㉞ そのとき隆は
春樹と愛花ちゃんと図書館から出てすぐの交差点近くのコンビニで待ち合わせをした。今日はこのあと亜紀と合流して、春樹と愛花ちゃんと四人でランチの予定だ。
コンビニで適当に手に取った週刊漫画を立ち読みしていると、肩を叩かれた。亜紀だ。今日は午前中のシフトだったらしい。亜紀は、たまに俺も立ち寄る近所の本屋でバイトしている。前に亜紀のシフトだと気付かずに18禁的な聖書を買うためレジに並んだことがある。休日でかなり列がついていたのでかなり待ったのだ。
さっきまで男の店員がレジをしていたはずなのに、俺の前に一人になったとき、その一人を捌いた男が亜紀とレジ打ちを変わったのだ。俺は慌てて他に持っていた本を上に重ねたが、バーコードを読み取る亜紀にすぐにバレたのだ。あのジトっとした目は今も心の中に深く刻まれている。
「隆、今日行くカフェって私行ったことある?」
「行ったことないんじゃないかな。部活の奴が穴場だって教えてくれて、たまにそいつと行くんだ」
「どんな雰囲気なの? スーツ着た人とかいない?」
「今までは鉢合わせたことないから大丈夫だと思う。本当に昔ながらの喫茶店て感じで、いつもがらーんとしてるくらいだから」
「じゃあ、高いんじゃないの?」
「それが、安いんだよ。ファミレスくらいの値段設定だし、静かだし、愛花ちゃんも大丈夫だと思う」
亜紀と話しながら春樹からの電話を待っていると、少し遠くの方から、ドン! という衝突音とキーっというブレーキ音が聞こえてきた。俺は亜紀と顔を見合わせる。
「事故でもあったのかな?」
「なんか、そんな感じの音だったね」
コンビニのガラス越しに、前の道を野次馬がぞろぞろと交差点側に向かうのが見えた。
「あぁいう野次馬根性って、どんな気持ちで事件とか事故現場に駆け付けるんだろうな?」
「ね。人の不幸を楽しんでるみたいで気分が悪いよね。……まぁ、人がたくさんいた方が助けも増えるってこともあるかもしれないけどさ」
亜紀が思いつめたようにそうポツリと言った。愛花ちゃんの事件を知ったあとから、俺たちは事件とか事故とかに敏感になった。正確には、その被害者に対していちいち考えるようになったのだ。
春樹は「ニュースで見る事件をいちいち自分の身に置き換えて考えるヤツなんてそうはいない。……頼むから、そんな風に考えないでやってくれ」と言ったけど、やはり身近に起きうると知る前と後では同じ感覚ではいられない。
俺と亜紀のスマホが同時に鳴った。グループ通話の着信だった。
「愛花たち近くに着いたのかな」
「かもな」
亜紀が応答のボタンを押して「着いた?」と言いかけて言葉を詰まらせた。俺は亜紀のスマホを覗き込んだ。
六分割の画面の中に、涙で顔をぐちゃぐちゃにした愛花ちゃんが映った。その鬼気迫る様子に身構える。俺と亜紀の間に緊張が走った。背中を嫌な汗がつたう。
「どうしたの?!」
「ハルキが……ハルキが……」
「どこにいるの?!」
「交差……点……」
「すぐ行く!」
電話を手に持ったままの亜紀の顔が青ざめていくのが分かる。「もしかして……」と震える声で呟く。
「いまはとりあえず、少しでも早く駆け付けよう!!」
亜紀の手を取った俺は、コンビニを出て、ぞろぞろと交差点に向かう野次馬を追い抜く。すぐに人だかりが見えた。野次馬が人垣になっていて、様子が分からない。
