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㉟ 俺と幼馴染のラブストーリー


 退院した次の日から普通に学校に通うことになった。愛花の家でオンライン授業を受ける愛花を見ながら、適当に教科書でも開いていようと思っていた計画は、あっさりと潰れてしまった。


 通院やリハビリには愛花が付き添ってくれることになった。病院は午前中になるので授業があるだろうと愛花に言ってみたが、それは課題でなんとでもなると愛花が言った。おばちゃんも「付き添わせてやって」と生温かい眼差しを向けて来たので、好意的に捉えて二人の厚意に甘えることにした。


 退院した日のサプライズパーティをしてくれたあと、隆と亜紀ちゃんは帰宅して愛花が残った。俺の部屋で愛花と二人になる。この部屋も久しぶりだ。母さんが換気をしてくれていたからか、臭いの発生源である俺が不在だったからか、部屋のドアを開けて飛び込んできた匂いは、なんとも爽やかなものに感じた。


 ベッドにうちかかり、二人並んで座る。愛花がスマホをポケットから取り出して言った。俺とカップルアプリを使いたいと言うのだ。なんて幸せな提案なのだろう。


「これに春樹の受診予定日を入れてほしいの。そしたら、愛花も春樹のスケジュールが分かるから」


 ネットでパソコンでいう共有フォルダみたいなのができないかと調べたという。共有フォルダさえ何のことか分からない俺が関心していると、スケジュールを共有したいけど、やり方が分からないとおじちゃんにボヤいたと言う。おじちゃんから会社で使っている共有フォルダについて説明されて、それに類似したスマホで使えるものを探してくれたらしい。


 入院中、分かりやすく二人きりにしてくれたおじちゃんとおばちゃんを思い出して恥ずかしくなった。好きな子の両親に、行く末を見守られるというのは何とも言い難い。愛花の家で俺はどんな会話にどういう風に登場しているのだろうか。知りたいけど知りたくない。


 愛花がアプリの設定をしてくれて、俺が通院予定を入れると愛花のスマホアプリにも俺の予定が反映された。それを見た愛花が満足そうに頷いた。


 通院予定の日、愛花を迎えに行くため玄関を出ようとするとチャイムが鳴った。ドアを開けると愛花が立っていた。


「一人で来たのか?」

「このくらいの距離へっちゃらだよ。愛花もう病院にだって行けるんだから」


 誇らしそうにそう言って笑った。病院に向かう道中、俺が車道側にいると、ハッとしたように愛花が車道側に場所を変えて、俺を左側に押した。そして手を繋いだ。


 左腕の骨折なので、愛花が左側にいると手は繋げないが、車道側に愛花を歩かせるなんて、男たるもの! と思ってしまう。しばらく車道側の取り合いになったが、愛花がしびれを切らしたように声をあげた。


「愛花が車道側にいるの!! 春樹はこっち!」


 キッと睨みを効かせて歩道側を指さしてくる。気持ちは嬉しいが、男たるもの女子と一緒にいて、車道側を歩かせるわけにいかない。


「左腕が使えないから、俺の左側に危険が迫ったとき愛花に守ってほしい。右側は手が使えるぶん安全なんだ」

「……そっか。そうだね!」


 純粋な愛花はまんまと俺の口車に乗せられてくれた。素直な愛花かわいい。愛おしい。可憐だ。日本語の好意的な意味で使われる形容詞のほとんどは、愛花のために作られたのではないだろうか。


 痛みを伴うリハビリもあったけど、愛花が見守ってくれていると思うと、どれだけでも頑張れた。それに、しっかりと回復しないと愛花をまた気に病ませる。それはどうあっても避けなければならないことだ。


 おばちゃんの昼休みに合わせて三人で病院の食堂で食事したことをきっかけに、通院の日は愛花と食堂によってランチするようになった。もうすっかりデート気分だ。


 毎日のようにウキウキ病院に通う。断言できる、こんな幸せな患者は俺以外にいない。

 デートを重ねて、ずっとこんな日が続けばいいと思っていたある日、その幸せを壊すような出来事が起きた。


 レントゲンを撮ったあと診察室に入ると、レントゲン写真をマジマジと見つめる医者が、何か看護師に持ってくるように告げた。そして俺にきれいに骨がくっついているからギプスは取ると言う。


