞳で、何かを必死に問いかけているようだった。私は息をのんで、何も答えることができなかった。すると双眼から涙が溢れ出て、それを拭い、何度か視界が隠れたが、赤ん坊が消えることはなかった。私の表情は、多分、くしゃくしゃになっている。それでも赤ん坊は表情を一切変えることもなく、瞳を揺らすこともなく、温かい病院の毛布の中ではなく冷たい地べたの上で、じっとこっちをみつめている。


  赤ん坊を抱き込もうと腕を伸ばしたが、それは実体ではなく私の手をすり抜けた。

  ついにテイルランプに目を背けた。

  それは薄ぼんやりと、おぼろ気に、赤々と点灯して、私の視覚の一点を占めた。私がそれを見つめているのは、逃避だと思い直し、また視線をもとにもどしたが、そこでは同じ赤ん坊の瞳がまだはっきりと私をみつめていた。

(どうして生んでくれなかったの?)

「それは……そういう薬を飲んだから」

(どうして?)

「あなたを産むことができなかった。私たちにはまだそれだけの経済力がなかった」

(どうして?)

「それは……私とあの人がそういう行為をしたから」

(「僕」を産めないのに?)

「……そう……」

(どうして?)

  恥ずかしくなった。何も答えることができなくなった。


  私は思い出していた。小学一年生のころ、昼休みの終わりのチャイムがなり、友達と校舎へ戻ろうとしていた時、校庭の端っこから、ぼん、と鈍い音がした。


  校庭にいる生徒が一斉にそちらの方向を向いた。そこではサッカーボールが空高く蹴り飛ばされていた。サッカーボールの真下には高学年の男子がいて、どうやらその男子が蹴ったようだった。ボールは地面に落ちて、また鈍い音を校庭中に響かせた。

 私は恍惚とした。憧憬を抱いた。


  まだ小学一年生だった私が、あんな風に力強く、3メートル近くも蹴り飛ばせるかどうかはわからないが、その力強い光景に『大人』を感じたのだろうと思う。自分の力だけでサッカーボールを蹴り飛ばせたらすごいな、と当時単純に思ったのだろう。

  しかし今、大人になってどうしたことだろう。

  私は今、死んだ自分の赤ん坊に見つめられ、わなないている。

  現実と夢の間で揺らいでいる。

  あぁ、私は何事にも耐え難い、自分の代償、過去を作ってしまったんだ……。


  また朦朧とした赤いランプに目を逃した。

 あれが本当に電車だとしたら、私も乗せてもらえるのだろうか?

 過去から立ち上がれずにいる私もどこかに連れて行ってもらえるのだろうか?

 ここではないどこか、違う未来へ……。


私は、まだ無邪気に私を見つめてくる青白い赤ん坊の頬をなでる真似をした。

「ごめんね、もう行くね……産んであげられなくてごめんね。私ももう行かなくちゃ……ずっとここにとどまってるわけにはいかないから」

赤ん坊は無邪気な瞳をまっすぐにこちらに向けながらなにも答えなかった。

私は立ち上がって、壁伝いに、あの赤いランプに向かって歩き出した。


 もしあれが電車のテイルランプだとしたら、その電車は一体どこへ向かうんだろう?


友人から中絶した話しを聞いて、そのときの感情をもとに書きました。

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