亜紀の震える手を引っ張りながら、もう片方の手で人垣を除けていく。信号のすぐ下、歩道にさしかかるようにドアが開いたままの車が止まっている。
春樹が横たえていて、春樹の後頭部を押さえた愛花ちゃんが涙を流しながら、春樹の名前を呼び続けていた。轢いただろう男の人が頭を下げながら「すいません、すいません」と何度も繰り返している。
愛花ちゃんと春樹に一目散に駆け寄った。
「愛花!」
「春樹!」
道路に流れる血を見て酷い不安に駆られる。もつれそうになる足を堪えてなんとか前に進めて、春樹の背中側に膝をついた。亜紀は春樹の足元で口元に手をあて呆然と立ち尽くしていた。ハルキの頭をハンカチで押さえたまま、オロオロと視線を彷徨わせる愛花ちゃんと目が合った。
「アイカのせいで、ハルキが! 車に轢かれたの!」
「……とにかく落ち着こう……」
酷く取り乱している。当然だ。俺だってこの状況を前に足がすくむ。血の気が引くのを感じた。「春樹」と名前を呼ぶが反応はない。とにかく救急車だ。
「愛花ちゃん! 救急車は呼んだ?!」
「その人が呼んでくれた」
そう言って、加害者だろう男を見た。その男に視線を投げて、状況の確認をとる。男は取り乱したまま、救急車は呼んだこと、春樹の反応はずっとないこと、愛花ちゃんが処置していたことを告げた。
愛花ちゃんに確認すると、おばさんの指示に沿って、呼吸と心拍の確認を終えた。ビデオ電話も通話中のままにしてあると言った。
俺は、ジーパンのポケットからスマホを取り出して、通話の応答ボタンを押した。
「おばさん! 隆です。何かできることはないですか?」
「春樹くんの体をそのまま動かさないで、救急車が来るのを待ってちょうだい。救急車が来て、病院が分かったら教えて」
「分かりました!!」
春樹の名前を呼び続けて反応を待つが、ピクリとも動かない。亜紀も泣きながら春樹を呼び続けた。
すぐ後に救急車が到着して、救急隊員の状態確認のあとハルキを担架に乗せて、救急車の中へと運んだ。
促されるように俺も乗り込むが、医療機器の電波障害の可能性があるため電話は切るように言われる。俺は通話中にしたまま、救急車から降りた。
開いたドアから春樹のトレーナーの前を切って胸にモニターをつけているところや、袖をまくって点滴をしているところが見えた。もう一人の救急隊員は電話で、春樹の受け入れ先の病院を探しているようだった。
「○○病院が受け入れ可能です!」
その言葉を聞いて、スマホで病院名をおばさんに告げて電話を切って、救急車に乗り込んだ。ドアが閉まり、サイレンが鳴り響いた。
酷く不安になる音だった。なんで、春樹が。なんで春樹と愛花ちゃんばかりが!
数分後、救急車は病院に到着して、春樹は処置室へと運ばれた。俺と亜紀、愛花ちゃんは待合室で待つことになった。
病院に着いた。医者が春樹を診てくれる。ひとまず安心だ。
少し冷静になれて、周りを見ると、亜紀に肩を抱かれた、手と顔が血に塗れた愛花ちゃんが視界に入った。亜紀にトイレに連れて行くように言った。
自分の手を確認した愛花ちゃんの体が硬直したのが分かった。亜紀がトイレで洗ってこようと、なんとか誘いだそうとしている声が聞こえた。
亜紀の促しに応じた愛花ちゃんが一つ頷いて二人席を外した。
一人取り残された俺の頭に、ぐったりと死んだように横たえた春樹の姿が浮かんだ。体が震える。血の気が引いていく。口の中が乾燥して喉が詰まる。
春樹に何かあったらどうしよう!