 奥から出てきたさっきの看護師が、小さい丸鋸みたいなのを持って来て、それを受け取った医者が容赦なくギプスをカットした。


 ギプスをカットされながら呆然と、愛花にイラスト付きのメッセージを書いてもらえば良かったと思った。いざギプスが外れると蒸れて痒かった腕には、風があたり爽快感に包まれて清々しかった。


 いろんな角度に腕を曲げたり伸ばしたりをさせたあと、追い打ちをかけるように医者が言った。もう普通に動かしていい。リハビリも来なくて大丈夫で、一週間後に念のため受診して問題なければ終診だと。


 なんと非情なことをいうのだろうか。


 俺の顔を見た医者が不思議そうに問いかけてきた。


「嬉しくないの?」

「嬉しいですよ」


 とりあえずそう答えて診察室を出ると、ギプスがとれた俺を見て愛花がホッとしたように笑った。


「お母さんがそろそろじゃないかって言ってたけど……良かった」

「……もう普通に動かして大丈夫だって。病院もあと一回来て何もなければもう来なくていいって」


 俺は絞り出すようにそう答えた。

 愛花が喜んでくれたし、安心もしてくれたみたいだ。また手も繋げたしこれで良しとしよう。


 帰り道に公園を通った。俺のギプスがとれてテンションが上がっているのか、寄って行こうと愛花が言った。()()公園だ。少し尻込みする俺の右手を引っ張って愛花がずんずん進む。


 二人並んでベンチに座ると、愛花が珍しいようにキョロキョロと公園内を見渡した。そしてハッと何かに気付いたように立ち上がり「春樹、これ」とポシェットから取り出した封筒を俺の手に握らせて走り出した。


 封筒には『遺書』と書いてあった。焦った俺は慌てて愛花の後を追いかける。どうやら愛花の目的はいつか悪ガキが掘っていた落とし穴のようだ。何を考えているのか分からないが、この勢いで走ると落とし穴に落ちてしまう。トロイ愛花に追いつけた俺はあっさりと愛花の手首をつかんで動きを止めた。


「危ないだろ!」

「だって、ここ異世界に通じてるかもしれないのに!」

「ただ穴の底におちるだけだ。怪我したらどうする!」


 怪我と言う言葉に敏感に反応し体をビクッとさせた。

 それにしてもまだ異世界作戦は有効だったのか。


「ごめんなさい」

「……まだ異世界に行きたいのか? そこには俺も亜紀ちゃんも隆もいないぞ。それでも行きたいのか?」

「……行きたくない。春樹も亜紀も隆くんもいる、ここにいたい」


 その事実に今気付いたかのように目を見開いた愛花がポツリと答えた。ひとまず良かった……。


「それで、この遺書っていうのは? 縁起でもない」 

「……いつ何が起こるかなんて誰にも分からないから」

「分からないから書いたのか?」

「だって……()の愛花の気持ちが誰にも伝わらないなんて嫌だから」


 一度記憶をなくした愛花にとって()の自分の気持ちが誰にも伝わらないということは身近なのかもしれない。でも、それにしても遺書て言葉はいやだ。


「言いたいことは分かったけど、遺書って言葉はいやだ。死んでしまうみたいじゃないか」

「……でも、愛花は一度死んだよね?」

「死んでない!」


 愛花にとって記憶喪失になってからのこの五年より前の人生は、一度終わったことになっているのか。なんて辛い気持ちを抱えていたんだ。


「物理的にはそうだけど。でも悲観して書いたわけじゃないの。愛花は前の自分を憶えているわけじゃないから。ただ、今の自分の気持ちを忘れてしまう日が来たとしても、相手に伝えられないままって言うのはいや」


 かける言葉を見つけられない。ただ、じっと愛花の次の言葉を待った。


「いつか記憶を取り戻したとして、愛花の今の記憶が消えて小六の記憶からやり直すこともあるかもしれない」

「それは……」

「分からないよ? 記憶はずっと戻らないかもしれないし、戻ったとしても今の記憶もあるかもしれない。でもないかもしれない。この今の気持ちを書いておくのは愛花の安心の為なの。どんなことになったとしても今の愛花が消えてなくなるようなことはない。そう思えるから」