愛花ちゃんバカの春樹。愛花ちゃんのためなら何だってやる春樹。馬鹿にする俺を、ジトっとした目で睨む。相談に乗ってくれと土下座した。嫌がらせにコーンポタージュを買って、してやったりとほくそ笑む。お前ばかりいいところ持っていきやがってと、ぶーたれる。
春樹としたいろんな会話が映像で頭に流れた。涙がポタリと、膝の上で握りしめた手に落ちて、自分が泣いていることに気付いた。
頼むから、早く元気なアホ面見せてくれよ……。
「隆くん?」
顔を上げると愛花ちゃんのお母さんが立っていた。俺は涙を腕で拭って、おばさんに春樹が処置中であることと、愛花ちゃんと亜紀はトイレに行っていることを伝えた。
おばさんが来てすぐに、隆を乗せたストレッチャーが看護師と一緒に出てきた。その看護師はおばさんの知り合いのようだった。看護師は今からCTとMRIの検査に行くこと、処置中一度目を開けて簡単な受け答えはしたけど、まだ朦朧としているようだと伝えた。
その看護師と変わるようにおばさんが処置室に入って行った。少しして出てきたおばさんは首を横に振って、腕は骨折だろうけど、意識については検査が終わらないと何も分からないと言った。
検査が終わって戻った春樹は意識もしっかりとしていて、愛花ちゃんと触れ合っていた。その様子に体の緊張が解けて行った。ストレッチャーに乗った隆の手を愛花ちゃんが取って、自分の頬を摺り寄せた。完璧に二人の世界だった。
二人の目には俺も亜紀も、お互いの母親さえ見えていないようだった。
病室で愛花ちゃんが言った。
「なんで……そんなに優しいの……?」
そう聞くと、春樹をじっと見つめて返事を待っているようだった。
病室内は沈黙に包まれて生温かい空気が漂う。春樹は愛花ちゃんからそっと視線を逸らして気配を消した。この異様な空気を感じ取ったのかキョロキョロと愛花ちゃんが視線を彷徨わせた。
その視線に捕らえられた亜紀は困ったように首を傾げた。次に捕まった俺は苦笑して首を横に振る。愛花ちゃんの母親はポカンと口をあけたまま固まり、春樹の母親は春樹を一瞥したあと、愛花ちゃんに視線を移して、そっと逸らした。
誰からも返事がないことに、声が届かなかったと考えたのか、今度はさっきより大きめの声で愛花ちゃんが言う。
「ハル……」
「愛花」
亜紀が愛花ちゃんの言葉を遮った。俺もそれに続く。
「愛花ちゃん、春樹そろそろ休んだ方がいいと思うから俺らは帰ろう」
「そうね。あんまり長居しちゃ、春樹くんがゆっくり休めないわ」
「えぇ、良かったらまた改めて見舞いに来てやってちょうだい」
「ごめんな、愛花。ちょっと休むわ」
「……そう」
「春樹、お母さんそこまで送って来るわ」
みんなでなんとか話を終わらせて帰る方向に持っていく。病室を出ようとする俺たちに一応は着いてくるが、名残惜しそうにチラチラと春樹を振り返り、出ようとしない。見かねたように春樹の母親が送って行くと建て前を述べて、押し出すように病室から出された。
……春樹が哀れ過ぎて、なんだか俺の胸まで痛む。
帰宅してすぐスマホが鳴った。愛花ちゃんの母親からだった。グループLIMEから俺のアドレスを拾ったのだろう。個別にメッセージが来た。「愛花に付き添っていてくれてありがとう」と書いてあった。俺は「本当に一緒にいただけなんです」と返す。メッセージの遣り取りのなかで明日、愛花ちゃんと春樹の見舞いに行くことを知った。俺も行こうと思っていたから時間をずらそう。
しかし。数回しか会ったことのないはずの愛花ちゃんの母親とまでLIMEで遣り取りをするようになるとは、ずいぶんと近い関係になったものだ。亜紀といい、春樹といい、みんなお互いに繋がっている。タイピング練習のためにチャットしたいと亜紀が言って、春樹経由で愛花ちゃんを誘ったときは、まさかこんなに深くつながることになるとは思っていなかった。