 お守りみたいなもの、と愛花は笑う。俺の表情を呼んだのか愛花が俺の手から手紙を取り上げた。


「でも、今の愛花には必要ないね。愛花ここにいるし」

「……うん。こんな遺書じゃなくて、その時その時で気持ちを伝えてほしいよ。俺は」

「そうだね。でも、一緒にいない時に春樹のこと考えて思う気持ちもあるから、やっぱり書いておくことはやめられない」


 俺といないときの愛花の頭の中に俺がいる。なんて嬉しいことを言ってくれるのだろう。

 好きだ。大好きだ。この気持ちをいつか絶対に伝えたい。その時が来たら。


「分かったよ。だけど『遺書』じゃなくて、もっといい言葉はないかな? そんなのわざわざ書かなくても『春樹へ』だけでいいじゃないか」

「……そうだね! いなくなった後の気持ちを伝えるための封筒のタイトルってこれしか浮かばなかった」

「いなくならない前提で考えてほしいよ……」

「うん。頑張る!」


 自分が自分じゃなくなるのを身近に感じながら生きるのはどんなに辛いことだろう。亜紀ちゃんていう友達ができてどんどん明るくなっていく愛花を見ていて楽観視していたかもしれない。


 事件後、外出できなかった愛花が感情を荒げて、俺に向かって叫んだあとくらいから、愛花の口調は変わった。考えながら、少しでも感情を乗せないように喋っているのが分かった。


 それが亜紀ちゃんと友達になって、いろんな感情を体験して、溢れた感情をコントロールできないように、気持ちのまま喋るようになってきた。機械じみた口調じゃない言葉が嬉しかった。心と心を通わす会話ができるようになった気がした。


 そう考えていてふと思った。辛い感情を持っていることも、楽しい記憶があることも、きっと全てが事実で、それはきっと変わらない。体験した記憶は薄れることはあっても、辛い記憶ほど消えることは難しいだろう。それが変えられないどうしようもない現実なら、幸せな記憶を一緒に作っていきたい。


 楽しい記憶を。いつか二人で思い出し笑いしながら話せるそんな記憶を。


 そう決心したある日、愛花の部屋で二人、四人でまた遊ぼうと話していた。遊園地ならスーツ姿の人はいないだろうと思ったのだ。四人で行けば愛花の視界を完璧に塞ぐことができるし、遊園地に着いたら、2:2に分かれて遊べば隆たちもデートになるはずだ。


 それに、亜紀ちゃんとのチャットを提案して、うまくいけば四人で遊園地とか行ったり、遠出したり、とかなんとか吹き込んできたのは隆だ。嫌がりはしないだろう。そう思いめぐらせていると愛花が漫画を差し出してきた。


「これどうかな」


 また、コードKなのか。いったいいつになったら彼氏候補に俺があがるんだ。こんな夢見がちに非現実的な物語にあてはめて作戦を練るんだから、精神年齢を考えてしまっておちおち告白することもできない。


 ふぅとため息をついて、漫画をペラペラと捲る。


 それは、幼馴染だった二人がある出来事をきっかけにお互いに意識し始める話。惹かれ合う二人はすれ違いながらもお互いを諦めることができず、お互いを求め合う。告白しあい両想いになった二人が抱き合うシーンで終わっていた。

 

 読み終わって愛花を見る。

 

 え? これどういう……。期待していいのか? それとも深い意味はないのか?


 俺の顔をじっと見つめる愛花と目が合った。期待と疑惑をもちながら、愛花の表情を探る。どんどん顔が赤くなっていく。恥ずかしそうに照れ笑いをした。


 これは……!


「すごくいいと思う!」


 俺は愛花に笑みを返した。心の中で「よしっ」と呟き、愛花から見えないように小さくガッツポーズをした。


 やっと俺のターンだ!