だけどそれもまた縁なのだろう。春樹とはたぶん一生友達だと思うから、この関係性もまた良い。
見舞いに何を持って行ってやろうか。入院生活は退屈だろうし、ちょっと笑えるようなものが良いだろう。18禁的な聖書はどうだろうか。いや。それだけだと芸がない。替えの下着をオプションに着けるのはどうだろう。きっとウケるに違いない。
亜紀とのLIMEトークで、そのネタを話してみた。即刻却下された。解せない。だけど亜紀の言う通り、親に見つかる可能性が高いことを考えると……見つかって問い質された春樹が、俺が持ってきたと言っても後々面倒だ。ここはメジャーにホラー漫画にしておこう。ビビりの春樹はチビるだろうから、やはり替えの下着は必須だ。
替えの下着をコンビニで購入して、病院に向かった。春樹に下着とホラー漫画を渡すと、それは嫌そうな顔で受け取った。こんな心尽くしの見舞い品をそんな顔で受け取るなんて、なんて野郎だ。せめて笑え。
ふと昨日のことを思い出して春樹に言った。
「愛花ちゃんになんで告白しないの? バレバレじゃん。愛花ちゃん以外に」
「なんであんなにバレバレなんだ?」
本当に不思議そうな顔で、そう尋ねる春樹に吹き出してしまう。
「なんでバレないと思うんだ?」
「うーん」
本当に分からないといった表情で首を傾げて唸りだす。
「なりふり構わず、自分がしたいように、毎日愛花ちゃんの家に行って、外出訓練にも付き合って、事故の時にはかばって怪我までする。気付かないと思うか? 気付かれたくないなら、もっと視野を広く持てよ」
「視野を広く……?」
「ま、もうバレちまってんだから、今さらだし。それはもう諦めろ」
「うーん」
たぶん、愛花ちゃんしか目に入っていない春樹が、どれだけ頭を悩ませても答えなんて出ないだろう。それより。
「告白! すればいいじゃん。愛花ちゃんが断るとは思えない」
基本バカなのに難しい表情を作る春樹に思わず笑ってしまう。嫌そうな顔で笑ってしまった理由を聞かれた。
「だって、馬鹿のくせに難しい顔するからおかしくて!」
「お前、ひどくね?」
「ははっ。本当だな」
正直俺は、割と友達の多い方だと思う。だけど、こんなに考えないで喋れる友達はそうはいない。それはひとえに春樹が幼馴染バカで、それ以外の人の言動は適当に流してくれるからにほかならない。気楽な奴だ。
「そんなことより告白!!」
「……それなんだけど、愛花は小六のときに記憶喪失になってるだろ? だからそれで言うと、愛花の精神年齢は五歳ってことになる」
「はぁ? 愛花ちゃんを五歳の幼児だと思ってんの?」
「そうじゃないけど。そんな無垢な状態の子に、俺の思春期感あふれる感情をぶつけるのはどうかと思うんだ」
「……お前はいったい愛花ちゃんをどうしようとしてるんだ」
まぁ、生命力に溢れた瑞々しい若さを称える我々DKが、好きな女子を前にして何もしないのは難しいとは思うが。
「……もし、OKもらえたとしてもすぐに何かってことではないけど、こんな下心持った感情で無垢な愛花に向き合うのは悪いことしてるみたいで」
「付き合ってない今でも下心はあるんだろ?」
「……否定はできない」
「好きな子に下心を持つのは当たり前じゃね? 人間の本能だ。諦めろ」
「んー」
「何を難しく考えてんのか知らないけど、俺は愛花ちゃんと話してて幼児と思ったことはないぞ。外出に関しては、少しずつってヨチヨチ感はあるけど、それ以外はちっとも感じない」
「それはそうだけど」
「確かに、同い年の亜紀と比べると、そっち方面の情報量は少ないかもしれないけど、最初はみんな手探りだろ。彼女いない歴年齢のお前も手探りなんだからタイだろ」
唸るばかりで告白すると言わない春樹が面倒になって放置することにした。
たぶん、春樹から恋人関係を求めることはないだろうな。
時々、釘をさしたり、馬鹿にしたりしながら、長い目で見守ってやろうじゃないか。
次は「㉟ 俺と幼馴染の恋の物語」です。