 照れ笑いをしていた愛花の表情が、微笑に変わった。


「もう一度聞きたい。……なんでそんなに優しいの?」


 俺の答えはずっと前から決まってる。


「愛花が大好きだから」


 愛花は花が開くようにふわっと笑みを広げた。





***





 春樹の腕のギプスがとれた。手を繋いでも大丈夫かと聞くと「もちろん」と言って手を差し出してくれた。春樹の大きな手に愛花の手を重ねた。久しぶりに隆に触れた。あったかい。それが何より嬉しい。


 春樹が安心させるように、ギプスがとれたての繋いだ手をブンブンと振るので、怖いからやめるように言った。


 春樹はいつも愛花のことばかりだ。春樹が愛花に向けてくれる優しさの名前を知りたい。



「それは春樹くんにきいてみないと。愛花の気持ちを伝える形でね」


 亜紀の言葉が頭の中にこだました。


 そうだ。知りたいなら聞くしかない。どれだけ想像を重ねても本人に確認しない限り、ただの妄想に過ぎない。それに、愛花の気持ちを伝えたら、春樹はきっと喜んでくれる。そんな気がする。


 どんな風に伝えよう。愛花はネットや漫画、小説を読み漁った。この中にヒントがある。ずっとこうして疑問を埋めてきた。


 亜紀から借りっぱなしになっていて、まだ読めていない漫画が視界に入った。幼馴染同士の恋物語だった。


 これだ、と思った。落ち着いたら春樹にこれを……。



 ギプスが取れた一週間後、受診する春樹について行った。


「問題ないからもう来なくていいってさ」

 

 春樹が不満気にそう言った。全快宣言されたというのに、何がそんなに不満なのだろうか。帰りに食堂でランチをした。もうこんな風にここで春樹とごはんを食べることはないんだな。そう思うと少し寂しい気持ちになった。


 愛花はトラウマを順調に克服している。トラウマ自体を憶えていないから自信はないけど、確実に外出範囲が広がっている。きっとこれからは、どこにでも一緒に行ける。


 春樹の入院がきっかけっていうのが、春樹への後ろめたさをさらに大きくするけど、できることが増えると春樹にしてあげられることも増える。


 自信をもって春樹の傍にいれる自分になりたい。



 春樹が愛花の部屋で寛ぎながら、順調に回復してもう体育の授業も受けていると言った。今度は遊園地に行こうと楽し気に話してくれて、交通手段や日程について思案しはじめた。


 今だ、と思った。愛花は春樹に幼馴染同士の恋の物語(ラブストーリー)を差し出した。


「これどうかな」


 漫画を受け取った春樹は納得できなさそうに不満気だった。ふぅとため息をついて、漫画をペラペラと捲る。


 愛花は漫画を読む春樹をじっと見つめた。瞬きの時間さえも惜しい。漫画のページを進めるごとに春樹の表情が綻んでいった。

 

 読み終わった春樹と目が合った。嬉しそうな、どこか疑わしそうな視線を向けてきた。恥ずかしくなってきた愛花はどんどんと顔が熱くなっていくのを感じた。赤くなった表情を取り繕うようにヘニャっと笑ってしまう。


 愛花の気持ちは愛花らしく伝えることができただろうか。



「すごくいいと思う!」


 春樹が笑ってくれた。「よしっ」と微かな声が聞こえた。ガッツポーズをしているのが見えた。


 春樹が喜んでくれているのが伝わってくる。嬉しくなった愛花は調子にのって、もう一つの質問を重ねた。亜希に自分のこの気持ちを悟らせてもらったとき気付いた。あの時きっと、聴こえていたのだ。今なら答えてくれるかもしれない。


「もう一度聞きたい。……なんでそんなに優しいの?」


 春樹が子どもの頃からの変わらない、ふんわりとした笑みを見せてくれた。


「愛花が大好きだから」


 嬉しい。すごく嬉しい。好きな人に好きと言ってもらえる。それは奇跡みたいな気がした。ずっと隣にいていいんだよって言ってもらえてるみたいで、今まで生きてきた中で一番嬉しい。最高に幸せだ。


 自然と顔いっぱいに笑顔が広がる。



「愛花も春樹が大好き」



 ふわっとした空気の揺れを感じて、そのまま春樹の温もりに包まれた。







おしまい。


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